さて、日本中を旅行していると色々な出来事に遭遇いたします。その 中には、危険な目にあったことや、ラッキーなことも、そしてムフフな ことも…(^^;)  私の旅行の体験談を「藤次郎旅行記」とでも題して書き込んでいきた いと思います…(^^;)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第22話 「どしゃぶりの雨の中…で!」  この話は、「藤次郎旅行記 第1話」続きです…  木曽路は”妻篭”に宿をとり、天気がいいので約8.5キロ離れた隣 の宿場町である”馬篭”に向かって勇んで出発したものの、途中の馬篭 峠付近でへたばってしまい、”妻篭”に引き換えしてきました。  宿に付くと、友人達は部屋に寝ころんでしまい、「もう歩きたくない」 などと言っておりました。  私は、まだ元気があったので一人で”妻篭”の宿場町を散策しに出か けました…  ”妻篭”の町並みは、江戸時代の宿場町が再現されていて道がアスフ ァルトである事を覗けば、江戸時代にタイムスリップしたような気がし ます。  ”妻篭”は町ぐるみで、江戸時代の町並みを保存する”重要伝統的建 物群保存地区”に指定されているそうです。  以前、行った場所で江戸時代の町並みを残した所に”倉敷”がありま すが、あそこは建物を江戸時代風に着飾っていると言う表現が当てはま ると思うほど、町の見栄えを整えているだけで生活の臭いが現代のまま な感がしますが、”妻篭”は江戸時代の生活の雰囲気もそのまま現代に 伝えているような気がします。  ”妻篭”の古い町並みをぶらぶら歩き回っている内、日が暮れてきた ので宿に帰りました…  宿に帰るとそれまでテレビの前でお茶をすすっていた友人達は、私の 顔を見るなり  「お前はタフだな…疲れてないのか?」  「うん、多少足が痛い…」 と、平然と言う私の言葉に  「…多少?」 と言って絶句していました…  山菜と、山女の塩焼きの美味しい宿の料理を相伴した後、部屋に戻る と大粒の雨が軒を叩く音が…  山の天気はうつろい易いとは言え、昼間の青空を思うと…  結局翌日の朝になっても雨は止まず、旅路の2日目を迎えました。  朝、昨日友人達が宿でへばっていたため、できなかった”妻篭”の町 を観光するのにつき合い、その後車で昨日歩いて行けなかった”馬篭” に行きました。  ”馬篭”は山の斜面にある町で、町並みの一番高い所にある高札場の 所にある駐車場に車を置いて、長い坂をぶらぶら降って行きました。  ”馬篭”の町並みも江戸時代の町並みを残していましたが、町が整然 としていて、建物も新しく建て直している物が多くちょっと綺麗すぎる 感じがします。  ”馬篭”の宿場を抜けると私達一行は「是より北 木曽路」と書かれ た碑があるところに向かいました。  その途中で、私は面白い現象を見ました。  それは、遠くの方で急に雨足が強くなったかと思ったら、みるみる内 にそれが私の方に迫ってくるのです。  そしてあっという間に私達は強い風に傘を煽られ、強い雨に叩かれて しまいました。  強い雨に視界を奪われ、傘を飛ばされそうになるのを必死に抑えて身 動が出来なくなったかと思うと、急に雨が小降りになり辺りは何事もな かったかのような風景が広がっているのです。  そんな事があって再び碑に向かって歩きだしたのは良かったのですが、 行けども行けども、いっこうに碑らしい物が見あたりません。  仕方がないので、そばにあった農家におとないを入れると、  「あの碑なら、歩いて20分くらいです」 と言う返事。  友人達は事前調査係りの私に非難の声を浴びせて、しかたなく元来た 道を引き返し”馬篭”の宿場町の坂を登って行きました。  車に乗り込むと友人達は車を「是より北 木曽路」の碑に向かって走り 出しました…  (やっぱり、なんのかんのと言っても、見たいのではないか…) と、車の後席に座って私は思いました。  「是より北 木曽路」の碑の前で記念撮影をした私達一行、国道19 号線を松本方面に向かって走り出しました。  雨はいっこうに止みそうにありません、いやそれにも増して雨足が強 くなって来ました。  そのため、当初の予定では”寝覚の床”,”木曽福島”に立ち寄りゆ っくり観光する予定でしたが、豪雨のため、”寝覚の床”は展望の良い 蕎麦屋で蕎麦を啜りながら見ただけで終わり、”木曽福島”では”山村 代官屋敷”と”長福寺(木曽義仲と武田信玄の墓があります)”に行っ ただけでした。  雨は益々強く降っています。  ”薮原”をパスし、”奈良井”に差し掛かった頃、友人の提案で(木 地の土産が買いたい)”奈良井”に寄る事になりました。  ”奈良井”は先ほどパスした”薮原”と宿を取った”妻篭”と共に古 い江戸時代の町並みを残している場所で、旅行通に言わせると、”奈良 井”と”妻篭”には是非宿泊して歩き回るべきだそうです。  しかし豪雨のため、私達一行”奈良井”の観光もそこそこに土産を買 うとそそくさと車に戻り再び出発しました。  それ以降、途中立ち寄る所があるにも関わらず、豪雨のため私達一行 は”松本”市街に入って行きました。  ”松本”に入ると、雨足がやや衰えてきて時間もある事なので”松本 城”と”開智学校”を観光する事になりました。  ”松本城”は今時珍しく江戸時代の城をそのまま残している城で、中 に入ると昔の城の構造がよく判ります。また、階段が急で、ミニスカー トやタイトスカートを履いた女性が苦労して階段を登っていました。  ”松本城”を出て、すぐそばにある”開智学校”に向かいました。  現在の”開智小学校”の近代的な鉄筋の校舎を横目で見ながら行くと 和洋折衷明治建築の”開智学校”が見えるはずでした…しかし、私達の 目にはそれらしき建物が見えません、何事が起こったのだろうと、おろ おろしていると、そばにあった門の影に  『文化遺産修築工事のお知らせ』 と、書かれたパネルがあるのを見つけました。  それによると”開智学校”は、私達の立っている場所から見て、右斜 め前にあって、見ると工事用シートに覆われたビルの建築現場みたいな 所の中に”開智学校”があって、その「文化遺産修築工事」とやらは、 平成4年の8月(この時は平成4年のGW)に終わるとの事。  工事用シートを良く見ると、工事会社であろう「大林組」の文字の下 に『開智学校文化遺産修築工事』の字が…  あっ、と思った途端、雨足がまた強くなってきました…  (ここまできて…)土砂降りの雨の中、私はやり場の無い怒りに内震 えていました… −−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.1 ”馬篭”は島崎藤村縁の地で、有名な著書「夜明け前」は、       この地が舞台だそうです。       この近辺の土産物屋では、「藤村」,「夜明け前」などの銘       の地酒があります。       また、「是より北 木曽路」の碑文は藤村自身の筆だそうで       す。 P.S.2 ”松本城”は、また火縄銃のコレクションの多さでも有名で       す。       また、ミニスカートの女性が階段を登っている最中、階段の       下で彼女が登りきるまで階段の下でとうせんぼしていた彼氏       の態度に感心しました。