車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第12話 「城南」  浜松町の駅を降りて、まっすぐに東京タワーに向かっている大通りを 歩きます。  そのうちに、道路を急に狭めている大門がある。これが芝増上寺の大 門、都営浅草線の駅”大門”はここから来ています。  その大門の手前に神社があります。  芝大神宮と言うこの神社は、平安時代に伊勢神宮を分霊して祀った物 だそうで、江戸時代には芝明神と呼ばれていたそうです。江戸時代には、 境内に芝居小屋が立ち並んでいたそうですが、今では静かな境内です。  大門をくぐり、芝増上寺に向かいます。その先に、バックに東京タワー を従えた増上寺の門が、日比谷通りとの交差点見えます。  学生の頃、増上寺の副住職(だったと記憶している)が芝公園もプリ ンスホテルも東京タワーも昔は増上寺の境内だったと言っていたのを思 い出しました。  増上寺は、江戸時代徳川家康のブレインの一人であった天界僧正が開 いた寺だそうです。  ここには、谷中のと同じく代々の徳川将軍家とその正室の墓がありま す。  本堂に一礼して通過の無礼を請います。境内を斜めに横切って東京タ ワーに向かいます。  東京タワーで思い出すのが、怪獣映画。私の記憶が確かなら、もし、 最初のモスラの映画で見た当時の映像が忠実に当時の風景を再現してい るのなら、昭和30年代の東京タワー界隈はビルもまばらで、東京タワー の展望台からの眺めはさぞよかっただろうと思います。  東京タワーはまだ数えるほどしか来ていません。いつでも行けるとい う気があったのだと思います。今日、ここに来た目的は、展望台ではな く、水族館に用が有るからです。  東京タワー水族館…ここの存在は以外と知られていません。同じ建物 にある蝋人形間みたいに宣伝していないからです。  水族館は、しながわ水族館やサンシャイン国際水族館みたいな物では なく、狭い水槽をいくつも区切って小さい魚…しかも淡水魚が殆ど…が 所狭しと並べてあるだけです。そう、たとえるとペットショップの熱帯 魚売場のような場所です。  しかし、ここには他の水族館には居ない珍しい淡水魚や肺魚などが居 ます。また、それと同列に金魚なども居ます。  今回の目的は、これら淡水魚の写真を撮るためです。  ここ数ヶ月、東京近郊の水族館に行っては、魚の写真を撮っています。 目的は、パソコンの壁紙に使用するためです。  水族館を出て、土産物屋を見て回ります。自分が知っている都内で観 光みやげを売っているのは、ここと浅草と東京駅と上野くらいだと思い ます。昔は羽田の空港ロビーにも有りましたが、ビックバードと名を変 えてから、見た覚えがありません。  東京タワーを出て、芝公園を横目に見ながら桜田通りに出ます。  桜田通りを歩いて、愛宕山に向かいます。  愛宕山にあるNHK放送博物館を見るためです。  しかし、愛宕トンネルにたどり着いても、NHKの建物は愛宕山の上 に見えますが、入り口が判らない。愛宕トンネルの前を通り過ぎて、愛 宕神社の前に来てしまいました。  愛宕神社は徳川家康が征夷大将軍に任ぜられた年に創建されたそうで す。  まぁ、いいやと、愛宕神社の急な石段を登って行きます。この石段は 通称”出世の階段”と呼ばれ、徳川家光公の時代に讃岐高松藩の藩士間 垣平九郎が馬で駆け上がって梅の花を手折り家光公に献上し、誉められ たと言う逸話があります。  自分も間垣平九郎の馬に負けず、一気に登ってみました。  かの鉄道唱歌の1番に歌われる愛宕山は昔は周りに高い建物が無く、 ここから江戸湾が見えたといいますが、今は周りに建っているビルが邪 魔して何も見えません。  参拝をして、ふと横を見るとNHKの建物がありました。そのまま境 内を出て、NHK放送博物館に入ります。  NHK放送博物館はラジオの創世記から現在のテレビ放送に至るまで の資料が展示されています。  有名な日本初のブラウン管の(”イ”の文字を表示した有名な)複製 や当時の録音機器(今のテープの原型が磁気を帯びたワイヤーとは知り ませんでした)や、終戦を告げる昭和天皇の玉音放送のレコードや、受 信機の展示品や、当時の放送の録音や映像などを、黒柳徹子さん達の解 説で当時の苦労話などを交えて見たり聞いたりできます。  NHK放送博物館を後にして、愛宕山を今度は反対側に下りて国道一 号線に出ます。  その際にNHK放送博物館の看板を見つけました。桜田通りから来る 場合、愛宕山トンネルを潜って来る事が分かりました。  愛宕山を下りたところで振り返って見ましたが、愛宕山はその稜線を 殆ど削り取られて、NHK放送博物館や愛宕神社が砂山で遊ぶ棒倒しの 棒のような気がしました。  国道一号線を虎ノ門に出て外堀通りを溜池の方に向かいます。  溜池に向かう途中、首都高速を潜る辺りから、急に警察官の姿が増え てきました。過去の経験から要人の車でも通るのかと思っていましたが、 家に帰って地図を見たら、首相官邸の近くだったことが判り、成る程と 納得しました。  溜池という地名は、江戸時代の江戸城の外堀となると共に上水道ダム の役目を果たしていたそうです。今では埋め立てられ、ビルが建ち並ん でいますが、江戸時代には寂しいところで、確か落語の怪談話に出てき た気がします。  そうこうしている内に日枝神社に着きます。日枝神社に行くのは初め てで、同格の神田明神みたいな所を連想していましたが、こんもり盛り 上がった岡自体が日枝神社の境内で、以外と大きいことに驚きました。  日枝神社は、徳川家康が江戸城に入る前、江戸城を造った太田道灌が 山王権現として、今の神田明神の前身の江戸神社と共に江戸城(城と言 うより砦に近かったらしい)にありましたが、その後、徳川家康が江戸 に転封されて江戸城を今のような大規模な拡張工事を行った折り、同じ 城内にあった江戸神社と共に江戸城から出て、日枝神社は赤坂に、江戸 神社は神田に移動し、以降江戸神社は将門公を初めとする神々を併せて 祭り、神田明神となりました。  そのため、日枝神社の御輿は江戸時代には、神田明神の御輿と共に、 江戸城内に入る事が許されていたそうです。  日枝神社の祭りも江戸時代には、神田明神と祭りと共に盛大な物だっ たそうで、日枝神社の宝物殿にその当時の絵巻や山車の飾りが展示して あります。  日枝神社を出て目の前の外堀通りを渡ると、ここは赤坂界隈。  外堀通りに平行する裏通りの田辺通り,みすじ通り,一ツ木通りなど 赤坂のお洒落な店が多く、かつて赤坂と言えば料亭を想像させましたが、 今は若者向けの店が多く、またTBSの近くでもあるので芸能人が立ち 寄りそうな飲食店が目白押しです。  …しまった!まとめが思いつかない… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。