車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第17話 「三つの峠を越えて」  武田信玄公に関する本を読んでいて一度高遠に行ってみたくなりまし た。そして、ある夏のお盆の日、私は父を連れてドライブに出かけまし た。  会社の夏休みを利用してのドライブでしたが、その日が旧盆の時期で あったことをしっかり忘れていました。  首都高速道路は順調に進んだのですが、中央自動車道に入って調布IC を過ぎてしばらくして、府中で渋滞に遭遇しました。  一向に動かないので、ようやく私と父も旧盆の事を思い出しました。 (ちなみに、私の家はお盆は7月中にやってしまう物で・・・)  仕方がないので、八王子ICで降りましたが、この分だと国道20号 も渋滞しているはずですので、それを避けて父の誘導に従って青梅市に 向かいました。  青梅から奥多摩方面に向かい、柳沢峠を越えて塩山市に入ります。こ の道は、よく父が中央自動車道が渋滞すると使う抜け道で、私も何度が 運転したことがあります。  柳沢峠のドライブインに着いて一息入れていると、これから向かう先 に富士山がよく映えていました。  塩山市から国道20号をまたいで、道端に広がる葡萄園を眺めながら、 一宮御坂ICから再び中央自動車道に乗って諏訪ICで降りました。  父は仕事の関係でよく八ヶ岳の麓に行くのですが、諏訪神社に行った 事が無いと言うので、父に諏訪上社本宮と上社前宮を案内しました。  諏訪上社前宮の側にある街道に入り、杖突峠を経て高遠に出ました。  高遠に出ると、高遠城跡に行きました。高遠城は戦国時代は諏訪神社 の神主の一族の城でしたが、武田信玄公が諏訪地方を得ると、代々武田 家の一族が高遠城に入り、ここの地を納めていました。  やがて武田信玄公が京に進軍する途中で陣没し、その後を次いだ勝頼 公の時代となり、織田信長公が武田家を滅ぼすために甲斐に攻め上る途 中での唯一激戦の地となりました。  その後江戸時代になると交通の要所として、大名が納めますが、同時 に流刑の地としても有名で、徳川家康公の6男松平忠輝も一時居たと記 憶しています。  高遠城跡は今日では桜の名所として知られています。城跡の駐車場は 桜の時期だけ駐車料金を取るみたいです。  今は8月なので桜の花は見られませんが、城跡中立派な桜の木が在り ましたので、春になればさぞかしすごい事だと思います。  高遠から、権兵衛峠を経て奈良井宿向かいます。  権兵衛峠は国道ですが、車線は車一台分しか在りません、その代わり、 所々に待避所があり、待避所に進んでは前から対向車が来ないことを確 認すると次の待避所に進むと言った、北陸の難所”親不知海岸”みたい な事をして前に進みます。  そうやって、権兵衛峠を抜けて奈良井宿に着きました。  奈良井宿は、木曽路を通る中仙道の要所の宿場町で鳥井峠を挟んで木 曽福島宿と対しています。  町中は昔の宿場町の面影を今も残していて、時代劇のセットに入り込 んだような錯覚を覚えます。  宿場の家々の玄関には、その家の家紋が入った提灯が下がっていまし た。聞くと、この地方では盆にはこうする習わしだそうです。  奈良井宿の土産物屋で木地物と呼ばれる木製の椀や盆などをお土産に 買って、奈良井宿を後にしました。  国道19号を松本市に向かって走り、塩尻峠の手前で中央自動車道に 入ります。  「思えば、今日はよく峠越えをする日だ」と父の一言・・・ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。