藤次郎夜話「火の玉話 2題」  ”火の玉”を見たと言う話しは、よく聞きます。私自体は”火の玉”や”幽霊” などと言うものはまだ見た事がないのですが、私の親戚(特に母方)を初め、友人 にお坊さんが何人かいる為か、霊体験や怪談話を幾つか聞いています。  今回は、私の母の話しを2ついたしましょう…  私の母は、若い頃よく”火の玉”を見たそうで、以前にも、秋葉原のガード下で ”火の玉”を見ていますし、子供の頃”狐の嫁入り”を見ているとも言っています。  その後結婚して、私が生まれると母の霊体験は、ぱったりと無くなるのですが…  …これは、私の母がまだ女学生時代の話しです。  その当時、母の姉が結核で入院していたので、母は女学校から帰ると早い夕食を 済まし、昼間姉の付き添いをしている母(私の祖母)と交代する為、家の側にある バス停から病院に行くのが日課でした。  その日も、母は女学校から帰ると急いで夕食をとり、いつものようにバス停に並 びました。バス停には既に何人かの人がいたそうです。  時間的には定かではありませんが、夕暮れ時で辺りは薄暗かったそうです。  バスを待っていると、これから向かう病院の方角から光が見えて来ました。  母は「反対方向のバスが来たんだな」と思ってその光を見ていました。  光は、段々母達がいる方に近づいて来ましたが、一向に車の音が聞こえません。  不思議に思っている内に、光はバス停の少し先にある橋を渡って来ました。  そして、母達のいるバス停の前を通ったのです。  …それは、バスではなくて”火の玉”でした…  バス停にいる母を初め他の人が驚いているのを尻目に、”火の玉”は母達の目の 前を通り過ぎ、母の家の隣の家に入って行きました。  驚いた母は、その家に駆け込んで行きました。(その家は、母の親戚に当たる人 の家だそうです)  家の人は血相を変えて飛び込んで来た母に驚きました。  母はその家の人に「さっきここに、”火の玉”が飛び込んできたのよ!」 と説明しましたが、家の人は”火の玉”など見ていないと言います。  母が「そんな、ばかな」と思っていると、母の家の人がやって来て、  「今病院から連絡があって、おじさん(この家の主)が死んだそうだ」 と、家の人に告げたそうです。(当時、電話があったのは、この近所では母の家と 本家(祖父の実家)だけだそうです)  母はその時、「あの”火の玉”は、姉と同じ病院に入院していた親戚の人の魂が、 家に返って来たのだ」と思ったそうです。  もう一つ、”火の玉”の話しをしましょう。  それは、母が結婚して私が母の胎内にいた時の話し…  当時、一家は昔の刑場跡地のすぐ側のアパートに住んでいました。  夕方、母は父が仕事から帰って来る前に幼い兄を連れて銭湯に行ってから夕食の 支度をするのが日課だったそうです。  銭湯からの帰り道に道端にお好み焼きの屋台が出ていて、お腹が空いた母と兄は その匂いに引かれ、よくそこでお好み焼きを食べていたそうです。  その日も母は銭湯の帰り道、いつものお好み焼き屋の屋台で兄とお好み焼きを食 べていると、刑場の跡地の方から明るく光る物が…  その光る物は音もなくスーーッと母の方に近づいて来ました。  近づいて来て初めて母は、それが”火の玉”だと気付いたそうです。  ”火の玉”は、母の前を通り過ぎると近所の家に入って行ったそうです。  その家は、兄の保育園の友達の家でした。そして、そこには寝たきりのおばあさ んがいたそうです。  母は過去の経験から、「まさか?」と思って、その家に行ったそうです。  しかし、その家は何事もなく、寝たきりのおばあさんも無事でいました。  母は恥をかくのを恐れ、”火の玉”の話しをしないで不思議に思いつつもその家 の人とおしゃべりをして、いざ帰ろうとした時、隣の間にいる寝たきりのおばあさ んに  「**さん、さっきそこのお好み焼き屋で、お飲み焼き食べていたでしょ?あな たお腹に赤ちゃんがいるのだから、お好み焼きみたいないいかげんな物じゃなくて、 ちゃんとした物を食べなさいよ!」 と、言われた…  …その瞬間、母は背筋に冷たい物が流れた感じがしたそうです。  そのおばあさんはここ数年寝たきりで、母が銭湯の帰り道にお好み焼きを食べて いる事は知らないはずなのです。  …どうやら、さっきの”火の玉”は、そのおばあさんの魂だったようです。  しばらくして、そのおばあさんは亡くなったそうですから…  …この話しは、テレビでよく明石家さんまさんが、「子供の頃桶で火の玉を捕ま えた事がある」と言っている話しに近い物があります。 藤次郎