車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第23話 「鎌倉外周ハイキング」 2002.04.29の話。  鎌倉の地は南を海に面し、後はぐるりと山に囲まれた土地です。  そのため、守りやすく攻めづらいと言うことで、平安時代の中期に源 頼朝の父の義朝はここを関東地方の武士を束ねる拠点としていました。  頼朝が挙兵して関東を平定するのに、また平定後の拠点として、そし て征夷大将軍になって幕府を開いたときの拠点としたのも解るような気 がします。  時代は下って、新田義貞が後醍醐天皇に呼応して鎌倉を攻めたとき、 このぐるりと巡らされた天然の要塞を巡って激戦になったと聞きます。  私自体は鎌倉にあまり行ったことはなく、つい先年まで鶴ヶ岡八幡宮 に行ったことがありませんでした。  それをいきなり、鎌倉の外周の山をハイキングするというのは、私た る故でしょうか…  鎌倉の外周の山は”鎌倉アルプス”と言うのだそうです。でも、標高 は最高でも160m程度の山なので、どこがアルプスだと言うのか首を 捻ります。でも、連山と言うのがアルプスというのなら、それは当ては まるのかも知れません。  藤沢の駅から江ノ電に乗り換え長谷駅で降ります。  ここから、大仏切り通しに向かって歩き始めます。そこから大仏ハイ キングコースを源氏山に向かって歩こうとしましたが、地図もガイドブ ックもいい加減で、大仏トンネルの前で地図を見ながら悩むこと数分。 ようやくトンネル横の狭い急な階段がハイキングコースの入り口と判断 し、狭い急な階段を登り始めました。  途中、道標に、”大仏切り通し”と”大仏ハイキングコース”の分岐 点を見つけましたが、一応”大仏切り通し”の道標に従い0mから、狭 く急な階段を一気に75mまで登ります。しかし、行き着いた先は貯水 槽…仕方なく、”大仏ハイキングコース”の分岐点までまた狭い急な階 段を下ります。  35mまで下り、また”大仏ハイキングコース”を60mまで登りま す。  ここまで来ると、ようやく身体が暖まり、着ていたジャケットをベス トに着替えます。ここ数日は最低気温が13℃位だったのが、今日は家 の方は10℃下回ったので、朝薄手のジャケットを着込んで来たのです。  道は、整備の良いハイキングコースでしたが、地元の人達も生活道路 にもなっているらしく、すれ違う人達は普段着の人が多くて、「ハイキ ングです」という格好の私の方が恐縮してしまいます。  そのまま、気づいたら源氏山公園に着いてしまいました。  ここから銭洗い弁天がすぐなので、寄っていきます。  参拝して財布の中のお金全額を洗って、源氏山公園に戻ります。源頼 朝公の銅像を見て、仮粧坂を下りてゆきました。  この辺りは住宅地なので、舗装道路です。仮粧坂から扇ガ谷を経て亀 が谷切り通しを通って、鎌倉街道に出ます。  鎌倉街道を鎌倉側に向かい、建長寺に着きます。  ここから、大平山を経て瑞泉寺に向かうハイキングコースに入るには ここを通らなければなりませんが、建長寺に拝観料を払わないとハイキ ングコースに入れないと言います。  いささか理不尽と思いつつ、拝観料を払って建長寺境内に入ります。  ここから、半僧坊の展望台までまた階段です。  ここから大平山に向かっていきますが、ここでも道標のいい加減さに 参りました。  景色を楽しみつつ歩いていると、いつの間にか大平山に着いてしまい ました。  昼食には早すぎるので、そのまま歩いていきますと、気づいたら目的 の瑞泉寺の裏手に出ていました。  このまま、名越え切り通しまで行こうかと思いましたが、行程のかな りの部分が住宅地の中を突っ切らなければならないので、ここで止めて 瑞泉寺でハイキングコースを降りました。  途中鎌倉宮に詣でて鶴ヶ岡八幡宮に行きました。ここでようやくお昼 になったので、源氏池の前で昼食を採りました。  昼食後、鶴ヶ岡八幡宮に詣でました。境内は観光客に混じってお宮参 りの新生児を連れた家族が多くいました。  鶴ヶ岡八幡宮では、銅屋根の葺き替えをするそうで、寄進を募ってい ました。  八幡宮は源氏の守り神です。懐具合が寂しかったのですが、源氏の出 の私としては、悩んだ末、寄進をしました。  その後、もう少し町中で遊んでいきたかったけど、疲れたのと混んで きたので、早々に家路に着きました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。