硝子の林檎の樹の下で 烏兎の庭 第四部
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2011年1月


1/8/2011/SAT

創られた「日本の心」神話――「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史、輪島裕介、光文社新書、2010

創られた「日本の心」神話――「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史

昨年読んだ本のなかで一番面白かった本、といっても、ほんの数冊しか読まなかったなかでの話。心地よい読後感から、久しぶりによく考えてながら感想文を書くつもりでいたのになかなか書き出せず年をまたいでしまった。

本書を教えてくれたのは、日経新聞水曜夕刊の短い書評。井上章一が「目から鱗」と勧めていた記事に目がとまった。

大晦日の晩は、例によって、両親の家で紅白歌合戦を見た。朝の連続ドラマ『ゲゲゲの女房』や大河ドラマ『龍馬伝』などのおかげで、NHKは民放地上波に比べて話題豊富な一年だった。事前の宣伝も抜かりなかった。桑田圭佑の復活や松下奈緒のピアノ演奏、人気グループ、嵐の司会担当など、紅白じたいも話題に事欠かなかった。

にもかかわらず、昨年の『紅白歌合戦』は、正直なところ、楽しめなかった。年越しを祝う海の公園の花火を高台からぼんやり眺めながら、読んだまま感想を書けずにいた新書と、今一つ盛り上がらなかった『紅白』のことについて考えていた。

『紅白』がつまらなかった理由の一つは、新しい曲と聞きなれた、いわゆる懐メロとのバランスがうまくとれていなかったことにあったように思う。方や、好き嫌いはともかくよく耳にした今年のヒット曲を歌う若い歌手がいて、そのあとでいつもならなじみの曲を歌うはずのベテラン歌手が無理して聞いたことのない新曲を披露していた。

年末の音楽番組では徹底して今年のヒット曲とその歌手の代表曲だけを歌わせた『ミュージックステーション』や懐メロを新しいコラボレーションで聴かせた『FNS歌謡祭』のほうが私は楽しめた。ローティーンの子どもたちも同じように感じていたようにみえる。


本書は、書名で謳っているいるほど大げさな内容ではない。内容はむしろ淡々とした史実の記録であり、その記述の積み重ねから書名で宣言された結論があぶりだされる構成になっている。

著者の主張は大きく二つ。一つめは、「演歌」とは1960年代後半に始まり、70年代に確立され、80年代に終息した音楽の一ジャンルに過ぎないということ。

二つめは、「演歌」は出自から見ても、また作品から見ても日本古来のものではなく、むしろ世界中の音楽を取り込んだ、雑多な大衆音楽であるということ。この二つの主張を明らかにすることで、書名の結論が導かれる。

「日本文化」というものがそもそも雑種ないし雑居であるという主張自体は新しいものではない。本書を勧めてくれた井上章一もそうした主張に賛同する一人と言って差し支えないだろう。

本書のユニークな点は、もともと諸外国の文化を取り込んで出来上がったある分野が「日本古来の文化」として定着され、さらには神話化されるという事態が非常に身近な大衆音楽という場でも行われてきたことを、その過程を克明に記し明らかにした点にある。


私は以前、演歌は地域の言葉や風景を原点にしながら次第に産業化して、無味乾燥な「日本」という風景に吸い込まれてしまったと書いたことがある

本書を読んでみると私の見立てが間違っていたことがわかる。「演歌」は最初から音楽業界で生まれた一ジャンルで、地域に根差していた民謡とは直接のつながりはない。あったとしても、それは、「ご当地ソング」という「中央から見た地方」の風景の恣意的な断片でしかない

つまり、演歌で好まれて、頻繁に使われている「故郷」「港」「雪」「駅」といった言葉は、地域から中央に向けて発信されたものではなく、中央から地方に向けて仕込まれた言葉だった。


本書は、新書とはいえかなり緻密な歴史研究で知らない人名や曲名に退屈することもないわけではない。その一方で、若い研究者がこのテーマに賭けた意気込みや専門家以外の読者に向けて書いた気負いがところどころの脱線で感じられて愉快でもある。

たとえば、「千の風になって」が1970年代後半の音楽バラエティ番組『カックラキン大放送』の後主題曲に似ているという指摘。この2曲が似ているのは、現在放送中の音楽バラエティ番組『どれみふぁワンダー』で宮川涁が繰り返して指摘しているとおり、ヒット曲の定石である「ソドレミで始まる」曲だから。

あえて原曲名の「哀しみのソレアード」ではなく、『カックラキン大放送』の後主題曲と明記したのはなぜか。1974年生まれという著者に『カックラキン大放送』を見た記憶があるのだろうか。そこに若い社会史研究者の「歌謡曲」と「演歌」の原体験があったのかもしれないと推測してみると、また楽しい。

この番組は、コメディと音楽を組み合わせたバラエティ番組。主な出演者は、堺正章、井上順、研ナオコ、野口五郎、関根勉、車ダン吉(なぜか必ずShakatak, “Night Birds”にあわせて登場していた)。『どれみふぁワンダー』も同じ方向を目指しているように見えるけど、こちらは公営教育テレビの雰囲気を多分に残しているため、エンターテイメントとしては必ずしも成功していない。

『カックラキン大放送』は70年代のお笑い番組の王者、『8時だよ全員集合』と同じように公開放送だった。調布グリーンホールでの収録後、夜9時に始まる『ザ・ベストテン』に生出演して歌う、という光景は何度も見た記憶がある。70年代後半、「歌謡曲」の時代の象徴的な風景。


『ザ・ベストテン』といえば、昨年の後半、番組担当ディレクター、後にプロデューサーをしていた山田修爾が「今だから明かす☆☆ザ・ベストテン秘話」と題して日刊ゲンダイで興味深い逸話を連載していた。ちょうど本書を読んでいた時期とも重なっていて「歌謡曲」の時代を回想するいい機会になった。

昨年は、転居した先の新しい自治体の図書館で『ザ・ベストテン』を回想するCDもいくつか借りた。

思い返せば、『ザ・ベストテン』は、アイドルからニューミュージックや演歌まで、具体的に名前を挙げれば、伊藤つかさから、松山千春や、大川栄作まで、誰でも生放送で歌わせるという大胆でいて不思議な番組だった。

もっとも、当時15歳では夜の番組に生出演できなかったので、伊藤つかさは夜9時からの生放送には出演できなかった。

著者の輪島は、90年代以降の日本語ポップス、いわゆるJ-POPと区別して、70年代(あるいは昭和50年代という呼び方のほうがふさわしいかもしれない)の雑種混合の大衆音楽に対して“昭和歌謡”というジャンルを提言している。


音楽のジャンルはどんどん広がっている。にもかかわらず、『紅白』はヒット曲や人気アイドルに媚びながら、「国民的番組」の地位にも拘りすぎている。その年のヒット曲だけ聴かせるのでもなければ、『思い出のメロディー』のように懐メロばかりを聴かせるというわけでもない。

その微妙な配合が『紅白』の魅力であり、バランスを崩すと昨年のように物足りなさを残す大きな要因にもなる。


閑話休題。ひさしぶりに少し長い文章を書いてみた。上手くは書けてはないのであとでゆっくり手直しするつもり。

明日からは一週間、半年ぶりのシリコンバレーに出張する。前回の出張よりはずっとリラックスしている。今はまだ土曜日になったばかり。この時間に仕事をしていないだけでも半年前とは気分はまるで違う。

明日、S先生甘えて少し励ましてもらえば、何とか行ってこられるだろう。


1月8日の追記

輪島は、「ニューミュージック」というジャンルも「演歌」と同様1970年代というひとときに隆盛した一ジャンルと指摘している。フォークでもなければ、ロックやポップスでもないジャンル。確かにそれは私が10代を過ごした時代にだけあった音楽かもしれない。

自分の生きてきた時代をあまりに特別扱いすることはいいことではない。なぜなら、「時代」といっても、それは自分か、せいぜい自分の身近な世界の体験に過ぎないから

それは承知の上でなお、本書を読後には、1970年代は戦後日本において大衆文化の岐路だったのではないか、という、これまで積み重ねてきた思いを新たにした


さくいん:70年代『ザ・ベストテン』『紅白歌合戦』


1/22/2011/SAT

シリコンバレーにて

一週間、半年ぶりシリコンバレーに出張した。とても疲れた。最近は調子がいいなと思い、そうS先生にも話していたところ、向こうにいるあいだ、平静を失い、すっかり前のように不安や動悸に怯える状態に戻ってしまった。

それは、行き先が本社だったからということが第一の理由。いつも遠く離れた支店で働いているので、経営幹部が間近にいるだけで神経がすり減る。

本社と呼ばれる場所で働いたことがない。サラリーマンになってからはずっとそうだった。それだけでも気楽な雇われ人でやってきたと言える。

考えてみれば社会に出る前からそうだった。

鶏口となるも牛後となるなかれ

特別に意識してはいないものの、私はこの言葉をほとんど座右の銘にしてきたように思う。

ほどほどの大きさの組織で見下されない程には低くはなく、打たれるほど高く出ない。切磋琢磨とか、まして「虎の穴」のような場所をみずから選んだことはない。

幸か不幸か、自分で選んだだけでなく、これまで過ごしてきた組織がそういう気持ちでやりくりできる場所だった。劣等感を強く感じることはなかったし、誰かや何かをはっきりと目指して努力しようということもしてこなかった。そういう場面があっても、体よく逃げたりはぐらかしてきたというとも言える。


一昨年の冬、偶然に入社できたいまの会社は違った。優秀で努力家で情熱的な人がたくさんいる。社長がなかでも最も強力。いつもエネルギッシュで、来日したときは、特別叱られたわけではなくても、数日間一緒にいるだけでこちらは精気を吸い取られたようにぐったりしてしまう

いままでこんなタイプの人に出会ったことはなかった。いつも新しいアイデアに溢れていて、そのせいで朝令暮改は当たり前、恐ろしいほど吝嗇かと思えば、機嫌がよければ大盤振る舞いをすることもある。マキャベリが見たら絶賛するだろうか。

人格者という分類はできないとしても、少なくとも起業家としては優れた面を多く備えていることは認めざるを得ない。オーナー社長というものはそういうものなのかもしれない。そうでもなければ、生き残ることも、ましてや勝ち上がることはできないだろう。見聞きはしていたけれど、身近になるのは初めて。

考えてみれば、社長に顔と名前を覚えられるような会社で働くことも、今回が初めて。その初体験の相手が、まるで戦国武将のように、いつでも生死を賭しているかのように気性の激しい人物なのだから、疲れてしまうのも無理はない。

このことは、これ以上書いてもきりがない。

はっきり言えることは、私はこれまでずっと恵まれていた。いや、そんな言い回しではまだ生ぬるい。私は人生をなめていた、そう思う。そのツケを今になって返済しはじめている。40歳を過ぎたいま、私の残りの半生はそれに費やされるのだろう。


以下、ただ記録のために書いておく。

往きの便では個人用のディプレイもなかったので、食事のあとは「夜のしじまの、何と饒舌なことでしょう」という城達也のナレーションではじまる自作のプレイリスト“Night Flight”を聴きながら目を閉じていた。帰りは劇場版『銀河鉄道999』と『ゲゲゲの女房』を見た。『銀河鉄道999』のナレーションは、「夜のしじま」に招き入れた声と同じ。

テレビ版『銀河鉄道999』の最終回は同時代に見た記憶がない、放映当時の1980年過ぎ、劇場版で結末を知っていたためと、中学生になって部活で忙しくなっていたこともある。昨夏、初めてテレビ版の最終回を見て、あまり感心はしなかった。

解せないのは、鉄郎の憧れたメーテルのまま、別の少年と旅に出たこと。

メーテルの姿は鉄郎にとってだけ意味があった。それは母親の生き写しだったから。

メーテルのほんとうの姿は誰も知らない、視聴者も。画面に映っているのは、鉄郎が見ているメーテルなのだから。鉄郎はそこに失くした母の面影を求めていた。その意味では、この作品は映画『さびしんぼう』に通じるところもある。

そのメーテルが同じ顔のまま別の少年と旅に出てしまうと、「鉄郎の見ていたメーテル」でなくなってしまう。

劇場版『ゲゲゲの女房』は正直、退屈だった。巷ではテレビドラマと同じくらいに評価が高かったらしい。でも、映画ではサクセスストーリーが始まるところで終わってしまうのでものたりない。あの貧窮と苦労がどう報われたのか、知らない人は映画だけを見てもまったく想像もつかないだろう。


さくいん:シリコンバレー『銀河鉄道999』


1/29/2011/SAT

嫌いな言葉

嫌いな言葉

夢はいつかかなう

似た表現に次のようなものもある。

願い続ければ、夢はいつかかなう

この言葉が好きになれないのは、どんな夢がいいのか、特定してないこと。表立って特定していない癖に、実は話しかけている人がよいと思っているものだけを「夢」といっている。

原爆をつくって東京を消滅させるという夢でもかなえられていいのか。

ユダヤ人をこの世から抹殺したいという独裁者の夢はかなえられていいのか。

自分を侮辱し、陵辱した者を殺したいという復讐の夢はかなえられていいものなのか。

同じように好きになれない言葉はほかにもある。

人生のすべてに意味がある

この言葉は、自分自身に言い聞かせる言葉というならまだわかる。他人に向けて使うには、あまりに乱暴すぎる。

強制収容所から帰ってきた人に「いい経験だったね」と言えるだろうか。

レイプや虐待の被害者に向かって、それもあなたの人生のなかでは意味のあることと他人が言えるだろうか。

若い時に身近で大切な人を、それも惨い姿で失くした人に向かって、「人生のすべてに意味がある」と言える資格を誰かもっていいるだろうか。

以前、「言葉のペットボトル症候群」と書いたことがある

ヒット曲の歌詞にしろ、ベストセラーの広告にしろ、新聞のコラムにしろ、飲みやすい、それでいて、いつのまにか身体を蝕むような言葉を見聞きすることが多い。

そんな言葉にばかり反応するのは、そんな言葉のある場所にしか目を向けていないから。

もっと密度の高い言葉を、自分の足で見つけ出さなければいけない。


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