車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第4話 「雨に降られて、善光寺参り」  …それは、1991年の8月1日の話し…  その日私達一家は、長野県は長野市にある善光寺に参詣に行く事にな っていました。  善光寺は「四門四宗もただ一つ」と言って、特定の宗派に属さないお 寺です。そのため、日本全国から信仰の徒が集まります。  その日の天気は曇空で良くなかったが、取りあえず家を出発しました。  中央自動車道をひた走り、笹子峠を越え八ヶ岳を横目に見て長野県に 入る頃、雨が降り始めました…  雨の中、豊科から国道19号に降りて(当時は長野自動車道は開通し ていなかった)善光寺平に向かいました…  善光寺平に入ると空は驚くほど青く晴れ渡っていました。  そのまま真っすぐに善光寺に行って、参拝をしました。  そして参拝してから、善光寺の本堂でお胎動巡りをしました。  お胎動の中で本尊を納めている所の鍵を触ると幸せになれと言うので、 真っ暗で目が全然効かない中、何とか手探りで鍵を探しだし、しっかり 触ってきました。  私や兄は、善光寺の門前町でお土産を買っていましたが、両親はお土 産より線香とか数珠などを熱心に買っていました。  善光寺を後にして、犀川を渡って川中島に向かいました。  川中島は、戦国時代に武田信玄と上杉謙信が5度に渡って戦った場所 であります。そしてそこには、川中島合戦場跡として、その中で一番の 激戦であった第4次川中島の合戦で戦死した両軍の戦死者を祭った祠が あります。  祠を参拝してから今度は千曲川を渡って、松代城跡に行きました。  ここは、戦国時代、武田方が上杉方を迎え打つために築いた平城海津 城が最初で、徳川時代に松代と呼び方を替えて今日に至っています。  この城には武田を初めとして、松平,真田など何氏か城主が変わって います。  この城跡のすぐ側に、真田宝物館という真田氏縁の品々を展示してあ る資料館があります。真田幸隆を祖にして、昌幸,幸村,昌信などの戦 国時代の武将の武具や肖像画,そして、幕末に到るまでの真田氏代々の 藩主縁の品々が展示されています。  また、ここは真田氏に縁のある建物などが多いです。  それから、ここは日本の電信発祥の地であるそうです。  松代から国道18号に入り家路に付きました。  途中、戸倉付近で信州蕎麦に舌鼓を打ち、上田市に入りました。  上田市に入ると、さすがに真田氏のお膝元だけあり、商店街には”六 文銭”の旗印が到るところにありました。  小諸を経て、軽井沢に入りました。そこでちょっとお茶でもしようか と思いましたが、軽井沢は避暑に来ている観光客でごったがえしていま した。  追分けから軽井沢に向かう道に入った途端、道路が混雑していたので、 止む終えずわき道に逃れ、塩沢方面に抜けて碓井バイパスに入りました。  碓井峠を下る頃になって、空は再び曇ってきました。  峠を下りて、横川で釜飯を買って高崎に向かいました。  高崎から国道17号に入って熊谷に向かいましたが、熊谷の手前で天 気は崩れ、とうとう雨が降り出しました。  そして、熊谷を過ぎた頃から雨足が急に激しくなり、視界が急に悪く なりました。  更に、雷が追い打ちをかける。  雨はますます激しくなりました。そして、視界は2メートルを切りま した…  私、殆ど何も見えない中、車の速度を徐々に落とし、慎重に運転をし ました。  そして、他の車ものろのろ運転をしていたのだろう…とうとう、前を 走っている車に追いついてしまいました。  こうなると、直前を走っている車のテールランプのみが便りです。  視界が効かない場合は、直前の車と一緒になってのろのろ走っている か、脇にそれて視界が良くなるのを待っているしかありません。  事実、道の脇には、車を止めてじっとしているのも多く見受けられま した。  雷が益々激しくなっていきます。  突然、道路脇のパチンコ屋の賑やかなネオンサインが一瞬にして消え る…停電だ!  街灯も消え、薄暗くなった空に、稲妻だけが妖しく光っていました。  そんな中、前の車のテールランプだけ見てなれない運転していました。  長い時間走っているような気がして、どれくらい経ったかと時計を見 ると、時計を見ると熊谷を出てから30分程度しか経っていませんでし た。  しかし、もう集中力の限界と思った私、車を脇に寄せ、兄に運転を変 わって貰いました。  そうして、大宮に入る直前でようやく雨足が鈍りました。  浦和を過ぎた頃には、雨が止み、戸田橋ではなんと、花火大会が開か れていました。  翌日…なぜか、顎が痛かったです…多分、知らず知らずの内に、歯を 食いしばって運転していたのでしょう… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。