EPISODE
ここでは、日頃起きたこと、考えたことを書き込んでいきます。
仕事上のできごとだったり、友達とのことだったり、etc。
笑えるページをめざします。

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2010年12月30日(木)&2011年1月1日(土曜日)
●「次女の風邪」そして「火災報知機の電子音」[EPISODE72]
 「次女の風邪」の巻・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 年の瀬の12月30日、お昼になっても下の娘が起きてこない。昨夜、下の娘が夜更かししたことを私は知っていた。「いつまで寝てんだ、ったく〜。」とブツブツ言いながら2階の娘の部屋を開けた私。そこには、ほのかに紅い顔をしてベッドに横たわっている娘がいた。「具合悪いの!?」と問いかけると、「風邪ひいたみたい。」と応える娘。娘の額に手を当てると、確かに熱い。「今体温計持ってくるから熱を測ってみなさい。」と言って1階に下り、救急箱の体温計を探す私であった。ところが、である。いつも使っている電子体温計が無いではないか。まぁ、これでもいいか、と昔ながらの水銀体温計をもって再び娘の部屋に行き、熱を測らせた。体温、38度5分。すかさず、近所の病院へ行かせたところ、「お医者さんが風邪だって〜。水分とって薬飲んでゆっくり寝てなさいって言われた。」とのこと。ポカリスウェットとミネラルウォーターを娘の枕元に置き、夕方6時頃再び娘の部屋に行き、「具合どうなの?」と訊いた。「だいぶ楽になった。」と言うので、「じゃあ、もう1回熱測って。」と熱を測らせたのだが、体温計が示したのは38度5分。顔の赤みはほとんどなくなっており、娘の額に触ってもそれほど熱くない・・・・・・・???。そこでハタと気がついた(確信)。「お前さぁ、さっき体温計使ったあと、体温計振った?」と尋ねると、「なんで振るのよ。」ときたもんだ。私はしばし絶句。「あのねぇ、この体温計は熱測ったあとで体温計を振らないと、水銀の目盛りが下がらないのっ!」今度ポカ〜ンとしたのは娘のほう。しかし次に娘が発した言葉は、「そんなの知らないもん、今すぐ電子体温計買ってきてよ〜。」であった。「あのな〜」と思いながらも病人に説教するわけにもいかず、近所の薬店に向かう私がいたのであった。新電子体温計で熱を測らせたところ、37度2分。ほっと一安心の私。しかしながら、いまどきの子って、もしかすると水銀式体温計の使い方を知らないのかもな〜、と思ってしまうできごとであった。


 「火災報知機の電子音」の巻・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 年は明け、2011年1月1日、元旦。おせちを食べ、雑煮を食べながら正月番組を観ていた我が家の家族。そこに「ピッ」という電子音。だいたい30秒おきに「ピッ」。最初は、テレビ番組の音かと思っていた。「何やってんだろ〜ね〜、このテレビ局は〜。」なんて言っていたのだが、テレビを切っても電子音は鳴りやまず・・・・・・・・・・。家族一同顔を見合わせた。それからがてんやわんや。「この電子音の源を捜せ大作戦」がおっ始まった。みんなで耳を澄ます・・・・「ピッ」という電子音・・・・・電子音がするほうへと近づく、そして耳を澄ます・・・・・「ピッ」という電子音・・・・・これかな!?という機器類に耳をあてる、耳を澄ます・・・・・「ピッ」という電子音・・・・・ここじゃない、と別のところへ移動し耳を澄ます・・・・・「ピッ」という電子音。そこで下の娘が言った。「これじゃない!?」と指を指していたのは”リビングの壁に取り付けてある換気リモコン”。家族の誰もがそれが音源であることを疑わなかった。「じゃあ、一旦このリモコンの電源を切ってみるか。」と私が言い、リモコンの表面に表示されているとおり、”切”のボタンを2秒以上押した。電源は切れた・・・・と思ったのも束の間、「ピッ」という電子音。家族一同??????????状態。こうなったらと、私は洗面所にある配電盤のところへ行き、ブレーカーを降ろした。耳を澄ます家族一同。「ピッ」という電子音が鳴り響く。さすがに「なんで〜???????」と発する私。再びブレーカーを上げ、時計合わせが必要な機器類の時計合わせをする私。その間も鳴りやまぬ電子音。「何なんだ、この換気リモコンは!?」と愚痴ても電子音は約30秒おきに鳴り続く。とりあえず放っておいて近所の小金井神社へと初詣。当然ではあるが、帰宅しても鳴りやんでいない電子音。ちょっと待てよ、と思った私は、自分の耳を換気リモコンに押し当てた。「ピッ」と鳴った音は、確実に換気リモコンからは発せられていなかった。無言で下の子を見つめる私。「私はコレじゃないかって言っただけだもんね〜。コレだって断言してないもん。」とのたもうた。確かにそのとおりである。そのとおりなのだが、、、、。モヤモヤした思いを発散させられない私たちは、再び音源探しを始めたのであった。それから20分も経っただろうか。やっと見つけた音の根源は、リビングの壁をほぼ覆い尽くしている組み立て式リビングボードの背面にある”火災報知機”であった。取り扱い説明書を探し出し、中を見ると、内蔵している電池の容量が少なくなった際に30秒おきに電子音を発する、とのことが書かれていた。原因がわかって一安心・・・・・・・・・・・・・・・・・・じゃな〜〜〜〜〜いっ!!!!! 電池交換するためには、デ〜ンと鎮座するボード内の物を取り出し、ボードを動かし電池を交換した後、またボードを動かし、出した物を入れ直さなくてはならないのだ。想像しただけで疲れる。電池が完全に無くなって電子音が途絶えるのを待つ、という手段がないではないが、いつ途絶えるのかさえわからない。それまで電子音を聴き続けるのは耐えられないような気がする。ということで出た結論。翌日まで様子をみて、それでも鳴りやまなかったら、3日にボードの大移動大作戦にしよう、というものであった。

 今、このページを更新しているのが、1月2日である。私のそばで電子音は鳴り続けている、、、。

2010年8月13日(金)
●苦労して手に入れたiPad用ワイヤレスキーボード[EPISODE71]
 単身赴任先の博多の「ヨドバシカメラ博多店」で、最近人気商品となっている”iPad用ワイヤレスキーボード”を買おうとしたのだが、売り切れかつ入荷時期未定とのことであった。まあ、東京に帰ったらすぐに買えるだろうと思っていた私であったのだが・・・・・・・。
 夏休みで帰京した私は、8月13日(金)の昼頃自宅を出発し、「ヨドバシカメラ吉祥寺店」へと向かったのであった(自宅最寄り駅から3つ目と近いのだ)。店に到着し、iPad関連商品のあるところへ行くと、目的のキーボードのカード(このカードをレジに持っていくと商品が買える)があるではないか。”やっぱり東京にはあるね〜”とニンマリしながらレジにカードを持参した。店員が「少々お待ちください。商品を持ってまいります。」と姿を消して約3分が経った。その店員が戻ってきて、こうのたもうた。「申し訳ございません。品切れになっております。」と。”にゃにお〜!だったらカード置いておくんじゃね〜よ!”と思いながらも店を後にした私。

さて、どうしようかと思案した私は、携帯で検索した「アップルストア吉祥寺店」へ向かったのである。ところがである。ここにも無いのだ。US版のキーボードはあったのだが、JIS版のやつが売り切れで無いのだ。”US版で妥協しようかな〜”とも思ったのだが、それは止めた。

 ”絶対に手に入れてやる!”と心に誓った私は一路「ヨドバシカメラ新宿西口本店」へと向かっていた。店に到着して店員に尋ねると、「すみません、JIS版は在庫がございません。」との返事。”おいおい、本店にも無いってか!?”と呆然とする私。

めげない私は、そこから徒歩で約5分の「ビックカメラ新宿西口店内のアップルストア」へ。しかし、ここでも結果は同じであり、JIS版は在庫なし。時はすでに16:00。

 ここでもめげない私。”こうなったら本丸行ったるで〜”と向かった先は、「アップル銀座本店」。
 おそるおそる店員に「JIS版のワイヤレスキーボードはありますか?」と問いかけた。すると、「ありますよ。今持って参りますのでお待ちください。」と言ってすぐにそれを持ってきたではないか。”やった〜〜〜!さすが本店!”と感激に包まれた私であった。

 下の写真が根性で手に入れたモノである。とくと見るが良い(自慢)。使ってみたら評判どおりのスグレものであった。文句なしの一品である。

2009年3月1日(日)
●Loto6絶好調![EPISODE70]
 最近、ロト6が絶好調なのだ。第432回ロト6では、2,000円分購入して当選金が41,800円。そして。第434回ロト6では、3,000円分購入して当選金が27,700円。ニンマリした私は、本日も調子をこいて3,000円分を購入した。どうにか3等以上を当ててみたいものである。ちなみに、これらの当選は私と次女しか知らない。本来であれば私だけが知るべきことなのであるが、インターネットで当選数字をチェックし、ニヤニヤしながら当選金額を電卓ではじいているところを次女に見られてしまったのである。何も言わずにニヤッとしながら右手を差し出す次女。妻への口止め料ということであろう。「換金したらな。で、いくら欲しいわけ?」と言うと、指5本立てやがった。5,000円だと〜!足元見やがって、と思ったが、妻に告げられその後起きるであろうリスクよりは低いであろうと判断した私がそこにいたのであった。

2009年2月8日(日)
●次女の高校合格(嬉)[EPISODE69]
 2009年2月2日月曜日、この日は我が次女の都立青山高校の推薦合格発表日であった。今どきのインターネットサイトでの発表ではなく、高校の掲示板に掲載されるという昔ながらの発表形式らしい。以前、娘の中学校の担任の先生に、「推薦合格は難関で、これまでこの学校から合格した者はいませんが、確率のある限り挑戦させてみたい。」と言われていたこともあり、両親としての期待感は限りなくゼロに近かったのは言うまでもない。
 さて、合格発表の日、妻は、不合格を前提にしつつ、不合格となったときに娘を勇気づけてやろうという想いから、その日は仕事を休んだのであった。私はいつものように仕事にでかけた。私が会社で仕事をしていた10:30頃、携帯に娘からの連絡が・・・・。「おとうさん、私受かったよ!青山受かったよ!」明らかに声が興奮している。私はとても信じられなく、「ちゃんと番号見たのか!見間違いじゃないのか!」と言いそうになってしまった。しかし、妻も同伴しているはずである。四つの目で見ているのだから、間違いはあるまいと確信したのである。会社の帰りに合格祝いのケーキを買って帰ることを娘に約束しつつ、電話を切った。
 ところが、である。妻は合格するなどとは思ってもいないため、合格手続きのための印鑑を持参していなかったのだ。この合格手続き、発表日とその次の日に行わないと、辞退とみなされるらしく、次の日の2月3日は私が会社に遅れていくこととし、娘と青山高校へ行くこととした。
 帰宅すると、妻が興奮気味に娘と行った合格発表の光景を話し始めた。妻は、落ちると思っていたため、娘の受験番号も知らなかったらしく、娘と並んで掲示板の前に立ち、「へぇ〜、女子は13人しか受からないんだ〜。やっぱり難関なんだな〜。」と思っていたらしい。すると、隣にいた娘が、突然妻の服を掴んで、「おかあさん!あるっ!私の番号あるっ!」と声を震わせながら叫んだらしいのだ。妻は最初何を言っているのか理解できなかったらしく、「何?何?」と娘に問いかけたようで・・・。改めて娘の手元にある受験票の番号と掲示板の番号を見比べ、ビックリしたようである。思わず「うそ〜〜〜。」と驚愕+歓喜。妻と娘の性格を熟知している私は、その様子を妻から聞いて目に浮かぶようであった。予想外の快挙に、妻と娘はルンルンしながら帰りの電車に乗り込んだに違いない。
 以下に掲載した写真は、私が青山高校へ行った際、携帯で撮影したものである。娘の受験番号603番があることを自分の目で確認した。改めての感動であった。
 娘よ、本当におめでとう!4月から始まる高校生活でいろいろな経験を積んで、自分の夢・目標に向かって突き進んでくれたまえ。

2008年12月28日(日)
●年末のロト6小当たり(嬉)[EPISODE68]
 これまで何回か超小当たり(5等=1,000円)はあったものの、今回、久々に4等(=10,500円)をゲットしたのでここに報告しよう。(※ロト6がわからない方は、このサイト(クリック)を御覧になるが良い。)
 購入していたのは10口×200円=2,000円分である。差し引き8,500円の儲けということである。
 しかし、である。いつもこれ以上いったことがないのだ。あともう1個数字が当たれば、なんと金額は約60万円に跳ね上がるのである。惜しい、実に惜しいのだ。数字5個以上を当てる難しさを痛感してしまう。
 現在、キャリーオーバー発生中である。次は3,000円分購入しようとしている私がここにいる。

2008年8月14日(木)
●ラックの旅立ち[EPISODE67]
 8月14日の午前1:30、我が家の飼い犬ラックが天国へと召されました。享年、4歳9ヶ月。
 今回の話は、2日前にさかのぼってからの話です。
 8月12日(火)
 この日は、我が次女が塾の合宿(志賀高原)から帰ってくる日でした。夜の8時頃、玄関のドアが開く音がして、「可織帰ってきたな。」と思った矢先、ハウスの中に入っていたラックが飛び出したではありませんか。もう目も見えなくなってきており、とてもじゃないが2階(うちのリビングは2階にあり、そこにラックのハウスを置いています。)から階段を降りて玄関先に行くなど、今のラックには無理なのに、必至に降りていこうとするんです。「ラック、無理、無理。」と言ってラックを抱き上げ、次女がリビングに上がってくるのを待ちました。次女が顔を出したとたん、ラックは私の手を引き離すように離れ、次女へと突進、これでもかというくらい尻尾をふってました。苦しいはずなのに・・・。
 8月13日(水)
 犬猫病院からもらっていた薬もなくなり、娘たちにラックを連れて病院に行ってくるように言いました。そして、自分たちで直接担当の獣医の話を聞くようにと伝えました(私と妻は、獣医からの話を直接聞いていましたが、娘達はまだだったんです。)。
 帰ってきた娘達に、「どうだった?」と問いかけると、「もって、あと1ヶ月って言われた。抗がん剤で延命治療しても、ラックが苦しまない保証はないって・・・。」と答えた後、しばらくうつむいておりました。
 「お前達はどうしたい、どうすれば良いと思う?」と聞いたところ、「抗がん剤は使いたくない・・・。」と言って、また黙ってしまいました。この時私は、このままにして、あまりにもラックが苦しむようなら安楽死も考えなくてはいけないと覚悟したんです。
 その日の晩、次女は、ラックと寝ると言って、3階の子供部屋へとラックを連れていきました。
 8月14日(木)
 午前1時半、私と妻の寝室へと娘達がきました。長女は、「ラックが死んだ〜」と泣きじゃくり、次女は黙って下を向いていました。私は娘達に、「どうやって亡くなった?」と聞くと、長女が、「急に痙攣が始まって、可織が抱きかかえたら手足をバタバタさせてすぐに静かになって・・・。ラック!って呼んだけど、もう動かなくて、息もしてなくて・・・。」と嗚咽まじりに答えました。早すぎるような気がするけど来るべきときがきたか〜、と思った私は、「それでラックはどこ?」と娘達に聞くと、「2階」とだけ答えました。私と妻が2階のリビングへ行くと、ラックが眠るように床の上に横たわっていました。本当に眠っているように・・・。
 妻は、毛布やシーツ等をもってきて、ラック用の布団をしつらえました。そこに、もう起きてはくれないラックを横たえた私は、「ラック、やっと苦しまないで寝れたな〜。今まで苦しくて、ゼイゼイ言いながら寝てたんだもんな〜。」って声をかけました。妻は、「可織?きっとラック、あなたが合宿から帰ってくるまで逝けない、ってがんばってたんだよ。きっと、あなたのそばで逝きたかったんだよ〜」と。途端に涙が溢れてきて・・・。家族みんながラックを囲んで泣きました。
 私が、ラックの最後の写真撮っておこうと撮影したのが下の写真です。

 本当に寝てるみたいでしょ。でも、死んでるんです。

 しばらく家族4人で、ラックを見ていました。すると妻が、「ラックのビデオ観ようか。」と言い、みんなで、去年ラックと行った伊豆高原旅行のビデオを観ました。そこには、嬉々として走り回り、プールで泳ぐラックがいました。
 観終わって、時刻は午前5:00。「ラックをここに寝かせて、ひとまず俺達も寝よう。」と私が言い、家族それぞれが眠りにつきました。
 起きたのはお昼12:00くらいでしょうか。ペットのための葬儀屋さんを呼び、ラックを火葬してもらいました。葬儀屋さんがラックを引き取り、骨壷に入って帰ってくるまで2時間弱という時間でした。
 昨日の今頃はまだ生きていたんだ、と思うとまたこみ上げてくるものがありました。
 骨壷を目の前にして、「ラック、今までありがとな〜。家族みんな、お前のおかげで本当に幸せだったよ。一緒にいる時間短かったけど、いろんな思い出をラックからもらいました。これからも忘れることはありません。こっちで遊べなかった分、天国でいっぱい遊ぶんだぞ〜。」って心の中で思いながら手を合わせました。

2008年7月18日(金)
●出向元の同僚との飲み会[EPISODE66]
 かなり以前から約束していた飲み会である。私以外のメンバーは、YO,MK,IKの3名である。
 ここで、いつものように人物紹介をしておこう。
 YO:会社では計画系を担当する男である。肌が黒いため(地黒なのだ)、えてして日本以外の南方系出身ではないかと間違われることがしばしばある。
 MK:バツイチ男であり、会社以外で、大家として収入を得ている。ガンダムを愛するAKB系ともいえる見た目ノッポな男である。
 IK:会社では橋梁を担当する若者である。私もどちらかというとそうなのだが、飲み始めるとほとんどモノを食さなくなる一面をもっている。会社では酒乱系で知られる優男(やさおとこ)である。
 さて、一次会は、八丁堀駅近くの牛タン屋、二次会はその店の近くの居酒屋であった。ここまでは、特筆すべきこともなく、楽しくみんなで飲んだ、という印象である。ハプニングは、私とYOで行った葛西での三次会で起きたのだ。
 葛西での三次会も居酒屋であった。時刻はすでに午前二時を回っていたはずである。二人で飲んでいるテーブルの隣のテーブルで、恰幅の良い若者1人と、どう見てもコギャルという2人の計3人が呑んでいた。相当酔っているのか、そのコギャルたちがしきりにこちらへ声をかけてくるのだ。「名前なんていうの〜?」とか「男2人で呑んでるの〜?」とか。余計なお世話である。最初のうち、我々2人は無視していたのだが、あまりにもしつこいので、自分達の名前だけは告げた、、、。その途端、1人のコギャルが、「それじゃあ、つっし〜じゃ〜ん。ね〜、つっし〜。」その後、もう1人のコギャルも「つっし〜」を連呼する有様である。なんだコイツら〜、と思いながら、とりあえずはその席の若者へと告げた。「若旦那〜、なんとかしてくださいよ〜。」と。若者の隣のコギャルが、「旦那じゃないもん。」と発した途端、若旦那はその娘の頭をキーロック、プロレス技という荒業を繰り広げたではないか。唖然と言うよりも爆笑であった。その後、私とYOが話しているところに、なにかとちょっかいを出してくるコギャルたち。その度に、「若旦那〜」という私達。炸裂するプロレス技。これが、延々と続くのだからたまらない。
 結局、「え〜、もう帰るの〜。」というコギャルたちの声を背に、我々が店を出たのは午前4時過ぎであった。

2008年7月6日(日)
●スポーツジム体験そして入会[EPISODE65]
 本日、西葛西(隣の駅なのだ)の「コナミスポーツクラブ」へ入会手続きに行ってきた。見学・体験は数日前に済ませている。数ヵ月後には腹筋が割れるであろうことを想像しての無謀な行動と言って良い。しかし、である。会社勤めをしてからまともな運動したをしたことがないのは事実である。僕に限らず、大概のサラリーマンがそうであろうことは想像に難くない。思い立ったが吉日的に入会手続きをしたのは否めない。だがそういう自分を褒めてあげたいような気もするのだ。僕は、こういう機会がなければ、必ずやあと10年は運動しないと思われる。
 さて、スポーツクラブでは、会員証をもらい(↓)、2か月分約32,000円を支払った。

当然、この支出は妻には内緒である。実はスポーツクラブに通うことも内密裡なのだ。普段平均的に20:00には帰宅する僕が23:00とか24:00に帰るようになったら、かなりの確率でさすがに問いかけがあるであろう。「最近、仕事忙しいの?」と。そのとき、初めて告白するのだ。その後どういう展開になるかは見当もつかない。「やっと、健康のこと考えたか。」みたいになるのか「そのお金はどこから!?」というふうになるのか・・・。いずれにしても修羅場になることはない、と予測しての行動と言えよう。リスクは非常に少ないのだ。問題は・・・・。来週の頭に、上履きシューズを購入しなければならない、ということである。かなりの確率で買ったシューズは見つかる可能性が高い。スポーツクラブで購入する手はあるがデザインが気に入らないのである。下の娘を仲間に引き入れる事を考えねばならなくなってきた。しか〜し、その口止め料が高いであろう事もまた想像に難くないのである。

2008年6月26日(木)
●宝くじドリーム館で、反町隆史さんと眞鍋かをりさんを見ました[EPISODE64]
 6月26日木曜日、仕事を終えた僕はまっしぐらに虎ノ門駅へと向かい、銀座線へと飛び乗ったのであった。京橋の宝くじドリーム館へ行くためである。本日はロト6の抽選日なのだが、僕はまだ抽選券を購入していなかったのだ。いつもであれば抽選前の土曜日か日曜日に購入するのであるが、うっかり購入するのを忘れていたのである。京橋駅に着き、ドリーム館へとダッシュした僕。時刻は、18:30である。販売所へと飛び込み、「本日のロト6、まだ買えますか!?」との問いに窓口のおばちゃんが告げた。「残念ね〜、もうダメなのよ〜。」と。せっかくここまで来たのに〜、と思いながらドリーム館を見ると、中にはカメラマンがうじゃうじゃしており、かなりの人でごった返しているではないか。興味本位で中へと入り、キョロキョロしていると、テレビ朝日だかの女性アナウンサーが次のように話し始めた。「本日は、7月から放映予定のドラマ”3億2千万円を当てた男”の宣伝のため、反町隆史さんと眞鍋かをりさんに来ていただいております。」と。次の瞬間、本人達が登場。思わず心の中で、「おおっ〜、芸能人、ラッキー」と叫んでしまった。遠くからではあったが、持っていた携帯で撮影した。いつものビッグローブサイト(←ココをクリック)にアップロードした。ただ〜し、肖像権とか問題がありそうなのでパスワードを設定させていただいた。僕からパスワードを聞いたごく一部の人間だけが閲覧可能なわけである。悪しからず。画質はそれほど良くないため、見られなくてもそれほどがっかりする必要はなかろうと思われる。
 抽選券は買えなかったものの、お得感があったできごとである。

2008年5月23日(金)
●大阪 二次会を終えて[EPISODE63]
 5月23日金曜日、一泊の出張で大阪へと赴いた。ミッションを終え、出向元会社の西日本支社H部長と道頓堀へと向かった。とあるろばた焼きの店でしこたま呑んだ後、勢いづいた2人は、タクシーでH部長行きつけの店「大阪らうんじK」へ。ここでもかなり呑んだ。お開きとなり、タクシーで宿泊先のホテルへ向かおうとした僕であったが、土地勘のない僕のことを心配してか、店の女の子Mちゃんがタクシーに同乗してくれることと相成った。
 出発して約5分後、ハプニング勃発。Mちゃんがタクシーの運転手に向かって、「な〜、この道違わへんか〜。遠回りしてるんとちゃうん!?」と発したのである。運転手は、「これでええはずやけどな〜」と返したのあるが、Mちゃんはひるむことなく二の句を継いだ。「絶対ちゃうわ〜!あんたズルして儲けようとしてるんとちゃうの!止め〜や〜。降りるわ。對馬さん降りるよ〜、こんなタクシーダメや。」と。タクシーは止まった。そして、僕の想像の域を超える事実がまたまた起こったのである。Mちゃんは僕の手を引っ張ってタクシーから降りたのだが、そこまでの料金を払っていないのだ。僕が、「ここまでの料金払わなきゃ。」と言うと、「そんな必要あらへん。目的地に着いてへんのに何で払うの!?」との答え。タクシーの運転手も当然と思っているのか、Mちゃんに「堪忍な〜、でもわざとやったわけやないから〜。」と言って走り去ったではないか。ある意味、カルチャーショックと言えよう。
 その後、2人は別のタクシーに乗り込み、宿泊先に向かう途中で、先にMちゃんが降車し、僕も無事にホテルへと到着しチェックインしたのであった。
 それにしても、である。東京と大阪の違いを実体験したような出来事であった。大阪、恐るべし、である。

2008年3月19日(水)
●札幌 ら〜めん共和国[EPISODE62]
 日帰り出張で赴いた札幌。同僚と2人で行ったのだが、午前中の一仕事を終えた後、昼食はやっぱりラーメンでしょう、ということになった。そして向かったのが、札幌駅前某量販店内にある「札幌 ら〜めん共和国」である。
 昼時ということもあってか、ら〜めん共和国のあるフロアは人でごった返していた。あるラーメン店には20名ほどの行列ができている。
 我々2人は、午後の打合せを控えていたこともあり、すぐに着席できる店「けやき」に入った。頼んだのは2人とも味噌ラーメンである。行列もできていない店であるためそれほど期待していなかったのだが、これがウマい。スープは甘辛の味噌仕立てであった。スープまでも完食。さすがラーメン共和国、選りすぐりの店が出店しているのだろうと思ってしまった。
 その店のチラシをみると、横浜にも出店しているらしい。いつか機会があったら、家族で行ってみたいと思う私であった。
 右に示したのは、「ら〜めん共和国」のチラシであり、出店している店が掲載されている。たぶん、どの店も期待を裏切らない美味さにちがいない。この店名を頼りに、都内に出店している店を探すのも良かろう。
 なに!?画像が良く見えない!?心配めさるな。画像をクリックするとより大きな画像(PDF)が出るように工夫してあるのだ。ある意味、小さな親切といえよう。

2008年2月24日(日)
●カサブランカ鑑賞[EPISODE61]
 金曜日の晩、仕事帰りにいつも行くレンタルビデオ屋に寄ってみた。特に「あれを観たい。」ということもなく、ただ何となくである。店内を回り、気になったのがこの「カサブランカ」。ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンという名前は知っていたが、私はこの方々の作品を観た事はない。まっ、とりあえず観てみるか、という軽い気持ちで借りて観てみた。
 この作品、1943年アカデミー受賞作品だそうで、アメリカ映画100選の第二位となっているそうである。
 昔の映画とあって当然のことながら白黒映像ではあるが、そのような不満を感じさせないすばらしい映画であった。魅力は、ボギーの渋さとバーグマンの美しさであろう。発見したのは、ボギーの煙草の吸い方が独特だった事である。親指と人差し指でたばこを摘(つま)むようにして吸うのだ。こういう俳優がやるからカッコいいわけで、一般人がやったら貧乏たらしく見えるに違いないと思ってしまった。
 テーマとなっているBGM音楽は『時の過ぎ行くままに(As Time Goes By)』で、確実にこの映画を引き立てている。
 第二の発見であるが、かの有名なセリフ「君の瞳に乾杯!」がこの映画からなのだと初めて知った。
 単なる恋愛映画ではない。深みを感じる映画だ。「そんな古い映画」と言わずに観ていただきたい。良い映画は時を経ても良い映画だ、と実感するはずである。

2008年2月11日(月)
●ラックのプロフィール[EPISODE60]
 最近、お絵かきソフトに夢中である。週末ともなると2〜3時間はパソコンに向かい、ああでもないこうでもないと楽しんでいる。
 本日挑戦したのは、「ラックのプロフィール」をカッコ良く作成することである。デザイナーの気分に浸りながら集中した。裏ワザも駆使した。そして出来上がったのがこのPDF(ここをクリックしてみるがよい)である。
 我が娘に感想を訊いた。一言、「お〜っ。」である。感心していること間違いなしの表情である。
 私は、”ふふっ”と心の中でニンマリしたのは言うまでもない。

2008年1月31日(木)
●宝くじドリーム館[EPISODE59]
 1月31日、18:20に退社し東京メトロ銀座線で京橋駅に降り立った。この京橋駅、私の通勤途中の駅であるため、定期券利用での降車である。もう一駅行くと日本橋駅であり、私はこの駅で東西線へと乗り継ぐのだ。
 さて、京橋駅から徒歩2分程度のところに「宝くじドリーム館」はあった。(下の地図を参照されたい。ちなみにこの地図は私が作成したものである(プチ自慢)。それ故、超どデカく掲載させていただく。)



 さて、下の写真が「宝くじドリーム館」の入口である。(↓)


 中に入った私は、18:45から始まったロト6の公開抽選を観たのであるが、なかなかの感動であり新発見もあった。新発見は、あの抽選に使われる数字の入った球である。(↓)


 私はその質感をビリヤードの球のようにイメージしていたのだが、本物はプラスチック製で中は空洞になっており想像よりも小さなものであった。やはり、実際に見てみることの大切さを実感した私である。

 さて、ロト6の抽選が開始された。なかなか厳か(おごそか)である。立会人(判定員)なる人が2人抽選マシーン(この抽選マシン、「夢ロトくん」というらしい。)の前に座っており、選ばれた球を担当の女性が手に取り、その番号を宣言するたびに了解という意味であろう片手を挙げるのだ。
 そして今回の当選数字が決定した。「本数字が08,13,15,21,33,34で、ボーナス数字が05」である。
 私は4000円分購入して2000円の当たり(5等)で、収支はマイナス2000円であった。残念ではあるが、実際に抽選会を観られたことはそれ以上の収穫があったと言えよう・・・・・・言えるか〜っ!!
 次回は8000万円ほどのキャリーオーバーがあっての抽選となる。気合だ気合だ気合だ〜!

2008年1月20日(日)
●一応、ロト6超小当たり報告[EPISODE58]
 2008年、ロト6初の当たりが超小当たりであった。
 3000円分購入して4000円の当たり(5等)で、収支はプラス1000円である。まあ、まずまずと言えよう。
 早く3等くらいをゲットしたいものである。換金してすぐに次回の分を2000円分購入した私であった。
 そして誓った。4等以上じゃなければ、このエピソードページで紹介する価値はないため、超小当たりは掲載しないと・・・・・・・・しばらく4等以上がなかった場合は5等でも掲載するかもしれないが・・・・・・・・意思弱え〜!

2007年12月31日(月)
●お正月用の花[EPISODE57]
 2007年大晦日がやってきた。
 その日の朝、我が妻は娘達に買い物を頼んだ。「正月用のお花を買ってきてちょうだい。毎年、お母さんが買ってくる花わかってるよね〜。」と。これが悲劇の始まりになったのだ・・・・。
 「行ってきま〜す。」と出かけ、30分後に「ただいま〜。」と帰宅した娘達。
 抱えてきた花は、見事にラッピングされていた。まるで、プレゼントの花束のように・・・・・。
 それを見た妻は唖然、そして、怒りを爆発させたのである。「どうすればこうなるの!お母さんはお正月用の花を買ってきてって言ったんでしょ!毎年お母さんが生ける花をボ〜っとして見てるからこういうことになるのよ!いつもお母さん、薔薇とか買ってる?買ってないでしょっ!(以下、省略)」
 娘達は、延々と10分くらい説教されていた。まあ、自業自得といえよう。
 無事に花は花瓶に生けられたが、正月気分とかけ離れる風情となったのは否めない。
 しかしながら、私のニュー一眼レフの良き題材とはなったのであった(掲載写真参照)。

2007年12月24日(月)
●買っちった、NIKON[EPISODE56]
 とうとう買ってしまった。
 デジタル一眼レフ。NIKONのD80。
 妻に内緒で・・・・・・(結局バレたのではあるが)。
 12月23日(日)、その日私は、妻に「見たいものがあるから秋葉原に行って来る。」とだけ告げて自宅を出発した。
 私の中では、見たいもの=買いたいもの、であるが、言うと追求されるため、あえて言わないのだ。
 秋葉原のヨドバシカメラに着き、すかさず一眼レフカメラの売り場に直行する私。目的物は決まっているのだ。NIKONのD80(右画像参照)。他は見向きもしなかった。
 購買に費やした時間は約15分である。買ったとたんにすかさず葛西にとんぼ返り。
 帰宅してカメラを持っている私に、なぜか妻は何も言わない・・・・。怒り!?無視!?放置!?・・・もしかしてそんなに高価なものじゃないと思ってる!?(高いのだ。総額15万円也)・・・さまざま思いが私の中を駆け巡る。
 時間が経てば経つほど不安がつのる。
 夕飯時がやってきた。そのときカメラを見た次女が一言、「お父さん、やっぱり買ったんだ〜。おっ、ニコンじゃ〜ん、貸して〜〜。」。すかさず妻が、「お父さん、貸しちゃダメ!お父さんのでしょ!貸したら壊されるかもしれないんだからね〜。」
 その妻の言葉を聞いたとたん、なんだかわからないのだが、ジワ〜っと安堵感と嬉しさがこみあげてきた。
 ”妻よ、ありがとな”と心でつぶやく私であった。

2007年11月25日(日)
●またまたロト6が小当たり![EPISODE55]
 以前Episode52以来のロト6小当たりである。
 Episode52で書いたが、7000円分購入したにもかかわらず全然当たらなかったため、しばらく購入を見送っていた。そろそろ買ってみようかと2000円分購入したのであるが、4等と5等をゲットである。自分自身、驚いている。
 Episode51で紹介した際、友人に「コツでもあるのか!?」と尋ねられたのであるが、私は、「そいつはおすぇらんね〜。」と言ってニンマリしたのである。
 コツはある、と言わんばかりのフラストレーションが溜まりそうな回答と言えよう。しかし・・・・・・・、私なりに”コツはある”と思っている。声を大にして言うためには(言わなくても良いのだが)、実践を積まなければならない。せめて3等当たりをゲットしたら、ごく親しい友人・知人には教えようかと考えている・・・・な〜んちゃって。

2007年11月4日(日)
●キャンペーン生活での商品ゲット[EPISODE53]
 今最近、「キャンペーン生活」なるインターネットのサイトにハマっている。このサイト、登録した後、クイズに答えて商品ゲット、というものである。当然のことながら高額商品は超難問である。
 知識の有無が商品ゲットの確率を左右する、と言っても過言ではあるまい。我こそは知識人なり、と自信のある者は挑戦してみるがよかろう。システムとしては、まずはコインを購入し、商品ごとに設定されたコイン枚数をベットする形式で問題に挑戦するのであるが、0コインで挑戦できる問題もある。まずはここからトライしてみるがよかろう。これで商品をゲットできたら、コインをベットしての商品は、案外易々と獲得できる可能性が非常に高いと言えよう。
 ちなみに、私は、このサイトでかなりの数の商品をゲット済みである。確実に儲かっている。ティッシュペーパー(25箱)やトイレットペーパー(24ロール)などの日常生活製品からブランドのポーチや時計・アクセサリーもゲットした。 今や笑いが止まらない状態である。本日は、何が届くかわからないが、2万円相当のクリスマス福袋ゲットである。出題される問題の復習は必須である。別の商品の問題でも同じ問題が出題されるケースが多いためである。
 興味ある者たちよ、賢者なる者たちよ、挑戦してみるがよい!頭脳で商品を勝ち取るのじゃ!

2007年10月14日(日)
●ロト6が超小当たり!![EPISODE52]
 今回、このページが更新されたということは、またまたロト6が当たったということである。
 しかし、である。今回は、超〜小当たりの1,000円のみである。4枚(4,000円分)購入しての1,000円。3,000円のマイナスと相成った。
 でも考えてみれば、1,000円当たる確率は、200円につき(1/43)×(1/42)×(1/41)で、なんと1/75,852なのである。すごいっちゃ、すごい。ラッキーと思わねばなるまい。
 そしてまた、今回キャリーオーバーが出た。確か1億2千万円ほどのキャリーオーバーである。
 私に気合が入らないわけがない。ということで、7枚ほど購入した(7,000円也)。
 どうなることやら・・・・。今度、全然当たらなければしばらくは見送ることに決めている。
 1,000円でも当たったら?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・買うに決まっているではないか。あたり前田のクラッカーである。(このフレーズを知っている方は、もはや少ないであろうが、あえて使うのが私である。)

2007年10月7日(日)
●ロト6が小当たり!![EPISODE51]
 先週、ロト6にキャリーオーバーが出ているということで、気合を入れて6枚ほど購入した(6,000円也)。
 そして、6日土曜日に金曜日(ロト6の抽選日は、毎週木曜日なのだ)の新聞を確認すると、な、な、なんと、6枚すべて4等(7,400円也)もしくは5等(1,000円也)が当たっているではないか。驚きである。合計金額は60,400円になっている。思わずほくそえんでしまった。
 翌日、自転車で5分くらいの場所に位置する「葛西メトロセンター宝くじロトハウス」へ行き換金した。その証拠が、その時貰い受けた明細票である。
 調子にのっている私は、再びロト6を4,000円分購入。
 さて、今度はどうなるであろうか。
 当たったら、またこのページでご報告を、と考えている。
 来週、このページが更新されなければ、はずれたということである。
 友人・知人諸君、ロト6は、単純に6つの数字を塗りつぶすだけのものであり、1口200円である。
 挑戦してみるがよい。

2007年5月13日(日)
●母の日の手巻き寿司[EPISODE50]
 今日は、母の日。
 ということで、本日の夕飯は僕が作った(妻は、僕の母ではないのだが・・・)。
 メニューは手巻き寿司である。簡単ながら、華やかさを狙ったと言えよう。
 具は、マグロのなかおち、イカ、イクラ、焼き卵、キュウリ、カイワレダイコン、大葉、ツナ、である(撮影写真参照)。家族にはなかなか好評であった。
 ところで、妻は、母の日のプレゼントとして、ハンカチと照明スタンドを貰い受けた。
 今度は、父の日がやってくる。我が娘達よ!僕にはどんなプレゼントがあるのだろう?
 まさか、必殺技「手作り肩たたき券」ではないだろうね!?それでは、父は、ちょっと寂しい。

2007年5月4,5日(金,土)
●娘達の携帯電話購入[EPISODE49]
 ゴールデン・ウィーク後半。
 まずは、5月4日(金)。
 今日は、ショッピングにでも行こうか、ということで、私、妻、次女の3人で上野へ。上野で、次女の部活(バスケット部に入っているのだ)で使うウィンドブレーカーを購入予定であった。スポーツ店を2,3件見て回ったのだが、気に入ったデザインがない、と娘が言うので、結局購入には至らなかった。
 妻は、ちゃっかり、知らぬ間に帽子購入。
 そこで、次女が、「秋葉原に行きたい。携帯電話替えたい。」と言い出した。買うか買わないかは別にして、とりあえず見てみよう、ということになり、秋葉原到着。1件目、ヨドバシakibaに入ってみた。実にいろいろな携帯電話があるものだ、と感心しきりの私と妻。次女が言った。「これがいい。これ欲しい。」と。陳列されているその携帯電話の説明書きを見ると、”新規3,800円,同番機種変更15,000円”となっている。次女は、「新規でいいから買って〜。」とねだるのだが、妻が一言、「他の店もみてみましょう。」。あきらかに、いろんな店をまわって、”今日はやめて今度にしよう攻撃”であることに間違いない、と私は察知した。
 一同は、2件目、ソフマップへ。な、な、なんと、さっきと同じ機種が、”新規2,800円,同番機種変更135,000円”と安価になっているではないか。娘のボルテージが上がらないわけがない。妻も降参。Docomoのポイントを利用して、なんと、その場での出費は0(ゼロ円)。帰りの電車の中、ず〜っと娘は新規購入した携帯電話をいじくっていた。
 そして、帰宅後、起こるべくして起きた長女の反乱。「ずっる〜い。なんで可織(次女)だけなのよ〜。私も欲しい。」
 次の日、私と長女とで、携帯電話購入のためだけに、南船橋へと行くこととなったのである。

 5月5日(土)。
 私と長女で自宅を出発したのが、11:00AMであった。そこで私はひらめいた。別に秋葉原に行かなくても、近場でも携帯電話の安い店はあるんじゃないか、と。
 そこで、近所のサトームセンという店に入った。昨日、次女に買ったものと同じ機種が、”新規12,000円,同番機種変更25,000円”である。「冗談じゃない。高いよ〜。」と娘に言い、次に行ったのは、東西線木場駅から徒歩5分のイトーヨーカドー内電気店。値段は、さっきのサトームセンと似たり寄ったりであった。明らかに長女の顔は険しくなってきているのがわかる。決断をしなくてはならない。秋葉原に行くか、それとも・・・・・南船橋(ここのララポートで、娘達は最初の携帯電話を安価で購入したのだ)か。決めた!いざ、ララポートへ!
 南船橋到着13:30であった。わき目をふることなく、携帯電話販売店へ。”新規3,800円,同番機種変更20,000円”の表示。長女は、同番機種変更にしたい、と言ったのだが、新規にしないなら買わない、と退けた。しばらく悩んだ挙句、「新規でいいから買って〜。」ときた。姉妹ともに同じ機種の新規購入と相成った。やれやれである。
 帰宅してから、長女が部屋にとじこもり、しばらく出てこなかったのは言うまでもない(友達に電話番号・メールアドレス変更の連絡をしているのだ)。
 最後に、今回購入した携帯電話を紹介しておこう。
 機種は、D903iというやつで、FMラジオが聴けて、音楽CDから曲を取り込んで聴ける機能があるらしい。携帯も日々進歩している事を実感させられてしまう。
 私と妻は、今度ボーナスが入ったら自分達の携帯電話を替えることにしよう、と心に決めた。

2007年2月25日(日)
●次女のインフルエンザ[EPISODE48]
 木曜日の早朝のことである。会社に行く支度をしている私に、妻が、「おとうさん、今日、会社休めない?」と言うので、「なんで?」と聞くと、「可織、熱があって、頭も痛いんだって。もしかするとインフルエンザかもしれないから、病院に連れて行って欲しいの。」とのこと。「お前休めないの?」と妻に聞くと、「今週はだめなの。それに、もう有給休暇日数ほとんどないし・・・。」と言う。そこで、私は、会社の同僚に、休ませてほしい旨のメールをし、妻に、自分が娘を病院に連れて行くことを伝えた。
 さて、妻が仕事に行った後、娘のベッドへ行き体温を測ると37度5分であった。8:20に娘とともに家を出て、病院に着いたのが8:30である。そこで、診察券と保険証を出し、あらためて検温したら、なんと38度7分である。正直驚いた。ちょっとの間に体温が1度以上も上昇している。そして、熱のためであろう、娘の顔は真っ赤である。
 そのうち、病院の待合室は徐々に徐々に人が増えてきて、咳と唸り声が多くなり、待っている私自身も具合が悪くなってきそうであった。9:20頃にやっと名前が呼ばれ、娘が医者の前に座り、私はその後ろに立った。娘は、苦しいながらも医者に病状を伝え、その後、聴診器をあてられ、喉を診てもらった。医者が、「一応、インフルエンザかどうかの検査をしましょう。」と言って、長い綿棒のようなものを娘の鼻に突っ込んだ。待つこと10分。「インフルエンザのB型です。」と医者が私に告げた。そして、「インフルエンザ用の”タミフル”という薬を出します。この薬、人によってですが、副作用で幻覚症状が出る場合もありますのでご注意ください。」と言うではないか。(え〜、そんな薬使っていいの〜!?)と思ったが、仕方がない。
 近くの薬局で薬を受け取り、娘と、薬局近くのコンビニに入った。食欲はないんだろうな〜と思いながらも、娘に、「食べたいものあったら買ってあげるから何でも買いなさい。」と言った。この言葉が命取りになろうとは・・・。
 にやっと笑った娘は、ヨーグルトやらジュースやら缶詰やらアイスクリームやら、どんどんと買い物カゴに入れていくではないか。「お、おっまえ、そんなに買っても食わないだろ〜!?具合悪いのに〜。」と言うと、「案外、食欲はあるんだよ〜ん。」と返してきた。二の句を継げない私がそこにいたのである。結局、3千円近くを支払って帰宅。娘は、早速、ヨーグルト2個と缶詰1缶を完食し、薬を飲んで就寝。部屋の中で一人寝ていたくない、と娘がいうので、3階の娘のベッドから、フトン類を2階の居間に運んだ。さっき言われた医者の言葉が頭に引っかかっていたため、そのほうが私としても都合が良かったのである。
 夕方、帰宅した妻に、今日のできごとを報告。すると、妻が、「やっぱりインフルエンザだったんだ〜。で、おとうさん、あしたも会社休める!?」と言うではないか。そして、「だって、タミフルだよ、タミフル。この薬飲んで、高いところから飛び降りたひともいるんだよ〜。」と付け加えやがった。
 「わかったよ。会社に電話して、休めたら休むよ。」と妻に応えると、「タミフル、タミフル、タミフル、タミフル」と言いながら、妻は浴室へと消えていった。

2007年2月17日(土)
●財布なくした〜!!![EPISODE47]
 金曜日の晩、会社の上司たちと、しこたま飲んだ。たぶん、帰宅したのは、土曜日の午前様であることは間違いないのだが、どうやって帰ってきたのか私に記憶はない。
 土曜日の朝、目覚めると、スーツを着たままリビングで寝ていたことが判明。頭が重い。二日酔いである。スーツのポケットに手を入れると、剥き出しの札(5千円札1枚と千円札1枚)が出てきた。「ん?・・・・。財布は?・・・」と、上着の内ポケットに手を入れても無い(いつもここに入れているのだ。)。コートのほうかな、と思い、近くにあったコートのすべてのポケットを探ったが無い。「マジで〜〜〜。」そこから必死である。たぶん、形相も変わっていたに違いない。ズボンのポケットもカバンの中も見た。しかし、無いのだ。長財布が。「マズイ、マズイ。」と声にならない声を出している自分がそこにいた。そこで、目に入ったものがある。タクシーの領収書である。日付は今日。やはり、午前様で帰宅したのだ、と認識しつつ、タクシー会社の電話番号を発見。すぐさま電話した。「夕べ、タクシーの中に財布を忘れたかもしれないのですが、届いてませんか。」と聞いた。「領収書にタクシー番号が記載されていると思いますが、何番でしょうか?」というので、領収書に書いてあった番号を告げた。「少々お待ちください。」と言われて待つこと約15秒。この時間が、運命の時間でもあるように思え、非常に長く感じた。タクシー会社の人が告げた。「届いています。黒の長財布ですね。」と。この瞬間、天にも昇るような気持ちであった。そして、「そちらの会社はどこにあるんでしょうか?すぐ、受け取りに行きます。」と言うと、「都営三田線の”志村坂上駅”から徒歩で10分くらいのところです。」とのこと。東京に来て、今まで一度も聞いたことのない駅であった。インターネットで、東西線葛西駅からの経路と、志村坂上駅からタクシー会社までの経路を調べ、財布受け取りに、急ぎ出かけた私であった。
 約1時間後に、私は、志村坂上駅にいた。大手町駅経由である。タクシー会社にたどりつき、「先ほど電話した者なんですが。」と告げると、「はい、はい。」といって、茶封筒らしきものをもってきた。それを開けると・・・・・・。”あった〜。俺の財布だ〜!”と心の中で叫んでしまった。受取書にサインして、そそくさと帰宅。帰宅時刻は、午後1時であった。
 今回、見つかったからいいものの、もし、見つからなかったら、妻に大目玉をくらうことは確実である。何を隠そう、私、妻と結婚してから、財布をなくしたことが過去に3回ほどあるのだ。土曜日、妻は、仕事で家に居なかったので、隠密裏に処理する事ができた。超ラッキーと言わねばなるまい。しかし、である。タクシー会社と電話している様子を次女に見られていた。そして、聞かれていた。娘の目がキラリと輝き、「お母さんに言っちゃおうかな〜。」とのたまう。当然、娘には、「お母さんには内緒な。今月のお小遣い、ちょっとアップするからさ〜。」と口止め。ぬかりはないのだ。
 今回のエピソード、いつかは妻にバレるような予感がする。娘経由で・・・・・。クワバラ、クワバラ。

2006年11月19日(日)
●コロッケ[EPISODE46]
 今日は朝から雨が降り続き、外には出たくない気分だった僕は、昼頃までベッドのなかでゴロゴロしていた。ちなみに、妻は休日出勤。多分、帰ってくるのは夕方6時頃であろう。空腹に耐えられず、ノソノソとベッドから這い出した僕は、冷蔵庫から納豆と生卵を取り出し、朝飯・昼飯兼用の食事をとった。そこへ次女が中学校の部活(バスケット部なのだ)を終えて帰ってきた。「おとうさん、今起きたんでしょ〜。信じらんな〜い。」が第一声である。言い返せない自分が悲しい。「ふんっ!」が精一杯の言葉であった。「ところで、今日の夕飯何にする?」と娘に聞くと、「コロッケ、コロッケがいい。」と即答である。「おとうさん、作ったことね〜ぞ〜。お前、作れんの!?」と言うと、「インターネットからレシピ見つけて作ればいいでしょっ。」ときやがった。「おとうさん、私これから洋服買いに行くから、材料そろえといてね〜。」とたたみかける娘。恐るべし、である。娘が出かけたあと、レシピをプリントアウトして材料確認と相成った。じゃがいも、たまねぎ、ひき肉、生卵、薄力粉、パン粉、サラダ油、塩、コショウ、らしい。探したら、パン粉以外はすべて揃っている。近くの店に行き、パン粉と、足りない時のためにサラダ油を買ってきた。2時間後、娘が帰ってきていよいよ料理開始。自分ひとりで作ると言うので、僕は、キッチン近くのテーブルで会社の書類に目を通していた。娘は、ジャガイモを茹でてすりつぶし、炒めたひき肉やたまねぎと混ぜ合わせているようである。見ていると、なかなか順調のようである。「あとは、おかあさんが帰ってくる頃を見計らって揚げるだけだよ〜ん。」と言って、娘は自分の部屋へと行ってしまった。キッチンはきれいに片付いている。「なかなかのもんじゃん。」と思い、悦にいっていたのもここまでである。事件は起きた!5時半頃になり、「そろそろ、あかあさん帰ってくるから、コロッケ揚げていいんじゃね〜の〜!?おとうさん、お風呂入るからな〜。」と娘に声をかけ、入浴した僕。15分後、お風呂から上がってキッチンへ行き、僕が目にしたものは・・・・・・・・・・・・・。フライパンの上にコロッケがのっているのだが、どうも油がコロッケの半分ぐらいしか浸る量しかないのだ。加えて、火力が弱火〜中火である。白っぽいコロッケが、小気味良く揚がる音なく、油の中に浸っているという感じである。「おっ、お前、なんでもっとサラダ油入れないの!?でもって、なんでそんなに火力弱くしてんの!?」と聞くと、「だって、もったいないと思ったんだもん。火力強くすると、油がはねそうで怖いし。」ときた。「だめだってそれじゃ〜、コロッケがみんな浸るくらいの油の量にして、もっと温度あげないと。」と言うと、なんと、そのフライパンの中に冷たいサラダ油をドボドボと入れ始めた。そのときの僕の心の中がわかるだろうか。「おい、おい、おい、おい(心の叫び)。」である。なぜに、一回、コロッケを取り出して、温度が上がってから再度入れようとしないのだろう。コロッケは、とても静かに油の中に沈んでいる。ここで、妻が帰還。第一声が、「何これ?もっと温度上がってからでなきゃダメでしょ!何やってんの〜(怒)。」である。(あ〜、言っちゃったよ〜。おとうさんの心の叫びである。) その途端、娘がメソメソ泣き出してしまった。「ダイジョブ、ダイジョブ、おとうさんがやるから。」と言ったのが、またまた娘の琴線に触れたらしく、娘はさらにメソメソ。僕は妻に、「そんなに怒らなくてもい〜じゃんよ〜。一生懸命作ってたんだから、ちょっとは褒めてやれよ〜。」と言いながらコロッケをひたすら揚げていた。見た目は特に問題なく揚がったコロッケ。家族4人で食することとなった。なかなか美味しい。妻もそう思ったし、言い過ぎたと思ったのか、「美味しいよ、本当に。今度また作ってみたら。今日の反省を踏まえてさ〜。」だって。ある意味ナイスフォローと言えよう。お母さんにそう言ってもらうのが、子どもは一番嬉しいと思うし。娘よ、こういうことを経験しながら料理って覚えていくのだよ、と心の中で思いながらコロッケをたいらげた僕であった。

2006年8月15日(火)
●車から煙〜帰省での出来事〜[EPISODE45]
 今回のエピソード、お盆で八戸に帰省したときのできごとである。8月14日、我々家族4人は、私の実家に宿泊した。翌朝、私は、「車(JR八戸駅前で借りたレンタカーです)から煙が出てるよ!」というお袋の声で起床をすることと相成った。朝の6時半である。「なんで???」と思いながらも、駐車場へ行くと、明らかに後輪部から白い煙が出ているではないか。その横では妻が、「何っ!?何っ!?」と言いながらオロオロしている。妻に、「お前、車使った!?」と尋ねると、「うん、さっき、自分の実家のお墓に行って、お花を取り替えてきた。」と言う。そのうち、白い煙とともにゴムの焼ける臭いがしてきた。”もしかして!”と思い、運転席に行ってパネルを見ると、サイドブレーキのサインが点灯していない。運転席に頭を突っ込んだまま、妻に、「お前、今車止めてからサイドブレーキかけた?」と聞くと、「かけたよ。」と言う。知っている人は知っているが、今回借りたレンタカーのサイドブレーキは踏み込み式である。最後にかけたつもりのサイドブレーキがかかっていないということは、かけたつもりが解除した、ということになる。要するに、妻は、サイドブレーキをかけたまま走行した、という推測が成り立つわけである。この推測を立証すべく妻に尋ねた。「運転している時、運転席のパネルに”ビックリマーク(!)”みたいなやつ点いてなかった!?」と。すると、「点いてた、点いてた。なんだろ〜な〜と思ったけど、車は普通に走ってたし無視した。」とのたまうではないか。無視した、である。車の方から”サイドブレーキかかったままですよ〜”と教えてくれているにも関わらず、それをこともなげに無視する妻。恐るべし、である。煙が出た原因もわかりほっとした後、水で後輪部を冷やし一件落着となった。しかし、である。その後、私から妻に対する説教が始まったのは言うまでもない。

2006年7月17日(月)祝日
●「日本沈没」映画鑑賞[EPISODE44]
 本日は、祝日。長女は、友達と東京ディズニーランド、次女は、部活と塾、ということで、妻と二人で映画(日本沈没)を観に行くことにした。実は、前の日、これまた夫婦二人で上野へ行き、チケットショップで映画鑑賞の株主優待券なるものを購入していたのだ。購入価格、1枚700円也。安い!ただし、鑑賞する映画館が限られており、私の住んでいる最寄の指定映画館は、錦糸町の”楽天地”という映画館であった。
 我々二人は、朝9:00に自宅を出発し、錦糸町駅に到着したのが9:40であった。上映開始は10:00である。9:50頃映画館に着いて、館内に入ると異様な光景であった。ほとんどがお年寄りなのだ。「日本沈没」という映画、決してお年寄り向きの映画ではない。むしろ、若者向きと言っていい。我々夫婦の隣には、おばあちゃん二人が座っている。そうこうしているうちに上映開始。見終わって、外に出た我々が交わした会話、妻:「そんなに大したことなかったね〜。」 私:「う〜ん、イマイチって感じだったよな〜。期待しすぎたかも・・・。」である。
 そのあと、館内の喫茶店で昼食をとった二人は、駅前で買い物をすることにした。妻が、長女の洋服を買いたいと言ったからである。ところが、これがいけなかった。駅前のデパートに入ったのだが、妻の優柔不断ショッピングが始まったのだ。いくつもの店に入って、妻:「これいいよね〜!?」 私:「それ買えば!?」 妻:「でも、他の店も見てから決めようよ。」 私:「そうしよっか。」、と会話しているうちは良かった。この状態が1時間半もつづいたとき、相槌を打つ気力もなくなっている私がそこに居たのである。そして、妻のとどめの一発。妻:「やっぱり、今日買うのやめとこうっと。」。そこで私はキレた。私:「お前な〜、さんざん店まわって見て、ひとつも買わないの!おかしいんじゃね〜の!」と。その途端、妻は、何を言うでもなくさっさと歩き出した。後を追う私。早歩きでデパートを出てバス停へと向かう妻。後ろから追う私。葛西駅行きのバスに乗り込む妻。後から乗り込む私。結局、葛西駅に到着するまで、いや、自宅に着くまで、二人の会話が交わされることはなかったのである。そのあと、きっかけは忘れたが、夫婦の険悪な雰囲気はなくなった。ただ、しばらく夫婦二人で買い物に出る事はない、と感じた私であった。

2006年6月13日(火)
●「あおげば尊し」DVD鑑賞[EPISODE43]
 ビデオレンタルショップから「あおげば尊し」というDVDを借りてきた(右画像)。
 このDVD、前情報として知っていたわけではない。題名に惹かれたのである。”卒業をテーマにした物語!?”と想像しながらレンタルした。
 ところが、である。全然違うのだ。あらすじを書くと、テリー伊藤扮する教師がいて、その生徒のなかに”死(=死体)”を興味本位で受け止めている者がいる。その状況の中、テリー伊藤(すみません、役目忘れました)の実父がガンで余命いくばくもない状況。その瀕死の状況を、テリー伊藤は生徒に見せる。その実父は元教師。ときどき訪れる実父の意識が遠のく状況に、テリー伊藤の妻役である薬師丸ひろ子扮する役がこう言うのだ。「「先生!」って言葉をかけると、意識的なのか無意識なのか「なんだ、●●(生徒の名前)」と返事を返すのよ。」と。物語的に、この実父は生徒に嫌われた(その当時は)先生、という設定である。しかし、生涯を全うしたその実父(元教師)の告別式には、かつての教え子たちが集い、誰ともなく”あおげば尊し”を歌いだし大合唱になるのだ。ここが、山場であろう。涙が出てくる。その場しのぎで教えない教師。昔、俺が教わった教師は、みんなそうだったような気がしてくる。根底に、「お前のために怒る、殴る。」があったような気がする。そんな感覚を呼び起こしてくれるようなDVDであった。機会があれば、ご鑑賞あれ。

2006年5月21日(日)
●ダ・ヴィンチ・コード映画鑑賞[EPISODE42]
 上映を待ち望んでいた映画を鑑賞した。「ダ・ヴィンチ・コード」である。次女と映画館に行く予定になっていたが、「部活があるからキャンセル!お父さん一人で行ってきてね〜。」ということで、一人映画鑑賞と相成った。昼頃自宅を出発し、映画館のある妙典に到着したのは13:00である。映画館は、予想に反して全然混んではいなかった。ラッキーといえよう。1,800円を支払って、後ろから2列目の指定席券を購入。上映開始は13:20からであったが、ほかの映画の予告編やらCMやらがあり、本編が始まったのは13:30頃からであった。いよいよ、である。原作を読んでいた僕は、ドキドキ、ワクワク、である。見終わった後、原作と異なるところは多少あったにしても、ほとんど原作に忠実に映画化された、という感想をもった。それが何を意味するか。次の会話に集約されよう。映画を観終わって、会場を出たところでの、男子高校生らしき2人の会話である。「どうだった〜!?」、「わけわかんね〜、俺が観てきた映画の中でもワーストの部類に入るんじゃね〜か。」である。たぶん、原作を読まずにこの映画を観た人たちの率直な感想なのではないか、と僕は思った。僕は、逆に、”お〜、なるほどね〜。あそこの部分の描写がこうなるのか〜、とか、あっ、ここ省略したな〜、とか思いながら、満足感たっぷりで映画鑑賞をすることができたのである。そこで忠告!この映画、「読んでから観るか!?、観てから読むか!?」という次元ではない。確実に前者である。そうしないとわけがわからない状況に陥る、と言っても過言ではない。大長編ゆえ、読むのは大変ではあるが、この映画鑑賞を満喫したければ、読むべき、ということである。我がサイトの”読書記録”にも書いたが、長編ではあるものの、読み始めるとおもしろくなってきて、止まらなくなること請け合いである。原作も、読後の映画もオススメする。もしかすると、娘とこなかったのは、ある意味良かったかもしれない。見終わったあと、娘が、「わっけ、わかんな〜い。」と、ほざくであろうことは想像に難くないからである。

2006年4月30日(日)
●プチ同窓会連発アンド新橋飲み会[EPISODE41]
 今回のエピソードは、便宜上、プチ同窓会2回分と新橋での打ち上げ飲み会を同時掲載する。2週間ほどホームページ更新を怠っていたがための苦肉の策である。
 まずは、プチ同窓会報告1回目。平成18年4月22日(土)である。
 大学のときの友人、T君とK(この男は、EPISODE21に登場済み)そして私を加えた3人での同窓会であった。場所は、東京田町駅前の”東花房”という南欧居酒屋。T君が、講習会があって、現在の仕事場である九州から上京するというので、今回の飲み会開催と相成った。T君はエピソード集初登場なので、いつものように人物紹介をしておこう。T君、大学の時は、バリバリのアイビールックに身を固め、アパレルショップでバイトをするという、当時、土木工学科的には異質な人間だったといえよう。ちなみに、T君とKは大学卒業以来の再会である。JR田町駅改札でT君と会った第一印象、”土方になってる〜”である。頭髪はスポーツ刈系、当時の面影は無いに等しい(右上写真)。思わず、「あんた誰?」と口走ってしまったほどだ。飲み会は盛り上がり、二次会へと突入。僕は、帰りの電車内でヘロヘロ状態であったはずだ(ほとんど記憶がない)。
 次に、プチ同窓会報告2回目。平成18年4月24日(月)、場所は、東北の福島市である。
 その日、東北支社の営業応援で、まずは東京から新幹線に乗って仙台市へ到着。仙台市役所の営業をしたあと、またまた新幹線に乗って福島市へ移動。そして、友人Hの勤める役所へと行き、一通りの営業を行い、福島駅へ戻った(右写真)。実は、前もって、福島駅でこの友人と飲み会をすることを約束していたのだ。この友人は、高校からの腐れ縁である。これまた盛り上がりをみせた。しかしながら、そこは福島。二次会などというわけにはいかず、20:05福島駅発の新幹線で帰京した。帰宅したのは23:00であった。まあ、大人の飲み会といえよう。
 最後は、1960年代生まれ同士の飲み会。平成18年4月28日(金)、場所は、新橋である。この集まり、仕事上の付き合いのある3人の”前年度業務打ち上げ”と銘打っての飲み会である。登場人物は、EPISODE20に登場した人物、M氏とK氏である。この飲み会は、いつも壮絶である。とことん飲むのだ。最初は、世間話等で静かに飲み出すのであるが、時間が経つほどに酔った3人の何かがはじけてしまう。いや、僕の何かがはじける、と言ったほうが正しいかもしれない。今回の二次会はカラオケ。K氏は、途中で帰宅したのだが(終電はないのでタクシーで帰ったはず)、M氏と僕は、そこで宿泊してしまった。歌い続けたのではない。爆睡したのだ。カラオケ屋を出たのは、朝の5:30頃。外は快晴であった。40代の男が、な〜にやってんだか、と思いつつ、頭の中には、”青春”という二文字が浮かんでいた。いや〜、僕もまだまだ若いっす。帰宅したのは、6:30頃。妻の頭のてっぺんに角(つの)が見えた。クワバラ、クワバラ。

2006年3月18日(土)
●次女と二人の夕飯[EPISODE40]
 今日は、長女が仙台へ遊びに行き、妻が八戸に行ったため、自宅には、私と次女の二人きりになってしまった。これは非常にマズイ状況と言わねばなるまい。
 実は我々二人、性格がそっくりで、二人がそろうとロクなことをしない、と我妻には定評なのである。
 この日、二人がまず始めたのは、ニンテンドーDSのゲームソフトを買いに外出する事であった。朝飯とも昼飯ともつかない食事をしながら、「そういえば、頭の年齢が判定できるゲームがあるんだって!?」と娘に切り出したのがそもそもの始まりであった。「あるよ!おとうさん買いに行こうよ!」と娘が言ったので、僕は、「別に買うとは言ってないじゃん。」と返すと、「おとうさ〜ん。買って〜、ねえ〜。」と、普段のケンカ腰の会話とは180度の変わりようである。欲しい物のためには自分のポリシーを捨て去る次女、おそるべしである。
 結局、その1時間後、そのソフトが我が家にあったことは言うまでもない。
 そして、それから2時間ほど、二人でゲームを堪能した。ちなみに、次女の脳年齢は30歳。私のそれは21歳であった。楽勝である。それにしてもおもしろいゲームがあるもんだ、と思ってしまった。
 時刻は夕刻となり、今日の晩御飯は二人で何か作ろう、ということになった。材料は、今家の中にあるもので何とかしようということも意見が一致した。私が作ったのはポークステーキ、次女が作ったのはハンペン揚げと五目御飯である(掲載写真参照)。できは上々。それぞれが自画自賛しながら夕飯を終えた。
 いや〜、こんな1日もいいもんだ、と思ってしまった。
 そういう感慨に耽っていたのも束の間、妻が帰宅して、新たなゲームソフト購入に、我々二人が怒られたのは言うまでもない。妻の一言、「本当に、あんたたち二人揃うと・・・・・・・。」二の句が継げないらしい。

2006年3月12日(日)
●東京湾景[EPISODE39]
 「東京湾景」というドラマのDVDを借りてきました。
 このドラマ、観る前までは、台場とかを舞台にしたトレンディドラマだと思っていたのだけれど、そうではありませんでした。在日韓国人三世の女性(演者:仲間由紀恵)と日本人男性(演者:和田聡宏・・・この人、僕、知りませんでした。)の恋物語なのですが、これがなかなか深いっす。紆余曲折のオンパレードで、ハラハラドキドキっていうか、うまくできてるドラマだなあと思ってしまいました。でも、なんとなくストーリー展開が、あの”冬のソナタ”に似ている、と思ったのは僕だけでしょうか。ちなみに、このドラマの主人公である男性は、書道家を目指す肉体労働者という設定なのですが、僕自身、小学校2年から6年まで書道教室に通っていたことがあるので(実は僕、習字はかなり上手い・・・自画自賛(笑))、なかなか共感できる面があったりしました。まだ、全話の半分くらいで最終回まで観ていませんが、飽きることなく最後まで観れそうな気がします。

2006年2月12日(日)
●バレンタインのチョコ[EPISODE38]
 本日日曜日、我が娘達は、朝からバレンタインのチョコだかクッキーだかの作成に大ハリキリである。インターネットからプリントアウトしたレシピを見ながら悪戦苦闘しつつ、その様子はまるで工作状態。私が、「それって、食べ物なんだよね〜!?」と突っ込みをいれると、眉間に皺を寄せた4つの目が突き刺さった。無言の威嚇である。そのうち、居間の中には、チョコの香りが充満し、むせ返るようだ。9時から始めた作業が、14時になってほぼ完了。大量のトリュフ型チョコとチョコクッキーが出来上がっている。そこから今度はラッピング作業開始。すべてが完了したのは15時である。その間、親子の会話はほとんどない、といってよかろう。「調子はどうかな〜。」などと話しかけようものなら、「気が散るから、おとうさん黙ってて!」と返されるわけである。
 完成後、「できたやつ、記念に写真撮っとこうか!?」と聞くと、次女が、「撮ろう、撮ろう!私が撮る!」と言って撮影。それが右の写真である。上から光があたっているのがわかるだろうか。何を隠そう、上から懐中電灯で照明係をしているのは私である。「そこまで凝らなくてもいいんじゃね〜の?」と言ったが、例の無言の威嚇にかなうものはない。まっ、上手にできたようだから良しとしよう。
 ところで、娘達よ、当然、おとうさんにもくれるんだろ〜な〜!

2006年1月27日(金)
●結婚パーティ[EPISODE37]
 ブログにも書いたのだが、会社の部下であるK君が、1月23日に結婚届を出したということで、ささやかながら結婚パーティを開催した。幹事は、誰あろう私である。私が幹事である限り、そこいらの居酒屋で行うわけにはいかない。管理職のプライドといえよう。そこで、場所は六本木にした。以前に1回行ったことのあるダイニングバーである。ここで、私以外の集まったメンバー6名を紹介しておこう。
@K君:今回のパーティの主役である。無造作ヘアにこだわりをもついまどきの若者である。
AKちゃん:K君の奥様である。お世辞ではなく美形。
BJN:”おぼっちゃま”という雰囲気を醸し出している荻窪出身の30代妻帯者。
CTS君:当エピソード集のEPISODE23に登場した人物である。よって、省略。
DNH君:当エピソード集のEPISODE1,3,10と頻繁に登場した人物である。今さら紹介の必要はあるまい。
EMSG君:30代後半独身。頭髪はNH君に負けず後退の兆しをみせる浪花男である。
 さて、宴もたけなわとなってきたパーティ終盤、上記C〜Eのトリオが織り成す会話は筆舌につくしがたいものがあった。それは、もう、まるで漫才を観ているかのようでもあり、新橋あたりの泥酔中年の会話を聞いているようでもある。ここに、その一部の会話を紹介しよう(こんなイメージの会話、と捉えていただきたい)。

MSG君:「そういえばK君、ワンちゃん飼ってるんよな〜!?どう?」
K君:「かわいいっすよ〜。メチャメチャ。」
TS君:「俺さ〜、今、めだか飼ってるけど、かわいいぜ〜。なつくしさ〜。」
一同:「・・・・・・・・・・・・・」
TS君:「いや、ホントだって!俺が帰るとメダカがこっち向くもん。」
一同:「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
NH君「ところで、僕、猫飼ってるけど、猫いいよ〜。どう?猫。」
MSG君「しっかし、そのビールのグラスでかいな〜。」(※この時点で会話は成立していない。)
TS:「MSGさ〜、今、メダカの話してんだろっ!」(※メダカではない。猫である。)
MSG:「メダカの話はもう要らへん。つまらんよって。」
NH君:「最近、ジムに通ってるんだよね〜。」(※また話題変更!?絶対に人の話は聞いていない。)

 このような会話が延々と続くのだからたまらない。聞いているこっちは可笑しくて可笑しくて仕方がないのである。
 宴会は23:30に終了、そして、解散した。
 私は、大江戸線”門前仲町”経由で帰宅したが、車中、宴会での会話を思い出してニンマリしてしまった。
 そういえば、K君、あらためて6,7月に結婚式・披露宴を行うようである。どうか、それまでに破局をむかえないようにと、私は手を合わせた。ウソ、ウソ(笑)。どうか、末永くお幸せに!
 今回のメンバーの皆様、機会をつくって、また集まりましょう!

2006年1月22日(日)
●次女の願書受付[EPISODE36]
 僕は9:30に起床した。爽やかな朝、昨日の雪が嘘のように本日快晴なり。ベッドから降りようと背伸び運動していた僕の耳に入ってきたのは、2階リビングからの妻の声。どうやら誰かと電話で話しているようだ。「そんなんじゃ困るんですけど・・・。別に問題が起きなかったからいいですけど・・・。」みたいな。僕は、とことこと2階へ上がりドアを開けると、妻がちょうど受話器を置いたところであった。当然のことながら、僕は妻に、「何朝からエキサイトしてるわけ?」と聞いた。妻が言うには、こういうことらしい。次女の都立中高一貫受験願書の受付日が1/20指定となっているため、妻の勤務先近くの目黒郵便局で、1/17に20日の期日指定で送付を依頼したが、その郵送物が18には届いてしまったのがわかった(郵便局員に、「1/20期日指定でお願いしますね。」と頼んだら、「大丈夫です。もし不安でしたら、インターネットで郵送物の追跡ができますから。」と言われ、本日調べたら18日に着荷してしまったのがわかったらしいのだ)ため、”話が違うじゃないの!”となったらしい。
 とりあえずは、受験予定高に電話して、願書が受け付けてもらっていることを確認したうえで、郵政公社に対し腹が立ったらしいのだ。「遅れたわけじゃなく早めに着いたんだからいいんじゃね〜の!?」と言ったら、妻の闘争本能に火をつけたらしく、「そうじゃないでしょっ!期日指定ってそんなんじゃないでしょ!」と、眉がつり上がっている。”やべっ、ここで何か反論すると火に油をそそぐことになるぞ。”と、僕の学習能力は反論を否定した。そこで、「で、郵政公社、何だって?」と話題を変えると、妻のしゃべることしゃべること。相当頭にきていた証拠でもある。一通り聞いた後で、「でも、結果的に大事にならなくて良かったじゃん。」と言った僕に、妻は一言、「そうなんだよね〜。」。
 その後、郵政公社から電話があって、「こちらでも調べましたら、期日指定日に届ける旨を受験校側に知らせたら、志願者数が予想以上に多いようなので20日を待たずに配送してくれないか、と依頼されたので届けたそうです。」とのこと。妻は、「事情はわかりましたけど、そういう事情を発送者がわからないとマズイんじゃないんでしょうか!?」と反論し、郵政公社に謝らせていた。傍で聞き耳立てていた僕が思ったこと、”我が妻、恐るべし”、である。

2006年1月3日(火)
●湯島天満宮[EPISODE35]
 湯島天満宮に行ってきた。そう、学問の神様(菅原道真)が祀られたもう神社である。もうすぐ、娘達が受験という事で、私・妻・次女の3人でお参りに来た、というわけである。長女は、友達と遊ぶからと言って、同行はしなかった。私が考えるに、一番、神頼みを必要としている長女が同行しないのは解せないのであるが仕方がない。神様と友情、友情をとったのであろう。そのしっぺ返しがきても、私は知らない。
 しっかし、神社は盛況であった。お決まりの”絵馬”を飾るところは人だかり著しい(右写真)。妻が長女の分の絵馬を、次女は自分の為の絵馬を書いてぶら下げた。これが、受験の際の自信に少しでも繋がってくれれば、と祈るのみである。
 お参りした際に、”湯島天神の鉛筆”なるものを購入した。妻曰く、「ご利益あるかもよ〜」である。ここまでくると、神様さまさまである。私は、少なくとも、日頃の勉強で使っている鉛筆の方に軍配が上がるような気がして仕方がない。またまた、妻曰く、「気持ちの問題なのよ、気持ちの!」だそうだ。「それで合格できるなら、俺は東大に行ってるぜ!」とつぶやいた。

2005年12月11日(日)
●東西線葛西駅前工事中[EPISODE34]
 久しぶりの書き込みである。そして、今年最後のエピソードとなるであろう。
 現在、東京メトロ東西線の葛西駅前は、大規模な工事中である。この工事、駅前に地下駐輪場をつくり、駅前広場も整備してしまおうというものである。そして、この地下駐輪場、できあがると日本で最大規模のものになると言われている。なぜ、ここまで知っているかというと、私の勤務する会社が設計したものであるからだ。
 それゆえ、会社帰りの深夜、自宅最寄り駅であるこの駅に降り立つたびに、工事がどのくらい進んだか気になってしまう。
 ある晩、ブログにでも載せておこうかと、携帯で工事中の写真を撮っていたら、工事しているオジサンが声をかけてきた。「お兄さん、こんな工事の写真なんか撮っておもしろいんか?」と。このオジサン、どうみても孫受け会社の労働者という雰囲気を醸し出している。「ええ、まあ。」とあいまいな返事をしたら、「へ〜、変わった人やなあ。」と何かしらの材木を背負って行ってしまった。その後姿に向かって、「がんばってくださいね〜。」と声をかけると、「まかせとき〜。」と返してきた。どうみても関西人であろう。僕は、「おっちゃん、がんばりや〜。」と心の中で叫んだのである。

2005年10月30日(日)
●CDとDVDの鑑賞[EPISODE33]
 本日日曜日は、レンタルショップで借りてきたCDとDVDの鑑賞に没頭した。
 借りてきたCDは、オレンジレンジの「NATURAL」,槇原敬之の「Liste To The Music2」,平井堅の「Pop Star」,ELTの「きみのて」,EXILEの「EXIT」,B'Zの「OCEAN」,ユンナの「タッチ」で、DVDは、「Shall We Dance」と「ザ・インタープリター」である。そのほとんどは、妻と娘たちのリクエストによるものであるが、こと音楽CDについては、「へ〜、最近はこんなものが流行ってるんだ〜。」と、浦島太郎状態の私である。
 「おとうさん、このCDも知らないの〜。遅れてるよね〜。」という娘たちの屈辱的な言葉に、「はいはい、悪うござんしたね〜。」と軽く返し、頭の中にインプットする私であった。
 「タッチ」の曲は知っているものの、私の知っている「タッチ」は、岩崎良美のものである。娘たちに、「この曲リバイバルだって知ってたか〜。」と言うと、「知ってますよ〜だ!イエ〜イ!」と返してきやがった。ジワジワと敗北感がこみ上げてきた。二の句を継げない私がそこにいたのである。おめ〜ら、そんなこと知らなくていいから本でも読みやがれ!・・・と心の中でつぶやいた。

2005年10月24日(日)
●辞典[EPISODE32]
 当サイトのBook(読書記録)に記載する際、「大団円」と「マイノリティ」の意味がわからなくて、本当に久しぶりに辞書というものを書棚から引っ張り出した。高校・大学と使用していた国語辞典と英和中辞典である(右写真)。手垢にまみれ、中には鉛筆やらボールペンやらサインペンやら蛍光ペンで書き込みがなされている。いかに私が勉学に勤しんだかがわかるといえよう。わけもなく涙が溢れてきた(な〜んちゃって)。それにしても、である。このような書物には独特の匂いがあるものだと改めて思った。国語辞典には国語辞典の、英和辞典には英和辞典の匂い。何十年経っても失せない匂いである。それぞれの辞典の巻末で発行年を見てみた。国語辞典が昭和48年、英和中辞典が昭和53年である。約30年も前の代物だ。さりげなく、国語辞典の底を見てみた。そこにはなんと”猪木”の青い文字が・・・・・・。思い出した!あいつだ!高校時代に同級生だったあいつの文字に間違いない。私は、そいつの文房具の何かに、”馬場”と書いた記憶がある(笑)。そう、我々は、この上なくプロレスを愛し、新日派(アントニオ猪木)と全日派(ジャイアント馬場)に分かれていたのである。放課後の体育館・用具室は、体操用のマットを敷き詰め、プロレスリングと化していたのが昨日のことのようである。
 英和中辞典で思い出すのは、いまだもって訳がわからないのであるが、この辞典を一晩水につけて、その後乾燥させ、見るも無残な姿(辞典の容量というかページ数が2倍くらい増したように膨らむ・・・ページとページがぴったりくっつかないのだ)にする輩がいたことだ。当然、普通に机の上に置こうとしても、アコーディオンのように開いてしまうのである。今後、そいつに会う機会があれば、是非とも理由を聞いてみたい。
 日常の何気ないできごとから、高校時代のことを思い出してしまったエピソードである。
 ちなみに、今回、辞書を紐解くきっかけとなった言葉の意味も記しておこう。
 大団円:(名)終わり。最後の場面。カタストロフィー。大尾(たいび)。「−をつげる」
 マイノリティ(Minority):少数、少数党(派);未成年、未丁年、a minority group 少数派
 以上、辞書から引用である。

2005年7月30日(土)
●自宅から見えた花火[EPISODE31]
 夕飯も食べ終わって、家族でくつろいでいると、テレビで隅田川花火大会の模様を中継していた。そこで妻が一言。「もしかしたら、家から見えるんじゃない!?」と。それに対して僕は、「何言ってんだか。見えるわけないじゃん。」と返したのであるが、子供達が、「花火の音が聞こえるような気がする。」と言い、自分達の部屋がある3階へと上がっていった。・・・・・・・・・1分もしないうちに、3階のほうから、「見えるよ!見える〜。」という声が・・・。その時、また妻が一言。「参ったか!」と。そして勝ち誇った顔を私に近づけてきたのである。言い返せない私。気まずい思いを胸に、私は3階へと上がっていったのである。そして、窓から身を乗り出すようにしている娘たちの後ろから夜空を眺めると、はるか遠方に花火が見えるではないか。映るかどうかはわからないが、とりあえず花火をデジカメ撮影してみた(右写真)。夏だなあ・・・、と、言わないまでも実感している家族4人がそこにいたのである。


2005年7月23日(土)
●地震発生[EPISODE30]
 (今回のエピソードは、サイト内「My Photo(デジカメ散歩録)7/23」の続きものである。)
 ”ららぽーと”での買い物を終えて、18:30頃JR南船橋駅に着いた我々(僕と妻と次女)が目にしたのは、地震の影響で電車が止まり、人、人、人でごった返す駅構内の光景であった(右写真)。駅階段に座り込んでいる人々、改札付近に群がる人々、駅員室前で駅員の事情説明に耳を傾ける人々。駅員の話では、「地震の影響で、首都圏のJR・私鉄共に、安全点検のため、ほぼ全面的に運休しており、復旧の見込みがついていない。」とのことであった。それを聞いた我が妻は、「じゃ、もう一回ららぽーとに戻って暇つぶそうか?」とあっけらかんとしている。「タクシー使ってもいいから帰ろうよ。」という私に、「無駄だと思うよ〜。」と返す妻。「いいから、とりあえずタクシー乗り場に行ってみよう。」と妻と娘を引き連れて歩き出した私は、またまた信じられない光景を目にすることとなった。タクシー乗り場付近に長蛇の列ができているのだ。とても1、2時間でタクシーに乗れるような状況でないことは一目瞭然である。妻の言ったとおりららぽーとへと戻ることにした。ららぽーと前にある京成船橋駅行きのバス停にも長蛇の列ができており、もはやジタバタしても仕方がない、と私も腹をくくった。まずは、自宅にいる長女に電話をかけた。電話回線がパンク状態なのか、何回かけても話し中状態であったが、10回くらい続けたらやっとつながった。長女から、「電車止まってるでしょ!家のほうは大丈夫だし、ラック(飼い犬)にも晩御飯食べさせたから安心して。」と言われ、「何時に家に着けるかわかんないから一人で晩御飯食べてて。」と言って電話を切った私であった。妻と次女は、明らかにこの状況を喜んでいる。顔と言動でわかるのだ。妻曰く、「ららぽーと制覇!」、次女曰く、「この前観た”宇宙戦争”で逃げ惑う人たちみたいだね〜」である。私にすれば、「な〜に言ってんだか。」という感じである。そして我々は、ららぽーとウィンドウショッピングへと突入し、いい加減歩き疲れた私は、「お茶でも飲んで休憩しようよ〜。」と提案したのであるが、妻と娘は、「おとうさん、あまい!運動不足なんじゃな〜い!?お茶はもう少ししてからっ!!」と言い返す始末である。「はいはい。じゃあ、俺だけそこのスターバックスでコーヒー飲んでるから。」と、一人戦線離脱を宣言し、スターバックスでアイスコーヒーを飲み始めた。その時、はたとひらめいた。「あいつがいる。あいつ、確か、車持ってたよな〜。迎えにきてくれるように頼んでみようっと(名案、名案)」と。このエピソード集にも登場した事のある友人TSである。思い立ったが吉日、ということで、早速彼の携帯電話に電話した。ラッキーなことに、すぐにつながった・・・・・までは良かったのだが、私が「今、どこにいるの?」と切り出すと、「ん?今、稲毛。飲んでるんだよ〜ん。」である。私の名案は、用件を話すことなく、無残にも打ち砕かれたのであった。「何!?何!?」と用件を聞く彼に事情を話すと、彼は大笑い。「役たたね〜やつだな〜。」と捨てゼリフを残して電話を切った私のところに妻と娘が合流。時刻は21:00。携帯電話で電車の運行状況を確認すると、武蔵野線が動き出した、とのことだったので、とりあえず西船橋までたどりつければいいか、という思いで再度南船橋駅到着。ところが、動いている気配は毛頭なく、前にも増して人が溢れかえっているではないか。駅員の話に耳を傾けると、「安全点検は22:30までかかります。点検が終わってもすぐに運行するとは限らないので、現在動き始めた京成電鉄をご利用ください。」とのことで、乗客全員に”振り替え乗車券(どの路線経由で帰路についてもJR東日本が負担するというもの)”を配っていた。当然のことながら、我々は、その振り替え乗車券を受け取り、京成線の”船橋競馬場駅”へ向かったのである。途上の歩道は、縁日のように人が歩いている状況である。JR南船橋駅から京成船橋競馬場駅までは、徒歩で30分くらいかかった。20分ほど待って、やっと上り線の電車がやってきた。それに乗り込んだ我々は、八幡駅で下車、徒歩で5分くらいの本八幡駅から都営新宿線を使って一之江駅に到着、駅前からタクシーに乗って葛西駅前へ(タクシーで約10分くらい)、そして、帰宅したのが23:30であった。さすがに、私も妻も疲れた。ところが、帰宅して、出迎えに出た長女に次女が一言、「振り替え乗車券って、顔パスみたいで楽しいよ〜。」だって(笑)。

2005年7月10日(日)
●映画鑑賞[EPISODE29]
 妻と下の娘とで映画を観に行って来た。場所は、妙典(東京メトロ東西線・右写真)。観た映画は、「宇宙戦争」である。最初の予定では、「スターウォーズ」を観る予定だったのだが、席がとれなかったのだ。というよりも、日本語吹き替え版の席がとれなかった、というのが正しい。僕と妻は、字幕版のほうで良いのであるが、なんといっても娘が主役なのだから致し方ない。
 さて、「宇宙戦争(もちろん、日本語吹き替え版)」であるが、お決まりのポップコーンとジュースを買い込んだ我々は、館内に入ってビックリであった。開演5分前というのに、観客席はがらがらである。僕は、思わず妻に、「人気のない映画なの!?」と聞いてしまったくらいである。妻は、「トムクルーズ主演だから、そんなにハズレはないと思うんだけど・・・。」と頼りない返答である。なにはともあれ、混雑している状況で観るよりもはるかにマシ、ということで、映画鑑賞は始まった。
 映画のあらすじは、ある日、地底から巨大なエイリアンみたいなやつが現れて、次々と人々を殺したり、建物を破壊したりするのだが、最後には、地球の生態系が原因でエイリアンたちは自滅してしまう、というようなものである。その逃げ惑う人々のなかにトムクルーズ演ずる父親と、その息子・娘がいて、地球侵略の恐怖を体験するのだ。はっきり言って、この映画、僕と妻にとってはいささかおもしろくなかった。観終わった後、二人で、「たいしたことなかったね〜。」と会話したのが全てを物語っているといえよう。しかし、そこで娘が、「おもしろかった〜!ドキドキしたよね〜。最高!」と顔を紅潮させて言ったりなんかしたもんで、我々夫婦は、「まあ良かったんじゃないの(笑)。」と、親としての役目を果たしたような気分で帰宅の途についたのであった。

2005年7月3日(日)
●今、会いにゆきます。観ちゃいました。[EPISODE28]
 やっと観てしまった。「今、会いにゆきます。」。レンタルビデオ屋さんで、この作品いつ来ても貸し出し率高いな〜と思っていたが、観終わって、その理由がよく解ったような気がする。夫婦二人に男の子一人、という家族構成の家庭で、ある日お母さんが亡くなってしまうところから物語りは始まる。そして、ある梅雨入りの日、記憶をなくした妻(お母さん)が二人の前に・・・・。その記憶をなくしている妻に、夫がとても優しい語り口調で、二人の出会いの頃から結ばれるまで、そして、男の子が生まれるまでを話し、その場面場面が映像で振り返られる、というような展開をみせるのだ。現在と過去、妻と夫のそれぞれの視点、で過去を振り返る展開は非常におもしろい。圧巻は、ラストの妻からみた過去である。それを書いてしまうと、この映画の醍醐味がなくなる、と言っても良い。だから、敢えて書かない。観てみていただきたい。世のダンナたちは、観終わったあと、妻を大事にしなきゃいかんな〜、と思うこと、請け合いである。世の奥様方は、「今、レンタル率の高いDVDなんだってよ。観てみよっか!?。」とか言って夫にみせるがよかろう。うまくいけば、予期せぬプレゼントがあったりなんかすることであろう。私?・・・・・想像におまかせする。

2005年6月9日(木)
●静岡方面への出張[EPISODE27]
 仕事で静岡方面へ行ってきた。その日の行動スケジュールは、午前中社内で仕事(企画書仕上げ,製本)→東京発12:30頃の新幹線”こだま”で静岡営業所立ち寄り→静岡発15:00頃の新幹線”こだま”で三島に行ってから東海道線に乗り換えて沼津→沼津駅からタクシーで日本道路公団沼津工事事務所へ行き企画書提出→またまたタクシーで沼津駅へ引き返し東海道線で三島駅→三島駅から当駅初17:30頃の新幹線”ひかり”で東京駅→大手町駅から東西線で葛西駅着18:30頃、というようなところであった。
 ほとんどが電車の中もしくはタクシーの中であり、とてもではないが静岡や沼津を満喫するというような余裕がなかったのである。
 沼津では、道路公団事務所近くの通り(国道246号)に出て、流しのタクシーが来るのを今か今かと待っていたのだが、待てど暮らせど来ない。時間はすでに20分ほど経過している。仕方がないので、事務所に来るときに利用したタクシーのレシートを探して、そのタクシー会社に電話した。結局、そのタクシーが来たのが約20分後。その日の出張で一番疲れたのがこの時である。そして、「この場所は忘れないぞ〜。」と思って携帯電話で撮影したのが右写真である。40分も待つのであれば、このスーパー銭湯らしきものに入ってみても良かったな〜と後悔した僕であった。

2005年6月4日(土)
●中学校の運動会[EPISODE26]
 今日は、上の娘の運動会。妻が「観に行こう。」と誘うので、夫婦二人で娘の通う中学校へと出かけた(下の娘は、前の晩夜更かしして熟睡)。「俺達の時の中学校の運動会って、親、来たっけ?」と妻に尋ねると、「忘れちゃった〜」との返事。この女はすでに、ボケが始まっている。兎にも角にも中学校の運動場到着。案外、親たちの数が多かったことにびっくり。さて、娘の出場する「女たちの戦い」とかいう競技が開始された。これは、プログラム名だけ見てもよくわからなかったのだが、競技を観ていて理解した。戦うチームが、それぞれ、100mほど離れて対峙し、その真ん中に長さ2mほどの竹が30本ほど置かれる。「よ〜い、ドン」を合図に、両チームが竹に向かってダッシュし、竹を持って、自分の陣地に運んできて、最後にその数の多いほうが勝ち、というゲームである。単純な競技ではあるが、最後のほうになると、1本の竹に10人くらいの生徒が群がり、引っ張り合いが繰り広げられるという壮絶な競技でもある。当然のことながら、親としては、我が娘を目で追うこととなる。これがまた情けなくて、目を覆いたくなった。竹を奪いに行くどころか、最初のうち、狙った竹を敵にすぐさま取られ、右往左往しており、最後のほうで、1本の竹に生徒が群がり出したとき、その竹にダッシュし、横から、気持ちだけ竹に触れている、というような光景が・・・・。私と妻は、顔を見合わせ、苦笑するしかなかったのである。そのあとの競技は徒競走。リレー方式でバトンを渡しながら(各自100m走)各クラスの順位を競う、というものであり、男女混合であった。娘は4番手でバトンを受けて、同順位でのバトン渡し。可もなく、不可もなく、というところである。しかしながら、久々に娘が一生懸命走る姿を見た我々夫婦は、少々ウルウルしていた。その日の夕飯は、外食で、焼肉(上の娘のリクエスト)であった。しっかし、食う、食う。呆れるほどに食う。娘たちよ、君達が普段よく私に言っている、「ダイエットだよ、ダイエット。お父さんも気をつけたほうがいいよ。」というあの言葉はどこへいったのだ!?(苦笑)。

2005年5月4日(水)
●ゴルデンウィークのできごと[EPISODE25]
 ゴールデンウィーク真っ最中の5月4日。天気は快晴である。朝から、娘たちに「どこか行きたいよ〜。」とせつかれて、家内と相談して決定したのが、千葉にある動物公園である。我が家のペットであるラックも引き連れていざ出発!葛西駅→西船橋駅(東京メトロ東西線),西船橋駅→千葉駅(JR総武線),千葉駅→動物公園駅(千葉市モノレール)、という経路を経て動物公園駅に降り立った我々であった。下の娘は、駅を出たとたん、はしゃぎにはしゃいでいる。気合い十分で、撮影した写真が右写真である。
 ところが、ここで、予定外の事態が勃発。この動物公園・遊園地は、ペット持ち込み不可だったのである。公園入場口の前には、でかでかと、”ペットを連れての入園はお断り申し上げます”の看板。この看板を見て、下の娘の顔は硬直し、家内の、「仕方ないね〜、別なとこ行こう。」という言葉に、とうとう泣き出してしまったのである。「しょうがないじゃん。また今度来ようよ。」となんとかなだめて、動物公園を後にした我々は、千葉モノレールの駅名の中に、”千葉公園”という文字を発見。ここならラックがいても大丈夫そうなので、一抹の不安を感じながらも、再びモノレールに乗車して千葉公園駅へ向かったのであった。さて、千葉公園駅到着。駅を出て、公園入り口の看板が目に入った。遠目ではあったが、犬の絵らしきものに×印がついている。僕たちは、「え〜、マジで〜。またかよ〜。」という感覚におそわれながら、恐る恐る看板へと近づくと、”ペットは、ちゃんとつないで歩いて下さい”の添え書きがあり、ほっと胸をなでおろした僕たち。ラックを移動用バックから降ろして、ロープに繋ぎ、堂々と公園内に入っていったのである。公園内には手漕ぎボート(30分、200円/人)があり、ラックを家内に預けて、僕と娘2人は、ボートに乗り込んだが、最初ボートを漕いでいた僕に、下の娘が、「私も漕ぎたい!」発言。漕ぎ方を5分ほどレクチャーしたら、「楽すい〜、楽すい〜」と言って、結局、30分のうち20分ほど、この娘が漕いでいた。「泣いたカラスがもう笑った〜。」とからかいたい僕であったが、また一悶着あると困るのでグッとこらえたのである。

2005年3月19日(土)
●高校の同級生との飲み会[EPISODE24]
 土曜日、高校時代の友達ADTと新橋で飲んだ。いつものように、この人物について紹介しておこう。このADT君は、高校時代のあだ名を”ウニ”と言った。頭髪がイガグリであったためである。といっても、高校が長髪を禁止していたわけでもなければ、この男が体育会系の部に属していたわけでもない。ただ単に、頭を洗うのがめんどくさい、という理由にほかならないと、周りの友達は思っていた。この男、国立大学科学系学科を卒業後、石油会社に就職し、海外勤務も経験するのだが、何を思ったか、35歳!?にして薬剤師を目指し大学へ編入し、国家試験をクリアして、今は、今市市で薬局に勤務するという変り種である。二十数年前大学に入学した頃、彼が寮の歓迎コンパで、「もう飲めない!」と言って、自分の部屋にカギをかけて閉じこもったのを、私は今でも覚えている。
 さて、彼が今市市から僕にメールを送ってきて、新橋駅SL前での待ち合わせ時間としたのは19:00。当然のことながら、私は10分ほど前に新橋駅に着いて待っていた。ところが、そこへ彼からのメール。”19:30頃になるかもしれない。”と。しかたね〜な〜、と思い、暇をつぶそうと近くのパチンコ屋へ。すると、そこにまた彼からのメール。”19:40くらいになるかもしれない・・・。”いちいちうっせ〜な〜と、彼に、”はい、はい。”とメール返信。その後、パチンコで1万円を使ってしまった僕は、久しぶりに会ったADTに、「おめ〜が早く来ね〜から、1万円も使っちゃったじゃね〜かよっ!」との第一声を浴びせ掛けたのである。
 そして二人は近くの居酒屋へと入り、それぞれの今、や、高校の時の友達が今何をしているかなどで盛り上がったのである。盛り上がりは、居酒屋では収束せず、最終的にはカラオケへ。ここで午前5:00まで歌いつづけた二人であった。久々に、バカみたいに飲んだし歌った、という感じである。新橋駅始発で自宅へと戻ってきた僕は、その日の午後2:00まで爆睡。上さんが、「歳を考えなさいよ〜、ったく〜。」とあきれていたのは言うまでも無い。
 高校時代の友人諸君!、ここにADTのふてぶてしい写真を掲載しておいた。4月から個人情報保護法案が施行されるが、この写真、本人の了解を得ているため心配ご無用である(笑)。ADT!我が掲示板への感想を待っている。

2005年1月28日(金)
●水戸の帰り[EPISODE23]
 今日は、出張で水戸へ行って来た。出張のメンバーは、私の他、TS君とYD君である。TS君は、自宅マンションにメダカを飼い、その飼育に没頭しているという40代の独身男であり、YD君は、EPISODE1に登場した人物である(人物説明省略)。
 仕事先での打ち合わせが17:00に終了。タクシーに乗り込んで水戸駅に着いたのが17:20。なんとか上野行き17:25のスーパーひたちに間に合いそうだ。我々3人、駅構内を走りに走った。往復切符を購入していたので、みどりの窓口や券売機に行くことなくホームへ。ちょうどスーパーひたちが到着していた。自由席車両のデッキに乗り込んだ僕達、ギリギリセーフだ!我々3人、ニンマリである。ところが・・・・、定刻というのに電車が発車しないのである。車内放送が入った。「先ほど、水戸・赤塚間で人身事故が発生いたしました。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、当電車は、現在、発車を見合わせております。」というものである。我々、「え〜っ!?なんだよ〜。」という感じであったが、あせっても仕方がないので、ホームの売店で缶ビールとつまみを買って、車両デッキでのミニチュア宴会を始めたのである。しかし、電車はいつまで経っても動く気配を見せない。定刻から1時間が過ぎた。3人の缶ビールはすでに空いている。YD君が、「第2段行きま〜す。」と言って、売店へとダッシュし、缶ビールを買ってきた。さすがだ!若さがなせることである。そして時刻は18:50。ようやく電車が発車するとの放送があった。ところが、なんとこのスーパーひたち、上野までノンストップでいくのではなく(※本来、スーパーひたちは、水戸〜上野間ノンストップなのです。)、要所要所に停車するというフレッシュひたち状態になるというではないか。そのとたん、ホームで次のフレッシュひたちを待っていた人々が雪崩のように乗り込んできた。この、にせスーパーひたちは、乗車率200%にもなろうかという混雑をきわめたのである。車両の通路もデッキも満杯である。ここで、YD君が一言。「トイレいきたい(苦)・・・」しかし、である。我々がいるデッキの1輌向こうがトイレのある場所なのだ。そう、この人込みをかき分けていくしか方法がない。我慢が究極に達したYD君は、突入決行。YD君の「すみません。」・・・「すみません。」という声が遠のいていく。15分くらいして戻ってきたYD君の顔には、安堵と疲労がうかがえる。そして、TS君と私にも尿意はやってきた(苦)。しかし、若さから遠のいている我々2人に、この人込みを掻き分ける勇気はない。そこで、次の停車駅までなんとかこらえ、停車したとたんにドアから飛び降り、ホームをダッシュし、トイレのあるデッキに飛び込んだのである。デッキの人込を掻き分けトイレ到着。まずはTS君から、・・・・・長い・・・・1分経過・・・・長い・・・2分経過、やっとトイレから出てきたTS君。僕は限界である。トイレのドアですれちがうような状態で、僕はトイレに駆け込んだ。用を足してスッキリした僕は、「仕方ね〜か〜。」という感じで、車輌通路の人込を掻き分け、もとのデッキに戻ったのであるが、そこにTS君の姿はなかった。そう、TS君は、また次の停車駅でホームをダッシュしたのである。
 電車は20:15頃に上野到着。やれやれ、である。それにしても、次の日スキーにいくため、午前2時半には家を出なくてはならない、と言ったTS君。年寄りなんだか若いんだか、僕にはよくわからない(笑)。

2005年1月16日(日)
●Nちゃんへ[EPISODE22]
 Nちゃん、お待たせ!といっても読者の皆様方は何のことやらわからないと思いますので、経緯を少々説明させていただきます。
 それは、ある1通のメールから始まるのです。

=メール文から抜粋=
三重県 つっしー、滋賀県 おおつっしー・・・by N。

 なんとすばらしいダジャレ、と返信した僕としては、そこに沸沸と負けず嫌いの闘志が湧いてきたのであります。
 Nちゃん、観てますか〜。
それでは、おじちゃんのダジャレ返〜し(笑)
・北海道 しべつっし〜
・北海道 えべつっし〜
・青森県 むつっし〜
・千葉県 きみつっし〜
・静岡県 はままつっし〜
・石川県 こまつっし〜
・大阪府 せっつっし〜
・佐賀県 からつっし〜
 どうじゃ!
 でもって、一応、Nちゃんのお勉強のために、それぞれの市がどこにあるのか日本地図上に表してみました。ちなみに、”津”っていう字がつく市は、たいがい海のそばや湖のそばにあります。おもしろいでしょ。
 それでは、また画期的なメールをお待ちしております。では、では。

2005年1月14(金)
●友人との新年会[EPISODE21]
 今日は、大学時代の友人との新年会。メンバーは、K、TS、TY、僕、の4人である。ここで、各友人の特徴等を書いておかねばなるまい。
 K:今回の新年会の幹事。いつまで経っても大学時代とその様相を変えない不思議な男である。
 TS:この男については割愛する。このページの”EPISODE12”を読んでいただくのみである。
 TY:大学時代、研究室が”土質力学”という、非常にマイナーな研究にいそしんでいた男である。今、TYの頭髪は、大学時代のような活気はない。
 さて、新年会の場所は新宿であった。集合場所は新宿駅東口。僕は集合時間5分前に到着したのであるが、そこにはまだ友人達の姿はなかった。幹事までも居ないのだ。Kの携帯に電話すると、「もう少しでそこに着く。」とのこと。この男に幹事の自覚はない。Kが着いてから、TSとTYは遅れて参加ということがわかったので、Kと僕は一足先に店へと向かうことにした。そこでKがこうのたまった。「店は予約してないんだよね〜。」。今日は金曜日、ふら〜っと4人で店に入って、すぐに飲み食いできるという可能性は非常に低い、といえる。なのに予約をしていないK、こののんびり感は恐るべしである。なんとか、駅近くの飲食店ビルのとある店に席をゲットしたが、2人で普通、3人は窮屈、4人はおしくらまんじゅう、というような座席の様相(カウンターのような席なのだ)である。
 Kと僕とで飲み始めてほどなくして、店の場所を聞いたTSとTYが到着。案の定、おしくらまんじゅう状態で、じっくり腰を据えて飲む雰囲気ではなくなった。なもんで、20分ほどしてその店を後にした我々4人は、次の店探しのために、15分ほど新宿駅周辺を徘徊することとなったのである。次の店が確保できたのも、偶然、それまで居たグループ客が宴会を終えたからで、それがなかったら、あとどれくらい徘徊したことか・・・・。
 とにもかくにも本格的に始まった新年会、苦労(!?)したあとの飲み会であったためか、新年会は異様な盛り上がりをみせたのである。
 註)我々4人、ちゃんとその日の電車で帰宅です。いい大人ですから(笑)。

2005年1月7日(金)
●1960年代生まれの新年会[EPISODE20]
 M氏、K氏、お待たせした。今年とっぱじめのエピソードは、我々の新年会の話である。
 急遽決まった新年会であり、場所は新宿西口付近某所である。M氏の紹介してくれた店はなかなか雰囲気がいい。老若男女ござれ、というような雰囲気を醸し出している。着いたテーブル脇の壁には、有名であろう焼酎のリストがズラリと並べられていた。
 「明けましておめでとうございま〜す。」と乾杯し、おいしい料理に舌鼓を打ちながら、宴会は盛り上がりをみせていった。年末のK-1やPRIDEの話に始まり、話は1980年代の新日本プロレス(代表はアントニオ猪木)と全日本プロレス(代表はジャイアント馬場)の話へ突入。これが盛り上がる盛り上がる。そして、話は、アニメの話題に・・・、ここで書いておかなければいけないのは、我々3人、生まれも育ちも、その土地を異にしながらも、1960年代生まれということである、・・・なもんで、物心ついたときのアニメは3人が共有していると言っても過言ではない。”巨人の星”,”宇宙戦艦ヤマト(※もちろん最初のやつ)”,”赤き血のイレブン”等々で、「こういう場面憶えてる!?」「知ってる、知ってる。」という話で異様な盛り上がりをみせるのだ。酒の酔いも手伝って、まるで、自分がその当時に戻って、友達と昨日のテレビの話題でバカ笑いしているような錯覚に陥るようである。
 我々3人は、その勢いのまま、二次会へと突入!
 しかし、・・・・。私の記憶は、そこでプッツリととだえるのである。帰るときタクシーに乗り、葛西駅に着いて帰宅したことは鮮明に憶えているのだが、二次会の記憶はまったくといっていいほど無い。M氏、K氏、私に二次会の話を振っても無駄というものである。僕は、間違いなく、「記憶にございません。」と、かの有名な○ッキ−ド事件の証人のように繰り返すしか、その術を知らないからである。

2004年12月29日(水)
●雪[EPISODE19]
 2004年12月29日、東京に雪が降った。たぶん、初雪である。八戸に生まれ育った私としては、特に珍しいことではないのだが、”東京で”というのがポイントなのだ。東京に来て3年になるが、これだけ降ったのは初めてである。ボタン雪といえる降雪であり、思わずベランダに出て、その雪降る光景をデジカメで撮影してしまった。
 子供達は大喜びである。下の娘なんて、「雪だるまつくるぞ〜、雪だるま〜。」と叫んでいる。「雪だるまつくるほど降らないし、積もらないと思うけど。」と言ったのであるが、その言葉を聞くか聞かないうちに、娘達は外へと飛び出して行ったのである。それにしても、である。案外、降ったし、積もった。外から戻ってきた娘達曰く、「雪だるまつくれたよ〜ん。おとうさん、ウソつき〜」。もうそこに父親の威厳は皆無である。「フンっ。」と返すしかない自分が悲しい。ニュースによると、東京にこれだけ雪が降ったのは、20年位ぶりらしい。
 電車の人身事故はニュースにならないのに、雪が降るとニュースになる東京。当然、東北地方はその逆である。ある意味、カルチャーショックといえよう。

2004年12月26日(日)
●世界の中心で愛をさけぶ[EPISODE18]
 「世界の中心で愛をさけぶ」、略して「セカチュー」と言うらしい。今年話題になった映画が、DVDとなってレンタルビデオ屋に新作として並んでいたので、これは観ておかねばなるまい、と思い借りてきた。”冬のソナタ”の次は”セカチュー”かよ!っていうような家族の視線が背中に突き刺さるようである。でもいいのだ。僕は、家族の中のナルシストとして君臨しているのである。
 さて、この”セカチュー”、感動モノである。不覚にも、僕は涙してしまった。主人公の少女が、空港で倒れてしまった(彼女は白血病なのだ)場面で、ぐっと涙があふれてきた。彼女を支える男子学生の助けを請う叫びも泣かせる。幸いにも、このDVDは一人で鑑賞していたため、家族に涙を見せるという光景は免れた。観終わった後、娘に、「どうだった?セカチュー。」と感想を求められたが、「まあまあってとこじゃないの。」と、努めて平静を装っていたのは言うまでもない。
 それにしても、です。この映画、本当に良かった。話題になるだけある、と思ってしまった。皆様にもオススメである。観ていない人は、是非!感受性豊かな方は、近くにティッシュペーパーを準備したほうが良かろう。5,6枚はティッシュを使うこと、請け合いである。

2004年12月11日(土)
●技術士第二次試験 口頭試験[EPISODE16]
 今日は、技術士総合技術監理部門(略して「総監」という)口頭試験の日である。10:00起床。試験開始予定時刻は17:00(おっせ〜)、場所は渋谷道玄坂のフォーラムエイトである。
 とりあえず、口頭試験の自作予想問題回答集に目を通し、14:50自宅出発。東西線葛西駅出発15:00、日本橋駅で銀座線に乗り換えて、渋谷駅着が15:50分であった。駅の北口(ハチ公前です)に出る予定が、なぜか南口へ出てしまい、グルリと回って北口へ、そして、人で賑わう道玄坂を歩いて、会場の”フォーラムエイト新大宗ビル1号館”に着いたのが16:00であった。エレベーターに乗って受付の7階774号室前に行くと、そこには、たぶん大学生アルバイトであろうおねーちゃんたちが、長テーブルのところで何やらおしゃべりしている。テーブルの前へと進み出た僕は、筆記試験合格通知書を差し出したのであった。すると、一人のおねーちゃんが出席表みたいな紙にチェックした後、「10階の1000号室でお待ちください。」とのたまった。言われたとおりエレベーターで10階に向かい、待合室到着。口頭試験を待っている人が10人ほど居たであろうか。部屋の前方へ目を向けると、会社の同僚であるU君が居た。後姿ではあったが髪型でそれとわかるのである(注:髪が薄いというわけではない)。彼は16:30からの面接予定だ。U君の方へと歩いて行って、いきなり横へドカっと座る僕。U君、ちょっとビックリの様子であったが、挨拶を交わした後、U君の手元を見ると口頭試験予想問題のペーパーがあった。僕も何かしなきゃ(本当は、何もやるつもりはなかったのだが)、と思って、自分も口頭試験予想問題をカバンから取り出して机の上へと置いて眺めた。しかし、ほとんど頭の中に入ってこないのがわかる(緊張!?)。そして、16:30、「受験番号○○番 U様」という女の子の声が背後から聞こえた。U君、「はいっ」と返事をして席を立つ。非常に気合の入った返事である。これから戦場に向かう若武者のようだ。「それじゃ、行きます。」という彼に、「がんばれ!」と声を掛けながら後ろを振り向くと2,3人しかいなかった。僕は、ゴソゴソと予想問題をカバンにしまい込み、「あ〜、あと30分か〜。」とつぶやいた。時間は刻々と過ぎていく。
 そして、16:45、「受験番号○○番 對馬光伸様〜」の声が・・・・・・・。にゃにお〜!?まだ16:45だぞ〜。俺、17:00からじゃね〜の!?と思いながら、「はいっ!」と返事をして女の子のほうへ。女の子から「こちらへどうぞ。」と言われて待合室を出て、エレベーターの前へ。エレベーターの前に女の子と僕、というシチュエーションである。僕は女の子に、「ちょっと早いよね〜。」と声を掛けると、「ええ、ちょっと早いですね〜、エヘッ(笑)」と返してきた。エヘッじゃねえよ、エヘッじゃ、と思いながら12階へ。エレベーターを降りてすぐ右斜め前の部屋が試験室らしい。女の子に、ドアの前で、「ここです。」と言われてドアを指し示された。
 さ〜て、いざ、本番である。頭の中には、受験番号がうずまいている。出足の言葉(「受験番号○○番 對馬光伸です。」)だけはつまづかないように、という必死さである。トントンとドアをノック。中から、「どうぞお入りください。」という小さな声が聞こえた。ドアを開けて、「失礼します。」と言い、部屋の中へ入り込む僕。中には、50歳台の小太りの試験官(拉致問題の横田滋さんに似てたなあ)と40歳台であろう長身細身で眼鏡をかけた試験官の二人が長テーブルに座っていた。僕は、カバンとコートを椅子(荷物置き用の椅子があるのだ)に置き、その横の椅子の脇に立って、「受験番号○○番、對馬光伸でございます。よろしくお願いします。」と、声高らかに口頭試験開始ののろしをあげたのである。
 ここからは、口頭試験内容であるが、守秘義務的なところがあるので、トピックだけを記します。

 トピック1:筆記試験の時の経験論文について聞かれた。
 トピック2:経験論文の回答内容から、情報管理について聞かれた。
 トピック3:マネジメントについて、しつこく追求された。(おめ〜、何聞きてーんだよっていう心境に陥った)
 トピック4:経歴の中のキーワード的項目について聞かれた。
 トピック5:倫理について聞かれた。

 試験終了時刻17:15、正味25分といったところであろうか。手ごたえがあったような無いような複雑な気分で、フォーラムエイトをあとにした僕であった。特に寄り道もせずに渋谷駅へと向かい、銀座線に乗って家路についた僕。すると、停車駅で止まるたびに、携帯へU君からの電話が。とりあえず電話に出るのだが、すぐに電車が出発するので、会話が成立しないのである。乗換駅の日本橋のホームでU君に電話をして、ようやく会話成立。「どうでした?」とU君が聞くので、「つっこまれたよ〜、で、U君は?」と言うと、「つっこまれもせずに淡々と、という感じです。」とのこと。何だ、この差は!?と思いつつ、電話を終えて東西線に乗り換えて、帰宅したのが18:30であった。晩御飯はマグロの刺身。おっ、上さん、奮発したじゃん、と気遣いに感謝しながら10日ぶりのビールを口にして、「冬のソナタ」に観入る僕なのであった。
 兎にも角にも試験終〜了〜。人事を尽くして天命を待つ、というか、まな板の上の鯉、というか、あとは待つのみという感じです。さあ、月曜日は上さんの誕生日、何プレゼント買おうかな〜、と、早くも別なほうに頭がいっている僕なのであります(笑)。

2004年10月11日(月)
●技術士第一次試験監督員[EPISODE15]
 今日は体育の日、祭日であったが、かねてより技術士第一次試験の主任監督員を技術士会より依頼されていたため、午前9:30に早稲田大学へ。休日にスーツを着用するのは久しぶりである。身の引き締まる思いだ(な〜んちゃって)。試験本部へ行き名前と担当教室を告げると”主任試験監督員”というネームプレートを渡された。僕を補助してくれる試験監督員も決められていて、早稲田の女子大生であった。商学部らしい。兎にも角にも試験問題と答案の書類を持って担当試験室へ。時刻は11:00。40名ほどの教室である。教室に入ったとたん、受験生達の視線が突き刺さる。「そんなに見んじゃね〜よ。」と思いながら、淡々と職務をこなす僕と補助の子。11:30、適正科目の試験開始!1時間で終了し、昼休みをはさんで13:30から2時間にわたって専門科目試験、16:00から1時間の基礎科目試験にて試験終了をむかえた。エピソードはここからである。各教室の主任試験監督員・試験監督員が試験本部に一同に会し、ごくろうさまでしたと解散しようとした時である。本部員が、「○○号館□□教室の受験者写真票(各受験者の証明写真が添付され、試験の出・欠が記入されたもの)がないのですが。」と告げた。その受け持ちの主任試験監督員は、「答案用紙入れの箱に入れて、本部員に渡した。」と言う。これが間違いである。そもそも、その箱は、試験が終わったら廃棄にすることが説明されており、間違っても箱の中に写真票を入れてはいけないのである。そこに居た誰しもが、「なんてことを〜。」と思ったのは間違いない。見ると、箱は次々と解体され、その中にあったであろう不要物は、ダンボールに投げ込まれ、ご丁寧にガムテープが巻かれ山積み状態だ。僕は、先の主任試験監督員の言葉で、解体作業等にあたっていた学生バイトが一瞬硬直したのを見逃さなかった。次の瞬間、そのバイト達は、不要物ダンボールのガムテープを引き剥がし始めた。必死である。僕たちも必死だ!「がんばれ〜。」と心の中で大応援である。帰宅時間が彼らの手にかかっているのだ。そして15分ほど経ったろうか、ある男子学生が、「あった〜!!!」と言って、封筒を高々と上げたのである。周りは「お〜っ!」っと言って拍手喝采である。本部員たちの顔も緩んだ。やっと解散をすることができ、各人家路についたのである。やれやれ・・・・。

2004年8月7日(土)
●技術士試験[EPISODE14]
 最悪の日であった。試験はだめだったし、そのあとがまた・・・。
今日は、技術士試験の日。自宅を11:30に出発し、葛西駅発11:44発、早稲田駅着12:10。試験会場は早稲田大学だったのだが、早稲田駅は、これから同じ試験を受けるであろう人たちであふれていた。この人たちについて行けば試験会場だろう、と思いついていったら、”ビンゴ!”という感じで早稲田大学到着。大隈重信の銅像を横目に試験会場へ。午後1時試験開始。問題用紙を開いて、まずは経験論文に手をつけた。「よしよし。」という感じで、30分後に論文終了。次に択一問題のマークシート40問。迷う問題がありながらも、とりあえず30分くらいで終了。残りは選択論文である。これが最悪だった。予想してたのとはぜんぜん違う。残り時間は2時間30分ほどあったが、どのように論文を構成するか自体が浮かばない。どうしようか、と考えているうちに刻々と時間は過ぎていき、残り2時間。なんとか書き始めるものの頭の中はパニックである。書いては消し、書いては消し、の繰り返し。残り30分になると、さすがに焦りの極値である。もう、とにかく埋めなきゃ、という状態である。試験管が、「試験終了!」という時には、全体の60%を埋めたかどうかの状態だった。最悪である。「今年はだめだ〜。」という思いで、とぼとぼと試験会場をあとにし、早稲田駅へ。がっくり落ち込みながら電車に揺られ葛西駅に着いたのが17:30。ここで、事件は起こった。財布(札入れ)が無いのだ(ズボンの後ろポケットに入れていた)。どこを探してもない!早稲田駅では、小銭入れで切符を購入したので、その時点で札入れがあったのかは定かではないが、「もしかして、試験会場!?」ということで、再び早稲田へトンボ帰り。「おお〜っ。」と思わず声を出してしまった。門が閉まっている。ふと見ると、門扉のすぐ近くに守衛室があった。門扉ごしに、守衛のお兄さんに、「すみませ〜ん。」と声をかけ、試験会場に財布を落としたかもしれない旨を話すと、親切にも試験の本部に連絡をとってくれた。5分ぐらいして、技術士会の試験本部の人がやって来た。その手には、まぎれもなく僕の財布が握られている。本部の人は、ニヤニヤ笑いながら、「良かったですね。」と言って財布を手渡してくれた。とりあえず、最悪の事態はまぬがれた、と思いながら再び葛西へと戻ってきた僕。「あ〜あ、また来年も試験か〜(悲)」と思いながら家路についたのであった。当然、家に帰ってからやけ酒で〜す。

2004年6月6日(日)
●聖火ランナー応援[EPISODE15]
 明日から新社屋への通勤。雨の中、娘二人を引き連れて、電車の定期券を買うために日本橋へと向かった。葛西駅を11:00頃に発ち、日本橋駅に着いたのが11:30頃。6ヶ月定期券を買い入れたあと、三越にでも行こうか、ということになり、地下鉄出入口を出ると、そこには見知らぬおじさんが、「聖火ランナーがこの通りを走るので、この旗をもって応援してもらえませんか!?」と声をかけてきた。あたりを見渡すと、雨の中、同じように旗を渡されたであろう方々が、沿道に立ち並んでいる。そのおじさんに、「すぐ来るの?」と聞くと、「もうすぐ来るはずですから。」と言って、また別の人に旗を配り始めた。時刻は11:50である。すぐ来るならいいか、と沿道に立っていたが、待てど暮らせどランナーの来る気配がない。すでに、時刻は12:20になっている。娘たちに、「来そうもないから、もう行こっか!?」と言うと、「せっかくだから観ていく。」と言う。その時である。ランナーの先導車らしきものが目の前を通り過ぎ、「聖火ランナーの鈴木大地さんが通りま〜す。」と言うではないか。それから10分ほどが経過し、テレビでしか観たことのない鈴木大地が、聖火を持って1m目の前を通過して行った。たまたまデジカメを持っていた僕が、この瞬間を撮影しないわけがなく、このとき撮った写真がここに掲載したものである。ラッキーな一日だったといえよう。娘たちも大喜びである。ただ、娘が携帯電話で撮った写真が、僕のよりもよく撮れていたのはくやしかったなあ。

2004年5月15日(土)
●ある土曜日のできごと[EPISODE14]
 今日は土曜日、休日。前の日の深酒が祟り、起床10:30AMであった。当たり前といえば当たり前の二日酔い、頭の中で半鐘が鳴っているような状態である。しかしながら、娘たちと遊びたいという気持ちで、ベッドから起き上がり、リビングへ。「また二日酔いだ〜。」というような家族の視線を痛く感じながらも、「さ〜て、今日のご予定は?」とご機嫌伺いする僕。家族の反応、無視である。これは、非常にヤバイ光景と言わねばなるまい。そこで妻がナイスフォロー。「この子たち、どこか買い物にでも行きたいみたいよ。」と。「あっ、そう。でも、しばらくプレイステイション(テレビゲームです。)やってないじゃん。おとうさん、やりたいんだけど。」と言ったら、下の娘が食いついた。「やりた〜い。」しめしめ、である。頭が痛くて外に出たくないのだ。妻と上の娘は、「こんなに天気いいのに・・・。」と言いつつ外出。僕と下の娘は、いそいそとゲームの準備にとりかかり、”電車でGO”というゲームを始めたのである。知る人ぞ知る、というゲームであるが、要は、自分があたかも電車の運転手になったような感覚で、ある鉄道路線を、通過時間・停止位置・着時刻に配慮しつつ電車を運転するゲームである。このゲーム、下の娘は得意としているのだが、まだまだ僕には及ばない。だが、本気を出して、すべて娘に勝ってしまうというのも大人気ない。このサジ加減が非常に難しいのである。勝ち続けると、娘はやる気をなくして「もう、やらない!」と言うであろうことは先刻ご承知なのである。そこで、あるタイミングで、わざと失敗するのだ。これが、わざとらしくてはいけない。わざと失敗したことがわかると、これはこれで面倒なのだ!兎にも角にも熱戦は2時間におよび、下の娘は勝利し、今日の晩御飯のあとのデザート”スイカ”をゲットしたのである。言っておくが、僕は負けず嫌いである。娘納得の上で勝利する日を待ちわびているのだ。その時は、逆の立場だったりして・・・。

2004年2月22日(日)
●満員電車[EPISODE13]
 今回は、通勤電車でのできごとである。僕が通勤に利用しているのは営団地下鉄東西線と都営浅草線そして京浜急行線であるが、その中でも、特に満員の度合いが高い東西線でのできごとについて書いてみる。
◇ある朝の光景(7:40頃葛西駅発)
 この時間帯の電車はすさまじいラッシュである。葛西駅で乗り込んで、ほぼ満員状態なのであるが、次の西葛西駅では、これでもかというほどの人数が乗り込んできて、扉の外側からは駅員が押し込むという光景が繰り広げられる。そうなるともう身動きひとつできない状態となり、あとは電車の揺れに身をまかせるのみである。
 そんなある日、ギュウギュウ詰めのある一角に女子高生3〜4人がいて、何やら黄色い声で会話していた。何とはなしに耳に入ってきてしまう。「ね〜ね〜、フラミンゴの法則ってどういうやつだったっけ?」「あ〜、それって右手左手があるやつでしょ。」「そうそう、それそれ!知ってんじゃ〜ん。」僕は、???である。おめーら、それってフレミングだろっ!な〜にが、”知ってんじゃ〜ん”なんだよっと思いつつあきれてしまった。周りも聞こえているのか心なしか顔がにやけている。彼女らは茅場町駅にて下車していったが、日本の将来にほんの少し不安を感じてしまうできごとであった。
◇ある終電の光景(24:00頃日本橋駅発)
 会社の仕事が長引いて終電に乗ることとなった日の電車内の光景である。まず、酒臭い。そして騒がしく身動きができない。その日は目の前に50代であろうオヤジたち2人がいて、酔っ払ってデロリンコ状態らしく大声で会話している。二人とも、ろれつはほとんど回っていない、と言っていい。「だ〜か〜ら〜ね〜、俺は一生懸命やってきたわけよ。わかるよね〜、なっ、わかるよね〜。」「わかるよ〜。あんたはエライ!あんたあっての俺だからよ〜。」「そ〜だろ〜。うん、そうだ!でねっ、一生懸命やってきた俺がここにいるわけよ。わかる〜!?」「わかるわかる。ほんっとにわかるよ〜。」
 この内容の会話が、酒臭い息を吐き出しながらエンドレスで続くのである。隣にいた女性は、しかめっ面をして、嫌悪感をあらわにしている。遠くの方では、足を踏んだ踏まないで、ちょっとしたいざこざが起きていた。そして僕は、葛西駅で下車したのであるが、思わず深呼吸をしてしまう自分がいた。気を取り直して家路についたのであるが、もう終電には乗りたくないと考えている僕であった。

2004年2月6日(金)
●友人との飲み会[EPISODE12]
 久しぶりに大学時代の友人Tと飲んだ。遅れに遅れた新年会である。若干ながらTを紹介すると、ルックスは、芸能人でいうと”志の輔”もしくは”村上ショージ”というところであろうか。大学時代は、昼間アイビールックでキャンパスとパチンコ屋を闊歩し、夜はホテルレストランのウェイターとしてバイトしていたパワフル男である。
 この日、僕は、茨城県古河のほうに出張で、待ち合わせの葛西駅に到着したのは20:20であった。約束の時間は20:00であったが、待ちきれないのか、Tは「近くのパチンコ屋でパチンコしてるから、そのパチンコ屋の中のゴルゴ13の台のとこまで来て!」と東西線車中の僕に、携帯電話で告げていた。「ったく〜。」と思いつつ、そのパチンコ屋に到着し、中でTを発見した時、僕の目は点になった。ドル箱が4つほど積み上げられている。2万円はゲットしているはずである。たかだか2,30分の間に2万円を稼ぎ出す男T、恐るべしである。そういえば、大学の時にも、この男がパチンコで負けた姿をあまり見たことがないなあ、と思い出しながらも、「早くしろよ〜!」と言ってパチンコを止めさせ換金させた。飲み会の場所は、そこから歩いて2〜3分の焼肉屋であった。とりあえず中生を注文し、塩タン、カルビ、レバ刺、ホルモン、キムチ等々を頼んだ。どれもこれも、なかなかイケル。今度は、家族で来ようと思う僕であった。Tとの話は、共通の友人の話や家族の話、そして業界の話で盛り上がった。話が盛り上がるとともに食も進む。最初のうちは、ニンニクの匂いが家族に嫌がられるよなあ、などと気にしていた二人も、ジョッキの数が増えていくごとにその気も薄れ、いや、無くなり、お勘定の際は、悪臭を撒き散らかしていたこと間違いない。そして、Tのパチンコの戦利金にて僕がおごっていただいたのも間違いないのである。今度飲むときは俺がおごる、と固く心に決めた僕であったが、その飲み会が開かれるのはかなり先のことであろうことも、これまた間違いないはずである。

2004年1月5日(月)
●子犬のお迎え[EPISODE11]
 今日は、待ちに待った子犬のお迎え日である。仙台に住んでいたときの知り合いからミニチュアダックスフントを譲り受けることとなっており、羽田空港での航空便受け取りとなっていた。自宅最寄駅である葛西駅から11:30に出発。僕と娘2人で出かけたのであるが、行きの電車中、娘たちは、これから家族になる子犬のことで話が盛り上がっている。日本橋駅で乗り換えて、京急羽田空港駅着12:30であった。子犬は全日空便13:05着であり、多少の時間の余裕があったため、とりあえず腹ごしらえしておこうと、羽田空港内”Bird Eye”にて昼食。ここは、離発着の飛行機を見ながら食事ができるという屋上レストラン的雰囲気の場所なのであるが、娘たちは、これから出会う子犬のことで頭が一杯なのか、飛行機よりも時間のほうが気になるらしく、あわただしく昼食を終えた。さて、いよいよ子犬の受け取りである。最初、僕は、空港ターミナルでの受け取りだと思っていたのだが、総合案内所で訊ねると、”西貨物”での受け取りになるという。空港内を循環して走るバスに乗ってターミナルから2つ目のバス停である。西貨物バス停に到着したのが13:30である。いよいよご対面。荷物引き取り場所で身分証明書を提示すると、小さなゲージが運ばれてきた。中にはオドオドした子犬がうずくまっている。娘たちの第一声、「かわいい〜。」であり、もうゲージ内に目は釘付けである。僕も「どれどれ。」と言って「かわうぃ〜うぃ〜」と言いたい気持ちを、父の威厳のために抑えつつ、荷物受け取りの手続きを淡々とこなし、再びターミナルへ戻ったのである。羽田空港駅から葛西駅への戻り道、泉岳寺駅付近通過中の電車内で事件勃発。におう。臭い・・・・?!。そう、子犬がゲージ内で排泄していたのである。乗り換えの日本橋駅で、ゲージを携えトイレへ駆け込み糞の処理をして、無事に葛西駅へとたどり着いたのであるが、泉岳寺〜日本橋の約15分間は、気分ドキドキであった。周りの乗客は、異臭の根源がこのゲージであることに気がついていること間違いないからである。兎にも角にも自宅へと無事到着し、新しい家族となった子犬との新生活は始まることとなった。名前は、家族で話し合った結果、”ラック”となった。単に、下の娘の要望どおりということなのであるが・・・。理由?年末のテレビドラマで”GOOD LUCK”を再放送していて思いついたらしい。アホらしくて反論する気にもならなかった。僕は、”がんじろう(この名前も特に意味は無く、思いつきなのだが)”という名前を推したのだが、秒殺であった。

2003年12月21(日)〜23(火)
●引越し[EPISODE10]
●12月21日(日)
 今日は、東京と仙台の双方で荷物の搬出である。ここでは、蒲田からの、僕の引越しの様子を書こう。僕の引越しは、会社の同僚3人に手伝いをお願いしており、午前10:00に搬出が開始された。一人暮らしで荷物が少なかったというか、ほとんど捨ててしまったので運ぶものがほとんどなかったこともあり、引越し用レンタカーへの積み込みは約30分で終了。首都高を利用して、引越し先の葛西に到着したのが11:00ちょい過ぎだったろうか。新居への運び込みも難なく終了し、同僚たちと昼食を終え(もちろん、僕のおごりである)、あとは、今日搬入予定の家具(ベッド,本棚,キッチンラック)を待つだけである。実は、ベッドは家具屋で組み立ててくれるが、その他は購入者での組み立てとなっており、その組み立ての手伝いを同僚にお願いしていたのである。しかし、待てど暮らせど家具屋が来ない。予定では、13:00〜14:00に来るはずなのだが・・・。そこに、携帯電話へ家具屋から連絡が入り、「遅れて申し訳ありませんが、16:00位になります。」とのこと。当然、「にゃにお〜!」ということになる。不平不満をたらたらと家具屋に言いつつ、同僚に訳を話し、結局、待つことにした。家具屋が来たのは16:20。そこから、家具の組み立て開始である。このエピソード集にちょくちょく登場するNH君。この人物が異様な張り切りようである。非常にてきぱきとキッチンラックや本棚を組み立てていく。見事だ。意外なところに才能を見出したような気がする。まさに大工の棟梁というような雰囲気をかもし出している。組み立て終了が18:00くらいであったが、そのとき、NH君の携帯が鳴った。NH君の奥様からである。「早く帰ってきて!遅いぞっ!」という内容らしい。新婚らしい状況である。あと何年かすると・・・・・。あえて言うまい。「しょうがないなあ。連れが待ってるんで帰ります。」というNH君の誇らしげな後姿に、「がんばれ、ナイスミドル。」と心の中で応援した僕であった。
●12月22日(月)
 仙台から搬出された荷物が葛西に搬入される日である。前日、近くのホテルに宿泊した我々家族は、ホテルを8:00に出発し、8:15には新居に到着。予定通りの9:00に運送業者がやってきて荷物の搬入を開始した。そこで問題が起きた。冷蔵庫が大きすぎて、階段を通過できないかもしれないとのことである(新居のつくりが独特で、2Fが居間なのである。)。その場合、2Fから吊り上げるしかないということであったが、冷蔵庫の寸法と階段の寸法を測ると非常にビミョ〜である。もしかしたらもしかするかも、ということで、運送業者が階段からの搬入にトライしてみるという。そして、冷蔵庫の搬入が開始された。運送会社の4人による社の命運をかけたような搬入である。4人のチームワークよろしく、徐々に徐々に冷蔵庫が階段を上ってくる。「そっち上げて!」「そっち下げて!」と言いながらも徐々に徐々に・・・。そして、ついに、冷蔵庫は2Fに到達。拍手喝采である。プロ根性を垣間見た気がした。そして、13:00過ぎに搬入完了。そのあと、できる限りのダンボールを開封し、ぐったりつかれた状態で近所の焼き肉屋に行って思う存分焼き肉を堪能し、新居1日目の眠りについたのであった。
●12月23日(火)
 朝目覚めて「やばいっ!」と思った。体が重い。間違いなく筋肉痛である。日ごろの運動不足を思い知ることと相成った。娘たちは何ともないようである。歳を思い知ることにも相成った。今日は、昨日のつづきで、ダンボール開封と収納である。ダンボールを開けていくたび、僕は驚いた。見たことも無い食器やら鍋やらが出てくる出てくる。「こんなのあったっけ!?買ったの?」と妻に聞くと、「私もとっておいたの忘れてたんだよね〜。押入れの中から使ってないのがいっぱい出てきちゃった。はっはっは。」と言う。おとぼけ甚だしい。この食器たちは、その存在を忘れられ、10年以上も押入れの中で眠っていたのだろう。あきれはてて何も言えなかった。
 兎にも角にも、なんとか家の中の形ができてきた。明日は、クリスマス・イブである。まずは、落ち着いたイブが過ごせそうだ。倦怠感を感じながらも眠りについた僕であった。

2003年12月12日(金)
●単身赴任最後の仙台[EPISODE9]
 東京駅発16:56、仙台駅着18:37のはやて23号で仙台駅に到着し、東北支社在任中、非常にお世話になった方であり、大先輩のJさんと駅裏の和風料理店で飲み交わした。話題は、僕が入社した当時のことからいろいろと盛り上がったのであるが、そのいろいろなできごとが、まるで昨日のことのように思い出され、時折、涙が出そうなほど感激するとともに、「ああ、この方とはず〜っと交流をもっていたい。」と思った。「東京行ってもがんばれよ!」というJさんの暖かい言葉とともに、その店の飲み代を払っていただき、仙台駅で別れたのであるが、さて、次は後輩K君との飲み会である。場所は国分町(仙台で有名な飲み屋街)。ここでは異様な盛り上がりをみせた。私ではない。K君である。店の女の子に対して、いつになくK君は饒舌だ!38歳にして独身という危機感がそうさせるのであろうか。僕は間違いなく引いた。そして、そのK君、いつの間にか目当ての女の子を連れて店を出て行ってしまったのである。1人取り残された僕は、K君の成功を想い、小一時間ほど感慨深く酒を飲み、午前2時頃帰宅したのである。
 そして次の日(というかその日なのであるが)、ものすごい二日酔いに襲われたことは言うまでも無く、家内に冷たい目でみられたのも言うまでも無い。


2003年12月2日(火)
●引越し準備2[EPISODE8]
 今日、妻から携帯にメールが入った。”リサイクルできると思ってたものをリサイクルショップの人に見てもらったら、引き取れないって言われた。”と。折り返し妻に、”それじゃ、処分するしかないので、引越し業者に持っていってもらおう。”と返信した。
 それにしても、である。そのリサイクルショップのタウンページでの謳い文句は、”何でも買います!リサイクルにご協力を!」なのだ。な〜にが、何でも買いますだ、という思いで、何故引き取れないのかを、そのリサイクルショップに電話してみた。すると、回答は、「普段なら買い取るのですが、今は多忙な時期で、お客様の出されたものは季節はずれのものが多いので・・・。」である。確かに、私の出したものの大半はキャンプ用品(パラソル・折りたたみテーブル・ストーブ・シュラフ・折りたたみチェア等々)であるが、季節はずれと言われるとは予想だにしていなかった。もの自体は2〜3回しか使っていないので新品同様である。こっちには多分にいじわるじいさんの素養があるので、「じゃあ、何でも買いますじゃないじゃん!?」と言うと、「・・・。それじゃあもう一度お伺いして引き取りましょうか?」とこうきた。ここで、お願いします、と言えばなんということもないのだが、すでに私の頭の中は、”うるせー、このやろ。いまさらフォローしても遅いんだよ!”という感じだったので、「いや、結構です。もう引越し業者に処分してもらうことになっているので。」と答えたのである。大人気ないといえば大人気ないが、その時のリサイクルショップの電話相手の話し方が、いかにも引き取ってやるぜ、という雰囲気をかもし出していたのも、そう答えさせた一要因かもしれない。
 さて、あと20日くらいで引越しである。その間に、”それなら、パラソル欲しい!”とか考えている読者の皆さん、ご一報お待ちしております。
 

2003年11月30日(日)
●引越し準備[EPISODE7]
 今週末は仙台に帰った。家の中は、いたるところダンボール状態である。すかさず、思った。「恐るべし、我が女房。」と。これが、男と女の違いなのであろうか。私は、引越が来月末ということで、まだまだ、と思う。しかしながら、我が妻は、この行動を見る限り、今やらなきゃ間に合わない、という雰囲気をかもし出す。その雰囲気に圧され、この土日は我ながら良く働いた週末であった。仙台の自分の荷物の荷造りをし、リサイクルショップへの売却の段取りをし、今度住むところの照明を買い(今度移転するところに、照明がないので)、自家用車の売却の段取りをし、電話移転の段取りをし・・・・、いやはや、めまぐるしい週末であった。仙台宅を17:50に出て、18:24仙台駅発の新幹線に乗り、東京駅着20:00頃。単身赴任先の蒲田に着いたのが21:00である。いや〜、疲れた。
 明日はいよいよ、新居の契約である。会社の同僚には申し訳ないのだが、明日は、午後有給休暇をとらせていただく予定である。このわがままが通じるのも私の人徳のおかげであることは言うまでも無い。たぶん、この、文章を見ている会社の同僚は、にやにやと笑っていること間違いない。しかし、このにやにやは微妙であることも間違いない。その人間は、月末の引越しの作業要員として駆り出されること、これまた、間違いないからである。
 同僚諸君!よろしこ!
 

2003年11月24日(月)・・・休日
●転居先決定[EPISODE6]
 前回の「EPISODE5」では、相鉄線沿線の宿探しということで予告していたが、諸々の事情により東西線沿線の物件を探すことと相成った。東西線は、三鷹と西船橋を結ぶ営団地下鉄で、途中、高田馬場・飯田橋・大手町・日本橋を経由する路線である。
 ここ2週間の土日を利用して、東西線沿線の物件をいろいろと内覧(物件の中を見る事)したのであるが、決定したのは、本日内覧したテラスハウスである。最寄駅は葛西駅(徒歩7分)で、もう一駅いくと千葉県になってしまうというポジションである。東京都にぎりぎり踏みとどまった形といえよう。
 いや〜、しかしペット可物件で、気に入った物件を探すというのは、非常に大変なことだと痛感した次第である。今回の物件、たぶん家族には納得してもらえること請け合いであるし(家族には内覧デジカメ撮影写真をメールで送信)、これ以上の物件はないだろうと思っている。これまで探した中でのベストワン物件であり、いま、私は私自身を誉めてやりたい気分である。これで家族が、「え〜、やだ〜。」とか言った日には(言わないと思うが)、迷わず私は「じゃっ、ペットなし。」と言うであろう。
 いよいよ来月は、引越しのための準備等で忙しくなること間違いない。落ち着くまではしばらくかかると思うが、まずは、正月を新居で迎えるべく、奮闘努力する所存である。今後の、我がホームページを見れば、その奮闘する姿を垣間見ることができよう。
 ・・・知り合いの皆様方、ご心配をおかけしましたが、決まりました。そのうち、はがき出します。
 

2003年11月11日(火)
●不動産探索[EPISODE5]
 前回のEPISODEの続き物であるが、いよいよ宿探しである。まずは南武線沿いの不動産をインターネットで検索し、場所や間取りを見ながら数件の物件に絞り込み、サイトを開いている仲介会社に連絡した。やはり、不動産は実際に見なくてはわからないということで、先週の土曜日に家族を仙台から呼んで、対象物件を見てまわったわけであるが、これがなかなか決まらない。そうそう、南武線沿いで探していたつもりが、仲介会社のアドバイスもあって、実際に見てまわったのは田園都市線沿いであることを書いておかなければならない。この田園都市線沿い、住環境はばつぐんである。さすが”金妻路線(古い?)”と言われているだけある。しかしながら、問題は、私の通勤時間と子供たちの最寄りの学校への登校時間である。不動産そのものは気に入っても、通勤時間2時間、登校時間が徒歩40分となるとイマイチである。要は、最寄りの駅までが遠すぎるのであり、物件は良くても不便な所に位置しているということである。一方、前の短所を解消すると、物件がかなり古かったり狭かったり、なのに高価だったりである。結局、この日は物件を決めることなく、帰宅したのであるが、家族で話し合った結果、別路線も探してみようということになり、今週は相鉄線の宿探しである。家族は、今週再び上京し、16日が別仲介業者に同行しての宿探しである。それで決まれば良いのだが・・・。
 一応、参考までに、先週見た物件の中で、これは良いかもと思った物件の写真を紹介する(右写真)。この物件は最寄りの駅をあざみ野とするテラスハウスであるが、高価であったことと、各部屋が比較的暗かったので思いとどまったものである。
 では、次回、相鉄線沿線の宿探し情報をお楽しみに!
 

2003年11月06日(木)
●単身赴任からの解放[EPISODE4]
 トップページにも書いたのだが、前回テロップに「単身赴任から解放されそうである。」と書いたら、「どういう意味?」とか「どっちの単身赴任解放なの!?」とか、私が予想していた以上に読者の反響が著しかったため、「あっ、いけねえ。」という感じでその理由を当ページにて書かざるを得ない状況に追い込まれた、というのが本音である。皆様に興味をもっていただき、非常に感謝である。
 それでは、本題。私、對馬は、今後当分の間(多分7〜8年以上!?)東京で働くこととなりそうなので、近々、仙台の家族をこちらに呼び寄せることとなったので、単身赴任からの解放ということなのである。東京勤務は、かねてからの私の希望でもあり、会社に感謝である。問題は我が娘たちの転校のことであったが、なんとか説得に漕ぎ着けた(こちらでペットを飼うという約束をとりつけられたのではあるが。娘たちよ、まだまだ、あまいぜ。)。
 これから、あらためての宿探しである。目下、周りの助言もあり南武線沿いを探索中である。しかし、東京の不動産は”高い(金額が)”の一言に尽きる。東京に住み慣れた方々には、当然の助動詞”べし”だよ(これは、わかる人にはわかる)、と言われそうだが、気に入った広さで金額的に手に届きそうな不動産は交通の便の悪いところとなり、交通の便が良くて金額的に手に届きそうな不動産は狭い、となる。なかなかうまくいかないものである。それにペット可となると、ますます選択肢はなくなるわけであり、娘たちに”あまいぜ”と思っていた自分が”あまいぜ”と言われそうである。
 とにもかくにも、今年中には新居を決めようと考えてはいるが、どうなりますことやら。
 決まったら、必ずやこのページで報告しようと考えている。COMING SOON.
 

2003年10月10日(金)
●水戸〜上野にて[EPISODE3]
 ここのページは、約1ヶ月ぶりの更新であり、反省しきりである。読者のみなさま、申し訳ない。m(_ _)m
ということで、今回は水戸駅から上野駅の電車内でのできごとである。
登場人物は、このページのEPISODE1でも登場した会社の同僚NH君(「知的ハゲ」の趣をもつ男)である。
 僕とNH君は、水戸での仕事を終え、18:50水戸駅発、20:04上野駅着の「フレッシュひたち」に乗り込んだ。仕事を終えて帰りの電車といえば、やはりビールである。売り子さんがまわってくるのを今か今かと待っていたが、なかなか来ない。そこで僕はNH君に、「売り子さん探してビール買ってきて。」と頼んだのであるが、この男、すぐに戻ってきて、「デッキの販売機にビールは売ってませんよ。」と言ってニヤニヤしている。「君は何を言っているの?」と言うと「冗談でーす。」と言って、また買いに行った。奇怪な行動であり、とんだおとぼけ男である。しばらく待っていると、なんとこの男、売り子にビールを持たせてやってきた。「いや〜、優しい売り子さんだなあ。」と悦にいっているNH君であったが、僕は目が点である。この売り子さん、どうやらワゴン車を別の車両に置いてきたらしい。売り子を手下のように引き連れてくるNH君、恐るべしである。何はともあれ、乾杯をしてビールを飲み始めたのであるが、「僕はこれから会社に戻るんで、この1杯にしておきます。」とNH君が言った。読者諸君、だいたいの察しはついたことであろう。そう、この男、5分後には、「会社戻るのや〜めた。戻らないって電話しよっと。」と言って携帯電話で会社に電話し始めた。舌の根も乾かないうちに、前言を撤回する男、またもや恐るべしである。”この1杯にしておきます”はどこ吹く風で、まわってきた売り子さんに「先ほどはどうも。もう1杯ください。」と言ったNH君。そして、上野駅に着いてから「じゃ、居酒屋行きますか。」と言ったNH君。僕たちは、上野駅前の歓楽街に向かったのである。

2003年9月7日(日)
●乗り過ごしてしまった・・・???[EPISODE2]
 神田の本屋街で買い物をしたあとのできごとである。私は、神保町駅から都営三田線の電車に乗り込んだ。日曜日の夕方というのもあって車内は比較的空いていたので、なんなく座ることができた。乗り換えの三田駅までは5、6駅あるなと思い、今買ってきたばかりの文庫本を取り出して読み始めた。これが案外おもしろく、あっという間に三田駅到着という感じであった。さて、乗り換え。今度は、都営線である。ちょうど羽田空港行きの電車がやってきたので、私は迷うことなくその電車に乗り込んだ。この電車もガラガラである(今思えば、このガラガラ状態に??と思わなければいけなかったのかもしれない)。座席に着き、「糀谷駅(私の自宅の最寄り駅)までは20分くらいか。」と思いつつ、さっきの読書の続きを始めた私。夢中になって読んでいた。電車が駅に止まるたびにふと顔を上げるのであるが、乗客もだんだんと増えてきた。読書を続ける私。ところが、である。何かがおかしい。いつまでたっても、電車が地上に出ないのである。時間の感覚はなくなっていたものの、いくらなんでも品川あたりでもおかしくはない。次に停車した駅で、窓の外を見た。目に入ってきた駅名は、”浅草”である。「何いっ?!なんで浅草なの?」と心の中で思わず叫んだと同時に電車から飛び出した。ホームにたたずむ私。考えた。もしかして・・・・。そうに違いない。泉岳寺の駅で車両の切り離しが行われ、私はまさに引き返す方の車両に乗っていたのであろう。トボトボとホームを変えて、奇しくもまた羽田空港行きに乗り、今度は読書もせず、無事糀谷駅に着いた私であった。文庫本を読んで、その本の主人公に「バカなやつだ(笑)」とほくそ笑んでいた自分がとんだバカ野郎である。

2001年×月×日(このホームページを立ち上げる前のできごとですが、忘れられないEPISODEです。)
●帯広にて[EPISODE1]
・羽田出発

 その日私は、仕事上の現地調査をするため、会社の同僚3人と羽田空港発JAS153便に搭乗し、帯広空港に向かった。事件は、現地調査の現場である帯広市新得で起きたのである。

・登場人物紹介
 ここで、会社の同僚3人の人物紹介をしておこう。
 まず、NH君。年齢は当時33歳だっただろうか。30代ではあるが、頭髪の様相が50代をかもし出しているため、ナイスミドルという第一印象をもたれる男でもある。頭髪が額から後退していくことで、どこかに「知的ハゲ」という趣(おもむき)をもつ。
 次に、SR君。年齢は当時30歳(!?)。元気なときの髪型はオールバック、疲労してくると前髪が垂れ下がってきて、徹夜などしようものならおぼっちゃまに変化しているという、髪型が健康のバロメータになる男である。無類の競馬好きであり、その方面では、私は彼を師匠と呼んでいる。
 最後に、YD君。年齢は当時25歳(!?)。関西出身である。地元の若い衆という雰囲気をかもし出している若者であるが、ナルシストの性格も持ち合わせる元柔道部の男である。
・事件勃発
 さて、話を帯広の現場にもどそう。我々は、熊笹生える丘陵地を縦1列で歩いていた。先頭YD君、NH君、私、最後尾SR君の順である。ここで書いておかなければいけないのは、その現場の土はとても柔らかく、場所によっては底なし沼のようになっていて、そこにはまると、とてつもない恐怖がふりかかるということである。事件が訪れたのは、4人で付かず離れず雑談しながら進行しているときである。先頭YD君が、「おっと!」という声をあげ、反射神経よろしく泥沼にはまるのを回避し、我々に「そこ、気をつけてくださいよ。」と告げ、ズンズン進んでいった。二番目のNH君は、私とSR君がはまらないようにと、しばし前方に立ち止まっていたが、YD君の「NHさ〜ん、ありましたよ〜、沢がありました〜。」という声に「わかった〜。今行くから〜。」と言って私の視界から消えていった。私が、後方から来たSR君に「そこ気をつけて。」と言った途端に、前方から、「あ〜〜〜っっっ、お〜〜〜っっっ。」というまるで断末魔のような声が聞こえるではないか。あれは、NH君の声。いったい何が、と思い、私は声のするほうへとダッシュしたのである。そこで見たものは・・・・・・・・・・・。
 NH君が、沢の向こう側の斜面をまるでスローモーションのように駆け上がっているではないか。非常にパワフルである。「おおっ〜、ああっ〜〜」という絶叫とともに。そう、彼は不覚にも底なし沼のような斜面にはまってしまったらしい。その動きが止まり、絶叫も途絶えたとき、NH君の顔面が蒼白であったことを私は見逃さなかった。斜面の上では、YD君が「長靴はいてる〜。」と言いながら腹をかかえて笑っている。NH君の足元を見ると、確かに長靴を履いている・・・・?・・・・いやいや、よく見ると長靴ではなく黒土の泥である。泥がNH君のシューズを覆うだけではなく膝まで覆っているのである。それがわかった瞬間、私もSR君も大笑いである。斜面と格闘したNH君には悪いが、久しぶりに、はらわたがよじれるくらい可笑しかった。
 その後も現地調査を続行したが、その間、NH君のシューズが、グチョッ、グチョッっという音色を奏でるたびに、他の3人に笑いが途絶えることはなかったのである。
・帯広空港にて
 帰りの帯広空港内、トイレの洗面台に足を上げて足を洗っているNH君を見たとき、涙が溢れてきた。もちろん笑い過ぎての涙である。飛行機搭乗までの空港レストランでの飲み会が、爆笑の渦に包まれたことは言うまでもない。