車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第7話 「品川放蕩記」  今日の放蕩の出発地は、京浜急行”大森海岸駅”から始まります。  ほんの一昔まで、余り人が利用しなかったこの駅は、”しながわ水族 館”なるものが出来たおかげで、休みの度に混雑しています。  ”しながわ水族館”が現在ある場所は、昭和の初めまで奇麗な海岸だ ったと聞いています。海苔の養殖が盛んで、品川産の癖に”浅草海苔” として珍重されていたそうです。  戦後、沖に埋め立て地ができて、この場所は運河になりました。  私が子供の頃、親戚とこの場所でよくハゼやボラを釣っていものです。  やがて、東京湾の埋め立てが進み、この地も埋め立てられ、現在の様 な水族館や公園が出来ました。  ここが海だった名残は、この”大森海岸”の駅名と、今や地続きとな った”平和島””大井埠頭”などの町名、それと競艇場だけになってし まいました。  ”しながわ水族館”に向かう家族連れやアベックの中に紛れ、国道1 5号線を渡り、すぐ品川駅方面に曲がります。  首都高速のICの出口を渡ると、目の前に三叉路があり、小さな公園 があります。  三叉路の片方は国道15号線であり、もう一つの小さな道が、旧東海 道、今回の放蕩する所です。  旧東海道は、国道15号線と京浜急行線に沿って続いていて、ここか ら京浜急行”北品川駅”の先で国道15号線にぶつかります。  そして、この小さな公園こそが、歌舞伎にもなった有名な”鈴が森の 処刑場跡”なのです。  ここには今でも、磔台の跡や首洗いの井戸,歌舞伎で有名な「南無妙 法蓮華経」と書かれた通称、「髭題目」の石碑,処刑された人々の供養 塔等があります。  ”鈴が森の処刑場跡”を離れて、旧東海道を品川方面へと歩き出しま す。  私の記憶だと、確この近くに”鈴が森駅”と言う京浜急行の駅があっ たと覚えていますが、今はありません。…もしかすると、記憶違いかも しれませんね…  またしばらく行くと、”立会川”なる場所に着きます。  ここは江戸時代、先の”鈴が森の刑場”に向かう罪人に付き添った縁 者達が、この川まで付き添って良いと決められたために”立会川”と言 う名前がついたと聞いています。ここにかかっている橋は”浜川橋”と 言いますが、通称”なみだ橋”と呼ばれています。  ぶらぶら歩いている内に”鮫洲”に着きました。  ここは、現在では陸運局,鮫洲の自動車免許検定所等があるため、鮫 洲の駅周辺は代書屋だらけです。しかし、海側に行くと、今でも港があ り、クルーザーやヨットに交じって漁船が停泊しているのを観ることが できます。  鮫洲からまた歩くと、今度は”青物横丁”に着きます、この辺からが、 江戸時代のいわゆる東海道五十三次の一ノ宿である”品川宿”になりま す。  旧道の左右に、古い家がちらほらと目に入ってきます…  ここから”仙台坂”を登り、”大井町””大森”を過ぎて”池上本門 寺”に至りますが、その話しは、次回の講釈で…  またしばらく行くと、”品川寺(ほんせんじ)”の門前を通ります。  ”品川寺”の門前にある銅造の地蔵菩薩は、江戸六地蔵の一つに数え られているそうです。  ”品川橋”で目黒川を渡ると、すぐ左手に”荏原神社”があります。  ”荏原神社”は、昔ここら辺が「荏原群」と呼ばれていた名残であり、 この南品川一帯の鎮守様だそうです。  ”荏原神社”から目黒川をさかのぼり国道15号を渡ると、”東海禅 寺”があります。  ”東海禅寺”は、三代将軍徳川家光が沢庵和尚を開祖として創建した 寺だそうで、かつては”芝増上寺””上野寛栄永寺”と並ぶ大寺だった そうです。  ここには、細川前首相のご先祖である肥後熊本細川家の墓地がありま す。  ”東海禅寺”を出て、国道15号をちょっと戻ります。  すると”海蔵寺”に着きます。  ”海蔵寺”は、江戸時代品川の牢獄の死者や鈴が森の処刑者、品川宿 の遊女などを葬った事から、通称”投げ込み寺”とも呼ばれてたそうで す。  国道15号を旧東海道に戻らず品川駅方面に歩きます。  山手通りを渡ると、そこは”北品川”です。  ”荏原神社”が南品川の鎮守ならば、当然北品川の鎮守が存在します。 それは、”品川神社”です。  神社は小高い丘の上に有り、境内には”富士塚”なるものがあります。  この”富士塚”に登ると、富士山に登ったと同じとみなされるそうで す。  早速登って見たが、下を見て恐くなってしまい、早々に降りてしまい ました。  この”富岳”の下に、2つの鬼と共に檻に入れられた像を発見しまし た。 みると、「役小角(えんのおづぬ)」と書いてあります。  役小角は、超能力者です。飛鳥時代朝廷によって、世間を騒がせた罪 で伊豆大島に流されましたが、超能力を持ってしばしば夜に島を抜け出 し、富士山まで飛んで行ったと言う伝説を持ってます。  ”品川神社”から京浜急行”新馬場駅”に向かい、旧東海道に戻りま す。  ”品川本陣跡”から旧道を少し歩くと、小さな公園があります。  そこには、「日本橋から2里」と書かれた表示がありました。  北品川に入った頃から、旧道は賑わっていて、自転車に乗ったおばち ゃんが魚屋の前で  「鯵3枚に烏賊5盃、後で寄るから包んどいて!」 と、声をかけると店内から  「あいよー」 と言う景気の良い声。  数年前まで、家の近所にもよく見た光景ですが、最近は全然見掛けな くなってしまった光景に、私は「下町だなぁ…」と、しみじみ思いまし た。  旧道の両脇の店から景気の良い声が聞こえる中を懐かしく思って歩い ていると、京浜急行”北品川”の駅に着きました。  今回の放蕩の終点です。  ”大森海岸”から、ここ”北品川”まで、約2時間。懐かしい思いと 楽しんでいる内に、あっと言う間に着いた気分がしました…  ”北品川”の駅から先は、旧東海道は国道15号線と合流します。  その合流する少し前に、国道15号線とJR線,京浜急行線に囲まれ た公園があります。  その公園には、東海道五十三次の宿場町の名前が掘ってある石柱があ ります。  その公園から見える風景は、さっきまで歩いていた下町の風景とうっ て変って、”御殿山ヒルズ”の高層マンションと品川駅前の奇麗なホテ ル群が目の前に立ちはだかっていました… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。