さて、日本中を旅行していると色々な出来事に遭遇いたします。その 中には、危険な目にあったことや、ラッキーなことも、そしてムフフな ことも…(^^;)  私の旅行の体験談を「藤次郎旅行記」とでも題して書き込んでいきた いと思います…(^^;)。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 第19話 「返す返すも、残念無念…=前編=」  私の祖父の喪が明け、父も退職したこともあって、家族で旅行しよう と言う事になり、私達一家は”伊勢”,”奈良”の一泊旅行に行く事に なりました。  今回の旅行の目的地は、家族のそれぞれの思惑が絡んでいました…  父は、太平洋戦争のため取りやめになった修学旅行の目的地”伊勢神 宮”…そして、”東大寺”。  母は、実家の宗旨の本山である”長谷寺”。  私は、数年前友人達と旅行で行く予定だったのが、仕事の都合で、私 だけが行けなかった”吉野”。  義姉は、”法隆寺”。  兄は、社員旅行で時間の都合で立ち寄れなかった、”伊勢神宮”。  目的地がみんなバラバラで、しかもそれぞれ予定が合わないため、一 泊旅行が積の山であり、特に”奈良”などは、1日では見て回れぬ程の 所です。  そのため今回は、みんなが行きたいところのみ行く事にしました…  東京を夜中に出発し、”東名高速道路”を一路”一宮”ICへ、市街 道路経由して”清洲東IC”より”東名阪自動車道”を”伊勢”へ…  その間、私と兄の2交代で運転しました。  夜明け前に”伊勢”に着いたので、”二見浦”に行きました。  ”二見浦”にある”夫婦岩”から日の出を見ようと言う魂胆です。  ”夫婦岩”に着くと、既に何人かの人がいました。  太陽の出る方向に向かってしばらく待っていましたが、空が明るくな っているのに太陽は一向に姿を見せません。  …良く見ると、太陽が登る方向が曇っていて、太陽はとっくに登って いたのでした…  残念に思いながら、”伊勢神宮外宮(豊受大神宮)”に向かいました。  行ったこの年は、”伊勢神宮”にとって、20年毎の「遷宮」の年に あたりました。  その年の6月か、7月に行われる「遷宮祭、御霊移しの儀」に向けて 現在の本社殿の隣には、白木の真新しい社殿がほぼ出来上がっていまし た。  ”外宮本殿”で参拝した後、そばにいた宮内庁警察部の人に、  「遷宮が終わった後の現社殿に使用されている柱や棟木はどうなるの か?」 と、父が質問したところ、  「社殿の木材は、解体後別の神社の立て直しや、補修の材料になりま す」 と、親切に答えてくれました。  社殿に使用されている材木は、上等な桧を使用しているので、表面は 薄汚れていても、表面を削れば綺麗な木肌になるそうで、拝殿の柱は既 に”熱田神宮”の柱に使用される事が決まっているそうです。  ”伊勢神宮外宮”を後にして、道のりにして約4.数キロ離れている ”伊勢神宮内宮(皇大神宮)”に行きました。  ”五十鈴川”に架かる”宇治橋”を渡り、”内宮神苑”を通り、”五 十鈴川御手洗(五十鈴川の畔にあり、禊ぎをする場所)”付近に来たと き、私達一家は、珍しい神事を見る事が出来ました…  …それは、そばで見ていた地元の人の話だと、「神武祭」と呼ばれる もので、なんでも4月3日は神武天皇がお亡くなりになった日だそうで、 毎年4月3日になるとこうしてお祭をするのだそうです。  神事自体は、ものの4,5分で終わりましたが、50人ほどの神官が 集まってのそれは、荘厳なものでした…  ”内宮本殿”も、既に現社殿の隣に白木の真新しい社殿が出来上がっ ていました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.伊勢神宮名物の食べ物はなんと言っても、”伊勢うどん”です。     昆布,鰹節などの入った真っ黒いつゆにうどんを絡めて食べる     のが美味しかったです。     また、お土産としては、有名な”赤福”があります。