建築産業の未来への一考察

     中国人が華僑となり世界各地に移住し、いたる所に中華街を作って
    繁栄した生活を送っている。醤油を調味料のベースとして作られた
    料理は、世界中いたる所で好まれ、中華飯店を中心に中華街は
    世界中で栄えてきたわけである。世界一の調味料醤油は中華料理を
    世界一の料理に仕立て上げたわけである。
    意図したことであれそうでなかれ、移民としての華僑が中国の食文化
    をグローバルなものにし、また中国人が世界各地で根を生やし子孫が
    繁栄した生活をしているという事は周知の事実であります。
    日本国に置き換えてみると移民として海外に生活の場を求めた人々
    の職種はなんといっても農業が主流ではなかった事と思います。
    アメリカカリフォルニア州に渡った先人は後日、カリフォルニア米と言わ
    れる日本のお米に負けない新種を米国で作りあげ、米国民の食生活
    に多大なる貢献をしてきたわけである。
    世界のグローバル化は移民達その子孫達に負うところが大である。 
    意図した事であるかないかは別問題として、偶然の結果グローバル化
    を担ってきたのは事実の事と認めるところであります。
    移民の原点にあるものが自国での生活が困難である人々が新天地を
    求めて他国に渡って生活をする。移民する人々の職種に関してはそれ
    ぞれ国柄、時代、移民先によって変化するものと思います。 

     我が国の現状、我々建設コンサルタントの現状、建設関連産業の現
    状と未来を冷静な観点から見てみると、楽観的にいられるか悲観的に
    ならざるを得ないか、皆様のご想像のとおりではないかと思います。
    我が国においては建設関連産業はほぼ役割を終えようとしている様な
    気がします。戦後立ち上がった数々の職種も日本国においては役割を
    を終え、消滅したり発展途上国の人々に受け継がれたりしています。
    需要と供給の市場経済の原理にそって職種も自然の摂理の中で立ち
    上がったり消滅したりします。
    戦後の国土復興に建設関連産業は中心的役割を担ったにもかかわら
    ず、昨今は時代のお荷物の様相を呈してきました。
    しかし、我々の視野を日本国内だけではなくグローバルに世界視野に
    シフトした場合建設関連産業が世界の需要に対してどうであるかと考え
    た場合、私の推論で言いますと、今の世界では潜在的に需要は限りな
    くあるものと思われます。
    我が国の現状は需要もないのに供給しますと、四国地方で建設された
    同じ用途の橋を莫大な金をかけて何橋も作ったり、100年確率のよう
    な基準で莫大な金をかけてダム建設を計画したり、完成した時点で通
    行量がごくわずかしかないであろう高規格道路を建設したり、需要があ
    るから供給するのではなく、供給する為に需要を計画するという主客転
    倒の現象が起きている有り様です。
    なぜこのような現状になってしまったか検証してみたいと思います。

     戦前戦後国土建設の為、日本国民の食糧を確保する為、建設省及び
    農林省その他の省は明確な目的を持ち、そこで働く役人は日本全国か
    ら優秀な人々が集まり国のため、国民のためと一種の使命感を持ってい
    たのではないでしょうか。やらなければならないこと、それこそが真の需
    要であると思います。使命感を持った人々が復興をほとんど終えた時、巨
    大な組織と巨大な企業が後に残された。恐らく私の推測を申しますと、戦
    後数十年経つわけですが、懸命で賢明なる人々は戦後の半道中で予測
    ができた事と思います。
    使命感のある人々は損得抜きで事業にあたるわけですから、復興も
    世界史の奇蹟のように行われてきました。
    貧しかった時代に最高学府で学べた人々は地域から押し上げられ、他
    の者達の期待を背負って勉学に励んだ事と思われます。
    国民全体が豊かになってくると、真の意味で使命感の有無に関わらず産
    学共同体の一種の弊害でもあるペーパーテストの結果が高学歴となり、
    国家試験に合格したり、大手の企業に就職したわけです。
    その時点で国家のため、民のため、使命感、期待を背負って事にあたる 
    とは別に、自己の生活の向上、自己の地位の向上に、大多数の人々が
    向かっていったわけです。
    大手の企業に働くものにとっては企業の発展が優先であるわけですが、
    国の役人になった者は国の発展、国民の繁栄を優先に考えなければな
    らなかったはずですが、国が豊かになるという事はぬるま湯につかる事
    とはき違えが国中で起こってしまった事と思われます。
    使命感が自己のため、命がけがぬるま湯の変節は、需要の為の供給で
    はなく供給の為の需要の構造を知らず知らずに作り上げてしまいました。
    これを発展と裏返しのメカニズムと大らかな気持ちで片付けてしまうのか
    それとも一時の日本国民の休息と捉えるのか。
    過去に繁栄した国々ベニス・オランダの様に短いスパンで繁栄すること
    で満足する国民性であるのか。この辺の事は民俗学を研究する人々に
    任せたいと思います。

     島国で育つ我々が島国根性から解き放たれ、グローバルな意識に目
    覚めた時、再度日本国は永遠の繁栄と、世界の人々の尊敬と感謝の対
    象になりうることを念じて、建設産業における一考察は終わりたいと思い
    ます。

                         平成15年7月24日   江盤 弱損