日本の石塔 
            宝篋印塔

      
                  

   石造美術に余り馴染の無い方には、
  とても奇怪な形に見えるかもしれない
  が、鎌倉前期から造立され、五輪塔と
  共に石塔の主流となった。
   源流は中国で、呉越の王「銭弘俶」
  が宝篋印心呪経を籠めた小銅塔を八万
  四千個造立し、全国に配布したと伝え
  られているが、それが宝篋印塔の形に
  似ているのである。実物を京都博物館
  で見ることが出来る。
   近年、中国国内で、石造の宝篋印塔
  そのものの事例が発見された、と聞い
  た。
   段状の笠(屋根)と隅飾と呼ばれる
  四隅の突起が最大の特徴である。
   見慣れてくると、鎌倉期から南北朝
  にかけての時代に制作されたものが、
  いかに美しいかが見えてくる。
   全国の名品を巡拝してみよう。



                 宝篋印塔
               (鎌倉時代)
      均整のとれた優美な石塔である。
                  
善峰寺
             <西国第二十番札所>
            
京都市西京区大原野
       
       
               

    
   
     深田宝篋印塔 (大分県臼杵市)
      
      
   写真は“日吉塔”と呼ばれるこの宝篋印塔の背
  後から撮影したもので、前方の山裾に見える大き
  な屋根は臼杵石仏群の古園石窟の覆いである。
   塔の左手は、石造五重塔や石造仁王像のある満
  月寺であり、臼杵の磨崖仏群の全てを遠望出来る
  という素晴らしい立地条件である。

   基礎は二区に分けて格狭間が彫られており、一
  段付けて塔身が乗っている。
   塔身の正面は入口の様になっていて、内部を刳
  り抜いて室内らしき空間を造ってある。扉を吊り
  込む穴までが設けられている。
   石造の厨子のような造りで、他にほとんど類例
  は無いだろう。
   塔身の大きさが、全体におおらかな安定感をも
  たらしているように思える。

   笠は六段だが、やや偏平な印象を受ける。
   巾のある軒は、両端が微かに反っている。この
  感じは鎌倉期のもの、と直感した。
   隅飾は二弧輪郭付きの意外に小振りなもので、
  石は独立しており、ほぼ垂直に立っている。

   全体的な落ち着き、軒の反り、直立する隅飾、
  きりっとした格狭間など、鎌倉後期を推定させる
  材料が揃っている。それだけに、相輪はオリジナ
  ルとされているが、時代的にやや細いのではない
  か、と私には思われた。
     

      
   
     広峯神社宝篋印塔 (兵庫県姫路市)
      
      
   西国三十三観音巡拝で書写山円教寺へ詣でた
  帰りに、ふとこの宝篋印塔の存在を思い出し、
  車を飛ばし同じ姫路の北の広嶺山へと向かった。
   山腹の神社までは車道が通じていて、アクセ
  スには何の問題も無かった。
   文化財にも指定された重厚な社殿に詣でた後、
  楼門の石段下にあるこの宝篋印塔を鑑賞した。
   好天は幸運だったが、石の白さに陽射しが強
  過ぎて、写真撮影には最悪の条件となった。

   2m以上もある大型の石塔だが、昭和になっ
  てから神社周辺に埋もれていたものが発見され
  たとのことである。石の表面の劣化や褪色も少
  なく、時代の経過を感じさせない石の白さは、
  そこに要因があったのだった。

   大きな特徴は、宝篋印塔が乗る台座に、複弁
  反花が彫られていることだろう。類例は多いが、
  丹後縁城寺や桃島など、播磨や丹波を中心にし
  た南北朝時代の作品に多く分布しているようだ。

   銘は無いが、相輪以下全てが完全に揃ってお
  り、これが宝篋印塔のお手本です、と言ってい
  るように感じられた。しかし、全体的な主張の
  無さや笠の弱弱しさから、南北朝初期と考える
  のが妥当なところだろう。   
     

       
   
     温泉寺宝篋印塔 (兵庫県豊岡市城崎町)
      
      
   城崎温泉街から少し歩いた山の中腹に建つ、創
  建が天平時代という由緒正しい古寺である。秘仏
  の十一面観音像拝観は、2017年まで待たねば
  ならないそうだ。

   この宝篋印塔は本堂から少し石段を登った高台
  に建てられており、温泉三昧のついでに立ち寄る
  には勿体無いほどの“絶品”であった。
   相輪から基礎・基壇まで完璧な形で残っており、
  改めて洗練された宝篋印塔の美しさを見直させら
  れてしまった。

   写真の基礎の格狭間は側面で、正面には飾りの
  付いた格狭間が配されている。
   最大の特徴は、基礎上段に細く一段設けた上に
  複弁反花が彫られていることだろう。大きな段を
  造った事例はあるが、このような繊細な意匠は見
  たことが無い。
   
   笠は通例通りの六段で、下は二段となっている。
  輪郭の付いた隅飾はやや外側に傾斜しており、鎌
  倉から南北朝への移行期を感じさせる。
   全体的には泥臭さの微塵も感じられない洗練さ
  れた南北朝的な意匠ではあるが、相輪の豪快さや
  笠と基礎に残る力強さが感じられるので、限りな
  く南北朝に近い鎌倉末期、という推定をしたい。   
     

     
   
     桃島宝篋印塔 (兵庫県豊岡市城崎町)
      
      
   城崎温泉から約1キロという至近で、JR山陰
  本線の踏切の手前の路傍に、この宝篋印塔がさり
  げなく建っている。こんな場所にこんな古塔が見
  られるというのも、やはり関西ならではで、それ
  だけでも感動的な出会いだった。

   三段の基壇に乗る高貴な塔で、おまけに上段に
  は複弁の反花座が設けられている。
   基礎の裏側に応安五年(1372)という銘があり、
  この宝篋印塔が南北朝の中頃の作であることが知
  れるのである。

   写真は背後からであり、写っているのは側面で
  はっきりしないが、基礎の格狭間に特徴がある。
  普通の単純な波型花頭曲線ではなく、複雑な線で
  模様が付いているのである。峰山の縁城寺でも見
  られたが、この飾り付き格狭間は丹波・但馬地方
  に多く分布しているのだという。

   塔身には、月輪内に金剛界四仏の種子が、蓮座
  に乗った形で彫られている。写真は右がアク(不
  空成就)、左がウーン(阿しゅく)である。
   笠は六段だが、段が低いので、全体が偏平な印
  象を受ける。隅飾は二弧輪郭付きで、背面以外の
  三面に「ア」(金剛界大日)が彫られている。
   隅飾はかなり外へ向かって傾斜しており、笠全
  体のシルエットにはやや重厚さが欠けるようにも
  見えてしまうのは、南北朝という制作年代を知っ
  てしまった先入観によるものなのだろうか。
     

      
   
     金禅寺三重宝篋印塔 (大阪府豊中市)
      
      
   そもそも宝篋印塔を三層に重ねる、という意匠
  そのものに違和感を覚えていた。だが、三重塔の
  屋根の部分を、宝篋印塔の段と隅飾に置き換えた
  もの、と考え直して訪ねてみることにした。
   阪急豊中駅から山手へ少し行った所にある寺で、
  三重宝篋印塔は本堂の石段左手に建っていた。
   石山寺や都島神社に類例は在るが、相輪以外が
  完備している事や、初重の塔身に彫られた阿弥陀
  如来像が気に入ったこと等が、ここを掲載した理
  由となった。

   基礎部分に銘が在り、貞和五年(1349)つまり南
  北朝初期に当たる年号が彫られている。
   最大の特徴は塔身で、正面は阿弥陀如来の坐像
  が陽刻さられているのだが、他の面には梵字が彫
  られていた。左から「アク・ウーン・サ」と読む
  ことが出来た。これはあまり見かけない組み合わ
  せと言えるのだが、「サ(観音)」が「タラーク
  (宝生)」に変れば、通例の金剛界四仏になる。
  どういった解釈が成されたものかは不明だ。
   三重の笠が上へ行くほど小さくなっていくのは
  条理だが、こうして見ると微妙な意匠で逓減させ
  ていることが判る。

   豊中には宝珠寺というお寺にも、銘は無いが鎌
  倉後期とされる三重宝篋印塔があり、何らかの地
  域的な宗教観や石工技術が存在したのかもしれな
  い。
     

    
    
     円福寺宝篋印塔 (奈良県生駒市)
    
    
   石造美術に興味の無い方には見慣れぬ塔なの
  だが、五輪塔などと共に古くから伝わる塔の様
  式である。良く見ると、宝珠・(相輪)・請花
  ・笠・塔身・基礎と塔の役者が揃っている。大
  きな特徴は、笠の四隅に付けられた耳のような
  隅飾の存在である。

   ここ円福寺には、南北二基の塔が有る。写真
  手前の北塔は、塔身を梵字の種子で四方仏を表
  現しており、永仁元年(1293)の銘が有る。
   南塔の方は梵字ではなく、仏像そのものが彫
  られており、銘は無いが、北塔とほぼ同じ鎌倉
  中期の作だ。
   隅飾が垂直に立っているもの程古いのだが、
  この塔は微妙に反り始めているので鎌倉中後期
  あたりだという目安になる。
   川越辺りで江戸時代に作られた宝篋印塔を見
  ると、隅飾が異常に反り返っており、どう見て
  も落ち着きの無い塔としか見えないが、前例と
  は少し違ったものを創作しようという意識の累
  積が、時代の経過と共にここまで変化してしま
  うのか、と驚いた経験が有る。
   二基共技巧的な装飾は無いが、全体のバラン
  スがすこぶる美しく、清楚で古風ではあるが洗
  練の兆しを見せる秀塔である。
          

     
         
 
     輿山往生院宝篋印塔 (奈良県生駒市)
   
   
   生駒から平群一帯の里はまことに石造美術の
  宝庫であり、私達は何回かここを歩いている。
   大阪と奈良の中間であり、近鉄沿線の開発は
  著しいが、生駒山麓のこの地区には古い文化の
  名残がまだ脈々と生きていた。

   本堂の北側にこの塔は堂々と建っており、い
  かにも雄渾であると同時に、古式の見事な美し
  さを示している。

   最大の特徴は笠(屋根)の隅飾で、一弧の直立
  形であり、軒と一体になっていることだろう。
   相輪は後補かもしれない。
   塔身には正元元年(1259)とあり、大和では最
  古で、鎌倉中期の充実した造形美をたっぷりと
  見せつけている。

   梵字は金剛界四方仏で、その脇に「釈迦入滅
  一千八百六十七年、弥勒仏」とあり、未来仏弥
  勒の一日も早い現出を願った信仰が生んだ石塔
  なのだろう。

   宝篋印塔の美しさは何と言っても笠の造形そ
  のものと、塔身の姿とのバランスにある。その
  最も優れた見本の一つがここに在る。いつまで
  見ていても飽きない、小生好みの石塔の一つで
  ある。
           

     
       
     正暦寺宝篋印塔 (奈良市菩提山)
     
     
   奈良市内とは思えぬほど奥まっており、渓流
  沿いの参道には苔むした石垣がかつて隆盛した
  寺坊を偲ばせている。
   境内はさながら石造美術の展覧会場のようで、
  南大門から本堂へ至るそこここに、石仏・板碑
  ・層塔・笠塔婆・五輪塔などが見られた。年代
  も鎌倉から江戸までと豊富である。

   中で最も注目したのが、写真に在る三基の宝
  篋印塔だった。
   笠の段に比して隅飾が小さいのが特徴で、さ
  らに、二重輪郭線に月輪内の金剛界四仏種子の
  塔身、二区画の格狭間、複弁の反花座などが目
  に付く。

   中央の塔は相輪を欠くが、全体に荘厳のため
  の美しい装飾が成されており、装飾過剰な後世
  の塔に比べるとまことに優雅な雰囲気を醸し出
  している。洗練された意匠からは、鎌倉後期を
  予測させられたが、清水俊明先生の著書には鎌
  倉中期と記されている。前記の輿山往生院の作
  例がちらついて、どうしても同時代の作品とは
  思えないのは、所詮素人の浅知恵ということだ
  ろう。
          

  
    
     壺阪寺宝篋印塔 (奈良県高取町)
    
    
   西国第六番の札所であり、境内には木造三重
  塔などの伽藍が建ち並ぶ壮麗な寺院である。
   以前、札所巡礼で訪ねたことがあり、今回は
  二度目の訪問だった。前回の時には、この宝篋
  印塔の存在は知らなかった。
   三重塔の南庭の片隅に、他の数基の石塔と並
  んで、写真の宝篋印塔が建っていた。

   最初の印象は京都清涼寺のものに似ているな
  と感じたのだが、川勝先生のお説はこちらの方
  が古い鎌倉中期のものであるらしい。
   だが私の直感も捨てたものではなく、笠の下
  が大変珍しい三段であること、隅飾りが三弧で
  中に梵字「ア」が刻まれていることなど、清涼
  寺のものとは共通点が多い、とのことであった。

   全体のプロポーションが余りにも似ているの
  で、同じ作者によるのではないか、と私は思っ
  ているほどである。

   搭身四方に梵字種子による金剛界四仏が彫ら
  れ、その下に反花座が有るが、基礎に格狭間な
  どの装飾は無い。
   相輪が見事であり、上から宝珠・竜車・水烟
  ・九輪・請花・伏鉢と並んだ完璧な作例である。
          

      
   
     観音院跡宝篋印塔 (奈良県高取町)
      
      
   明日香の南、高取町には、西国札所として著名
  な壺阪寺がある。その入口である近鉄壺阪山駅の
  ところから、高取城址へ向かって登って行く道が
  ある。
   車で行けるのは宗泉寺までだが、そこから高取
  城址方面へは向かわずに、宗泉寺の横から山道を
  抜けて裏山の横へと出たあたりに、現在は廃寺と
  なってしまった観音院の跡がある。

   荒れ果てた境内の一画に、掃き溜めの鶴とでも
  言えそうなほど秀麗な宝篋印塔が建っていた。
   相輪が半分に折れているが、塔全体は当初から
  の完存塔で、古い様式を伝える貴重なものである。

   笠の上部は六段で、その上に露盤があり、各面
  に二区の格狭間が彫られた繊細な造りである。
   四隅の隅飾は二弧で、格別の彫刻は無い。真っ
  直ぐに立った様は古式で、輿山往生院や為因寺の
  事例にとても似ている。
   塔身の四方に半肉彫りの四方仏像が彫られてい
  るが、最大の特徴は笠の下部と基礎の上、つまり
  塔身の上下が蓮弁で飾られていることだろう。上
  部は単弁、下部は複弁反花座がとても美しい。
   基礎に銘が彫られており、弘長三年 (1263) と
  いう魅力的な年号が確認できる。大和では輿山往
  生院と額安寺に次ぐ、鎌倉中期の作なのである。
     

    
    
          清涼寺宝篋印塔 (京都市右京区嵯峨)
     
     
   京都や近江は石造美術の宝庫で、宝篋印塔の
  主要な作品を見て歩くだけでも数週間が必要だ
  ろう。
   秘仏釈迦如来像公開で訪れた嵯峨釈迦堂清涼
  寺の境内で、私が眼を釘付けにさせられてしま
  った宝篋印塔である。
   限られた巡歴の中でも、栂尾高山寺、為因寺、
  鎌倉覚園寺のものと共に深く印象に残っている。

   やや頭でっかちに見えるが、じっくりと見て
  いる内にそれがかえって絶妙の均整と優美さを
  生んでいることに気が付く。

   塔身の梵字が摩滅しているのが残念だが、反
  花座と笠は見事な細工である。最大の特徴は、
  笠下が三段になっている(通常二段)ことと、
  隅飾が三弧で、その中に梵字「ア」が彫られて
  いる事だろう。
   写真でははっきりしないが、蓮座の上に有る
  月輪の中に「ア」が彫られ、誠に洒落た意匠が
  感じられる。
   源融公の塔との伝承が有るらしいが、それに
  ふさわしい落ち着いた優雅な美しさである。
   私は、石塔の中では国東半島の宝塔と鎌倉以
  前の宝篋印塔が好きだが、嵯峨野にひっそりと
  立っているこの塔は、その中でも格別の好みの
  一つである。
          

     
    
     高山寺宝篋印塔 (京都市右京区)
    
   
   鳥獣戯画で名高い栂尾高山寺の石水院を訪
  ねたならば、そこから少し登った所にある開
  山廟まで足を延ばしたい。
   何故なら、その境内に後述の為因寺のもの
  にとてもよく似た宝篋印塔が保存されている
  からである。
   鬱蒼とした杉木立の中で、苔むしたこの古
  塔は静謐なたたずまいを見せてくれた。石塔
  の置かれる環境として、これ以上は無いだろ
  うと思える程の仙境であった。

   為因寺のものと並んで古式の代表とされる
  だけに、とてもよく似ているのだが、こちら
  の方がやや線が細いように見えてならない。
   先ず四隅に立つ隅飾りの印象が違う。堂々
  と直立しストレートな円弧の為因寺塔に比べ、
  こちらは微妙に波形の付いた二弧式である。
   相対的に洗練されており、時代はやや下が
  るのではないかと思うのだが、まあ素人ので
  まかせと聞き流していただきたい。
   いずれにせよ、どちらも古式宝篋印塔を代
  表する名品であり、二塔の巡覧をお奨めする。

   なお、写真に写っている右側の石塔は、如
  法経塔というこれも鎌倉期の傑作である。
            

    
    
     為因寺宝篋印塔 (京都市右京区)
    
    
   高雄へ通じる周山街道に梅ケ畑地区が有り、
  そこの奥殿という静かな部落にこの寺は在る。
   京都市内とは思えぬ、情緒に満ちた集落で
  ある。
   宝篋印塔は山門の脇に、隠れるようにして
  ひっそりと立っていた。

   風貌はまことに古式で、栂尾高山寺の開山
  廟に有る宝篋印塔にとてもよく似ている。隅
  飾の内側は一弧で、装飾は一切無くしかも直
  立しており、なんとも堂々たる美しさである。
   文永二年(1265)の文字が塔身背後に、そし
  て前面には阿難塔と刻まれているらしいのだ
  が、明確には判読出来なかった。
   いずれにせよ、鎌倉中期の簡潔かつ重厚な
  傑作である事に変わりは無い。
   ここや高山寺のような古石塔を見てしまう
  と、以後の時代の作品はことごとく貧弱で陳
  腐なものに見えてしまうから恐ろしい。

   宝篋印塔そのものは、中国の宝篋印心呪経
  を篭めた銅塔がその起源だと言われており、
  実物が京都博物館に展示されているらしいの
  でぜひ見たいと思っている。
         

    
    
     覚勝院墓地宝篋印塔 (京都市右京区嵯峨)
    
     
   小生の好きな宝篋印塔が在る嵯峨清涼寺の北
  側に隣接して、大覚寺子院である覚勝院墓地が
  有る。
   その中央に、この優美な石塔が象徴的なたた
  ずまいで堂々と建っていた。キリっとした清華
  な墓地で、美しいものというのは周囲の空気を
  引き締めるものだと知った。

   写真を撮っている小生に、墓石を修理してい
  た石工さんが話し掛け、東京から来たことを盛
  んに感心していた。仲間の間でも、嵯峨では自
  慢の石塔なんだと言う。

   相輪は後補だが、笠の隅飾は二弧で月輪をあ
  しらい、塔身にはくり抜いた円弧の中の蓮華に
  座した四方仏が彫られ、基礎は複弁の反花と格
  狭間によって飾られ、更に二区の格狭間が彫ら
  れた基壇に載るという、大変珍しい装飾が完璧
  に成された傑作だったのである。

   全体に鎌倉期の武骨さは残されてはいるが、
  繊細な美意識が典雅な装飾を生み、豪快さが失
  われつつあることから、鎌倉後期の作だろうと
  勝手に想像した。
        

     
       
     勝林院宝篋印塔 (京都市左京区大原)
      
     
   大原の石造美術を訪ねた或る日、来迎院で三
  重石塔の傑作に接した後、三千院の喧騒を避け
  るようにしてこの大原問答で知られる勝林院の
  境内に入った。
   三千院の阿弥陀三尊来迎像に未練が有ったが、
  杉木立の中に佇むこの石塔を拝した途端に、そ
  んなことはすっかり忘れてしまっていた。

   石塔は建っている事それだけで美しいのだが、
  ここでは更に建っている環境が抜群であること
  に感動した。

   すっきりと延びた相輪が見事で、輪郭線の入
  った三弧の隅飾が存在感を示している。生き生
  きとした生命感に満ちていて、様式美に陥る直
  前の輝きとも写る。
   また、正和五年(1316)という年号からは、鎌
  倉末期の最も充実しきった美意識が見ても取れ
  る。
   笠や相輪に対する、塔身の程好い大きさがこ
  たえられない。素晴らしいバランス感覚だと思
  う。
   写真の梵字種子は「アン」で、他に「アク」
  「ア」「アー」が見られ、胎蔵界四方仏である。
         

     
     大原北墓地篋印塔 (京都市左京区大原)
     
     
   前回大原を訪ねた時には勝林院の宝篋印塔に感
  動し、そのまま帰ってしまった。しかし、大原に
  はもう一基の見るべき重要な宝篋印塔が存在して
  いたことを、後になって知ったのだった。
   一年後に再訪した私達は、勝林院の境内を抜け、
  裏山に通じる道を登って行き、大原北の共同墓地
  を訪れることが出来た。

   墓地の入口付近に、古い石仏や無縁墓の石塔な
  どを集めた一画が在り、そこに写真の宝篋印塔が
  堂々と建っていた。

   基礎には格狭間、塔身には胎蔵界四仏を象徴す
  る梵字の種子が刻まれている。隅飾は二弧で輪郭
  が付いており、相輪も堂々としている。
   やや摩滅しているのが残念だが、全体に均整の
  取れた秀麗な塔だと感じた。
   正和二年(1313)の建立で勝林院より3年古く、
  洗練されてはいないものの、腰の据わった野太い
  美しさを感じさせる好みの塔であった。

   基礎に「念仏諸衆為往生極楽」と刻まれており、
  この石塔には、ひたすら念仏を唱えるしか方法の
  無かった庶民の切ない願望が集約されているので
  ある。
          

     
   
     大宮神社宝篋印塔 (京都府宇治田原町)
      
      
   京田辺市の中心である田辺から木津川を渡り、
  青谷梅林の横を抜けて伊賀の信楽方面を目指す。
  十一面観音像や五輪塔で知られる禅定寺へ通じる
  分岐点あたりの集落が岩山で、神社はこの旧道か
  ら少し山際へ入った所にある。

   社殿手前の巨杉の下に、堅固な石柵に囲まれて
  この宝篋印塔が祀られていた。
   塔身が細身の端正な面影で、とても優美な姿と
  いうのが第一印象だった。

   相輪が完備しているのが素晴らしく、塔全体の
  容姿の秀麗さを際立たせている。
   笠の段が七段であることが特徴だが、何よりも
  隅飾の細長い形状に目が行ってしまう。直立した
  古式で、二弧の中の蓮華座上の月輪内に梵字「ア
  ク」が刻まれている。
   柵が邪魔して全体の写真が撮れなかったのだが、
  塔身四方には月輪内に金剛界四仏を梵字で彫って
  あった。写真に見えるのは、阿しゅく如来を象徴
  する梵字種子「ウーン」である。
   そして、柵の隙間からちらりと見えるのが基礎
  の格狭間で、近江式の三本の茎のある蓮華文様が
  四方に彫ってあった。

   年号を表す銘は無く、細い塔身や繊細な装飾性
  から南北朝制作とする説もあるのだが、私は隅飾
  の美意識は鎌倉期のものと考えたい。南北朝へと
  至る、鎌倉末期あたりではないだろうか。
     

     
        
     金胎寺篋印塔 (京都府和束町)
      
      
   和束町と宇治田原町との境界には、鷲峰山と
  いう標高700m近い山並が続いている。金胎
  寺本堂はその山頂近くに建っているのだが、幸
  いにも林道が有って石段下までは車で登ること
  が出来た。
   この宝篋印塔は寺からさらに登って行き、眺
  望がパッと開ける山頂に建っていた。

   切り石の基礎壇上に建ち、塔身・笠・隅飾・
  相輪まで全てが完存する見事な佇まいだ。
   塔身の梵字はア・アク・アン・アーで、月輪
  内に胎蔵界四仏種子として彫ってある。薬研彫
  りの豪快な梵字だ。
   隅飾は輪郭を彫った二弧であり、やや反って
  いるので鎌倉後期かと思った。しかし、銘には
  正安二年(1300)とあるので、もっと古い中期で
  あった。
   相輪下部の伏鉢に反花が彫られており、なん
  とも荘厳で品位を感じさせる装飾である。
   汗を流して登って来る価値の充分ある、惚れ
  惚れするような美しい石塔だった。
         

      
        
     湯船篋印塔 (京都府和束町)
     
     
   和束町にはもう一基、決して見逃してはなら
  ない宝篋印塔が存在することを知っていた。し
  かし、この町には文化財を誇る精神は無いよう
  で、いくら探しても案内一つ無かった。
   私の資料で五ノ瀬という場所に在ると判って
  いたが、そこでさらに地元の方に案内して頂い
  て、ようやく“不動堂”に在ると判明した。

   巨杉が林立する荒れ果てた境内に、写真の如
  く傾いた格好で無造作に置かれている。いくら
  文化財に指定されていないとはいえ、弘安十年
  (1287)という刻銘もあるれっきとした鎌倉中期
  の石塔である。町のこの扱いは、文化行政のレ
  ヴェルの低さを示しているとしか思えない。

   塔身の梵字は金剛界四仏の種子で、上品な薬
  研彫りである。隅飾は金胎寺と同じ、二弧輪郭
  付きの控えめな姿である。
   相輪は後補らしいが、全体的には均整の取れ
  た、至極品位のある美しい塔である。年代も金
  胎寺より古く、為因寺や高山寺に匹敵するもの
  だけに、相応の管理を切に望むものである。
          

      
   
     船井神社腕塚宝篋印塔 (京都府南丹市八木町)
      
      
   2010年の夏に京都に滞在していた時、思い
  立って丹波の石造美術を再度探訪した。未見だっ
  た亀岡北之庄の磨崖仏や八木大日寺の五輪塔、そ
  してこの宝篋印塔などが主な目的であった。

   八木町の船枝という集落の中心に船井神社があ
  り、その正面鳥居の左側に腕(かいな)塚という
  小さな社が祀られている。
   安倍貞任の腕を埋めた塚に建てられた石塔、と
  いう言い伝えが残っているという。
   社の背後に建つ宝篋印塔が余りにも接近してお
  り、竹で組んだ柵が厳重なために、思ったような
  アングルの写真が撮れなかった。

   相輪は完備しており、笠上段は六段である。特
  徴は、三弧の大きな隅飾が、外側にやや反り気味
  であることだろう。これは、素人でも見当が付く
  宝篋印塔の見分け方であり、概ね反りが大きいほ
  ど時代は下がっていくのである。
   基礎には格狭間が彫られ、その上部に複弁の反
  花をやや大袈裟に彫り出している。
   塔身の四方には、月輪内に金剛界四仏を梵字で
  薬研彫りしてある。鎌倉期のものと比べると、彫
  りはやや華奢かもしれない。
   266
cmもある大型の宝篋印塔で、かなりの
  存在感を示している。
   銘は無く、南北朝初期の作とされている。
     

      
   
     智恩寺宝篋印塔 (京都府宮津市)
      
      
   天橋立へと通じる瀬戸である切戸に、奈良桜井
  の安倍の文殊、山形亀岡の文殊と共に、三大文殊
  の一つとされる“切戸の文殊”智恩寺がある。
   知恵の神様とあれば、詣でない訳にはいかない。
  そして、寺域からはやや離れた所にある三角五輪
  塔と、この宝篋印塔とが次の目的であった。

   山門を入ると、正面に本堂文殊堂、左手に室町
  期の貴重な木造建築である多宝塔が見える。
   「和泉式部の歌塚」と書かれた看板が立ってい
  るこの石塔は、右手の木立の中に建っていた。
   全体に大らかな佇まいで、どっしりと構えた風
  貌は間違いなく鎌倉期の石塔だろうと直感した。

   相輪は九輪の上部が欠落しており、六輪の上に
  宝珠が載せられている。
   笠の上部は六段で、輪郭だけが彫られた三弧の
  隅飾はやや外側に傾斜している。下部は型通り二
  段だが、通常よりはやや高さがあるようだ。
   笠の大きさに比して塔身の巾が大きめで、全体
  的にはややずんぐり型と言えるだろう。
   四方に彫られた梵字は金剛界四仏を表す種子で、
  線は細いが月輪で囲われている。梵字は堂々とし
  た薬研彫りで、正面はキリーク(阿弥陀如来)、
  右はタラーク(宝生如来)である。
   基礎は、背面を除く三面に、格狭間が彫られて
  いる。
   写真の右奥に、知恵の輪灯篭が切戸に面して建
  っていた。
     

      
   
     縁城寺宝篋印塔 (京都府京丹後市峰山)
      
      
   旧峰山町は周辺の町村と合併し、現在京丹後市
  と名乗っている。住民が賛成したのであれば、旅
  行者があれこれ言うことは無いだろうが、些かの
  違和感は禁じえない。

   久美浜温泉に数日滞在し、丹後半島を巡った際
  に、かつて二十五坊を誇ったとされるこの名刹を
  訪ねた。静まり返った境内の清浄な雰囲気はさす
  がだったが、秘仏千手観音像の安置された本堂は、
  朽ち果てて今にも倒壊しそうな状況だった。
   境内の左手に建つこの荘重な宝篋印塔だけが、
  重厚な寺の歴史を語っているように思えた。

   裏面を除く三面に、飾り付きの格狭間が基礎に
  意匠されており、その下の基壇には複弁の反花座
  と細長い三区の格狭間が意匠されている。これだ
  けでも、滅多に見られない壮麗な装飾が成された
  豪華な宝篋印塔である、と言える。
   塔身には、月輪内に金剛界四仏の梵字が彫られ
  ている。写真の梵字はアク(不空成就如来)と、
  その右側のキリーク(阿弥陀如来)である。
   笠上部は六段であり、隅飾がやや外側へ反って
  いる。
   南北朝の作として重要文化財に指定されている
  そうだが、塔全体から受ける印象は鎌倉期の剛健
  さだろう。彫られた「正平六年」と読めそうな文
  字からの推量と、装飾性豊かな意匠からの推定に
  よるものと思われる。

   近年の貧弱で劣悪な教育文化行政を嘆いておら
  れた御住職夫人の姿が印象的だった。   
     

    
      
     石山寺篋印塔(滋賀県大津市)
      
      
   石山寺の梅を観に訪れた際、文化財としても著
  名な三重宝篋印塔を観た。しかし、その物珍しい
  だけの姿には少しも美しさは感じられず、正直余
  り好きにはなれなかった。
   がっかりしながら歩いた境内で、国宝の木造多
  宝塔にたどり着き、そこで鎌倉期の石造宝塔と、
  亀谷禅尼供養塔と書かれた二基の宝篋印塔を見つ
  けた。写真はその内の左側のものである。

   二基は双式のようで、右塔の塔身には金剛界四
  仏種子が彫られ、その下は反花座となっているの
  に対し、左塔には胎蔵界四仏が彫られ、下は段状
  になっている。
   両塔共輪郭線の在る三弧の隅飾を持っており、
  前出の勝林院塔にかなり似ているようにも見えた
  が、こちらの基礎には格狭間が彫られている。
   制作年代は不明だが、隅飾の反り具合からも、
  鎌倉中期から後期にかけたあたりと推定した。
   小振りだが大変美しい塔で、宝塔と共にとても
  感動した記憶がある。
   それにしても、宝篋印塔の美の世界というのは、
  何と奥の深いことであろうか。  
           

      
   
     明王院宝篋印塔 (滋賀県大津市葛川)
      
      
   行政は大津市だが、ここを訪ねるのは京都の大原
  を通り、鯖街道と呼ばれる若狭へと通じる花折隧道
  を抜けて行くことになる。
   この明王院については宝塔のページにも記してい
  るのだが、まことに重要な石造美術の宝庫である。
   
   この宝篋印塔は石段を登った本堂の手前に建って
  おり、基礎側面から正和元年(1312)という鎌倉後期
  の銘が出ている。
   隅飾は二弧輪郭付きで、上六段下二段という典型
  的な当代の様式を示している。
   塔身には、蓮華座に乗る月輪の中の金剛界四仏種
  子が、格調高い薬研彫りで彫られている。
   基礎には格狭間が、そしてその上部には複弁の反
  花が見事に表現されている。
   笠の段の背がやや低く、笠全体が偏平な印象を受
  けるが、様式美を象徴した泰然とした気品と大らか
  さが感じられる。

   資料に寄れば、年号銘のところに「四村念仏講衆」
  という文字が在るそうだが、はっきりと確認は出来
  なかった。しかしそこからは、天台念仏信仰を中心
  とした葛川四か村の講の人達が、村の安穏を祈願し
  て建てたこの塔の、生前供養塔のような性格を読み
  取ることが出来る。
     

      
   
     樹下神社宝篋印塔 (滋賀県大津市志賀町)
      
      
   琵琶湖西岸旧志賀町の北小松という所に、この
  珍しい名前の神社があった。樹下(じゅげ)神社
  というのだが、前に琵琶湖、後ろに比良連峰を望
  む、という絶好の立地である。

   本殿へと至る緑濃い参道脇に、この優美な宝篋
  印塔が静かに建っていた。
   基礎部分の下に、三段の基壇が設けられている
  のが、先ず目に入る。基壇の最上段には、複弁反
  花が彫られており、余程の高貴な人物との関連が
  考えらそうである。
   基礎の四方に格狭間、その中に盛り上がるばか
  りに開蓮華が彫り出されている。
   基礎上部にも複弁反花が装飾されており、壮麗
  かつ気品に満ちた意匠が駆使されているようだ。
   塔身には四方仏像が半肉彫され、蓮華の上に座
  している。
   笠の上部六段、下部二段は型通りで、二弧輪郭
  付きの隅飾にも、中に蓮座と月輪らしき図が見え
  る。隅飾の外側は少し反り気味であり、時代は鎌
  倉期ではないことを予感させる。
   案の定基礎の柱面に、文和五年(1356)という南
  北朝前期の銘が彫られている。

   宝篋印塔草創期である鎌倉中期の朴訥な力強さ
  はすっかり失われてはいるものの、かくも均整の
  とれた眉目秀麗な宝篋印塔はそう在るものだはな
  いだろう。これ以後、江戸期を経て現代に至るま
  で、石造美術は衰退の一途をたどる事となるので
  ある。   
     

    
   
     長谷寺宝篋印塔 (滋賀県高島市高島町)
      
      
     今津町や高島町、朽木村まで含めた六町村が
  合併して高島市になった。
   この寺は旧高島町のほぼ中心に当たる地域の、
  音羽という集落に在る。
   薬師如来を本尊とする薬師堂が建っており、
  宝篋印塔はお堂の左手に数基の石塔と共に祀ら
  れている。

   均整のとれた誠に美しいプロポーションの塔
  で、一目で気に入ってしまった。高さが1.5m
  と少々という小振りな造りが、端正なイメージ
  となっているのかもしれない。

   基礎の格狭間には開蓮華が美しく、その上の
  複弁反花座が力強く彫られている。
   塔身の梵字は金剛界四方仏かと思われ、写真
  には月輪に囲まれたキリーク(阿弥陀)が写っ
  ている。
   二弧の隅飾りや上部六段、下部二段の笠も見
  事な造りであり、全体のバランスからは作者の
  卓越した美意識を感じることができる。
   堂々とした相輪が完備していることが、この
  塔の価値をさらに高めているだろう。
   正中三年 (1326) という鎌倉後期の銘が入っ
  ているらしいのだが、摩滅しているので確認は
  出来なかった。
             

      
   
     新善光寺宝篋印塔 (滋賀県栗東町)
      
      
   林は旧石部の宿から下って来た旧東海道に面した
  集落で、新善光寺の本堂の屋根はかなり遠くからで
  も見ることが出来た。名前通り、信濃善光寺の阿弥
  陀如来の分身を祀って、鎌倉期に建立されたという。

   この宝篋印塔は墓地の片隅に置かれており、残念
  なことに基礎と相輪が完全に喪失している。
   現在の基礎には、写真で見る通り、何とも無粋で
  荒削りな石が使われている。妙な代用よりは、まだ
  マシと考えるべきだろう。
   それに比して、笠と塔身の美しさは無類で、古式
  の塔のみが発するオーラの如き別格の輝きが感じら
  れた。

   笠は、六段の上部と隅飾、軒口と下部二段の全て
  が一体に造られている。二弧無地の隅飾は、外側は
  ほぼ垂直で反りが無く、表面が軒口と段差無く完全
  に一体化しているのは、輿山往生院(生駒)や妙法
  寺薬師堂(八日市)など数例しか無い古式であろう。
   塔身は約40
cm角の立方体で、月輪の内側に蓮華
  座を彫り、その上に金剛界四仏種子の梵字が乗って
  いる。写真は左側がキリーク(阿弥陀)、右がタラ
  ーク(宝生)である。彫りはかなり浅く、陰影がは
  っきりとしない。
   しかし何と、この南側のタラーク面に、弘安三年
  (1280)という年号が彫られていたのである。近江に
  は弘安二年銘の宝篋印塔が在るが、塔の部材に問題
  があるので、事実上は最古の部類に入る、とだけ申
  し上げておく。
   
     

    
   
     妙法寺薬師堂宝篋印塔 (滋賀県東近江市<旧八日市>)
    
   
   旧八日市市の妙法寺という集落の真ん中に、
  この薬師堂という小さなお堂が建っている。宝
  篋印塔はそのお堂のすぐ脇に、花などに飾られ
  て祭られていた。
   塔身正面に彫られた、蓮華に座す阿弥陀如来
  像に対する信仰なのかもしれない。
   基礎には、両側の余白を広く取って輪郭線を
  入れ、中に格狭間を彫っている。
   全体がどっしりとして見えるのは、笠の隅飾
  りが軒と一体となった直立一弧の古式であるか
  らだろう。
   塔身の阿弥陀像左右に、永仁三年(1295)とい
  う銘が入っている。鎌倉後期の最初とはいえ、
  中期以前には作例のほとんど無い宝篋印塔の中
  では、比較的古い方だといえるだろう。
   相輪は従前には下半分が喪失していたのだが、
  今回は完全な形になっているので目を疑ってし
  まった。しかし、それほどの違和感は無く、上
  手に下半分が修復されたものだろう。
   宝篋印塔に限らず、石塔の部材については種
  々の問題が提起される。別の部材が組み合わさ
  れているのではないか、という疑問が最大のポ
  イントなのだが、歴史的時間の中では当然有り
  得ることだろう。様式のズレ、材質の違い、美
  意識の違い、などを基準に判断する、しか方法
  は無い。
          

   
   
     光林寺宝篋印塔 (滋賀県東近江市<旧八日市>)
   
   
   前掲の薬師堂と同じ集落で、ここは国道に面
  した寺域の大きなお寺である。
   本堂の南側が広い墓地になっており、宝篋印
  塔はその一画に建っていた。近世の墓石が並ぶ
  中で、この鎌倉時代後期の秀麗な宝篋印塔は古
  塔ならではのオーラを放っていた。

   基礎の四方は格狭間が彫られ、中には蓮華が
  あしらわれている。
   塔身には金剛界四仏が、梵字種子によって表
  されている。やや彫りは浅いが、大らかな筆致
  である。写真は左が阿シュク(ウーン)、右が不
  空成就(アク)である。ちなみに、あとは阿弥陀
  (キリーク)と宝生(タラーク)の二仏である。
   隅飾りは輪郭の付いた三弧形式で、その中に
  蓮華座に乗る月輪に梵字「ア」が刻まれている。
   相輪は完存しており、破綻は無い。

   基礎に嘉元二二年とあり、嘉元四年(1306)を
  表している。鎌倉時代後期ということだが、全
  体に洗練され均整の取れた逸品である。

   近江には石造品の遺構が多く残されており、
  特に宝篋印塔に関しては傑作の密集地であると
  も言える。
          

       
   
     地福寺宝篋印塔 (滋賀県東近江市<旧八日市>)
      
      
     八日市市が五個荘や蒲生などと共に東近江市
  に統合されてしまい、石造美術や松尾神社の庭
  園でお馴染だった“八日市”という地名が消え
  てしまったのが残念である。
   この寺は旧八日市市の東、近江鉄道の市辺駅
  に近い糠塚という田園地帯の集落に在る。

   門を入った直ぐ左側が小さな墓地になってお
  り、土塀に沿った場所に建武三年 (1336) とい
  う南北朝初めの年号が記された宝篋印塔が建っ
  ている。
   
   基礎には開蓮華が浮き出た格狭間が彫られ、
  複弁の反花座に載っている。
   塔身の四方には、月輪に囲まれた金剛界四方
  仏の種子梵字が彫られている。正面はタラーク
  (宝生)で、右がウーン(阿閦)である。
   笠は下部が二段、上部は五段で、二弧の隅飾
  りには輪郭内の月輪に梵字バン(大日)が彫ら
  れている。小振りな宝篋印塔ながら、なかなか
  気の利いた装飾だといえる。
   相輪は太い割りに華奢に見えるのは、上部の
  宝珠と下部の請花が極端に尻すぼみになってい
  るからだろう。これは南北朝の特徴で、豪放な
  鎌倉期から典雅な様式へと移行しつつある過渡
  期の作品であると言えるだろう。

   左に立つ板碑は、室町期の名号板碑である。  
             

     
    
     百済寺塔身輪式宝篋印塔 (滋賀県東近江市愛東)
     
    
   湖東三山の一つ百済寺には、先日降った雪が
  残っていた。本坊喜見院の庭を見てから、老杉
  鬱蒼たる参道の石段を滑らぬように注意しなが
  ら本堂へと登った。
   その名の通り聖徳太子開基という深い歴史を
  有していたが、信長の侵攻の際に焼き尽くされ、
  現在の堂宇は全て江戸期に再建されたものらし
  い。

   本堂右手の雪の中に、問題のこの石塔が建っ
  ていた。塔身以外は完璧な宝篋印塔なのだが、
  塔身の角が削られて五輪塔の水輪に似た球形と
  なっていることが最大の特徴である。輪篋折衷
  と呼ぶ向きもあるが、これは塔身輪式宝篋印塔
  または球心宝篋印塔とでも呼ぶほうが理に叶っ
  ているかもしれない。

   無理矢理組み合わせたのではないか、という
  危惧があったのだが、実物を見る限り、相輪・
  笠・球心・基礎など完備しており、違和感は全
  く無い。
   塔身の四方仏、直立する隅飾、格狭間の蓮華
  模様など、鎌倉期らしい剛健さを秘めた落ち着
  きを感じさせる美しい石塔である。
         

       
   
     乾徳寺宝篋印塔 (滋賀県東近江市五個荘)
      
      
   旧五個荘町川並という場所にある寺で、東近江
  市という陳腐な命名に些かの噴飯を覚えている。
   紅葉の名所として知られる寺だが、江戸時代の
  創建なので、何故鎌倉後期の宝篋印塔が存在する
  のかは明確ではない。

   この宝篋印塔は墓地の隅に建っているが、近年
  発見されて周辺が整備されたらしい。
   何よりも、基礎から永仁五年(1297)という、鎌
  倉後期の年号が発見されたことがとても鮮烈だっ
  た。
   
   写真で見る通り、基礎には優美な格狭間が作ら
  れ、中に素朴な近江三茎蓮が彫られている。
   塔身には、背後をくり抜き半浮彫された四方仏
  坐像が意匠されている。
   笠は上部六段で、隅飾の先端が微かに反ってい
  る様に見える。三弧の輪郭内にはそれぞれ小さな
  月輪が浮き出るように彫られ、その中に梵字「ア」
  が彫られている。
   彫刻装飾が過多かとも思われそうだが、石塔全
  体の像容がまことに壮麗であり、繊細な品位も感
  じられることで見事な均衡を保持しているようだ。

   失われた相輪に代わって小五輪塔の部材が置か
  れているが、全くの無意味であり、古塔の尊厳を
  汚すものと考える。
   
     

       
   
     梵釈寺宝篋印塔 (滋賀県東近江市蒲生町)
      
      
     日本最古の木像宝冠阿弥陀如来像を拝んだ後、
  境内に安置された形の良い宝篋印塔に目が釘付け
  になってしまった。

   嘉暦三年 (1328) という鎌倉末期の銘があるの
  だが、全体像は中後期の雄渾な面影を残している
  ようにも見える。
   写真の塔身には金剛界四方仏の梵字が彫られて
  おり、南正面にタラーク(宝生)が見える。その
  右側 (東)は通常ウーン(阿閦)なのだが、北側
  のアク(不空成就)と入れ替わっている。理由は
  不明だが、単純ミスの可能性もある。残りの一つ
  は西のキリーク(阿弥陀)である。

   基礎の側面は格狭間で飾られているが、写真で
  見る通り、正面の格狭間内に一羽の孔雀が彫られ
  ている。他の面には蕾・開蓮華・散蓮華の三種が
  彫り分けられており、何とも細やかな配慮の行き
  届いた意匠であると言える。
   基礎上部の単弁反花がさりげない優雅な装飾で、
  このあたりは鎌倉期の武骨さから南北朝の洗練さ
  れた形式への脱皮を物語っているようにも見える。

   相輪は見るからに新しくみえるのだが、実は流
  失していたものが門前の田の中から近年発掘され
  たからだそうで、この塔のものであることが確認
  されたそうである。
        

   
   
     比都佐神社宝篋印塔 (滋賀県日野町)
    
      
   日野町に十禅師という珍しい名の集落があり、
  その村外れに木立に囲まれた静かな別天地とも言
  える当社が在る。
   参道を歩けば、拝殿の手前左手に大きなこの宝
  篋印塔を見る事が出来る。

   先ず目に入るのは基礎の装飾だろう。四方は輪
  郭線に縁取りされ、その中の格狭間には写真の向
  かい合った孔雀のほか、蓮華の花や銘文などが彫
  り込まれている。特に孔雀が素晴らしかった。
   次に塔身の梵字種子だが、ここでは胎蔵界四仏
  が彫られている。写真は、蓮座に載った月輪の中
  に彫られた「ア(宝幢如来)」である。

   笠の隅飾は三弧であり、笠上の段が七段と豪華
  な造りになっている。堂々として見えるのは、こ
  れらの意匠によるものだろう。
   塔身に銘文が彫られているのだが、摩滅してい
  てほとんど読めない。嘉元二年(1304)という紀年
  銘があるはずなのだが、言われてみれば微かにと
  いった程度だった。

   相輪は失われているものの、全体に品格の漂う
  落ち着いた風格ある宝篋印塔である。近江地方の
  鎌倉時代後期を代表する秀作である、と言える。
         

    
   
     寂照寺宝篋印塔 (滋賀県日野町)
     
    
   日野町の東外れに蔵王という集落があるが、
  この寺は街道沿いの小高い丘の上に静かに建っ
  ている。
   本堂の前庭左手に、写真のような宝篋印塔と
  宝塔の二基がさりげなくたたずんでいた。
   宝篋印塔の隅飾が古式の馬耳状であるのを見
  ただけでも、この塔が相当古いものであること
  が判る。

   隅飾は一弧で装飾は無いが、それがかえって
  簡素ながら格調高い洗練された味わいを感じさ
  せる。
   塔身には、蓮華座に載る四方仏が半肉彫で表
  されており、均整の取れた立ち姿となっている。
   基礎には輪郭、格狭間が意匠され、その中に
  三本の蓮華が彫り込まれている。やや摩滅して
  いて、写真ではよく見えない。
   塔身や基礎の優れた装飾と、笠の簡素な古式
  とはやや異質だが、これは鎌倉中期から後期へ
  の過渡期だったのではないかと解釈した。

   写真奥の石造宝塔も見応えのある作品で、鎌
  倉後期のものである。いずれも相輪は後補であ
  る。
          

       
   
     阿弥陀寺宝篋印塔 (滋賀県竜王町)
      
      
   このお寺は竜王町の弓削(ゆげ)という里にあり、
  近江八幡市とは日野川を境界として隣接している。
   訪ねたのは八月地蔵盆の前で、里中に祭られた無
  数の石仏それぞれに、色とりどりの可愛い前垂れが
  結んであった。里人の篤い信仰心が感じられ、無味
  乾燥な都会暮らしを振り返らされていた。

   基礎に正安二年(1300)の銘があり、鎌倉後期を代
  表する古塔の一つであることが判る。
   基礎の格狭間には開いた蓮華文様が浮彫されてい
  て、関東の質実な宝篋印塔との違いを如実に知るこ
  とが出来る。
   更に、基礎の上段には複弁の反花が彫られている。

   塔身の梵字は比較的穏やかで、胎蔵界四仏の種子
  を表している。写真は「ア」で宝幢如来を象徴して
  おり、他の三面の梵字は「アー・アン・アク」であ
  る。胎蔵界四仏は余り知られていないのだが、ちな
  みに他の三仏は、開敷華王・無量寿・天鼓雷音、と
  されている。アン(無量寿)を阿弥陀と解釈する向
  きもあり、この件は研究不足をお詫びせねばならぬ。

   隅飾は三弧で、輪郭の中に月輪・梵字は通例なの
  だが、梵字が四方で変っているのが特徴である。写
  真の左隅飾は「ア」で、他に「アン・アク」が見ら
  れた。ここにも、胎蔵界四仏が彫り込まれているよ
  うだ。
   相輪は伏鉢、請花が完備し、九輪の内の二輪が残
  されている。
     

      
   
     鏡山旧西光寺跡宝篋印塔 (滋賀県竜王町)
      
      
     この宝篋印塔の前に立つと、直ぐに気が付く
  ことが二つある。
   一つは塔身の四隅に立った梟(フクロウ)ら
  しき鳥が彫られていること、もう一つは基礎部
  分の格狭間に向き合った二羽の孔雀が彫られて
  いることである。
   
   塔身の鳥形は宝篋印塔の原形とされる中国の
  銭弘俶(せんこうしゅく)塔に由来するもので、
  京都の北村美術館に在る旧妙真寺宝篋印塔と並
  び称されるものである。
   北村美術館の塔はほとんど見学不能であり、
  おまけに撮影禁止なので、ここの写真は大変貴
  重だと言える。
   塔身の梵字は、金剛界四方仏を象徴している。

   基礎の格狭間は背面を除く三方に彫られ、中
  にいずれも近江らしい模様である孔雀が意匠さ
  れている。石塔巡りの中で孔雀の文様を発見す
  ると、とても嬉しく感じるのは何故だろう。

   切石による二段の基壇、基礎上部の複弁反花
  座などが、この宝篋印塔の印象を壮麗なものに
  している。
   やや反った三弧の隅飾には輪郭・月輪・梵字
  が施されており、バン(金剛界大日)とカ(地
  蔵)が交互に彫られている。
   銘は無いが、総体的に鎌倉後期の塔と考えら
  れる。
             

      
   
     篠田神社宝篋印塔 (滋賀県近江八幡市上田町)
      
      
   近江八幡市内に点在する宝篋印塔の内、鎌倉期の
  作を三基見た。先述の東川町のもの、池福寺のもの、
  そしてここ篠田神社のものである。池福寺の塔は鎌
  倉中期と言われているのだが、残念なことにかなり
  荒廃してしまっているようだった。

   この塔は、神社への参道の西端に祀られていた。
   基礎部分に正安三年(1301)の銘があり、鎌倉後期
  の作であることが立証されている。時代を物語るよ
  うに、周囲の空気を緊張させる程の威厳に満ちた壮
  麗な佇まいである。

   開き蓮華の彫られた格狭間が優雅な基礎、その上
  の複弁反花、金剛界四仏の梵字種子が四方に彫られ
  た塔身など、完璧とも言えそうなバランス感覚で造
  立されている。
   塔身の種子が、月輪内で蓮華に乗っているという
  のが珍しいかもしれない。
   隅飾が立派で、三弧の輪郭内に蓮華に乗る月輪が
  浮彫され、その中に梵字「ア」が彫られている。
   年代や地域が似ているからなのか、先述の弓削の
  阿弥陀寺宝篋印塔にとても類似しているように感じ
  られた。
   失われた相輪の位置に、小さな宝篋印塔の部材が
  置かれている。乾徳寺の項でも述べた通り、こうし
  た風潮は石造美術界の恥であり、管理者の見識が疑
  われるものと知るべきだろう。
   
     

     
   
     東川宝篋印塔 (滋賀県近江八幡市)
      
      
   前述の弓削から日野川を渡った所が、近江八幡市
  の東川という集落だった。
   宝篋印塔は公民館にあるとのことで、訪ねてみる
  と、館前の広場一杯に地蔵盆の準備のため資材が積
  まれていた。
   宝篋印塔が目的だと東京からの来意を告げると、
  責任者の方は大層驚かれ、撮影が出来るように道具
  などを整理して下さった。

   高さが265
cmもある大型の塔で、何故このよ
  うな場所にあるのかは町の人も御存知ではなかった
  が、地元豪族の追善供養塔である事は確からしい。
   塔身に正和四年(1315)の銘が在り、れっきとした
  鎌倉末期の宝篋印塔なのである。
   相輪と基礎は後世のものだが、基礎上部の厚みの
  ある堂々とした複弁反花に圧倒される。このヴォリ
  ューム感溢れた事例は、そうは無いだろう。
   塔身には金剛界四仏の種子が彫られている。蓮華
  に乗る月輪の中に梵字があるが、在銘のアク(不空
  成就)部分にのみ月輪は無い。写真はタラークで、
  宝生如来を象徴している。
   隅飾は別石であり、三弧輪郭付きで微かに外側へ
  傾斜している。
   部分的に欠落はあるものの、当代の雄渾さを良く
  表した秀逸な宝篋印塔だろう。
     

       
   
     徳源院宝篋印塔群 (滋賀県米原市)
      
      
   伊吹山の南麓、旧山東町の清滝にある名刹とし
  て知られる。旧中仙道の柏原宿から山間に入った、
  静かな聖域である。

   三重塔の奥に広大な墓所があり、石段を登った
  細長い高台に、先祖代々近江の守護職だった近江
  源氏佐々木京極氏の墓塔が十八基、横一列に並ん
  でいた。
   大小の差異はあるものの、いずれも大型の宝篋
  印塔であり、古塔を中心に居並ぶ光景は誠に壮観
  だった。
   初代京極氏信塔の永仁三年(1295)から、十八代
  高吉塔の天正九年(1581)までが揃っている。時代
  の変遷に伴って、宝篋印塔の様式がどう変わって
  いくのかを学ぶ最良のテキストとなっている。
   写真は、右が初代氏信塔である。隅飾は三弧で、
  蓮華座に月輪内の梵字「ア」が彫られている。塔
  身には堂々たる筆致の金剛界四仏種子、基礎の格
  狭間には近江特有の三茎蓮華を見ることが出来る。
  基礎上部には反花も彫られており、鎌倉後期らし
  い重厚さの中に、卓越した意匠の装飾を施した傑
  作であると思う。
   左は三代貞宗塔で、嘉元二年(1304)の銘のある、
  これもほぼ同様の意匠で飾られた鎌倉後期の秀逸
  な塔である。
   ちなみに、十九代以下京極高次までの宝篋印墓
  塔は、手前の下の段に並んで建っていた。
     

     
       
     青岸渡寺宝篋印塔 (和歌山県那智勝浦町)
     
     
   熊野詣でと西国巡礼(第一番札所)を兼ねて、
  この寺を訪ねた。展望台から眺める三重塔と那
  智大滝の絶景に歓声を上げ、それからふと振り
  返った時、何とも豪壮なこの塔が目に飛び込ん
  できたのである。

   重要文化財「宝篋印塔」元亨二年(1322)、と
  書かれた看板が横に立っている。
   京都などのものと比べ、全体に野太い印象を
  受けるが、随所に手をかけて施された意匠を見
  る事が出来る。

   塔身の梵字は金剛界四方仏で、正面の「アク」
  から左に「ウン」「タラーク」「キリーク」が
  彫られており、其々が不空成就、阿シュク、宝
  生、阿弥陀の各如来を象徴している。
   見事な格狭間を彫った基礎の上下に複弁反花
  が意匠されていて、剛毅な中に繊細な美意識が
  散りばめられている感がする。

   隅飾はやや小さい二弧式で、輪郭の中に月輪
  を浮き彫りとし、中に梵字が刻まれている。
   大勢の参詣が有るにも関わらず、この見事な
  石塔に目を向ける人がほとんど居ないというの
  は余りにも残念でならない。
             

   
    
     浄妙寺宝篋印塔 (神奈川県鎌倉市)
    
     
   金沢文庫から朝比奈峠を越えて鎌倉に入ると、
  最初に御目にかかる名刹である。
   階段を上り山門をくぐると、そこはもう仙境と
  いった風情の寺である。
   本堂裏手の高台が墓地になっており、この宝篋
  印塔はすぐ手前のテラスのような開けた場所に建
  っていた。
   この搭は石造美術の本で取り上げられることは
  比較的少ないかもしれない。紀銘年が室町最初期
  の明徳三年(1392)だからであろうか。
   私は年号に関係なく、名品として印象に残った
  ので取り上げてみた。
   時代を良く表しているのが、隅飾りの傾斜であ
  る。時代が下るほど、傾斜が外に向かって開いて
  くるのが面白い。ここでは、やや傾斜し始めてい
  る程度であり、南北朝から室町にかけてという時
  代が設定できるのである。
   搭身の座仏浮彫が印象的だったし、反花座で仕
  切られた二段の基礎も鎌倉らしい様式である。上
  段は二区に仕切られ、下段は二区格狭間が彫られ
  ている。
   相輪は新しいような気がするが、様式は整って
  おり、関東様式の宝篋印塔として見応えのある作
  品である。
          

    
    
     安養院宝篋印塔 (神奈川県鎌倉市)
      
     
   安養院は坂東巡礼の第三番札所となっており、
  第二番札所のある逗子から通じる街道沿いに在る。
   現在の寺域はさして広くはなく、山門を入ると
  直ぐ正面が本堂である。
   重文に指定されたこの宝篋印塔は、本堂の真裏
  に建っている。
   基礎の反花座は見事な彫りであり、基礎、搭身、
  笠の上の露盤などに至るまでが輪郭線で彫り込ん
  であるところが関東形式の特徴であるが、当搭は
  その特徴が最も美しく表現された最高傑作のひと
  つだと言えるだろう。
   高さが3.35mという大型の石塔ながら、各
  部分に繊細な表現が成されていて大味な印象は微
  塵も感じさせない。
   搭身には梵字で金剛界四仏が彫られており、蓮
  座と共に洗練された筆致で彫られている。時代が
  後期なので、初期の板碑などに見られる雄渾な梵
  字でないのは致し方の無いところだろう。左が阿
  弥陀如来(キリーク)、右は宝生如来(タラーク)で
  ある。
   相輪はどうやら後補のようである。
   基礎の一部に、徳治三年(1308)の紀年銘があり、
  鎌倉の宝篋印塔としては御坊谷に在る搭の窪やぐ
  ら内のものに次いで古いものである。
   それにしても、余りの秀麗さに息を呑むようで、
  しばらくは立ち去りがたい思いに駆られていた。
           

      
   
     風立寺宝篋印塔 (山形市下東山)
      
      
   「ふうりゅうじ」と読む寺で、山形から山寺へと
  向かうJR仙山線の高瀬駅から、少し山間に入った
  場所にある。
   ここに東北では貴重な、鎌倉期と思われる宝篋印
  塔の遺構が保存されている。

   宝篋印塔は阿弥陀堂の右手奥、少し小高くなった
  斜面に、写真のように少し傾いて建っていた。

   基礎の側面は無地だが、上部に厚みの無い三段が
  設けられ、その上に塔身が乗っている。
   塔身の正面だけだが、蓮華座に乗る月輪の中に、
  梵字「アーク」が彫られている。これは、胎蔵界大
  日如来を象徴しており、他の面は無地のままである。

   笠は上部五段に二区の露盤、下部は薄い三段とい
  う変則的な造りである。
   最大の特徴は隅飾で、二弧輪郭付きの幅広な形は
  余り類例の無い珍しいものと思われる。
   軒の両端が斜めにカットされているので、隅飾も
  その傾斜に合わせてやや外側に反っている。

   相輪は失われ、全体的に荒れ果てた印象は拭えな
  いが、見るからに凛とした古色の風貌と、歴史が醸
  し出す立ち上がって来るような香りとが、この旅で
  捨て難い感動を与えてくれたのだった。  
     

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