車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第2話 「神保町と秋葉原の間に…」  私が、神保町やお茶の水に買い物に行って、そのついでに秋葉原に行 く途中で立ち寄るところがあります。  それは、神田明神です。  お茶の水の駅前から聖橋を渡り東京歯科大の校舎の脇を抜け、湯島の 聖堂の壁を右に見て神田明神に参ります。  神田明神は、恵比須様,大黒様を初め、平安中期に時の朝廷に反旗を 翻した平将門公が祭られています。  この神田明神は、江戸の一番社の異名があり、その昔、大田道灌が江 戸城(城と言うより砦に近かったらしい)を築城した頃、その城内にあ って、江戸神社と呼ばれていたそうです。その後、徳川家康が江戸に転 封された折り、江戸城を今のような大規模な拡張工事を行った折り、同 じ城内にあった日枝神社と共に江戸城から出て、日枝神社は赤坂に、江 戸神社はここの神田に移動し、そして将門公を初めとする神々を併せて 祭り、神田明神という名前の神社になったそうです(今でも、お年寄り は、神田明神を江戸神社と呼んでいて、事実、神田明神の一の御輿には、 「江戸神社」と書かれています)。  神田祭は盛大で有名で、その御輿は江戸時代には、赤坂の日枝神社の 御輿と共に、江戸城内に入る事が許されていたそうです。  今年は4年に一回の陰の年で神田祭はやらないそうです(それを決め たのは、徳川八代将軍吉宗公)。  学生時代はちょくちょく神田明神に御参りに行きましたが、一向にご 御利益がありませんでした。それもそれはず、私の先祖はこの平将門を 討伐した藤原秀郷公だと知ったのは社会に出てからでした…  それ以来、ここに参るのは単なる挨拶程度にとどめる事にしました。  なら、なぜ立ち寄るのかと疑問に思う方もいらっしゃいましょう、そ れは神田明神の大鳥居の隣にある麹屋”天堅屋”の喫茶部が好きでちょ くちょく立ち寄るのです。  ”天堅屋”の御自慢はこの店で扱っている麹を使った甘酒で、これか らの季節は寒さで凍てついた身体を暖めてくれるのはもちろんの事、夏 場には冷たく冷やした甘酒やカキ氷に甘酒をかけた物でもてなしてくれ ます。  …ちなみに、冷たい甘酒や、カキ氷に甘酒をかけた物は全国でも ここだけです。  また、”天堅屋”を初め神田明神近辺には麹を扱った店が幾つかあり、 そのどの店も地下に麹室があり、麹を保存しています。  (神田明神界隈の地下は穴だらけで、高いビルが立てられないのと、 地下の土地の所有権を巡って現在でも争い事が絶えないそうです)  その麹室の一部を”天堅屋”は、氷の保存に使用しています。  その氷を使用したかき氷は、その辺の喫茶店のカキ氷と違い、氷カキ 器が昔ながらの物ですので氷のみでも結構美味しく、また氷を食べても 頭にキーンと来る事がないです。  しかも、この店にはクーラーがなく、店が解放的なので夏場には湯島 の聖堂を賑わしている蝉の鳴き声が耳に心地よく響きます。  ”天堅屋”で一服した後、”天堅屋”の前を通っている通りを左に坂 を降って行くと自然に秋葉原に到達します。  そして、ジャンク屋を回り、必要に応じてソフト屋や部品屋も回って、 知り合いがやっている店に入り浸ると行った行動を私はします。  でも、今日はそれをやめてちょっと散歩をしてみましょう…  ”天堅屋”の前の通りを右に向かいすぐ側の交差点に立ちます。  そうすると、交番の前に「湯島天神」と書かれた道しるべが目につき ます。それに従って歩いてみましょう。  坂を下り蔵前通りを横断すると目の前には登り坂がありますが、めげ ずに登ります。  その登り坂の中腹に”妻恋神社”なる小さな社があります。  この”妻恋神社”なんでも日本武尊命(やまとたけるのみこと)が東 征の折り、この地に来たとき、彼の妻が死んだ事を知ったそうです。彼 は妻が死んだのを悲しみ「あずまはやー!」と叫んだそうです。それが 坂東の語源になったそうです。  ”妻恋神社”を起って更に進みます。そうすると道の両側に妖しい建 物が乱立しているのが目につきます。  これこそが有名な”湯島のラブホテル街”です。  歩いているアベックに目もくれず歩いていると、ようやく”湯島天神” に着きます。  ”湯島天神”は皆さん御存知の通り、学問の神様菅原道真公を祭って いる社です。  ここで、皆さんに一言。  よく、「湯島の聖堂と湯島天神はどう違うの?」と聞かれますが、 ”湯島の聖堂”は日本の学問の発祥の地の昌平坂学問所跡で、今は孔子 を祭った廟の事であり、”湯島天神”は、学問の神様菅原道真公を祭っ た神社なのだと言う事を知って貰いたいのです。  …ちなみに”湯島の聖堂”は、日本テレビの「西遊記(夏目雅子 や堺正章がでていた方)」のロケ現場として当時使われていまして、堺 氏の話しによると、あの孫悟空のメークのまま、聖橋を渡ってお茶の水 のラーメン屋に食べに入ったそうです。  ”湯島天神”を通り抜け、坂を降っていくとそこには上野忍の池とア メ横に続く道があります。  忍の池で休憩するもよし、アメ横で買い物するのもよし…  …まあ、たまにはこんな散歩もいいがですか? −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。