最後の手紙

烏兎の庭 - jardin dans le coeur

第五部

秋空

2017年11月

11/1/2017/WED

Happenings (1967), Bobby Hutcherson, EMI, 2007

BLUE ESSENTIAL - the classics of Bobby Hutcherson、東芝EMI

Happenings the classics of Bobby Hutcherson

新しいジャズ・サウンドを求めてネットでヴィブラフォンの名盤を探してみたところ、ボビー・ハッチャーソンの名前を見つけたので、早速、図書館へ。

借りてきたのはリーダーを執っているアルバムとベスト盤。風呂に浸かりながら聴く。


ヴィブラフォンを好きになったきっかけは何だったか。小曽根真との共作で聴いたゲイリー・バートンか。そこから遡ってミルト・ジャクソンも聴いた。アルバム、"Bags Meet Flutes"がお気に入り。

思い出せば、ライオネル・ハンプトンも『ベニー・グッドマン物語』でコミカルな登場場面とともに演奏も印象に残っていた。

"Laugh, Laugh Again"を聴きながら、ふと、このサウンドには聴き覚えがあると気づいた。

ルパン三世大野雄二。作品のBGMでヴィブラフォンの音がいつも聴こえていた。『カリオストロの城』のサントラでもヴィブラフォンは多用されている。

大野雄二と演奏しているのは大井貴司。Vibeは昔から親しんでいたサウンドだった。


11/2/2017/THU

Mac OS High Sierra

朝、4時。

MacbookのOSアップグレードをようやく済ませた。心配事があり、ためらっていた。

心配事というのは、FTPコマンドが廃止されるという噂。自分のサイトはFTPアプリ、Forkliftを使いISPのホストサーバにアップロードしている。そのアプリがMac固有のコマンドを使っているのか、独自のプログラムで動いているのか、わからない。

Appleに訊いても当然「アプリ制作会社に確認してくれ」としか言わない。

ネットで別のFTPアプリ、FileZillaがHigh Sierraに対応しているとわかり、Forkliftが機能しない場合はそちらを使うつもりでアップグレードを行なった。

移行を済ませてみると、Forkliftも問題なく使えている。


解決していない問題。iCloud Driveに接続すると、一部のファイルがクラウドからローカルに侵入してストレージを占拠してしまう。

「ディスクがほとんど一杯です」という警告が表示され、ローカル・ドライブから外付HDDやiCloud Driveへのファイルのコピーができなくなる。Time Machineでのバックアップもできない。

iCloud Driveはファイルバックアップ用なので、ふだん接続しないでおけば問題は起きない。

ただ、Appleのサポートに訊いても、普通はiCloud Driveに常時接続していても、作業するファイル以外がローカルに侵入することはないと言う

こういう回避策のある障害は問題は、問題が生じなくても何となく嫌な感じが残る。

パソコンやスマホにはそういうことが多い。


さくいん:Apple


11/3/2017/FRI

秋の叙勲

勲五等瑞宝章箱 勲五等瑞宝章

1905年に生まれ、尋常小学校を卒業したあと丁稚から郵便局に50年務めた祖父が授賞した勲五等瑞宝章。

祖父は港郵便局の預金課長まで昇格して退職した。その後も請われて横浜銀行に10年勤めた。

祖父は1984年に79歳で亡くなった。中学三年生、高校入学前の春休みだった。

ちなみに祖父の名前は、日露戦争の年に生まれたので「軍治」だった。


十五夜の月

今夜は十五夜。桜の枝の向こうから優しい光が差し込んでいた。


11/4/2017/SAT

逆効果

よく「死にたい」ともらす人に対して、励ましているのか叱っているのか、不遇な人を指差して比較する人がいる。

あんな人でもがんばってるんだから生命を大切にがんばりなさい。生きたいのに生きられない人もいる。「死にたい」なんて言ってるとバチが当たるよ。

これは逆効果。視野狭窄にある人は強い叱責と感じてしまう。

逆境の中で努力している人もいるのに自分は恵まれた環境にいるのに何もできない

こうしてうつを深め、さらに視野を狭くしてしまう。

そもそも、「不幸な人」と指差すことが失礼極まりない。

前にも書いた

「希死念慮」は死を希うと文字では書くけれど、「死にたい」という願うことは違う。このままでは「死んでしまいそう」な苦しみや、「死ななければいけない」という過剰な自罰意識を意味する。


さくいん:自死うつ


11/6/2017/MON

清々しい

今日は気持ちいいほどにダメな一日だった。

これで上司も会社も、私に何かを期待することはなくなるだろう。

何をやらせても使えない、"役立たず"ということがハッキリしたのだから。

それでも今日は自分に対してまったく失望していない。

むしろ清々しいくらい。


11/7/2017/TUE

清々しい気持ちの理由

昨日は月次報告書を作った。データの集計がうまくできず、残業することになり会社を出たのは8時過ぎ。大勢というほどではないものの、まだ残っている人もいた。

帰宅しても何も食べず呑まず。風呂に入り寝たのは10時過ぎ。よく眠れた。今朝も4時過ぎには起きられた。快眠度71%。

昨日、仕事で失敗して残業まですることになったのに、気分が大崩れしなかったのは、読みかけている川合康三『生と死のことば――中国の名言を読む』のおかげ。

紹介されている漢詩のおおらかな人生観が、「仕事の失敗くらいは何でもない」という気持ちにしてくれた。

この本の感想を書くのは、もう一度読み返してから。人生観にしても、本題の死生観にしても、自分のものとは違う。どこがどう違うのか。違う考えを知って何か変わるか。

そういうことを考えてみたい。

高校生向けの『国語便覧』を出したり、『東洋文庫の名品』を読み返したりしている。


11/8/2017/WED

正社員

月曜日、3時間の残業で音をあげた。何とか睡眠時間だけは確保して翌日も出社した。

障害者枠の契約社員としては上出来、と自分では思う。

正社員にして賞与もあげます。なので、他の人と同じように働いてください。

いま、そう言われたらきっと断る。S先生も勧めないだろう。

いわゆる「働き方改革」は措いて、現実に即して考えれば、まだ治療中の私が人並みに働けるはずがない。

「障害者枠の正社員」とはどういうものだろう。

どこまで「合理的な配慮」をしてもらい、どこから「人並み」に働かなければならないのか。


さくいん:うつS先生


11/9/2017/THU

残業について

ふだんは残業をしない「合理的な配慮」をしてもらっている。

月曜日は仕事が終わらず、3時間、残業をした。

ふと考えた。

今日の残業に残業代は支払われるだろうか?

就業時間内に課題が終わらなかったのは、自分のミスや効率の悪さが原因なのだから「残業」とは言えないのではないか。

いろいろ考えた途中を省いて結論を書く。

残業には残業代が支給されるべき。

なぜなら、原則として会社員は会社の命令で働いているから。

もし会社が残業代を払いたくないなら、「続きは明日にして」と言えばいいだけ。

細かいことを書き出せば、簡単に終わりそうになければ早めに相談し、その日のうちに終わらせなければいけないかどうか、上長に指示を仰ぐ必要はある。

そこで、残業をさせても完成を急ぐか、翌日にさせるかは、会社から労働者に指示する権限を与えられた上長が決めること。

長い目で見れば、ミスが多かったり作業が遅い人は評価が下がる。これは仕方がない。もしもその業務が向いていないのなら、上長と相談して、得意なスキルを活かせる業務に変更してもらうのがいいだろう。

ここまで書いたことは、多くの人からは「理想論」と一蹴されるだろう。それは承知で書いた。


営業職をしていたときは年俸制だったので、こういう悩みはなかった。

そもそも「残業」という制度がなかった。売上や新規案件など設定された目標に対する達成度でボーナスや翌年の年俸が決まる。

どれだけ働いても目標に届かなければ賞与は少ない。運よく大きな案件が決まれば昇級する。運まかせのところもある。


11月11日追記。

いま思えば、6年働いた会社を退職することになった背景には、大口顧客の会社が傾くほどの業績悪化があった。その会社は現在では新製品が人気で復調している。とはいえ、それは一つの外的要因に過ぎない。これ以上、恨み言は言うまい。


さくいん:労働


11/10/2017/FRI

綱渡り

些細なことで緊張と不安が高まる。このところ安定していた。しばらくこういうことはなかった。慌てている。

安定した心身の状態は10時に寝る十分な睡眠時間と規則正しい生活のおかげだった。余裕はどこにもない。

ちょっとバランスを崩すとたちまち「うつ」に覆われる。落ち着いているようにみえた「日常」は実は綱渡りだった。

もうじき勤続1年。正社員になりたくて、朝早く出社していることや残業も厭わないことを殊更にアピールしていた。

いまが精一杯なのに報酬に目が眩んで正社員になりたいなんて。前の仕事で、欲に目が眩んで心も身体もボロボロにして、骨の髄までしみたはずの教訓を忘れている。


さくいん:うつ


11/11/2017/SAT

生と死のことば――中国の名言を読む、川合康三、岩波新書、2017


生と死のことば――中国の名言を読む

新聞広告を見たときには、言葉だけを集めた同じ岩波の『一日一文』のようなものかと思っていた。

手に取ってみると詩や散文に詳しい解説がついている親切な本だった。

月曜日、陶淵明の悠大な人生観が残業(わずか3時間の!)の疲れを癒してくれた。

ところが水曜日から調子が悪くなってきた。

いまは感想を書く気分にもなれない。そこで自分を励ます詩文を引用しておく。

著者も陶淵明も悟りきったわけでなく、「何度も同じ思考を反芻」していたと想像して読むことを勧めている。


開歳倏五十
吾生行帰休
念之動中懷
及辰爲茲游
『斜川遊』(「斜川に遊ぶ」)
甚念傷吾生 正宜委運去
縦浪大化中 不喜亦不懼
応尽便須尽 無復独多慮
『形影神』

追記。中国語のサイトをみると漢字は簡略体になっている。ということは、「三千年の歴史」を持つはずの中国の人は陶淵明が書いたままの言葉を読むことができない。嗚呼。

もっとも、日本語でもくずし字は読めない。それでも、楷書ならば陶淵明の言葉をそのまま読むことができる。すごい。素晴らしい。

追記の追記。白文でもおおかた読めるのは高校漢文を教えてくれたI先生のおかげ。


さくいん:中国


11/13/2017/MON

世界の特別な1日 未来に残したい100の報道写真(The 100 Photographs That Changed the World)、edited by Margherita Giacosa,‎ Roberto Mottadelli、村田綾子訳、日経ナショナルジオグラフィック、2017


世界の特別な1日 未来に残したい100の報道写真

撮影された事件や事故が有名だからではなく、写真によって多くの人に知られるようになった出来事も少なくない。一見すると偶然撮影できたようなものも実は構図や露出など写真技術が優れていることを解説が教えてくれる。

以下、写真として印象に残った10点挙げておく。

  • 南極点の初到達 - 1911年 - 顔だけのピアリの肖像と違い、犬ぞりと撮影
  • 赤軍兵士へのレーニンの演説 - 1920年 - トロッキーが消えている
  • 大西洋単独横断飛行 - 1927年 - 飛行機に集まる群衆を上空から撮影
  • 広島の母子像 - 1945年 - 聖母子像と同じ構図
  • エリザベス2世の戴冠式 - 1953年 - 女王誕生を世界に印象付ける完璧な演出
  • ローザ・パークスと市民的不服従 - 1956年 - 後年、記念に撮影された記録写真
  • ジャン・ローズ - 1967年 - ピントが外れて顔がわからない兵士たちとの対比
  • 五輪のブラックパワー・サリュート - 1968年 - 銀メダルの白人の沈黙による賛同
  • 無名の反逆者 - 1989年 - 誰なのか、その後どうなったのかもわからない現代史の謎
  • ネルソン・マンデラ解放 - 1990年 - 長い投獄生活を感じさせない明るい服装と表情

11/14/2017/TUE

美術手帖 2017年2月号 特集 - アウトサイダー・アート、緊急!映画対談『この世界の片隅に』特別対談 監督・片渕須直x斎藤環、斎藤環「すべては『すずさんの存在』に奉仕する」、美術出版、2017



アウトサイダー・アートの特集を読むつもりで借りてきたら、『この世界の片隅に』の監督、片渕須直と斎藤環の対談と斎藤の濃密な批評が掲載されていた。


斎藤は『この世界に』の特異な点として、戦争の被害を描く物語であると同時に主人公であるすずさんが「自分が懸命に支えてきた(戦時の)「日常」が(植民地への)加害行為」だったことに気づく点にあると言う。

  しかしまた、「歪んでいたからこそ、彼女は自身の受けた外傷と生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)を乗り越えられたのではなかったか。

映画の終盤と原作の最終回を「すずさんの回復新生」と斎藤はとらえる。 「回復と新生」は「レジリエンス」と言い換えてもいいだろう。 それはそれで間違いではない。下巻を読みなおして斎藤の指摘に納得するところも少なくない。ただ、私はなかなかそう思えない


斎藤は『この世界に』が現代に伝えるメッセージを次のようにまとめている。

われわれの「日常」を深く掘り下げること身体に「記憶」を刻み込むこと。パートナーをみつけ、事後的に「愛」を見いだすこと。そうしたことのなかには「治療」の契機すら潜んでいるかもしれない。

「事後的に『愛』を見いだすこと」とは、時と共に変化する関係を「運命」を言い訳にして徒らに放置することではない。出会いを「運命」ではなく「自己の選択」ととらえ、年月と共に 変化する関係性を「日常」において積極的に維持し改善する、ということを言いたいのだろう。私はそう理解した。

この解釈に異論はない。的確と思う。確かにすずさんと周作との関係はゆっくりとそれぞれが納得した選択によって深まっていく。

こう書けるのは彼が治療する側にいるからだろう。私は治療される側にいて、しかも、10年治療を受けていても寛解にはほど遠い。

だから、「歪んどる」から先はやっぱり読むのが辛い


11月17日追記。

対談を読んで、一つ、印象に残ったこと。

高畑勲が好意的に何度も引用される一方、宮崎駿に対する徹底した否定的な態度。

宮崎が広めた「手塚治虫が人件費を安くしたからアニメ業界が低賃金になった」という説に対しても「虫プロは潤っていたというデータがある」とバッサリ。

『魔女の宅急便』、まるごと一本、影武者にされたのだから、恨みが残るのもわかる。


さくいん:こうの史代斎藤環日常


11/15/2017/WED

平日の休日

昨日は会社を休んだ。出かけられないほど具合が悪かったわけではない。すこし寒気がしただけで休みにしてしまった。

月初と月末に報告書と会議の資料を作るために忙しい日がある。月中はすることが何もないほどヒマになる。

行ってもすることないかな

前夜にそんな風に考えていたら、朝起きるのが億劫になってしまった。


毎年、11月に体調を崩して寝込む。今年は体調は悪くない。気分はあまりよくない。何かスッキリしない。

いろいろ心配事がある。父が来週退院することになった。これからの介護が心配。

来月で勤続一年になる。会社の評価が心配。年が明けると、受験の季節。結果が心配。他にもあれこれ。

こういう性格を心配性と言うのだろう。


昼近くに起きたあとは何をするでもなく、ぼんやり過ごした。本を読んでも数ページも進まない。音楽もアルバム一枚聴いていられない。文章を書き始めてもすぐ行き詰まる。

眠ると夜眠れなくなりそうで、目を閉じないで布団のなかでじっとしていたり。本箱の本を入れ替えたり。『庭』をあちこち掃除してみたり。Google Analyticsでどの文章が読まれているのか確かめてみたり。筆名でエゴサーチしてみたり。建設的なことは何一つしなかった。

こういう一日を過ごしたかった。休日が終わる頃になって気づいた。


11/16/2017/THU

純ジャパ?

ある大学の広報誌の表紙に「純ジャパ」という言葉を見つけた。「国際性を育む」大学であることを宣伝する特集。「純ジャパ」とは、日本で生まれ育ち、英語が苦手な学生を指す言葉として使っている。

この言葉は、もう20年以上前に別の大学で聞いた。そこでは日本育ちで英語が苦手な学生を「純ジャパ」、海外からの留学生を「ノンジャパ」、そして、海外経験してがあり語学が堪能な、いわゆる帰国子女を「変ジャパ」と呼んでいた。


人を生まれ育ちで区別するだけではない。「純」という語はそうでない人々への差別を助長する恐れがある。

日本で生まれ育っても、努力して語学が堪能な学生も「純ジャパなのか。日本で生まれ育ち、日本語以外は話せない在日外国人は何と呼ぶのか。国籍を変えて日本国民になった人は「何ジャパ」なのか。


記憶では、20年前の時点でその大学は区別や差別を助長する、こうした「何ジャパ」という言葉を使わないように通達を出していた。当然ながら、大学は公の場でこの言葉を使うことはなかった。

今ごろ、しかも広報誌でこのような言葉を使う無神経さに驚きを隠せない。

編集者の思慮が足りないなのか、大学に人権意識が不足しているのか、いずれにしてもこんな言葉が流通する大学で「国際性を育む」ことなどできるとは思えない。


11/17/2017/FRI

告発の行方

最近、米国で、何十年も前の性的暴行を告発する人が次々と現れている。しかも、告発する相手は映画プロデューサーや議員候補など、社会的地位の高い有名人が少なくない。

日本では横綱に暴行された後輩力士が警察に被害届を出したと。


私はどうか。今からでも告発すべきではないか。

「あの頃」、たいした理由もなく殴られたとき、どうして警察に被害届を出さなかったのか。

私だけではない。暴力と罵声と規則が支配する日常で、誰も被害届は出さなかったし、教育委員会に訴えた人もいなかった集団催眠にかかっていたとしか思えない。


テレビでも新聞でも、コメンテータは訳知り顔で「どんなに怒っても暴力はいけない」と宣う。

「あの頃」、そんな風に言う人はいなかった。


今は、何十年も前の暴行を告発する人もいる。

告発したいか。告発できるのか。

私自身は、暴力の受益者、すなわち加害者の一人でもあったのに。

『この世界の片隅に』原作を読んだときも、映画を見たときも、とても悲しくとても恐ろしい気持ちになった。

大切な何かを突然に失った心的外傷悲しみと、自分だけが助かった生存者の罪悪感、そして、何とか生きてきたつもりだった「日常」が、実は暴力によって支えられ、暴力によって自分は「生存」できたこと、すなわち自分の加害者性がはっきりとわかり胸が締め付けられたから。

こんなことを考える日は呑んでさっさと寝てしまおう。

暴力事件が起きると必ず「あの頃」を思い出す。


さくいん:体罰


11/18/2017/SAT

父の退院前に

9月の終わりに入院した父が来週の金曜日に退院することになった。

今回、介護認定を受けたところ4級。専門家から診ると認知症が進んでいるらしい。

昨日、仕事のあとで見舞いに行って、図らずも診断の正しさを感じた。

そうか、退院は来週か。今日だと思ってた。
おかしいと思ってたんだ、名札に俺の名前がまだついてるから。
昨夜は大変だったんだよ。電車に乗ったから。電車に乗ったらあそこの島、なんて言ったっけ、野島?、そう野島まで言ったんだ。
そうしたら駅で「横浜〜」って言ってるからびっくりしたよ。
明日退院だから帰んなきゃ、そう思って帰って来たら部屋がそのまんまだからおかしいなと思ってたんだ。
そうか、退院は来週か。

言ってることが支離滅裂。一つ一つは正しい事実でも、話の全体は滅茶苦茶に組み合わされている。認知症の現れだろうか。

帰ってからもこの調子なのかと思うと同居する母のことも心配になってきた。

病院では単調な生活が続くから認知症が悪化すると聞いたことがある。住み慣れた家に帰ると健康な心も取り戻すと。

退院の話になると上機嫌になる。劇的な帰宅効果に期待。


11/19/2017/SUN

横浜の秘境

昨年の大晦日のリベンジに成功した。

宴のために買い出しに行ったあと、通ったことのない道を歩いてみた。

私の実家は山一帯を造成した住宅地にある。上に登るには自動車の通る広い道のほか、狭い階段が多数ある。

宅地が造成される前、山の頂上に神社があったからそこへの参道だったのか、高圧線の鉄塔を整備する人が使う業務用だったのか、今では使われていないのでかなり古いことは間違いない。

そういう階段の一つを登ってみた。途中で、二手に分かれる場所があった。そこで左を選んだのが間違い。道はなくなり、あとは草をかきわけ斜面を這い上がることになった。

昨日、山の下にあるスーパーへ買い物へ行った帰り、昨年さまよった道にもう一度挑戦した。

分かれ道で右を選ぶ。草は茂っているが階段が続いている。これなら行けると思いきや前に進めないほど草木が生い茂っている。枝をくぐり、葉をかき分け、ようやく脱出。

歩いた時間はせいぜい15分。それでも私には十分に探検だった。

そういえば、小学生だった70年代末にはもっと雑木林が残っていた。小学校の脇から山道を歩いていたら、いつの間にか鎌倉へ続く朝夷奈切通大刀洗近くに出てしまったこともあった。


入口                                          階段

入口 階段

密林                                          出口

密林 出口

さくいん:横浜


11/20/2017/MON

散歩と買物

木の花小路公園の紅葉

一日中、座ってパソコンと向き合う仕事をしている。当然、運動量は営業職時代よりも激減している。まとまった運動をする機会がなかなかない。

日曜日、久しぶりに街へ出た。ジーンズの下にスポーツタイツを履いてウォーキングに出かけた。

10分歩くとお気に入りの公園に着く。狭いところだけれど、滝があり、竹林があり、今は紅葉が見ごろ。

駅まで歩く途中には小さな大学がある。ちょうど学園祭の日でたくさんの人がが駅から歩いていた。その流れに逆らい駅近くまで歩いた。


まず商店街の入口の角にある眼鏡屋に行き、ソファに置いたまま上から座ってしまったフレームを直してもらった。昼食は坦々麺。それから少し買い物をした。

買ったのは本と服。

本は、朝井リョウ『時をかけるゆとり』(文春文庫、2017)。図書館で借りて読んだ単行本『学生時代にやらなくてもいい20のこと』は面白かった。この本は笑いたい時のために手元に置いておきたい。追加された数本のエッセイも楽しみ。


服はジーンズを一本購入。前に買ったストレッチ素材を混ぜたスリムジーンズは膝から破けてきた。

破れたジーンズも流行しているし、若々しいし、とアピールしたものの家族には不評でやむなく処分した。

店員によると最近発売されるジーンズはほとんどストレッチ素材が入っている。”ゴワゴワ”した感触は流行らないらしい。

もう一つ、実用的な理由がある。試しに昔ながらのデニム素材だけのスリムジーンズを試してみるとヒップは入ってもウエストが閉められない。中年男の泣き所。

仕方なく、ストレッチ素材が極力少ないモデルをデニムスカートを着た若い女性店員に選んでもらった。

これ、私も気に入ってはいてます。オススメですよ。

こう言われるとつい買ってしまう。これも中年男の泣き所か。


さくいん:朝井リョウ


11/21/2017/TUE

一人カラオケ

日曜日、眼鏡屋の向かいに新しくカラオケ店ができていたので、ふらりと入ってみた。一人カラオケは初めてではない。前回はいざ歌うとなると歌いたい曲が思いつかず、十分には楽しめなかった。何となく恥ずかしい気持ちもまだあった。

今回は、日頃からすこしずつ「歌いたい歌」をメモしておいたので、選曲に困ることはなかった。一人で歌うことにも慣れた。二、三曲歌うともう声がかすれてしまった。誰も聴いていないから、それも気にならない。ささやくように好きな歌を口ずさんだ。

恥ずかしかったのは、店員が飲み物を持って部屋に入ってくるとき。熱唱し没入し陶酔している姿を見られるのは恥ずかしかった。

以下、熱唱した歌のいくつか。けっこう、長い時間いた。ジョッキのビールもけっこう呑んだ。

洋楽を歌うつもりが、思ったよりも歌謡曲が多い結果になった。最近の気分を反映しているのかもしれない。

メモにはまだ「歌いたい歌」が残っている。

この選曲ではほかの人と行くわけにはいかないだろう。慣れたので次回も一人


さくいん:鶴田浩二JOURNEYBilly JoelQueen松山千春桑田佳祐チューリップ


11/22/2017/WED

医療福祉業界の言語文化

福祉関係の人に利用者や見学者として会うと驚くことがある。はじめは敬語で応対していて突然、「あ、そうか、そうか」とタメ口で相槌しはじめるとき。

「そうなんですか」となぜ言わないのか?

高齢者を子ども扱いして赤ちゃん言葉で話しかけることと同じ、それがここの業界文化なのか?


今夏、父が入院したため、ほとんど毎週末、病院へ出かけた。そこで看護師の献身的な働きに感心し、その激務ぶりに過労が心配になった。

大変な仕事であることがわかった一方で、彼らのタメ口と赤ちゃん言葉にはどうしても馴染めなかった。重い肺炎で、少し認知症があるとはいえ、父はまだきちんとした大人の一人であることに変わりはない。

若い頃には多くの人をまとめる仕事もしていたし、つい3ヶ月前まではどこへ行ってもふつうの大人として扱われていた。赤ちゃん言葉で話しかけられる理由はどこにもない。

むしろ父は利用者であり顧客でもある。見学者は潜在的な利用者でもある。お客様扱いしろとは言わない。せめてレストランや商店と同じ程度には客扱いをしてほしい。


11/23/2017/THU

暴行で書類送検

これから書くことは何度も書いている。書くたびに嫌な気分になる。書かないでいても苛々した気持ちが募るので書き捨てて忘れる。

横綱が後輩力士に暴行をした事件がマスメディアで話題になっている。不可解な学校許認可の方がずっと重要に思われるのに、首相への追及は忘れようとしているかのように、報道は相撲界にスクラムを組んで横綱と相撲協会を攻撃している。

本題はここから。

横綱は書類送検される見込みという。今回の事件で加害者が書類送検に相当するなら、私が通った中学校の運動部顧問は全員、書類送検間違いなし。これは30年前の話

鼓膜が破れた、メガネが壊れた、頭をコンクリートに叩きつけられた、など。恐ろしいことにそういうことが日常的に起きていた。

にもかかわらず、当時は教員を訴えることも、暴力にその場で抵抗することさえ、ほとんど誰も思いつかなかった。

いろいろな報道を見ても、学校で同じ程度の暴力を振るっても、現在でも今回のように速やかな書類送検にはならないだろう。

学校は、教育の聖域。暴力の楽園。税回避地と同じように、適用されるルールが違う。

この手の報道を見聞きすると、自分とは無関係でも胸がどきどきしてしまう。


さくいん:体罰


11/24/2017/FRI

緊急退院

昨日のこと。昼休みに電話を開けると知らない番号から着信。さらに母からメール。

前の晩から父が「家に帰る」と騒ぎ出して、なだめる看護師に暴言を吐いたとのこと。メールの受信時間は11時過ぎ。今頃、タクシーで病院に乗りつけているだろう。電話の着信は病院からに違いない。

すぐに着信の番号に折り返し電話すると受付から看護部長に取り次いでくれた。

事情はメールに書いてあった通り。向こうからはっきりとは言い出さないものの「引き取ってほしい」という意向がありあり。

元々24日が退院予定日だった。待ちきれなくなったのだろう


上司に事情を話し、すぐ実家へ向かった。着いてみると父はすっかり落ち着いている。帰りたかった場所へ帰ってきたのだから当然か。

前夜の騒動のことは覚えていない様子。ただ、物忘れが激しいことや体力が落ちていることはわかっているらしい。出不精だった父がデイサービスに行くことに簡単に同意したので驚いた。

もっとも、気に入って通い続けるかどうかはわからない。

不安な日はまだ続く。


11/25/2017/SAT

OB会

就労以降支援事業所でOB会があった。ここに通ったあとで就職した元利用者、7人が集まった。

私が通った事業所はできたばかりだったので、私が「これまでの仕事を振り返る」プログラムをしている頃、最初の卒業生、すなわち就職者第1号を輩出した。定員20人程度の小さな場所。去年の12月に就職した私は4番目くらいだった。

7人の中には事業所に来るまで就労経験のなかった若い人もいた。そういう人が多勢の人の前でよどみなく就活の苦労や現在の利用者へアドバイスをしている。その姿を見て、社会へ出ること、働くということはこんなにも人を成長させるものかと感心した。


何人もの人が指摘し、私も強調したこと

  • 自分をよく知ること。性格分析、適職検査、どんな生活を望むかを考えること。
  • 自己分析は一度きりにせず、何度も受けること。メンタル・トレーニングを受けている間に通所前の弱っている自分はどんどん変わって行く。受けるたびに自分が変わっていることが実感できるはず。
  • 就活では、初めに業界や職務を絞らない。少しでも興味のある企業には応募する。参加できる面接会にはすべて参加する。面接官と話すなかで、業種や職種での自分の方向性が見えてくる。面接官がアドバイスをくれることもある
  • 焦らない。気落ちしたらしばらく活動を中止して休む。あきらめない。これを繰り返す。

久しぶりに事業所へ行ってみて通所しはじめた頃を思い出した。会社を辞めて打ちのめされて、心身ともにボロボロになり、半年以上自宅で静養し社会性はほぼゼロになっていた

あの頃」と比べれば、回復している自覚はある。

会社では「まだまだダメだな」と思うことが多い。こうして苦しみながら訓練していた場所へ来てみると回復していることがよくわかる。そういう「肯定感」も大切。