民 話
三宝村の西瓜売り
冷たくあしらわれた乞食少年 実は神様だった 天罰!欲ばりばあさんのスイカなくなる
むかしむかしの話でございます。堺の町はずれの月洲神社の境内で、二人のおばあさんが
西瓜(すいか)を売っていました。
ここの西瓜は海を埋め立ててつくった新田の砂浜で栽培していますので、水分も多くあごもとろけそうにおいしいのであります。
暑い道をてくてく歩いて通る人々は、月洲神社の木陰に入ってひと休みします。そこへ景気よく
「甘くておいしい三宝の西瓜だよ。さあ買った、買った」と、はやし立てますので、つい通行人も西瓜を食べる気になり財布の紐を緩めるのであります。かぶりついてみると、なるほど二人のおばあさんのいうように甘い汁がいっぱいですから、家族の土産にひとつさげて帰る人もいました。大阪から堺へ、堺から大阪へ往来に人が絶えませんので、月洲神社の西瓜の売れ行きも上々でありました。
ところである日、みすぼらしいみなりをした乞食少年が、目の見えないおじいさんを背負って通りかかりました。西瓜売りの声を聞きつけ、おじいさんが少年に頼みました。
「のどが乾いた。もう死にそうだ。西瓜を食わしてくれ」
「いま銭がないので、きょうは辛抱してください」
「いやできん」
と、この乞食の親はよほど気が短いのか少年の頭をたたいたり、髪の毛を引き抜く始末です。だが、少年は少しもさからう様子もなく、西瓜売りのおばあさんにおずおずと銭・一文をさし出しました。
「もしもし、おばあさん、ひと口だけ西瓜を恵んで下さい。今日は、かせぎが悪いのでこれでどうぞ」
するとひとりのおばあさんは親子の汚い姿をじろりと見て、憎々しげに、
「西瓜が欲しけりゃ、三文出しな。ここの西瓜を何と思ってけつかる。日本一おいしい西瓜じゃぞ」
と、いうなり一文銭を道端に投げ捨ててしまいました。これを見ていたとなりのおばあさんが親孝行の息子を哀れと思ったのか、一番大きな西瓜を真っぷたつに割りました。
「これこれ、おこも(乞食)さん、腹いっぱい食べなされ、おあしはできた時でえいけに」
真っ赤に熟した西瓜の切り口から甘い香りがあたり一面に、ただよいました。このおばあさんは、貧しい人には西瓜を安く商っていたのです。
そして、不思議なことが突然起こりました。欲深いおばあさんの西瓜はひとつ残らず消えてなくなってしまったのです。ところがとなりの人のよいおばあさんのところには西瓜が山のように積まれたのです。
実は、この乞食の少年は、月洲神社の御祭神。生國魂大神の使いの神様であったのです。
昭和58年 新泉北新聞(?) 「新泉北むかしばなし <81> 郷土史家 中山 凡流」 より