車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第24話 「敵は、汗と蝿とスズメバチ」 2002/08/06の話。  藤次郎放蕩記 第13話 「大山2題」を見て、あのときは何気なく 登ったりしたけど、周りが曇って何も見えなかったけど、まじめに登っ たらどういう物かという気になって、行ってみました。  暑さはこの数日異常で、今日の予想最高気温は36度。標高1,252 メートルの山頂なら涼しいだろうと思いますが、問題は雷雨です。ここ 数日、激しい夕立が続いています。そっちは、天候次第で途中で引き返 す事にして、出発しました。  伊勢原から、大山ケーブル駅行きのバスに乗るまで順調に行きました が、大山ケーブル駅に8:00に着いてしまい、ケーブルカーの運転を始め る8:30まで待たされることになりました。このとき、事前に調べていた 帰りのバスの時刻表を忘れたのに気づきました。記憶では20分間隔で 最終は20時台と記憶していましたが、ケーブルカーの最終が17:40だそ うで、なるべくそれまでに大山阿夫利神社の下社に居ないと自分に言い 聞かせました。  以前来たときは帰りはケーブルカーに乗らずに歩いて駐車場まで行き ましたが、今回は阿夫利神社下社、登山道二十七丁目から、一旦ヤビツ 峠方面に行き、ヤビツ峠から再び大山登山道に引き返し、大山山頂に登 り、そこから展望岩方面に下って、阿夫利神社下社に着く予定なので、 とても歩いてバス停まで行けないと思ったからです。  ケーブルカーの始発を待つ間に、ストレッチをしたり、一緒に始発を 待っている人と話をしたりしていました。  ケーブルカーに乗って阿夫利神社下社に着くと、阿夫利神社下社の石 段は工事中で、回り道をさせられました。  阿夫利神社下社で参拝を済ませ、いよいよ登山開始です。  登山殿入り口でお祓いし、登山道に入りますが、いつもは半開きの木 戸が全開になっていました。木戸のト書きを読むと、今が登山解禁期間 だそうです。  石段を登っていきますが、湿気が高く、早くも五丁目で汗だくになっ てしまいました。  振り返ると、まだ入り口の木戸が見えます。「これは厄介な」と思い ながらも、汗を拭って登り始めます。しかし、八丁目で早くも休憩。先 が思いやられます。  どうやら、私は山道や坂ならどんどん登っていけるのですが、階段は 苦手らしいです。しかも不揃いの石段なので、足を取られることがしば しばありました。ここからいきなり、ストックを使用するようになりま した。  汗の悩みは下山するまで続き、速乾性のTシャツを着てきましたが、 汗の蒸発量よりも発汗量が多くて、最後までTシャツはびしょぬれの状 態になって困りました。  途中、「野生の鹿に注意」と言う看板があり、それを見て以来、ガサ ガサと言う音を聞くとビクビクしてしまいます。  登り続けて十二丁目、蝿がしつこくつきまといます。ちょっと汗を拭 うために立ち止まるとすかさず、腕や顔にたかってきます。(首にはタ オルを巻いていました)耳元でもブンブンうるさいので、ゆっくり休む ことが出来ません。汗を拭うとすぐに歩き出さなければなりません。  こんなに蝿に付きまとわれることは、高尾や御岳山ではありませんで した。後で気が付いたのですが、どうやら湿気と鹿に関係あるようです。 と言うのも、大山山頂から展望岩に下っていく途中、今までしつこく付 きまとっていた蝿が、途中からぱたりと居なくなりました。そこは、林 業開発の手が入っていて、鹿が居ない地域でした。同時に湿気が少ない 場所でもありました。  蝿を振り払いながら、登り続けて十六丁目、所々展望が開ける箇所が ありましたが、そこではスズメバチが飛び回っていて、立ち止まると威 嚇してきます。  黒いサングラスや、帽子からはみ出た髪の毛に反応して近づいてきま す。スズメバチは黒い物に反応して襲ってくると本に書いてありました が、本当にその通りでした。ハイキング慣れしている人が頭を白いタオ ルや手ぬぐいで黒髪を隠すように覆うのはなにも汗や日差し対策だけで は無いことが解りました。  蝿とスズメバチに追われるように、登り続けていつの間にか二十三丁 目、今度は周囲がもやってきて、空が薄暗くなりました。「危ないかな」 と思いつつ、二十五丁目のヤビツ峠との分岐点にさしかかる頃、体力の 消耗と嫌な予感がしたので、ヤビツ峠行きを中断して、大山山山頂にそ のまま行くことにしました。  大山阿夫利神社の本社の本社の鳥居を潜り、本社に着くと、そこは以 前来たときの記憶とは違う光景が広がっていました。  「おかしいな?」と首を捻りつつ、ベンチに腰を下ろす間もなく、ま た蝿がたかってきます。追い払いながら、風景を見ると、視界不良… 湘南方面も厚木方面も、いや、地元の伊勢原市街までもスモッグに覆わ れて見えません。これでは、以前登ったときと同じです。一方、雲行き は明らかに積乱雲らしき雲が迫ってきます。  風は涼しいのですが、かなりの湿度を感じていました。  この時点で、速乾性Tシャツを着ていても蒸発しきれない汗がまるで 水を被ったように濡れていて、つぎからはストーブとコッヘルを置いて、 着替えを持ってくるべきだと反省しました。  暫く、周りの風景と以前来た記憶と重ねながら、悩んでいましたが、 雲行きに気を取られて集中できません。  この疑問は、帰る電車の中まで引きずりました。その結果、以前来た とき見た奥社本社殿自体が記憶から抜け落ちているのが第一。以前自分 が参拝した奥社本社殿と記憶している石とコンクリートで固めた阿夫利 神社本社と言うのは、本社殿の横(裏)にあるもう一つの社殿の事で (何で二つあるのか不明)、その裏の電波塔は記憶に無かった。電波塔 方面の柵は最近建てられた物で、それが一番以前来たときとの記憶の相 違点になったみたいです。  雲行きが怪しくなったので、行動食を食べて早々に出発することにし ました。  このとき初めて、パワージェルと言うのを食べてみましたが、不味く て閉口しました。いつものナッツと干しぶどうも持ってきていたのです が、そっちには手を出す気がなかったです。  見晴台に向かって下山を開始しました。こちらのルートも階段(木段) が多く、所々段差が異様に在る場所や、中には階段の中の土が流出して、 階段の枠組みだけが残っていて、いわばハードル状態の箇所もあって、 厄介でした。  見晴台に着いたときは丁度正午。昼食を採ることにしました。  今回は、フリーズドライ食品を調理する事にしましたが、山頂で反省 したこともあり、今後日帰りのハイキングではコンビニのおにぎりにし て、変わりに着替えを持ってこようと、ここでも反省しました。  とにかく調理開始です。以前の小仏城山での失敗を反省し、パッケー ジの説明書きをよく読み、注意深く調理を進めます。料理はうまくいき ましたが、コッヘルのハンドルが短く、またその部分がストーブの火に あぶられていたため、指に火傷を負ってしまいました。  このコッヘルを使用するときには、革手袋が必要と反省した次第。ま た、材質がチタンであるため、底面の熱の伝導が良すぎて焦げてしまい ました。  この失敗を次ぎに生かそうと心に誓い、昼食を食べながら、今登って きた大山山頂を見上げると、山頂は晴れていました…  あまりに暑いので、ここでのんびりする気にならず、すぐに阿夫利神 社下社に向かって出発しました。そのまま下社に到着し、ケーブルカー で下山しようとしましたが、平日だというのに、ケーブルカーは混雑し ていました。しかも乗っているのは老人ばかりです。  しかし、オバサンと言う人種は「暑いのにこんな所来ることはない」 とか、「もっと涼しくなれば良いのに」と口々に勝手な文句を言いなが らも、ここに来るのだから、面白い物です。 −−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。