さて、日本中を旅行していると色々な出来事に遭遇いたします。その 中には、危険な目にあったことや、ラッキーなことも、そしてムフフな ことも…(^^;)  私の旅行の体験談を「藤次郎旅行記」とでも題して書き込んでいきた いと思います…(^^;)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第20話 「返す返すも、残念無念…=後編=」  ”伊勢神宮”を後にした私達一家は、”奈良”に向かって出発しまし た。  ”東名阪自動車道”を、”松阪”まで引き返し、国道166号線(和 歌山街道)を”吉野”に向かって走り出しました。  国道166号線は、途中国道368号(伊勢本街道)と一旦合流し、 再び別れています。  その間2キロの道のりですが、国道の標識は368号の標識になって いました。  また、国道の標識がなかなか見えないので、運転している私と助手席 で地図を見ている父は心配でした…  …ようやく、国道166号が国道368号と分岐する標識が見つかり ましたが、標識が不親切であったため、私達一家は道に迷ってしまいま した。  仕方がなく、民家の脇に車を止めて父が道を聞きに行く事になりまし た。  父を降ろし、車を道の脇に寄せようとしたとき…と、その時です。ド サッ!言う音で慌ててルームミラーで後ろを見てみると、父が倒れてい るのが目に入りました…  「アッ!コケタ!!」  私の一声で、後ろの座席で眠っていた母達が跳び起きました。そして、 母が慌てて父の所にとんで行きました。続いて義姉が、行きました。  私は、車を脇に寄せてからトランクにある鞄から救急セットを取り出 し、父の所に行きました。  昨日の晩から車内で一睡もしていなかった父は、睡眠不足で足どりが おぼつかなかったのでしょう、石につまずきころんでしまいました。  それだけならなんという事もなかったのですが、転んだ場所が細かく 砕いた砂利にコンクリを流しただけの所だったので、右手は引っかき傷 だらけだわ、買ったばかりのズボンにはカギざきつくるは…  その場で、応急処置(骨折はしていませんでしたし,打撲は軽くて済 みました)をして、出発。  お昼頃になって、ようやく”吉野”に到着しました。  ”吉野”では、まず”吉野神宮”に行きました。  ”吉野神宮”南北朝時代、足利尊氏に京を逐われてここ吉野に南朝を 開いた御醍醐天皇を祭った神社です。  ここは”吉野”ではまだ麓でありまして、これより上およそ7,8キ ロに渡って修験道の道場としての”吉野”の各寺院や建物が散在してい ます。  ”吉野神宮”を出発して、”吉野の千本桜”を見ようと上を目指しま したが、すぐそばの有料駐車場で通行止めに合いました。  普段は一番上の”金峰神社”まで行く事が出来ます。  まあ、花見の季節ですので当然なのでしょうが、駐車場の料金がここ ぞとばかりに普段の金額の上に張り紙をして千円の値段を付けていまし た。  しかも、駐車場は既に混んでいるにも関わらず、ろくに整理しないで、 駐車できるかどうかも判らないのに駐車場に誘導し、しかもお金だけは 取ろうと言う魂胆らしいのです。  それに、父が足が痛くてそんなに歩けないと言うので、しかたなく、 ”吉野の千本桜”を見る事を諦め、次の目的地”長谷寺”に向かいまし た。  ”長谷寺”に向かう途中父のズボンを買い、国道169号を”橿原市” に向かって走りました。  ”橿原市”市街に近づくにつれ道路が混んで来ました。  本来は”橿原市”で国道24号(初瀬街道)に入るつもりでしたが、 国道169号に平行している県道に入る事にしました。  ところが曲がる道を間違えてしまい、予定では通らない筈の”飛鳥寺” のそばを通りました。  ようやく現在の位置を確認し、国道24号に出て国道165号を経て、 ”長谷寺”到着しました。  私もここに来るまで知りませんでしたが、”長谷寺”真言宗の本山で す。  真言宗の本山は”高野山”だけだと思っていましたが、”長谷寺”は、 「真言宗豊山派」の総本山だそうです。  さて、”長谷寺”の山門(仁王門)をくぐる時に目を見張ったのは、 山門脇にある見事な桜の樹々でした。丁度満開の時でした。  長い階段状の登廊を登り、本堂の外舞台から見おろす景色に桜の花の 色が見事に映え、2月頃の牡丹の季節もいいけど、桜の季節もまた、格 別だと思いました。  ”長谷寺”を後にして、次なる目的地”法隆寺”に向かいました。  国道165号を”桜井市”まで一旦戻り、県道を通って”法隆寺”が ある”斑鳩町”へ…  しかし、途中で時刻が午後4時を指したので(奈良の各自社の拝観時 間は、大体午後4時頃まで)、”法隆寺”に行くのは、また明日にして、 本日の宿泊場所である”奈良”市街に向かいました…  ”奈良”にある宿に着いた私達一家は、夕食を取るべく(宿には夕食 がありませんでしたので)、”JR奈良駅”から”近鉄奈良駅”にかけ て”三条通り”を歩き回りました。 * * * * * * * * *  翌日午前中は、”奈良公園”を観光しました。  まず、”東大寺大佛殿”では、回廊沿いに植えられている桜の花が綺 麗でした。  また、”東大寺大佛殿”の中の北東隅にある有名な柱の穴をくぐりま した。  これは、私が中学生の修学旅行のとき、柱の穴くぐりをするために順 番を待っていましたが、移動時間が来てしまったためくぐれなかった覚 えがありました。  …それから十数年、はたして私の身体が通るかどうか…  しかし、以外に肩幅が引っかかっただけで簡単に通る事が出来ました。  くぐり抜けると、なぜかそばにいたおばさん達から拍手を受けました、 見ると売店のおばさん達まで拍手していました。  次に”正倉院”に行きましたが、”正倉院”は、土曜,日曜は公開し ないとの事で、残念ながら見る事が出来ませんでした。しかし、入り口 付近桜の花は綺麗でした。  そして、”二月堂”,”三月堂”を見て、”春日大社”を参拝し、昨 日行けなかった”法隆寺”に向かいました。  しかし、私が前日の疲れで変な道案内をしたため、一時は”京都”向 かってしまいました。  慌てて、進路を修正した結果、なんと”平城京跡”を見る事が出来ま した。  そして無事”法隆寺”に向かいましたが、途中で雨に降られてしまい ました。  ”東大寺二月堂”で”奈良市街”を見たときは、日が差していたのに…  ”法隆寺”では、弁天池付近にある桜と五重塔の取り合わせは綺麗で した。  しかし、それにもまして”東院伽藍(夢殿)”の枝垂れ桜と八角円堂 との組み合わせは見事な物でした。  さて、”大宝蔵院”を見ていた時の事です。  その中に展示されている仏像の中に”百済観音”がありました。  父はそれを見て  「百済と言うくらいだから、朝鮮半島からきたのかな?」 と独り言を言ったとき、すかさず後ろに座っていた警備員の人が  「それは違います。この仏像は百済から渡ってきた渡来人である鳥仏 師が聖徳太子の求めに応じ杉の樹一本で彫った物です。杉の樹は日本に しかない物ですから、この仏像は日本で作られた事になります」  と、教えてくれました、父は感心して聞いていました。  その後、”薬師寺”に行きました。  ”薬師寺”は、先頃再建された”西搭”に続き、”回廊”と”東院堂” を修復している最中でした。  そのため、”東院堂”にある”聖観世音菩薩像”は、現在”文殊堂” にあり、そのお姿を間近に拝見する事が出来ました。  そのあと”唐招堤寺”を拝観して、京都に向かい、京都南ICから名 神自動車道に入り、家路につきました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.1 ”吉野の千本桜”には、”下千本”,”中千本”,”奥千       本”と、あります。 P.S.2 ”奈良”での散策の途中で、面白いお土産を見つけました。       1.「鹿ふん」:かの吉永小百合の歌で、「奈良の春日の         青芝で〜」の歌詞で、当時、フジテレビの番組「オレ         達ひょうきん族」で、明石家さんまが鹿の縫いぐるみ         かぶって踊ったのたで有名になった物です。         種類は色々あって、大半はピーナッツをベースにして         います。         中でも面白いのは、袋に明石屋さんまらしき人物が、         鹿の縫いぐるみを着ている絵があるものです。       2.「三笠」:大きなどら焼きで、直径は普通のどら焼き         の2倍はあります。       3.「聖徳太子の爪の垢」:煎茶の中に赤い何か入ってい         るらしいのですが、それが何であるか判りませんでし         た。