さて、日本中を旅行していると色々な出来事に遭遇いたします。その 中には、危険な目にあったことや、ラッキーなことも、そしてムフフな ことも…(^^;)  私の旅行の体験談を「藤次郎旅行記」とでも題して書き込んでいきた いと思います…(^^;)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第26話 「聖地巡り一人旅強行軍 =後編=」  またまた、前回の続きです。 10/19 07:15 現在位置:滋賀県大津市”ホテルブルーレイ ク大津”にて、  昨晩はよく眠れましたが、連日の強行軍で足に疲労がたまっています。  これから比叡山を越えて再び京都入りするので、大丈夫でしょうか?  天候は晴れ、昨日の晩の天気予報では午後一時雨と言うことですが、 雨が降るのは鞍馬山を降りてからにして欲しいと思っています。  比叡山は本当の山道での行軍なので、バッグの重量を軽くするため、 重い物はディバッグになるべく入れるように持ち物の構成を変えました。  朝食を食べて比叡山に出発します。 10/19 19:20 現在位置:新幹線のぞみ24号車内にて、  本来なら、とうに東京の自宅に戻っていなければならないのですが、 予定時間の誤算に次ぐ誤算で今京都駅を出発しました。…それにしても、 新幹線車内でのタイピングは揺れて揺れて、たたでさえ、手が遅く、し かもミスタイプが多いのに、先から目標が狂いっぱなしです…新幹線の ぞみも、案外揺れる物です。  …それはともかく、話を元に戻すと、本日の予定は実は、比叡山を京 都側に降りたら後は何とかなるさという気分で行動予定を鞍馬寺に行っ て参詣後、京都駅に行って家に帰るという大目標だけで、電車の運行間 隔,ルート行動予定時間等を適当に見積もっていたのでした…(^^;  何はともあれ、本日のレポートを始めます。  ホテルを出発して浜大津駅から坂本駅に向かいます。大津で宿泊した ホテルは、坂本まで行っている私鉄の京阪電鉄の駅のすぐ側で、今朝電 車の警笛で目を覚まさせられました。  坂本は、太閤豊臣秀吉公の信長公奉公時代のライバルであった、明智 光秀公の城下町でした。  電車を降りると、そこは比叡山延暦寺関係の寺院が建ち並んでいます。  それを横目で見ながら、比叡山に登るケーブルカーの駅に向かって行 くと、途中に”日吉大社”があります。  ”日吉大社”は、全国にある”日吉神社”の総本宮でして、比叡山の 地主神でもあります。  また、”日吉大社”の御輿は、その昔比叡山の門徒が時の朝廷に訴え たいときに(強訴と言います。今のデモみたいな物です)、この神社の 御輿を担いで京の都に繰り出したそうです。  今ある御輿は昭和の時代の物だそうですが、倉には今でも桃山時代の 物があり、見ることができます。  ”日吉神社”を出て、よいよ比叡山に登ります。  比叡山に通じるケーブルカーは琵琶湖側と京都側の2本ありますが、 琵琶湖側のケーブルカーは、日本一長いケーブルカーだそうです。  その長いケーブルカーに乗って比叡山に降り立つと、そこは東塔地区 です。  まずは、ケーブルカーの駅から歩いてすぐの”根本中堂”に行きまし た。それから、その付近のお堂を見て回り、東塔地区のバスターミナル に行きました。  私は、長いこと比叡山に”東塔”とか”西塔”と言う塔がある物とば かり思っていましたが、実は、”東塔”とか”西塔”と言う塔はなく、 比叡山に散らばっているお堂の集まりの地区を指す言葉なのだそうです。  また、”比叡山延暦寺”と言いますが、”延暦寺”というのは、比叡 山にはありません。でも、比叡山の山腹に点在するお堂全体を差して ”延暦寺”と言うのだそうです。  また、”東塔””西塔””横川”と呼ばれるお堂のまとまっている地 区は、比叡山全体に及び、その間は比叡山山頂も含めてシャトルバスが、 30分間隔で運行されています。  ここでの私の誤算は、当初の予定ではこの間を重い荷物を担いで歩き 回ることでした。  しかも山間部です。舗装路や砂利が浅い道では、極力カートを転がし ていましたが、上り下りが多く、砂利道で重い荷物を引っ張り上げたり する苦労は、想像を超える物で、実は今、司馬遼太郎の”坂の上の雲” と言う日露戦争の小説を読んでいるのですが、山砲と言う小型の大砲を 引っ張って戦線を歩く日本兵の苦労はいかばかりかと、それよりはるか に軽く小さな荷物に苦労している自分はこの当時の日本兵に申し訳ない 発言かもしれませんが、思いひたってしまいました。  そして、道の上り下り加えて連日の行軍での足の筋肉痛を全く計算に 入れてなかったので、バスターミナルでへたばっている内に、予定を変 更してシャトルバスを利用することにしました。  シャトルバスを利用すれば移動時間や疲労も少なくて済むので、私は 最初予定に入れていなかった”横川”地区にも足を延ばすことにしまし た。  シャトルバスに乗って最初に行った場所は、”東塔”地区から比叡山 の一番奥にある”横川”地区です。  ここは、伝教大師がこの延暦寺を開山した数百年後、鎌倉時代に開山 した6つの宗派の宗祖の内、道元禅師,日蓮上人,親鸞聖人が若い頃修 行をしていた場所だそうです。  次に行った場所は、”西塔”地区です。  この地区は、前回で話をした源義経の家来である弁慶が義経に出会う 前にいた所です。  ”横川””西塔”両地区共に、重い荷物と筋肉痛のため、主な御堂し か参拝しませんでした。  ”西塔”地区から比叡山山頂に行きました。  そこから京都側に降りるのですが、その前に見たい物があります。  それは、”将門岩(まさかどいわ)”です。この岩は、平安時代中期、 関東と瀬戸内海で相次いで時の朝廷に反乱を起こした平将門(たいらの まさかど)と、藤原純友(ふじわらのすみとも)がこの岩に腰掛けて京 の都を望みながら反乱を示し合わせたという伝説があります。今は、比 叡山山頂の遊園地内にあります。  さて、京都側に降りるわけですが、京都側へ降りるロープウエイ,ケー ブルカーそして、鞍馬へ行く電車との乗換駅に行く電車の間隔が開きす ぎて、ここでも誤算が生じました。  比叡山の観光客の殆どは、今ではバスを利用するのだそうで、ロープ ウエイ,ケーブルカーを乗り継いで比叡山に登るルートは寂れているよ うです。  比叡山の門前町は琵琶湖側にあって、比叡山の僧侶は、大体が琵琶湖 側から登るみたいです。  ケーブルカーで京都側に降りる頃、雲行きが怪しくなって来ました。  比叡山の麓にある八瀬遊園駅から叡山電鉄の電車を乗り継いで鞍馬山 の麓の鞍馬駅に到着しました。  この時点で、行動予定時間は狂いっぱなしですので、暗くなる前に京 都駅に到着すればいいと言う気になっていました。  ”鞍馬寺”は、その昔源義経がまだ牛若丸(遮那王)と名乗っていた 頃に、この”鞍馬寺”に稚児として預けられていた場所です。  鞍馬駅を降りて”鞍馬寺”の参道を歩いていると、数日後に行われる ”鞍馬の火祭り”に使用する巨大な松明を作っていました。  この”鞍馬寺”も修行の寺として鞍馬山全山にわたってお堂があるの で、ここは最初っから本殿のみと予定していました。  仁王門から一気にケーブルカーで登り、そこから歩いて本殿に向かい ます。  でも、本殿はケーブルカーの駅よりもなお階段をかなり上ったところ にあり、筋肉痛の足を引きずりながら何とか本殿にたどり着くとその先 に足が出ない状態にまでなってしまいました。  その場でへたりこんで、両足をマーサージした後、他の人たちが奥殿、 さらには”貴船神社”に向かうのを見ながら、一人山を下ることにしま した。  途中、”由岐神社”という鞍馬山一帯の氏神を参拝した後、京都駅に 向かって鞍馬山を後にしました。  鞍馬駅から京都市街に向かう電車は、出柳町駅と言う京都駅からは、 ほど遠い所で終点になります。  この先は、バスに乗って京都駅に着くわけですが、京都駅に向かうバ スの乗り場が判りません。  その内に心配していた雨が降ってきました…  迷って歩いている内に目の前に”下賀茂神社”と言う看板が目に入り ました。  私は雨が降っているにも関わらず、”下賀茂神社”に向かって歩き出 しました。  長い参道を歩いて、ようやくたどり着いた社で参拝し、そこからバス に乗って京都駅に向かいました。  途中、三条,四条と言う京都でも賑やかな場所を通り、バスは京都駅 に着きました。  そこで、新幹線の切符を手配してお土産を買って夕食を取り、車中の 人となりました。  帰りの新幹線の中でこの数日の出来事が色々思い出されます。  行きの夜行バスでの苦労、高野山奥の院の景観,女人堂での静寂,吉 野での蔵王堂仁王門でのドジ,吉水神社で見た宝物,橿原神宮の大きさ, 西大寺の境内で遊ぶ子供達,三井寺の景観,比叡山で見たお堂と、荷物 を担いで登った階段や砂利道での苦労…などなど…  …明日は、全身筋肉痛だろうなぁ…(^^; −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。