車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第3話 「藤次郎、藤太に会いに行く」  私の先祖は俵の藤太こと、藤原秀郷公と伝え聞いております。  この藤太と言う人物、何をした人かと言うと…なんと、おとぎ話の主 人公でして、ついでに歴史上の英雄と言う人物です。  おとぎ話の主人公で、歴史上実在した人物と言うのは珍しい事で、か の有名な”大江山酒呑童子”を退治した人物の源頼光(前の上司の先祖 らしい…)や、その配下の四天王(坂田公時=金太郎,渡辺綱・一条戻 橋や羅生門の鬼で有名)に並び称されるほどです。  で、藤太のおとぎ話は…というと、”近江三上山のむかで退治”でむ かでを退治した主人公なのです。  そして、歴史上はなにをした人物かと言うと、かの天慶の乱で平将門 を朝廷側にたって討伐した人物です。  そうした人物にも関わらず、私には永いこと、平将門が神田明神に神 様として祭られているのに、朝廷の討伐士として平将門を討伐した藤原 秀郷が神様として祭られていないのはおかしいと、常々考えていました …そして、最近購入した日本の神話の総覧が載っている本に栃木県の佐 野市唐沢山にある唐沢山神社の祭神が秀郷公と知り(秀郷公は弓矢や乗 馬の神様となっています)、ドライブの計画を立てていました。  どうせ行くなら天気がいい日に行き、ついでに足利と群馬県の太田も 見てこようと、天気がいい日を狙っていました。  しかし、今年の天気は雨ばかりでなかなか行く機会がありません、と うとう11月になってしまいました…  そして11月3日の祝日、私は母を連れて計画を実行しました。  朝、会社に行く時間より少し遅く家を出て、東北自動車道を一路佐野 へ…  佐野ICを降りると唐沢山はすぐそこです。  唐沢山は昔の山城でして、神社はその城跡内にあり、本殿は城の本丸 の跡にあります。  私、ここにきて初めて地元の豪族佐野氏が秀郷公の末裔だと知り、し かも、唐沢山城は戦国時代まで使われていた城だと知りました。  神社の拝殿に参拝した時、私の心は感激で一杯でした…  感激の心のまま、私は次なる目的地”足利市”へ向かいました。 足利で何を見るかと言うと、足利尊氏の先祖をおまつりしてある菩提寺 である”ばんな寺”を見たいと思っていたからです。  ”ばんな寺”に着くと、その日は七五三と菊祭で寺の境内は賑わって いました…  ”ばんな寺”を参拝後、”織姫神社(この付近は昔織物の盛んな土地 だったそうです)”に立ち寄り、渡良瀬川を渡って対岸の太田市へ。  太田市は昔は新田の庄と呼ばれ、対岸の足利と共に源氏の血を引く (しかも、元は兄弟の間柄)一族が住んでいましたが、この両者仲が悪 く、昔から渡良瀬川の水争いをしていました…  そうして、太平記の時代に両者が協力し合って鎌倉幕府を倒したはよ かったけれど、のちに天皇側に着いた新田は幕府を立てた足利に滅ぼさ れていしまいます。  そのため現在になっても、足利は市の名前になりましたが、新田は市 の名前にならずに町の名前にとどまったと聞いています。  さて、太田市ではまず新田神社に行きました…新田神社は金山城と言 って新田の城の跡地に在ります。  その途中、”呑龍様”と呼ばれる”大光院”があり、安産,子育てご 利益が在りますが今は関係がないので、そののまま通り過ぎます。  ”呑龍様”は、七五三のお参りで満員でした…  金山を登り、途中で車を留め山道を歩くと、その山頂に”新田神社” があります。  新田神社参拝後、境内で休憩していると、そこに”中島公園”の文字 が…  そのとき、私は(そういえば太田市は、かの隼や疾風を生みだした中 島飛行機の発祥の地だった…)と言う事を思い出しました。  それを裏付けるように、中島飛行機のその後の姿である富士重工のト ラックが盛んに走っていました…  そのあと、新田義貞が鎌倉幕府討伐の兵を挙げた”生品神社”に途中 迷いながらも行きました。  ”生品神社”には、新田義貞の銅像や縁の品々が在りますが、到着し たときの神社の境内はあまりに寂れていたので、気味が悪くなり、参拝 せずに立ち去りました。  それから、テレビで有名な時代劇の「木枯らし紋次郎」(笹沢左保原 作、…主演は、中村敦夫さんです)で有名な”三日月村”に行きました。  ”三日月村”には、現在江戸時代の風景を再現した”歴史の里三日月 村”と”三日月村スネーク・センター”があります。  私は”スネーク・センター”にも入りたかったのですが、母が嫌がっ たので、”三日月村”のみに入りました。  ”三日月村”の中では現在の円は使えません、入り口(関所と書いて あった)で、江戸時代のお金と交換し(100円=1文)、中に入りま す。  ”三日月村”には、お茶屋,旅篭,水車小屋等と共に、”紋次郎の生 家”なる百姓屋が在りました。  その”紋次郎の生家”の軒には、紋次郎のマネキンが在りまして、私 と並んで写真を撮りました。  また、紋次郎の格好をした人(かなりオジサン)がいまして、頼めば 一緒に写真を撮ってくるます。それに、ここでは江戸時代の装束を貸し 出してくれます。生憎私は着ませんでしたが、機会が在れば、渡世人” の格好をしてみたいものです…  ”三日月村”で十分遊んだ後、夕日を拝みながら国道122号を家路 に着きました… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。 P.S.1 ”生品神社”に行く途中、和食ファミリー・レストランで       昼食を取りましたが、そこで”釜飯”をたのんだ所、物の       数分で出てきました。       驚いていると、釜の下に固形燃料炊かれており、       「吹き始めたら、具を入れて蓋をして下さい。そしてそれ       から20分程このままで、お待ち下さい。その頃に吸物を       お持ちします」       と、言われました…それから、20数分、私と母は空腹を       抱えながらお  預けを食っていました… P.S.2 「木枯らし紋次郎」の役はテレビの本放送では、中村敦夫       さん…テレビの特番では、他の人が(覚えていません)演       じていて、映画では、菅原文太さんが演じていました。私       は中村敦夫さんの紋次郎がいちばん好きです。