由 緒

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月洲神社は、往昔。此の地は塩津・清浦或るいは浅香浦、又は七道浜と称えし海辺でありましたが、
 宝永元年(1704)新たに大和川流域が開かれてよりは毎年の様に出水。
 これに伴う流砂が堆積して河口附近一帯に洲を作り、やがて島の如き様相を呈するに至りました。

 河洲丹北郡油上村 土橋弥五郎氏 これを見て、享保13年(1728)新田開発を企画し、一世の大事業に着手致しましたが、風波の災害頻々として起こり、事業は容易に進みませんでした。

 たまたま一夜霊夢を得て 元文2年(1737) 9月 大神等を勧請して、崇め祀るに及び、さしもの難工事も順調に進みて、遂に初一念を達成する事が出来ました。
 茲に於いて愈々其の御神徳の宏大無辺なるに感銘して、末永く此地の氏神と仰ぎ奉ることに相成りました。
 月洲神社の由緒は以上の如く、古くより郷土三宝の氏神様として、風雨和順・庶民繁栄・大願成就の御神徳を以て親しく崇敬されています。