HakuTouGin

年來自分が考へた叉自分が多少實行し來りたる處世の方針は何處へ行つた。前後を切斷せよ、妄りに過去に執着する勿れ、徒らに將來に望を屬する勿れ、滿身の力を込めて現在に働けというのが乃公の主義なのである。                      「倫敦消息」

2009/11/10

カピバラレストラン

もう10年も前のことになるのか,中学校時代の終わりと,高校時分の頃にいつもではないが聴けるだけ聴くラジオ番組があった.1998−2001年にFM東京で放送されていた,UAがDJをつとめる「カピバラレストラン」というものである.実家の集合住宅には,なぜだか有線放送が通っており,関東のいろいろなラジオ番組を聴くことが出来たのだ.インターネットもないお金もない子供にとって,有線から流れてくる音楽は貴重な情報源だった(グリーンデイやニルバーナを初めて聴いたのもなんと有線放送の番組を通じてであった!)「J-WAVE」という単語を初めて目にした,耳にしたのは,「稲中」での「終わったドラクエのレベル上げ」のくだりが先か,こうした番組が先か.FM802のミュージックガンボなども聴いていたと思うが,正直このUAの番組の方が記憶によく残っている.

偶然にも,カピバラレストランについて思い出し,気づくと,やはりかネットでかつての放送を聴くことが出来た.番組の冒頭の曲が大好きで大好きで,ギターで真似をしたりもしたが,結局誰の曲なのかすら当時はわからなかった.ネットは広大で,今ではすぐそれが,Tommy Guerreroという人の,`So Blue It's Black'という曲であることが見つかった.とてもかっこいいフレーズで始まる曲である.

番組はだいたい,UAが関西弁でだらだらとしゃべったり,葉書を読んだりしつつ,彼女のやいろいろな曲をかけていく,という進行である.たまにゲストが来て世間話をするのだが,UAのことを昔からよく知る人などは,「かおりちゃん」とUAのことを呼んだりして,ちょっと笑わされた.

とにかくどれだけ,あの頃背伸びをして,早く大人になりたかったのだろうか.カピバラレストランが好きだったのは,とにかくそれが僕が持っていないものを沢山見せてくれる気がしたからである.知らない音楽の話,音楽家の話,外国の話,などなどである.UAが洋楽詞の邦訳を朗読したり,`Kenwood presents..'などと言って,CMは世界中の子守唄が流れてきたり,とにかく,「ああ大人だなあ」と思いながらささやかな憬れをもって番組を聴いていたのだ.ひたすら近所の図書館に通いつめて,ダブル村上の本などを読み漁っていたのもそのころであろう.NHK BSの映画放送も貴重だった.

再び番組を聴いてみて気づいたのだが,ちょうどその頃のUAと同い年になっていた.もちろんだからなんということはない.くさるほどいろいろなことがあったような気もするし,何もなかったような気もする.10年は気の遠くなるほど長くてあっという間に過ぎる.(当時の僕目線から見るところの)UAみたいな大人になったのかもしれないし,そうでないかもしれない.変化は山ほどあったといえるが,それが成長であると言うわけでは,もちろん,ない.