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「すべては、聴覚障害者のために」 (目的外使用禁止) 6/29
〜 手話通訳者と文字通訳者 〜 勝田 洋
聴覚障害者に対する通訳手段は大きく分けて二つあると思います。
「手話通訳」と「文字通訳」です。
最近では、手話通訳も「日本手話」と「日本語対応手話」を分けて表現したり、文字通
訳も手書きの要約筆記、パソコン要約筆記と分けて表現したりしています。
これは、いままで「聴覚障害者=日本手話」といった限定された通訳方法が聴覚障害者
のニーズとともに多様化し、それに答える形となってきているからです。
例えば、高齢で充分な日本語教育を受けられなかったろうあ者には「日本手話」。
近年のろう教育で育ってきた比較的若い世代や、手話を習得した中途失聴者には、「日
本語対手話」や手書きの要約筆記。そして、手話を習得していない中途失聴者難聴者には
パソコン要約筆記、と言ったように聴こえない人の手話力、文章力にあわせその人のニー
ズにあった通訳が要求されて来ています。
さらに、手話を中心としてきたろうあ者は文字通訳が付くことにより語彙を習得し、文
字通訳を必要としてきた中途失聴者難聴者は手話通訳が付くことで、話の抑揚[よくよう]
や感情の入ったコミュニケーション方法である手話を習得出来ます。
これらの通訳は、音声を変換するうえで、個々の通訳者が学習や研究を行い進めてきま
した。つまり、「音声→手話」通訳、「音声→文字」通訳です。
しかし、手話を文字に変換する学習や研究はあまり進んでおらず理解不足もあるようで
す。物理的に行うの最善の方法は、通訳者が手話を読み取ながら文字化する方法ですが、
これは高い技術が必要となります。ただ、近い将来音声認識技術の発展により、それも容
易となるでしょう。
一般的な方法としては、手話通訳者の「手話→音声」を文字通訳者が「音声→文字」に
変換する方法がほとんどですが、この、手話通訳者と文字通訳者間の情報の橋渡しについ
てはあまり、研究や学習が進んでおらず理解されていない部分が多いようです。
幾つかその問題点について具体的に例をあげます。
1.音声が聞き取れない。(講演会等)
手話通訳者の音声が小さかったり、騒音が大きいと、文字通訳者に聞こえず内容が
落ちてしまいます。手話通訳者は健聴者に対する音声通訳だけではなく、中途失聴者
難聴者など、手話の解らない者に対する間接的な通訳として、文字通訳者に情報を伝
達しなければなりません。
時には、手話通訳者と同様に、文字通訳者に対して専用のモニタースピーカーや、
FMレシーバーを準備しなければなりません。
2.発言者が特定できない。(会議等)
会議等では、現在誰が発言しているのか聴こえない人にとっては解りにくく手話通
訳者の場合、発言者を指し示したり、隣に立つなどします。
文字通訳の場合は、あらかじめ会場の司会者に発言前に名前を言ってもらうようお
願いをします。
聴こえない人の会議もそうですが、手話通訳者は現在発言している人が誰なのかを
説明してから読み取りをはじめます。
そうすることにより、文字通訳者は発言者の名前を書いてから内容を書くので、聴
こえない人にも解りやすくなります。
3.発言内容が異なる。(発言内容と文字表記の不一致)
聴覚障害者の発言を手話通訳者が読み取りそれを文字化する。発言者は自分の発言
した内容が合っているか文字表示を見ます。
このとき、内容やことばの使い方に食い違いがある場合があります。すると、発言
者は手話通訳者を責めることがありますがこれは違います。
「手話→音声→文字」といった流れは実は「発言者の思考言語(母語)→手話→翻
訳→音声→要約→文字」と多くの工程を経て出力されます。
たとえば、
@聴覚障害者の発言者の思考(イメージ)
「僕は毎日仕事が大変だけど家族の為に我慢して頑張っています。」
A聴覚障害者の発言者の手話(メッセージの表現)
「僕・毎日・仕事・大変、疲れ・しかし・家族みんな・見回す・我慢、我慢・
頑張る。」
B手話通訳者の手話読み取り(メッセージの受容)
「私・いつも・仕事・苦労・疲れた・でも・家族のみんな・我慢・頑張れ」
C手話通訳者の理解(メッセージのイメージ化)
「私はいつも仕事に苦労して疲れているのに家族ががまんしろといわれる」
D手話通訳者の変換と音声(メッセージの再構成と音声表現)
「私はいつも仕事に苦労しているが家族はみな我慢して頑張れと言われます。」
E文字通訳者の聞き取り(メッセージの受容)
「私はいつも仕事に苦労しているが家族はみな我慢して頑張れと言われます。」
F文字通訳者の理解(メッセージの理解)
「私は頑張っているのに家族みんなから、我慢しろと言っている。」
G文字通訳者の変換と書き出し(メッセージの再構成と文字表現)
「私は仕事を頑張っているが、家族は我慢しろという。」
このように、発言者は、家族の為に頑張っていることを伝えたいのに、表記された
文書は、家族は発言者に無理矢理仕事をさせているようになってしまいました。
これは、通訳者だけでなく、発言者も関係してきます。得に文章力のある聴覚障害
者が手話を表した場合、ろうあ者と異なり、イメージを伝え難く日本語形態の思考を
手話にイメージ変換する為、不適当な手話を表したり否定の手話を落とす場合もあり
ます。これは健聴者の手話にも多くみられます。
例えば、「思わない。」という場合。「思う」+「ない」と二つの手話を表します
が、「ない」という手話を表さないケースをよく見ます。
この場合は、意味が、まったく逆になってしまいます。
また、ろうあ者は要約表示された文書が正しいかという判断がしにくく苦情も少な
かったのでが、最近はパソコン要約筆記の利用により、より多くの文字で表示される
通訳内容について、発言者は自分の発言内容が正しく表示されているか確認もしやす
くなるため、少しの表現の違いも気になってしまいます。
4.手話通訳者の技能判定
最近のパソコン要約筆記は、音声講演を高い忠実性で表現出来ます。手話通訳者の
音声通訳も同様です。
この為、手話通訳者の技術が聴こえないひとの目から伝わります。
つまり、聴こえない人が読みとった手話と手話通訳者が読みとった手話が合ってい
るかどうか、聞こえる講演者の話をどの様に手話表現しているかなど、比較が出来て
しまいます。この為、手話通訳者はパソコン要約筆記に恐怖を感じ懸念する方も居ま
す。しかし、これは間違いです。手話通訳者は自分の通訳に責任を持たなければなり
ません。また、「ごまかし」や「技術不足」を隠していたということになります。
このような考えは聴覚障害者をあまりにも軽視していることになります。
自分(聴覚障害者)の手話がどの様に相手(健聴者)に伝わっているかという不安
をぬぐうためにも必要ですし、その責任は手話通訳者にとっては大きなものです。
これらを解決し、手話通訳者には権限があたえらるべきだと思います。
次に個々の通訳が抱える問題ですが、会議や、講演会などで、記録を通訳者に依頼する
場合が多々あります。
しかし、本来記録は、参加者の全ての同意(承認)が無ければ効力はありません。
「言った」「言わない」の論議に手話通訳や文字通訳の保存は記録ではなく「現状で行
ったメモ」として扱わなければなりません。手話通訳者が間違えたとか、文字記通訳者が
間違えたという責任問題ではありません。互いに100%の通訳は不可能であり、その信
憑性については当事者間での確認が必須です。確認、同意をもった時点でそれは「記録」
となりその責任は当事者となります。決して、記録は通訳者の責任ではないのです。
また、通訳は聴覚障害者の自立支援でもあり、記録のための通訳(聴覚障害者間の会議
等)は本来通訳業務ではありません。
しかし、健聴者のように聞きながら記録を取るという事が出来ない、文章化が出来ない
といった聴覚障害者固有のハンディキャップを埋める為の通訳は必要です。
また、健聴者は「見て聞く」という情報入力に対して、聴覚障害者は「見る」だけの入
力になります。この為ノートテイクなどのメモは「聞く」部分に相当させるため聴覚障害
者の手にあることで、そのハンデキャップの差は縮まるのです。
最後に手話通訳者、文字通訳者に言えることですが、互いが、自分の立場や身を守るこ
とばかり主張し、聴覚障害者の存在をを忘れてしまったことはないでしょうか。
通訳者の活動は、誰の為に行っているのかということが大切なのではないでしょうか。
派遣に出かけたときも、先ず聴覚障害者の方々、講師、通訳の関係者に挨拶をする事が
大切です。聴覚障害者と健聴者のコミュニケーションの仲立ちをする役割をもつ通訳者で
すから、まず、通訳者が双方に充分コミュニケーションをとらなければなりません。
私たちの一番嫌っていた、「なすりつけのボランティア」にならないよう、聴覚障害者
の「聴こえない声」を聞きましょう。
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