土を掘る 烏兎の庭 第三部
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2007年5月


5/5/2007/SAT

百貨店の催事場で「70年代展」を見た。70年代のおもちゃ、レコードジャケット、映画のポスター、テレビドラマの上映などなど。

リカちゃんとGIジョー、野球盤と人生ゲーム、ミクロマンと超合金。吉田拓郎とかぐや姫ポプコンと嬬恋村、『タクシードライバー』と『タワーリングインフェルノ』、ソフィア・ローレンとトレイシー・ハイド、ブルース・リーとジャッキー・チェン、『俺たちの旅』と『男たちの旅路』

対象は、団塊の世代らしい。その世代の子どもの世代にあたる私にも十分に面白かった。もっとも、私は遅い末っ子だったので、私の両親はさらに一世代早い。展示のなかで、特におもちゃは、70年代に青春時代を送った団塊の世代より、70年代に子どもだった人たちのほうが郷愁を感じたに違いない。

不思議なのは、おもちゃ以外の音楽や映像にも懐かしさを感じること。当時大人だった人たちも、70年代のおもちゃに懐かしさを感じるのだろうか。とすれば、70年代には、大人の文化と子どもの文化が混ざりあっていたのだろうか。それとも私がたまたま、そういう境遇にいただけだろうか。


家に帰ると、夜、テレビで映画『悪魔の手鞠歌』をやっていた。劇場で見た記憶はなくても、テレビでは何度も見たことがある。石坂浩二、加藤武、岡本信人、大滝秀治など、おなじみの配役のほか、若山富三郎が、純情な老刑事を演じている。

ふと思い出した。同じ横溝正史シリーズの『八つ墓村』の宣伝コピー「祟りじゃあ」は、志村けんのギャグにもなっていた。

これは一例にすぎないけれども、70年代は確かに大人文化と子ども文化が交差していたと言えるのではないか。ほかにも交差していたものはあるかもしれない。スポーツと政治、オカルトと科学、音楽と戦争、そして教養文化と大衆文化。交差しているからこそ、メッセージ・ソングに影響力があったのだろう。

境界域としての70年代そういう切り口で、もう少し考える余地がありそう


写真は、きれいに刈られた競技場の芝生。

さくいん:70年代


5/12/2007/SAT

大型連休、といっても、特別なことはなにもしなかった。新年度の疲れもあったので、ふだんの週末にもしていることを同じように、でもいつもよりのんびり時間をかけてした。

まずは、一輪車とキャッチボール。竹馬は高くても乗れるけれど、一輪車ははじめて。一日鉄棒のまわりで練習して、なんとか3度ペダルが踏めるくらい、距離にして2メートル程度進めるようになった。キャッチボールは、はじめて一年経つので、だいぶ上達した。相手を座らせてピッチャー、キャッチャーの真似もできる。

公園では、遊びに来ていた同じ年かさの男の子と母親と野球をして遊んだ


後半は、天気が崩れてきたので家の中にいた。退屈しのぎに、DVDの『若草物語』(Little Woman, 1949)を手に取った。ちょうど連休のはじめ原作(Louisa M. Alcott、矢川澄子訳、福音館書店、1985)を買ったところ。

『若草物語』『大草原の小さな家』『あしながおじさん』、そして『赤毛のアン』。そういう作品を、家の書棚にすべてあったのに、ほとんど読まずに育った。作品の名前だけ知っているのは、家の本棚に並んでいたり、テレビでドラマを見たりしたせい。『赤毛のアン』と『あしながおじさん』は、ほとんど大人になってから読んだ。

読んでみると、こうした作品の空気を、アニメで見た『キャンディ・キャンディ』で知っていたことに気づいた。

『赤毛のアン』については、この3月まで、NHK第二放送で「謎解き『赤毛のアン』を聴いていた。時代や社会の情勢、思想や宗教の背景、お菓子や服装の描写、さらに名言集。可愛らしい少女時代を記録するとともに、女性の自立を促す物語であったということも知った。

『若草物語』は『ガラスの仮面』の劇中劇で読んでいたのに、あまり覚えていなかった。マンガではもちろん北島マヤが演じるベスが中心になっていたけれど、映画では勝気でお転婆なジョーが主役。ジューン・アリスンが演じている。


ネット上の解説を見ると、エリザベス・テーラーが主役のように書かれているけれども、出番は意外に少ない。当時からアイドル的存在で、常に最初に名前が挙げられていたのだろう。女優というよりアイドルという印象は、最近見た、『花嫁の父』(Father of the Bride, 1950)の感想でもある。

ともかく、この映画の主人公はジョーであるジューン・アリスン。なかでも印象に残ったのは、最後に幼なじみのローリーへ告げた言葉。

小さいころの友だちには戻れない、いまはもう男と女だから、でも、これからは姉弟として、仲良くできるわ。

そんな言葉だった。姉弟とは友だち以上男女未満の関係、ということか

写真は、見上げた藤棚。


5/19/2007/SAT

ブラック・ダリアの真実 上下(BLACK DAHLIA AVENGER, 2004, Steve Hodel、東理夫訳、早川文庫、2006

連休にしたことのつづき。天気のよくない午後にすることといえば、『刑事コロンボ』。今回は、第12話「アリバイのダイアル」(1972)を選んだ。これは小さいときに見た記憶がない。

オープニングは、アメリカン・フットボールのシーン。粗くて少し古い映像を見ていて、フットボール選手とその家族の絆の実話をもとにした『ジョーイ』を思い出す。

コロンボはいつも「ロス市警、殺人課のコロンボ」と名乗る。ロス市警は、Los Angels Police Department、LAPDとも言われる。そのLAPD、殺人課の刑事だった男が書いた本を最近読んだ。

ブラック・ダリアの真実 上下』(BLACK DAHLIA AVENGER, 2004, Steve Hodel、東理夫訳、早川文庫、2006)。

この本のジャンルやテーマを特定するのは難しい。ノン・フィクション、アメリカ社会史LA裏社会史、あるアメリカ人の家族史、私小説的調査報告、暴露と告白。私からみると精神の耐性に挑む本書はきわめてエッセイ的。社会的でありながら、個人的でもあり、読んでいるうちに次第に著者の心の底から声が聴こえてくる気がする。その意味では、パーソナル・エッセイとも呼べる。

この本を教えてくれたのは、日経新聞、土曜夕刊のコラム、東理夫『グラスの縁から』。話題になっていた映画版『ブラック・ダリア』よりも衝撃的な内容と訳者は書いていた。


確かに、この本は映画でも小説でも考えられないようなおそろしい真実をつきつける。目を背けたくなるような自分のルーツの真実を、社会史のなかで見出していく。そういう構成は、山口瞳『血族』にも似ている。米国犯罪史上に残る事件が絡んでいる本書では読後に残るやりきれなさははるかに大きい。

繁栄の50年代、混迷の60年代。一般的にはそう言われることが多い。本書を読んでいると、60年代の混迷はすでに50年代の、とくに大都市の腐敗に準備されていたことがわかる。

暴力シーンのない刑事ドラマ、ヨガや日本食などに見られる東洋ブーム共感しながら犯人を説得していく老練の刑事。そんな感想をぼんやりと考えながら『刑事コロンボ』を見ていると、70年代のLAは癒しを、とくにそれをアジアに求めていた、そういう見方もあるかと思う。


では、その放送は70年代の日本ではどういう意味があっただろう。少なくとも、アメリカ西海岸とでは、だいぶ受け止め方は違っていたはず。70年代の日本からみたアメリカは少なくとも幼かった私にはかつての敵国ではなく、どこまでも憧れの国だった

50年代の殺人事件の本に戻る。序文をJames Elroyが書いている。著者HodelとElroyに共通しているのは、50年代に家族を失ったという境遇だけではない。事件の被害者を興味本位の象徴的な名前で呼ぶことを二人はけっしてしない。彼らにとって、被害者はいつまでもベティ・ショートであって、ブラック・ダリアではない。

序文を締めくくる、そして、血なまぐさい暗黒劇の幕開けを告げる言葉。

ベティは存在した。若く活気に溢れていた。そして彼女は、今も生きている。

名前を呼ぶとき、その人は生きている、という真実を二人はよく知っている。

写真は散歩の途中で見つけた庭石菖。子ども向けの植物図鑑で名前を見つけてから、広辞苑で漢字を調べなおした。


さくいん:名前


5/26/2007/SAT

2月末以来の植栽。

この三ヶ月、仕事から帰宅するとすぐ床につくような暮らしをしていたので、本はほとんど読まなかった。業務が忙しかったわけではない。極度の緊張を緩和するために、一日の三分の一の時間を睡眠に充てる必要があった。

文章は、身辺が慌しくなった2月から少しずつ書きためていたもの。2月に書くつもりだった1月までの読書と旅の記録を終えた。

これで、ようやく新しい読書をはじめられるような気がする。

写真は、五月晴れのけやき並木。


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uto_midoriXyahoo.co.jp