車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第5話 「川越観光記」  川越は”小江戸”と呼ばれる町で、現在でも江戸時代の文化を多く残 す町です。  ここには、関東では鎌倉,日光に次いで史跡や文化財が多く残ってい るそうです。(川越市観光案内書より)  川越に行くのには、JR埼京線,東武東上線,西武新宿線の3つのルー トがあります。  今回私は、高田馬場から西武新宿線に乗って行く事にしました。  高田馬場から急行電車で約1時間程度で終点の本川越の駅に着きます。  本川越の駅のホームに降り立つと、そこは”小江戸”とはほど遠い綺 麗な町並みが目に入ります。  多少不安になりながらも改札をくぐり、駅の外に出ると市の観光課の 人が折り畳みのテーブルの向こうに座っているのが見えました。  そこには私同様、よそから来た観光客の人だかりがありました。  私もその一人となってみます。  テーブルの上には市の観光課が配布している観光案内と地図が在りま した。  私はその両方を手に取ると、町に出ました。  外は春の明るい日差しが、まぶしいくらいでした。  早速地図を広げて見ると、江戸時代の古い町並みはここから多少離れ た所にあるようです。  また、観光案内には2通りの観光ルートが記載されていました。  私は、そのうちの1つを選んで出発しました。  町並みの中に一歩入ると、そこは駅のホームから見た綺麗な町並みと、 うって変わって古い町並みが目に入りました。しかし、そこは”小江戸” とは言いがたく、まだ昭和30年代頃と言った所でしょうか…  町を歩いていると、耳にお囃子が聞こえてきました。  お囃子に誘われて行ってみると、そこは神社(熊野神社)で、境内に 大きな山車が置いてありました。  山車は”川越祭り”(10月15日頃)の山車の一つで、この山車の 上の人形は「太田道潅(江戸城を造った人)」だそうです。  また、通りの反対側のお寺の境内では、舞台があって、そこで太鼓や 演芸をしていました。  昭和30年代の町並み見ながら歩いて行き、町並みを抜けると、そこ には一気に江戸時代の建物が目に入ります。  「信号を渡るとそこは、江戸だった…」 …とは言いがたいですが、とにかく古い建物が目に入ります。  町並みは、蔵造りの商家が多く、商家は菓子屋が多く、ほかに食堂, 本屋までもが蔵造りです。  親に土産を頼まれていたので、取りあえず菓子屋に入ります。  この付近には菓子屋が結構あちらこちらに立ち並んでいて、その中の 何件かに入って見ました。  菓子を見ると、やたらに芋を使った物が多い事が判りました。  芋羊羹,芋煎餅,芋最中,芋納豆?…芋アイスクリーム??…等々  (ふーーん、川越は芋が名物なのか…) と、思いつつ、いくつか物色して店をでました。なぜなら、これから結 構歩くので、荷物は持ちたくないのと、この感じだと、これらの菓子は 駅で手にはいる物と踏んだからです。  蔵造り町並みを歩くと、視界に大きな塔が目に入ります。それは”時 の鐘”と呼ばれる塔で、この川越のシンボルとしてよく登場するそうで す。  塔に向かって歩いていると、その途中で”服部民族資料館”と言う屋 形があり、入り口には、「服部家伝統の五月人形展示中」と書いてあり ました。  入って見ると、そこは昔の商家のようで、店の奥の座敷にその五月人 形がありました。  五月人形は中心に小さな鎧兜が置いてあり、その向かって右にはその 鎧の持ち主らしき人物の人形。また左には甲冑を来た武士がいて、下の 段には、3人の胴巻きをまとった家来らしき人形があり、また、さっき の鎧の持ち主の右隣りには、馬に跨った僧形の人形がありました。  その構成は、なにやら雛人形の武士版と言ったような感じで、この五 月人形は、室町時代の物だそうです。  資料館を出て、”時の鐘”に向かいます。  ”時の鐘”の塔は、通りからちょっと入った所にあります。  この塔は、江戸時代に鐘をならして時間を知らせた物で(現在も鳴っ ています)、塔の鐘のある場所の高さは丁度奈良の大仏様の顔の位置に 匹敵するそうです。  現在建っている塔は、明治時代に再建された物だそうです。  ”時の鐘”から、通りに戻り歩いていると、今度は”蔵造り資料館” なるものがありました。  中には、蔵造りの建物の説明や、江戸時代に使われていた商家の看板 などが展示されていました。  資料館を出てまた少し進み、今度は横にそれて、細い路地に入ります。  そこには、菓子屋横丁と呼ばれていて、道の両脇に駄菓子屋が数件あ ります。  私は、懐かしくなって、駄菓子を幾つか買いました。  懐かしい思いで、ふ菓子等をかじりながら、駄菓子屋の店先をよく見 ると、ちょっと自分が子供の頃の記憶と違う物が幾つかありました…  ふ菓子、李,杏の菓子等は子供の頃の記憶にもありましたが、飴,煎 餅の種類には記憶に無い物が多く、また子供の頃の記憶にある、錠剤型 のラムネ,ラスク,キャンディーみたいな駄菓子類が少ないのです。  (昔(私の子供の頃以前)の駄菓子はこういう物だったのか…) と、思いました。  菓子屋横丁を離れて、ガイドに従って歩いていると、今度は”東明寺” の境内に”川越夜戦跡”と書かれた石碑に出くわしました…  ”川越の夜戦”は、戦国時代に関東管領上杉朝定が8万の大軍で川越 城に立てこもった北条軍3千を攻めたのですが、援軍に来た北条氏康率 いる8千の兵に夜襲を掛けられ散々に負けた戦の事を言います。  再び、歩き出します。この頃から、空の雲行きがだんだん怪しくなっ てきました。  途中、「本当に、ここが観光ルート?」と言う感じの道を歩いて行く と、”氷川神社”にたどり着きました。  先程言いました”川越祭り”は、この”氷川神社”の大祭です。  また、しばらく行くと、”市立博物館”に着きます。入ろうと思った のですが、入り口に長蛇の列が…  私、諦めて側の”川越城本丸”に行きました。  今の”川越城本丸”は、江戸時代の領主である松平氏が建てた物だそ うです。中には、当時の資料が展示してありました。  私は、この本丸を歩きながら、(嗚呼、御先祖様もここを歩いたのだ ろうか…)と、独り感慨に浸っていました。ちなみに、私の先祖の一人 は、江戸時代、川越で松平氏に仕える武士だったそうです。  ”川越城本丸”を後にして、ちょっと観光ルートを外れ、”三芳野神 社”に行きます。  ここは、童謡「とおりゃんせ」の発祥の地だそうです。  また観光ルートに戻り歩きます。歩いている内に、雨が降ってきまし た…  雨の中、成田山別院,五百羅観,喜多院を見て回りました。  成田山別院と五百羅観の間に”川越歴史博物館(旧西山歴史博物館)” なる物があります。  この博物館、個人のコレクションを展示する個人経営の博物館なので すが、ここに展示されている資料は結構貴重な物が多いみたいです。  特筆すべき事と言えば、NHKの大河ドラマ「独眼竜政宗」のオープ ニングで、出て来たあの奇妙な兜の幾つかは、ここの所蔵品なのだそう です。  …雨足がどんどん強くなってきました…  駅に向かう途中で、土産物を買い込み駅に向かって歩いていると、い い匂いが…  川越の町を歩いている時から、この匂いは時々していました。  この匂いは麺汁の匂いです。  川越の町を歩いていると、「手打ちうどん」の看板をよく見かけます。  丁度、お腹も空いた頃だし、うどんを食しに店に入ります。  美味しいうどんを食べて店を出ると、雨は小雨になっていました。し かし、また強く降って来そうな感じです。  ちょっと寄り道して、JR川越駅に向かって延びる奇麗で賑やかな通 りを歩いてから、西武新宿線本川越に戻ります。  駅のホームには、特急電車”小江戸号”が運よく停車しています。こ れなら、30分程度で高田馬場に行く事が出来ます。  切符と特急券を買い求め、乗り込みます。  私が席に着くまもなく、特急”小江戸号”は、本川越の駅を出発しま した… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.駄菓子屋横丁で中が空洞になっているジャガイモみたいな煎餅     を沢山買い込んだのですか、JR本川越に至る商店街を歩いて     いる時に、小さな子供に煎餅が入った袋に体当たりされて、煎     餅が粉々になってしまいました…(;_;)