さて、日本中を旅行していると色々な出来事に遭遇いたします。その 中には、危険な目にあったことや、ラッキーなことも、そしてムフフな ことも…(^^;)  私の旅行の体験談を「藤次郎旅行記」とでも題して書き込んでいきた いと思います…(^^;)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第21話 「コシの強さが自慢です」  この話は、前回の「藤次郎旅行記第18話」の続きです。  前日の暴走族によって殆ど眠れなかった、私達一行眠い目をこすりこ すり南国土佐は、桂浜の宿を出発しました…  国道32号を高松に向かって走っていきました。  高知を出発するときは快晴だったのに、大歩危に差し掛かる頃雲行き が妖しくなってきて、大歩危ではとうとう土砂降りの雨に見舞われてし まいました。  なにかの本で読んだ事がありますが、「四国は日本列島の規模を小さ くしたような気候をしている」と、まさにその通りだとこの時思いまし た。  土砂降りの雨の中を一服して”池田町”の方に降りて行くに従い、雨 は小降りになってきました。  そこから更に”猪ノ鼻峠”を越えて”琴平町”に着いたのは昼を少し 過ぎた時でした。  今夜の宿は”琴平町”の町中です。国道を別れて”琴平町”に入りま した。”琴平町”の賑やかなところを避けて行く積もりでしたが、曲が るところを間違えてよりによって賑やかな”金比羅宮参道”に交差して いる土産物街に入り込んでしまいました。  こうなると大変です。道の両脇にある土産物屋の人間が盛んに呼び込 みをするからです。中には、車の前に立ちふさがるように客引きをする のも居ます。  そのため、ただでさえ、混雑している道路が益々混み、それがよけい 客引きをする土産物屋の人間の活動を活発にするという悪循環が繰り返 されます。  車が少しでも止まると、土産物屋の人間が窓を叩いて開けさせ、  「兄さん方、金比羅さんにいくんだろ?安くしとくから、うちにきな よ!」 と、言ってきます。  私達は、  「いいえ私達は、今夜***旅館に泊まりますので…」 と言うと、他の観光地なら今まで  「へんっ!そうかい!!」 と、言い放つところが、  「ああ、***さんなら、参道前の交差点を右折して橋を渡ったすぐ そこの所ですよ」 と、にこにこして教えてくれます。  さすがに、天下に聞こえた金比羅さんだなぁと、最初は思いましたが、 それが何回も続くとしまいにはウンザリしてしまいます。  そんな会話を繰り返し、ようやく耳にタコが出来かかる程聞いた参道 前の交差点を右折し、”金倉川”を渡った所にある宿に着きました。  宿でひと休みして、よいよ金比羅参りに出発しました。  小雨の中、”金比羅宮”の参道を歩いている途中で、時間もお昼を過 ぎている事だし讃岐うどんを食べに目についた店(虎屋)に入りました。  私は、以前金比羅参りをした叔母上が、金比羅参りは階段が多くて大 変だったとの話を聞いていたので、そのことを友人に話し軽く済まそう としましたが、  「ここまできて、讃岐うどんをたらふく食わねば意味がない!!」 と言われ、釜揚げうどんの一番高い奴を注文しました…当然、私も付き 合いました。  讃岐うどんをたらふく食べて腹一杯になった私一行、そろりそろりと 金比羅様の階段を登り始めました。  金比羅様は、正式名”金刀比羅宮(ことひらぐう)”といって、航海 の神様です。なぜ、航海の神様かと言うと、こんぴら=サンスクリット 語が訛った物で、ワニが神格化したものを指すそうです。仏教が伝来す るに連れ、川の神様−>海の神様−>船の神様になったのだろうという ことです。(出展、神道の本 学研)  祭神は、大物主神,崇徳天皇(平安時代、保元の乱で破れ、平清盛に よってこの地に流される)です。  長い石段で知られ、参道入り口から本宮まで785段、さらに奥社で ある巌魂(いずたま)神社まで、583段あります。  参道を登り、”大門”を過ぎ”五人百姓”の店先を通過し、”旭殿” を過ぎた後、ちょっと休憩という事で、絵馬堂横のベンチで休憩する事 にしました。  休憩の間、絵馬堂に掲げられている奉納絵馬を見ているうちに私は驚 いてしまいました。  それは、奉納されている絵馬の数の多さです。そして、その中に太平 洋戦争中の戦艦,巡洋艦,駆逐艦それから、潜水艦の奉納絵馬を見つけ たからです。  私はいつの間にかベンチから離れ絵馬堂を見て回っていました。  絵馬の中には、有名な戦艦長門,巡洋艦鳥海などがあり、良くみてい ると現代の海上自衛隊の護衛艦や、海上保安庁の巡視艇の絵馬があるの を見ました。(しかし、不思議な事に航空母艦の奉納絵馬は見あたりま せんでした)  一般の船の絵馬の中には、豪華客船や青函連絡船などもありました。 (絵馬といっても、ここの奉納絵馬はほとんどは立派な額に入った油絵 でして、中には写真パネルなどもありました)  休憩を終え、私一行本殿に向かって出発しました。  ところが、本殿は絵馬堂のすぐそばにあったのです。  その頃になると雨足が強くなってきたため、本来なら本殿から讃岐平 野が一望できるはずでしたが、何も見えずにがっかりしました。  休憩を取った絵馬堂が本殿に近かったため、本殿に付いても体力にま だ余裕があり、今まで登ってきた石段があまり急でなかったため、いっ そ奥社まで行こうと、勢いづいて奥社に向かって出発しました。  しかし、奥社までの道は、本殿までの参道とは違い、道が狭い上に石 段が急になっていました、更に石段を登るほどに雨足がいっそう強くな って行きました…  私達一行、途中休み休みフーフーいいながら急な石段を登りました。  それでも、ようやく奥社までたどり着くと今までの疲れが消し飛ぶく らいの感激が味わえました。  奥社で休憩しているとき、私一行不思議な物を見ました。  それは、奥社の社殿は山の中腹にあり崖を削ったような場所に位置し ています。  その山側の崖の途中に、天狗のお面があるのです。お面の位置は人間 の背丈ではとても届かない位置にあるのです。  誰が言ったいなんの理由で天狗のお面を掛けて在るのかは今でも判り ません…  私一行、宿に向かって元来た道を引き替えして行きました。  石段途中の土産物屋で土産を買いながら、琴電琴平駅を回って宿に帰 りました。  宿に帰って部屋でくつろいでいると、宿の主人が自ら宿帳を持ってき て、  「どうでしたか?金比羅さんにはもう登ってこられましたか?」 との問いかけに、  「はい、奥社まで行ってきました」 と、答えると、宿の主一瞬おどろいた顔をしましたが、すぐさまニコニ コして、  「そうでしたか、奥社まで…讃岐うどんみたいに腰の強いお客さんで すなぁ…」  と、言って  「そうなら、窓を開けてみて下さい、ここから奥社が見えますよ」  友人が窓をあけると宿の主、山の中腹を指さし  「ほら、あそこに…」  見ると、霧の掛かった山の中腹に一カ所だけ霧が掛かっていない場所 があり、奥社らしき建物と天狗のお面がその赤い色が鮮やかに見えまし た… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.1 金比羅様のお土産は、名物「灸まん」と「森の石松グッズ」       です。 P.S.2 戦艦大和,武蔵などの奉納絵馬は在りませんでした。多分、       奉納絵馬は進水時または進水前に奉納するのではないので       しょうか?       なぜなら、戦艦大和,武蔵は進水した当時は国家機密のベー       ルの内にひっそりと進水したためです。(しかも、この2       隻はドック内でドックに注水して進水している) P.S.3 JR琴平駅の前に讃岐うどんをこねるロボットが在るとい       う話を聞きましたが、残念ながら私は見ていません。