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.「沖縄の風を織る光を染める 清(ちゅ)ら布(ぬぬ)」展 草月会館
2002年9月20日(金 )〜29日(日)
藤木勇人さんの司会でゲスト(染色家)を迎えてゆんたく(おしゃべり) |
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9月20日 「芭蕉布」平良敏子 (平成十二年5月人間国宝認定) |
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「芭蕉布」 帯 |

「芭蕉布」 着尺
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4年前にも草月ホールで、「平成10年平良敏子この道
60年」というテーマでお話を伺いました。そして、今回、
人間国宝に認定されて、2年と数ヶ月。平良先生は
4年前と少しもお変わりなく、むしろ、若返った様で、
とてもチャーミングな気がしたのは、わたくしだけでは
ないと思います。
女子挺身隊員として、倉敷紡績にいらした時の、柳宗悦
はじめ、数々の出会いが、その後の芭蕉布再興へ,
向けての情熱に影響を及ぼしたことは周知のことです。
出会いが、人を変え、生き方、運命を変えると言いますが、 勝気で、親分肌で統率力もおありということで、大変なご苦労を乗り越えて、成し遂げられたのですね。
この日の先生はなんともいい褐色の無地の芭蕉布を
お召しでした。
「芭蕉布の場合、機に糸がかかったら完成したも同然。
(膳の上に「ごちそう」が並べられたようなもの)
糸にするまでが、大変。」
(詳しくは「平良敏子の芭蕉布」 NHK出版)
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9月21日 「琉球絣」大城廣四朗
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「琉球絣」 着尺
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100年前の藍絣を「上着」にして、お召しでした。
洗剤を使わず、水洗いでいいようです。今だに色落ちするとのこと。
沖縄では、大城先生が織物を始められた頃は男性は非常に少なかったそうです
「踊り」がお好きで、藍が一番好きな色とおっしゃいます。
昔の「藍染のいい絣」を見つけると高額でもつい、買ってしまうそうです。
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9月22日 「紅型」城間栄順 (「しろま紅型」15代目継承者) |
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「紅型」 振袖 |

「紅型」 帯(九寸) |
城間先生が一貫して取り組んでいらっしゃるテーマは、
「海、浜、波」です。
「沖縄の人間にとって、故郷は「海」なのです。生きるということは、泡沫の海に命を預けて、その懐に抱かれる
ことなのです。」(高橋 治著 「星の衣」P31 引用)
講談社
飾らない性格でお弟子さん達に接する時もはじめは慈愛に
満ちた父親のようです。
教える時は厳しく、叱る時もあります。
城間先生も藍がお好きと仰ってます。
「藍」とは、とてつもなく神秘的で、魅力的な色のようです。
会場を出たところで、城間先生と少し立ち話ができました
こと、ラッキーでした。言うまでもなく、先生の
大ファンになってしまいました。
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9月23日 「八重山上布」松竹喜生子 |
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「八重山上布」
(捺染) 着尺
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「結婚」もしたい、「仕事」も続けたいと、欲張って。(笑)
三人のお子さんのお母さまです。
おしゃべりのあいだも無意識なのでしょうか、苧麻を裂く
手を休みません。
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9月23日 「竹富織物」島中由美子 |
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「竹富」 ミンサー帯
(八寸) |
竹富町織物組合専務理事で、「巫女」の肩書きも。
お祖母から「糸つむぎ」、お母様から「機織り」を習いました。
(写真左は、ミンサー帯)
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9月27日 「宮古上布」垣花貞子 |
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「宮古上布」 着尺
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織り上がった「宮古上布」の検査員もなさってます。
「宮古上布」の年間生産反数は激減の一途をたどっております。
糸をつくる後継者が育ってないようで、「幻の上布」になりつつあります。
この光沢は「砧打ち」をすることによって生まれます。
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9月27日 「与那国花織」三蔵順子 |
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「与那国花織」 着尺 |
「与那国花織」は、絣模様の種類がとても多いのです。
500年前から織られていたのですが一時途絶えてしまい、
徳吉マサさんの尽力により復興。 |
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9月28日 「久米島紬」山城宗太郎 |
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「久米島」 着尺 |
「砧打ち」の名人でも、いらっしゃいます。
「久米島紬」の代表的な染料(泥染め)の「きもの」と「羽織」で決めていらっしゃいました。
殿方の「きもの」もいいものです。
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9月29日 「読谷山花織」新垣隆(しんがき たかし) |
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「読谷山花織」
着尺

「読谷山花織」
着尺
左は遊び糸の部分
(裏側) |
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組合の理事長も務めていらっしゃいます。
少し、照れながらお話なさるところは好感がもてます。
「花織」の発祥は「ブータン王国」ということです。
「読谷山花織」(ゆんたんざはなうい)は
反物の裏側に「遊び糸」があるのが特徴。
いったん途絶えますが、与那嶺貞(よなみね さだ 平成
11年「人間国宝」認定)さんの尽力により再興され
普及します。
糸も「木綿」から「絹」へと変りました。
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