車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第18話 「戦国時代の足軽って…」 2000/10/13の話。  齢36歳で、ハイキングを思いつき、とりあえず、手近な入門コース として夏のある日に高尾山に登りました。  その日は天気予報では、日中は晴れるとの言葉を信じてケーブルカー 駅横の登山道から登り始めたのですが、登る毎に霧が濃くなり、ケーブ ルカーの山頂側の駅にたどり着いた時には、視界が10メートル程にな っていました。  しかし、以外と人が多かったので、そのまま山頂に向かって歩き出し ましたが、高尾山山頂では視界が5メートル程になるほどの事態になり ました。  仕方がないので、早々に山を下りて再起を期しました。  それから、ハイキング関係の雑誌や本を読んでいる内に、高尾山から 相模湖にかけて、また陣馬山方面にかけてハイキングコースが整備され ている事を知りました。  『藤次郎戸外記』でも書いていますが、地震などの災害に対する備え からアウトドア用品を集めるようになり、山岳用品の店によく行くよう になってから、ここに来るオバサン達の会話の中から”尾瀬””大山” ”陣馬山”と言うハイキングエリアのキーワードを聞いていました。  以前私は”陣馬山”が奥多摩辺りにあるのではないかと思っていたの で、「へぇー、陣馬山ってこんな所にあるんだ」とハイキングの本を読 みながら思いました。  それから、この周辺に対しての情報を得るほどに、陣馬山と言う山に 惹かれるようになりました。  陣馬山には父や母が若い頃ハイキングで行っていたことを聞き、簡単 に登れる山なんだなぁと思うと共に、まずは高尾山付近のハイキングに 行って、歩く距離を少しずつ延ばしていって、今年中に陣馬山〜高尾山 のハイキングコースを歩こうと決めました。  今年のハッピーマンデー法のおかげもあって、大体月に1度3連休が あるので、3連休毎に歩こうと計画を立てました。(三連休にしたのは、 私は病気のため毎週土曜日には通院のため1日潰れます。他の日に行っ てもう一日休息日を取りたいためです)  陣馬山〜高尾山のハイキングコースを歩く以前に、高尾山から相模湖 にかけての東海自然歩道に興味があり、「まずは、高尾山の次は東海自 然歩道を歩こう」と考えて、9月の3連休を考えていましたが、生憎台 風が長く居座ったため行くことが出来ませんでした。  その間、この方面の情報収集に努めた結果、陣馬山〜高尾山のハイキ ングコースは行程6時間半かかるとの情報を得ました。  これから暮れにかけてどんどん寒くなると同時に日照時間も短くなり ます。特に山間部の日照時間は平地より短くなるので、年内に陣馬山〜 高尾山のハイキングコースを歩くのではなく、今度の3連休に歩かない と、来年までチャンスが無くなると考えました。  問題は、高尾山しか登ったことがない私の体力です。  私は平地なら休日は歩き回ったり、サイクリングをしていますので、 登りの陣馬山をクリアできれば、後は尾根歩きのルートですので、大丈 夫だろうと考えました。  計画は以下の通りです。  和田峠〜陣馬山〜明王峠〜景信山〜小仏峠〜小仏城山〜相模湖  このルートは、相模湖駅を囲うようなルートですので、天候の悪化や 体力の不足を感じた場合は、すぐに相模湖駅に下りることが出来るのも 考慮しました。  肝心の3連休の天候ですが、週間予報では雨になっていましたが、前 日の予報では日中は晴れ、夕方雨になると言う予報になったため、降っ たら途中で下山とと言う条件で出発しました。  6:00前に家を出て、7:10に京王八王子から陣馬高原に向かうバスに駅 前のコンビニで買ったおにぎりとお茶の缶飲料を持って乗り込みました。  この区間は、休日と祝日にボンネットバスが走っています。生憎、私 が乗り込んだバスは普通のバスでしたが、途中で陣馬高原から京王八王 子に向かうボンネットバスとすれ違いました。  道は山深くなる程に狭くなっていき、終点近くになって、バスの前部 の乗降口に水先案内人みたいに見張り役の人が乗り込んできました。  本当に道は狭く、バスの幅ぎりぎりしか在りませんでした。  8:00頃に陣馬高原に到着し、早速和田峠に向かって自動車道を登り始 めます。  この日バスに乗り込んだのは、私の他家族連れや年輩の方々が多く乗 り込みましたが、途中で休んでいる間に次々と抜かれていきます。  何度も途中で立ち止まって日頃のデスクワークでなまった体の呼吸を 整えながら、「こりゃ、陣馬山でUターンかな?」と思いつつも、一応 ハイキングのガイドブックに載っている予定時間通りに和田峠にたどり 着きました。  水筒の水をひとくち口に含んで、陣馬山の登山道に入ります。  9:30に、これも予定時間通り陣馬山山頂に到着しました。  陣馬山は武田信玄公が北条氏と合戦する際に陣を構えた山という意味 から来ているのだそうです。ですから、”陣場山”が正しいのではない かと言う指摘があるそうです。  山頂は一面のススキの原で、展望が良いと父母が言っていましたが、 生憎の曇り空で景色は良くありませんでしたが、うっすらと富士山を見 ることが出来ました。また、ススキなんて一本も生えていませんでした。 代わりに、白い馬の石像が建っていました。(デジカメに撮って見せた ら、「こんなのいつ建てたんだ」と驚いていました。)  陣馬山に登ったことに対する喜びよりも、景信山に午前中にたどり着 けるかという気持ちと、途中の道の状態が心配だったため(父の話では、 父が歩いた当時は、狭くて獣道みたいな悪路だったそうです)、すぐに でも景信山に向かって出発したい気持ちが勝っていました。  しかし、気を取り直して呼吸を整え、行動食のドライフルーツを少し 食べながら、地図と景色を眺めて休息をとって、10:00に明王峠に向かっ て出発しました。  陣馬山〜景信山の間はガイドブックに寄りますと、1時間半程度です。 そのほぼ中間点の明王峠に11:40頃着ければ良いペースです。  道は父の言った事が嘘のように、広くて整備された道でした。途中の こぶも迂回路が在ったりして、結構楽に歩けました。  そして、明王峠に10:30頃に着いてしまいました。  明王峠で相模湖の景色を見て一息つくと、すぐさま景信山に向かって 出発しました。  今回の山歩きに、前回高尾山を登ったときの教訓して、電子式の気圧 計を購入して首から提げていました。その気圧計は簡易的な天気予報も してくれる機能が付いていますが、それが気圧が下がって雨になると言 う予報を出しました。  これは大変と景信山に急ぎますが、明王峠〜景信山の間は急斜面が多 く、また地面が濡れて滑るので、大変でした。  それでも、11:20頃には景信山に着きました。  天候は、曇りですが途中薄日が差したりして居ました。気圧計の天気 予報も歩いている内にころころ変わって、雨〜雲り〜曇りのち晴れの間 を行ったり来たりしています。  父の話では、景信山の山頂は木の棒に”景信山”と書いてあるだけで 何も無いと行っていましたが、山頂には売店が3軒ほど在りました。  ここまで来て、ようやく一安心です。後は、小仏峠を経て相模湖に下 るだけです。  ここまで来るのに、途中の急斜面と地面が濡れて滑る為に右足が腓返 りを起こしそうになっていました。  足をマッサージしながら、一息入れてここで昼食を採ることにしまし た。行きがけにコンビニで買ってきたおにぎりとお茶缶飲料に家から持 ってきたインスタントみそ汁(正確には会社でお昼に食べている残り) が加わります。  シングルバーナーにシェラカップ(金属製の底の浅いとって付きのカ ップ)を載せて水筒の水を注ぎ火を付けます。  実は昼食時と途中の休憩でコーヒーを飲もうと、ちゃんとケトルを持 ってきたのですが、めんどくさくなったので、直接容器のシェラカップ に水を入れて沸かすことにしました。  あっという間にお湯が沸いたので、インスタントみそ汁を入れてでき あがりです。これでコンビニのおにぎりの昼食に色が付きます。  おにぎりを食べながら周りを見回してみると、私の様にシングルバー ナー(登山用の本格的な物)を持ち込んで、お茶を飲んだりみそ汁を作 ったりしている人が多くいました。  昼食を採りながら、周りの見ず知らずの人達とうち解けて、おしゃべ りをしていましたが、その内の一人の方が30年ぶりに景信山に登った 方が居まして、その方が言うには、「昔はこの山頂には標識しか無かっ た」と言っており、私の父の話が正しかったことを裏付けてくれました。  12:00昼食を終えて十分休憩も取った私は、次の目的地の小仏峠に向 かって歩き出しました。景信山から小仏峠までほんのすぐの距離ですが、 急斜面の下り坂で露出している岩肌が滑るので転ばないようにゆっくり と降りました。  小仏峠は、陣馬山に陣を構える武田信玄公と多分八王子方面に陣を構 えた北条氏と合戦した場所ですが、しかし、陣馬山からここまで多分戦 国時代の武田信玄公の足軽達は具足を着けて槍を持って歩いたと思いま すが、さぞかし大変だろうと思います。 (注)よく考えたら、八王子城は武田氏が滅びた後に築城されています    から、当時の武田氏と北条氏との合戦は津久井城にいる北条氏に    対する陣を武田氏が陣馬山に構えたというのが正解なハズで、合    戦場所は今の相模湖辺りだと思いますが、この時はそのことを忘    れて上のようなことを考えました。  12:20小仏峠に着きました。雲行きは相変わらず怪しいのですが、気 圧計の天気予報は晴れ、右足の具合も休憩のおかげですっかり良くなっ ていたので、このまま小仏城山に向かうことにしました。  13:00頃小仏城山に到着、途中道を間違えて高尾山方面の近道を小仏 城山の巻き道と勘違いして、高尾山方面に向かいかけましたが、地図を 見直すと、東海自然歩道を通って相模湖に抜けるには、小仏城山を登ら なければならないことが判明し、慌てて道を引き返しました。  ここで無理をしたのか、また右足の膝が痛み始めました。  山頂の傾斜地に生えている芝生の上に座って、「後は下りだけだから」 と言い聞かせながら、右足をマッサージしていました。  ここで、コーヒーを飲もうと思ったのですが、山頂の休憩場所は人々 でごった返していて、シングルバーナーを出してお湯を沸かせる平地が 在りませんでした。  仕方が無いので水だけで我慢して右足のマッサージを続けていました が、なかなか良くなりません。  こうなったら…と、今までザックの脇にくくりつけていたストックを 取り出し、右足を庇いながら相模湖に降りていくことにしました。  相模湖方面に向かって東海自然歩道を歩き出しました。情報に寄れば、 整備されていて歩きやすいとのことですが、急な下り坂が延々と続き、 足下はぬかるんでいて滑り易かったです。  この時、「しまった、高尾山に向かって行けば良かった」と思うと同 時に「良かった、相模湖から登るルートにしなくて」と言う思いが湧き 起こりました。  実際、標高600メートル程度の小仏城山から標高200メートル程 度の相模湖までの急な下りが続きます。  また途中、道に沢庵石程度の石を敷き詰めた道が在るのですが、急斜 面の場所で、石と靴が滑って怖くてなかなか降りられませんでした。  「この道は金輪際通らない!!」と言い聞かせながら、痛む右膝をだ ましだまし、滑急な坂道をストックを操りながらゆっくりと下っていき ました。  それでも、途中山腹の崖の上からは相模湖一帯の景色がわずかに霞ん でいましたが、よく見えました。  14:00ようやく相模湖に出ました。右足が痛いので、国道20号線に出 てバスに乗ろうとしましたが、国道20号線は上下とも渋滞…  バスは諦めて、相模湖駅に歩いて向かおうとすると、近道の相模川を 渡る橋(弁天橋)が通行禁止…泣く泣く、ストックを使って右膝を庇い ながら、相模湖駅に向かって国道20号線を歩き始めました。  14:30頃相模湖駅着、そのまま14:40の立川行きの電車に乗り込みました。  相模湖〜高尾間のトンネルに入った時、電車の天井を見上げて、「あ あ、この上を歩いたんだなぁ…」と思いながら…  …2日後、右よりも左の膝が痛くなりました。階段の昇降が辛いです。 多分、右を庇って左を酷使した影響と思います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。