車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  小仏峠は甲州(甲斐:今の山梨県)〜武州(武蔵:今の東京都+埼玉 県+神奈川県の一部)間の交通の要衝であり、江戸時代関所が設けられ た。…元々は、甲州〜武州間の交通は大菩薩峠経由の道が主であったが、 江戸時代、徳川5大将軍綱吉に仕えた柳沢吉保が甲府に左遷された時に 甲州街道を整備したことから始まる。(ここ、芥川隆行調に読むように) 藤次郎放蕩記 第19話 「小仏峠に血を見た」 2000/07/30の話。  前回(陣馬山〜小仏城山)の続き(小仏城山〜高尾山)を行いたかっ たのですが、今年の前半は仕事が忙しくてハイキングに行く暇がありま せんでした。  ようやく仕事が一段落ついて暇が出来たので、7月になってようやく ハイキングに行く事ができることになりました。  JR高尾駅を高尾山に向かう人の群から抜け、京王線の駅と反対側の 出口(北口)を出ます。  そのまま旧甲州街道を歩き始めます。小仏峠の入り口までバスが通っ ているのですが、今回は全行程の距離が短いので歩くことにしました。  歩き始めてふと虫刺されの薬を持ってこなかったのを思い出し、慌て て薬屋を探しますが、まだ午前8時…会社の近所の薬屋は通勤時のサラ リーマンの栄養ドリンクの購入で今の時間に店を開けますが、ここでは そうでもない様。  コンビニを見つけここでも虫刺されの薬を探しますが、虫除けの薬は ありますが、虫刺されの薬はありません。私は汗かきなので虫除けの薬 を塗ってもすぐに汗で流れたり、また、虫除けの薬を付けているのを忘 れて腕で額の汗を拭って、嫌な目にあったりしたので、そういった理由 から虫除けの薬は買いませんでした。  高尾の町中を過ぎると、のどかな風景が現れました。  と、ここで初めて今度のハイキングの目的の一つである新装備の準備 をしていなかったことに気づき、道ばたに腰を下ろして新装備の準備を 始めました。  新装備は、   ・GPS(位置情報を記録し、後でパソコン上で今回のハイキング    の行程を整理する)   ・ハイドロパック(ディパックの中に水の入った袋を入れ、そこか    ら延びるチューブをくわえることによって、歩きながら水が飲め    る)   ・日除け(帽子(キャップ)の後ろに垂れを付けることにより、首    筋が日焼けすることを防ぐ)   ・時計(温度/気圧/高度/方位を計測できる物。前回の簡易高度    計より小型軽量化された) の以上で、これらを装着して再び歩き出しました。  しばらく歩いていると、小仏の関所跡に着きました。今は竹で囲った 石碑と関所を通る人が関所の役人に通行手形を見せた石があるだけです。  そこの説明書きに書き出しの様な説明がありました。 …で、ここまで書いていて気になったことですが…  小仏峠を通過する甲州街道が江戸時代の徳川綱吉時代以降に整備され たとすると、戦国時代のこの甲州街道沿いにある武田方の岩殿城と、北 条方の津久井城とのちに秀吉の時代になって建てられた八王子城の戦略 上の意味が不明になります。  大菩薩峠越えが主であったなら、逆に大菩薩峠方面を守る城や砦が必 要と考えるのですが…  素人考えで恐縮ですが、甲州街道は元々笹子〜小仏の峠または、相模 川沿いを通るルートが戦国時代まで正式であって、秀吉か家康時代に一 時期大菩薩峠を通るルートにして、それからまた元に戻してのではない かと思うのです。  でも、何故こんな事をしたのでしょうか?  多分、武田勝頼(天目山),北条氏照(八王子城)の祟りを恐れたか らではないでしょうか…  また歩き出します。まだ7月の中というのにかなり暑いので、ハイド ロパックが活躍します。  しかし、妙なことが起こりました。  歩きながらハイドロパックのチューブから水を吸って飲むのですが、 その水が妙に生温い…出かけにハイドロパックには氷を沢山入れてきた ハズで、さっき点検したときも、ハイドロパックの中には氷があるのを 確認しています。(ザック内のハイドロパックは保冷カバーがしてある)  変に思いながらしばらく吸い続けていると、ようやく冷たい水が…ど うやらあまりの暑さに冷たい水が途中のチューブの中で暖まってしまっ たようです。(その後、チューブに付ける保温用の外皮を買ったのは言 うまでもありません)  また、キャップに付けた日除けは確かに首筋の日焼けを防止してくれ るのですが、風が吹けばバタバタと煩く、風が止めば汗で首に付いて気 分が悪かったです。でも、首筋が日焼けすると体力を消耗するので、我 慢していました。  途中で、高尾山への登山口や八王子城の登山口を過ぎて、ようやく小 仏峠入り口のバス停にやってきました。  その間に中央線の小仏トンネルの脇に駅らしい跡を見ました。  多分、推測の域ですが、小仏トンネルの複線化の時に設けられた「小 仏信号所」の跡地ではないかと思います。  小仏峠入り口のバス停からさらに歩いて行くと、登山道に入ります。 登山道の入り口で休憩して、足腰の軽いストレッチ体操を行った後、登 山道に入ります。  登山道に入ってすぐにハイドロパックの水がなくなりました…(^^;  あまりの暑さで、冷たい水が飲めるまで吸い続けたのが原因のようで す。  ここから先は、行きがけに氷を沢山詰めた魔法瓶と1リットルの水筒 (行きのバスの中でうっかり落としてこぼしてしまい、多分900ml 程度しか入っていない)を使います。  登山道を登りながら、途中の湧き水で顔を洗ったりしてのんびりと登 っていきました…などと書くとかっこよく見えますが、実際は垂直方向 に10m程登っては休み、また10m程登っては休みと、こうまで日頃の デスクワークで体力を失っていたかと唖然としました。  学生時代は、下宿の裏山(標高400m程度。下宿が標高10m程度) に水筒とカメラか双眼鏡を持って一気に登れた物ですが…  「次の課題は体力づくりだな」と独り言を言って登っていきました。  しかし、以前木曽で中仙道の旧道を歩いたときにも思いましたが、こ んな急で道幅の狭い道をよく昔の人は主要道路として往来した物だと感 心します。ましてや駕籠かきや荷馬など大変だったろうと思います…そ れとも、当時はもっと道幅が広くて坂も緩かったのでしょうか?  …そんな独り言を言いながらも、小仏峠に着きました。  もう、汗びっしょりで気分が悪かったので、幸い周りの人達はおじさ んおばさんだけなので、シャツを脱ぎました。シャツの下は速乾性のT シャツを着込んでいましたので、それ一枚になりました。  峠で写真を何枚か撮りましたが、前回来た時同様、遠くが霞んで遠望 が効きませんでした。  でも、下界の暑さもここではいくらか涼しい風が和めてくれます。  ほっと一息ついていたら、鼻の穴からなま暖かい感触が…慌てて手の 甲で拭ってみると、血が…いつの間にか鼻の中の血管切れて鼻血が出て いました。それも結構な量で、鼻にティッシュを詰めてもすぐに真っ赤 に染まるほどです。  ベンチに座ったままだとなかなか止まりそうにもないので、横になり ました。  その頃になって、周りのおじさんおばさんが気づいて声をかけてくれ ました。どうやら、怪我をしたか、バテたかと思ったらしいです。しか し、鼻血だと判るとティッシュをくれて「若いもんね」と一言言って笑 っていました…  何とか鼻血も止まり、しばらく休んだ後小仏城山を目指して歩き出し ます。この道は前回歩いているので、前回と違ったルートを選んで歩き ました。  小仏城山山頂に前回間違った道ではなく正しい道順で到着しました。  ここでもやはり遠望は効きません。  まだお昼には早いのですが、ここで昼食を採ることにしました。  シングルバーナー(前回のハイキングに使用した物のチタン版)とク ッカーをザックから取り出して、持ってきたフリーズドライ食品を調理 しようとして、シングルバーナーに点火…あれ?火がつかない… 何度やっても、点火装置から火がつかないのでやむなくライターから点 火。無事にお湯を沸かしました。  実は、このバーナー事前に点火試験をやっていなかったのです。家に 帰ってあれこれやっていたら、自動点火装置とバーナーの間隔が短すぎ て、火花が飛んでもガスに着火しないことが判り、自動点火装置とバー ナーとの間隔を調整したら直りました。  さて、調理です。フリーズドライ食品の調理説明によると、200cc のお湯でかき混ぜながら調理すると書いてあったので、200ccのお 湯を沸かし、フリーズドライ食品に一気にかけたら…湯漬け状態になっ てしまいました(^^;;  変だと思って、説明書きをよく読んだら、「徐々にお湯を注いで…」 と言う箇所を読み飛ばしていました。どうやら、200ccお湯を全部 使用するわけではなかったようです。この次はちゃんと説明書きをよく 読むようにします。  かくして、湯漬けの状態の明太子チャーハン、みそ汁、野沢菜漬け、 言う昼食になりました。野沢菜一切れを残して全部食べ、最後にまたお 湯を沸かしてお茶を入れ、それを使用した食器に移し、残った一切れの 野沢菜で食器の食べかすを拭き取るようにしてそれを次々と使用した食 器に対して行い、最後にそのお茶を野沢菜毎飲み干す…これ、学生時代 に行った禅宗のお寺で学んだことです。でも、父に聞くところによると、 父の田舎の農家でも同じ事やっているのだそうです。  しばらく山頂をうろうろして、いよいよ高尾山に向かって出発します。  小仏城山〜高尾山の間はかなり人通りが多く、道が開けて歩きやすか ったのですが、その分直射日光が当たり、水分を頻繁に補給しないとき つかったです。  このとき魔法瓶の氷水は暑さで参った体を微力ながら冷やしてくれ、 重宝しました。しかし、小仏城山〜高尾山の中間付近で魔法瓶の水も底 をつき、後は水筒の水だけですが、それも調理にだいぶ使用しましたの で、500ml程度が残っていたくらいです。  …一体、今回何リットルの水を用意したかと言いますと、   ・ハイドロパック:500ml   ・魔法瓶:500ml   ・水筒:1l …ここまでで結構消費しています。  高尾山山頂に到着しました。  ここは相も変わらず人々で賑わっていました。  私の様なハイカーから、ここから東海自然歩道の出発点なので本格的 なトレッキング装備の人、3歳程度の子供を連れたどう見てもケーブル カーで登ってきたとしか思えない親子連れなど様々です。  ここでも遠望が効かないので、帰りのルートを地図を見て決めて早々 に下山することにしました。  高尾山の薬王院に参詣して、1号路を歩いて行き、ここで持ってきた 水もとうとう底をついたので、途中の自販機で500mlの水のペット ボトルを買って、ケーブルカーの駅の手前にある登山道を降りて行きま した。  さて、今回試した新装備ですが…   ・GPS:家に帰って、今回の行程をちゃんと記録していましたが、    パソコンの地図ソフトが都市用なので、この度行った箇所の地図    が縮尺の大きな物しかなく、行程の再現も味気なかった。山岳用    の地図データを入手する必要あり。   ・ハイドロパック:役に立ったが、チューブに付ける保温用の外皮    を購入する必要あり。それと容量アップを図る必要あり。   ・日除け:うざい!つば広の帽子の方がよかった。   ・時計:かなり役に立った。特に高度計は行動する際の目安や励ま    しになった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。