車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使った 散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第8話 「池上への道」  今回の旅は、前回の藤次郎放蕩記 第7話 「品川放蕩記」で話しま した、「…鮫洲からまた歩くと、今度は”青物横丁”に着きます、この 辺からが、江戸時代のいわゆる東海道五十三次の一ノ宿である”品川宿” になります。  旧道の左右に、古い家がちらほらと目に入ってきます…  ここから”仙台坂”を登り、”大井町””大森”を過ぎて”池上本門 寺”に至りますが、その話しは、次回の講釈で…」の”青物横町”より 始まります。  ”青物横町”いえば、数年前、発砲事件で一躍有名になった場所です が、普段の”青物横町”は前回の講釈で述べたように、実にのんびりし た下町情緒のあふれる土地です。  ”青物横町”をい出て、”仙台坂”を登っていきます…  ”仙台坂”の謂れは、昔仙台藩の下屋敷がこの辺にあったからだそう です。  ”仙台坂”の横に女子校があり、丁度学校帰りの女生徒の群に囲まれ る様にして”仙台坂”を登ります。  ”仙台坂”を登り切ると三叉路があり、左に向かうと今回の放蕩の目 的に添いますが、少々回り道をして右の道を採りました。  この道は、ここから私の家の側を通り、中原街道を横切り、環状7号 線に沿ってひたすら延びる道です。この道も昔の旧道なのです。  事実、この道沿いには最近になって”荏原七福神めぐり”の主要ルー トになっています。  三叉路の右側は商店街になっています。”大井町”の商店街です。  しばらく行くと、”ゼームス坂”と言う坂に当たります。その”ゼー ムス坂”のすぐ先は、”大井町駅”です。  東急大井町線の駅前で坂を下り、阪急デパートの横を通り、”三つ又 商店街”に入ります。  私が子供の頃、大井町には阪急デパートしかありませんでした。  ここ数年で、駅ビルや丸井のデパートの進出等、目覚ましい発展を遂 げています。  このすぐ側を”立会川”が流れていますが、今では完全に蓋をされて います。  ”三つ又商店街”坂を上ると、”三つ又地蔵”と言う名の地蔵の祠が あり道路を挟んだ向かい側の歩道橋の前には、今は駐車場になっていま すが、昔は、夏目雅子主演の映画にもなった”時代屋”と言う骨董品屋 がありました。  今は五叉路となっていますが、この”三つ又商店街”がある通りこそ、 品川宿から池上本門寺に至る旧道です。  この五叉路の一つに”工学通り”と言う名前の通りがあります。これ はこの先にニコンの工場があるためで、その名にちなんで付いた名前で す。  また、別の道はここから東急池上線の駅前まで通じる道を”池上通り” と呼んでいます。  ”三つ又地蔵”からまたしばらく大井町の商店街が続き、それを抜け ると品川歴史館があります。  ここには、品川宿の昔の様子を示した展示や、海苔を始めとする水産 の歴史、海運の歴史の展示や、品川の古代歴史の展示があります。  その先には”鹿島神宮”の末社があります。  ”鹿島神宮”の前を通り過ぎると、そこには公園があり、そこのJR の線路の側まで行くと、そこには”大森貝塚”があります。  この”大森貝塚”は、日本考古学の発祥の地で、明治時代、汽車の窓 からエドワード・モースと言う考古学者が何の気無しに窓からこの辺の 土手を眺めていて偶然に発見したという場所です。  そのため、JR大森駅のホームには、「日本考古学発祥の地」という モニュメントが建っています。  この場所に明治時代に”大森貝塚”の碑が建っていましたが、ここは つい最近まで、外国人の住居の敷地内であったために、一般の人には電 車の窓からしか見ることが出来ませんでした。  しかし、数年前その外国人の土地を品川区が買い取り公園にしたため、 今では我々が容易に見ることが出来るようになりました。  ”大森貝塚”を後にまた”池上通り”を進んでいくと、品川区と大田 区の境を跨ぎ、大田区に入ります。  ここから大森の商店街が始まりますが、その前に私はNTTのビルの 脇の細道に入り、JRの線路沿いに出ると、そこにも”大森貝塚”の碑 があります。  この土地も、数年前までNTTの私有地でしたが、大田区と近所の要 望で、NTTが好意でビルの脇に道を造り、一般の人達に開放していま す。  品川と大田区の二つの”大森貝塚”の碑…この二つの内いずれが元祖 なのか、未だに双方の区が揉めているそうです。  大田区側の”大森貝塚”の碑を後にまた”池上通り”を進みます。  大森駅から旧大田区役所まで続く長い”大森商店街”を、途中環状7 号線をくぐって行きます。  この先は”池上商店街”まで閑散としているので何も見る物がありま せん。  やがて、”池上商店街”に入り、東急池上線”池上駅”の前に出る。  この池上線、今は五反田〜蒲田間を走っていますが、昔は正に名前通 り、五反田〜池上間を走っていて、”池上本門寺”参詣専用線だと言う ことです。  この駅前から日蓮宗の本山の一つである”池上本門寺”までの参道が 続いています。  参道の両脇には甘味処や休憩処などの参詣客相手の店が並びますが、 ”池上本門寺”自体が観光寺では無いので静かです。  この寺の境内では「力道山」を始めとする有名人や江戸時代の大奥の 局などの高貴な人の墓があり、今でもそれらに対する参詣者が後を絶ち ません。  私が子供の頃住んでいた家からは、この”池上本門寺”の七堂伽藍が よく見えた物でしたが、次々とビルが建ち、今では僅かに五重塔が見え るだけになってしまいました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。