車のイグニッション・キーを捻った時から新しい旅立ちが始まります。 また、いつも通い慣れた道を少し外れて見ると意外な発見をしたりする ものです。 私は、年数回の長距離旅行の他に、日帰りのドライブや自分の足を使っ た散策も楽しんでいます。 近場でもちょっとした旅と洒落込むと結構楽しいものです。 そんな中で、またあれこれ起こった事を「藤次郎放蕩記」として書き綴 って行きたいと思います… −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 藤次郎放蕩記 第1話 「馬込周辺」  …まずは、私の家の近所を紹介いたしましょう。  私が昔住んでいた場所は、東京の大田区馬込というところでした。  この馬込という土地、名前の通り遥か昔には牧(馬の牧場)として良 質の馬を産出する土地だったそうです。ちなみに、東京の山手線の駒込 と言う土地も同じ様な牧だったことにちなんだ地名です。  この土地は丘陵地帯で、坂が多いのが特徴です。  そして豊富な地下水源を有しているため、昔は低地に湿地や沼地が多 くあったとの事です。その湿地の名残が洗足池(東急池上線洗足池)や その近辺の池だと思われます。また、”池上”,”上池台”などの池に ちなんだ地名が近所にはあります。  そんな湿地帯の名残がある土地のため、地盤が弱く大震災時には大変 な事になると思われます。  地下水は、井戸水を使用している友人に聞いた話しでは、水質は数年 前一時期飲めなくなりましたが、最近の調査結果では、また飲めるよう になったとか…  この地は、東京でも結構、高台らしく、私が子供の頃2階の部屋の窓 から東京タワーや霞が関ビルを望む事が出来ました。  また、私の家の側を通っている道は、古くから(鎌倉時代?)池上本 門寺(東急池上線池上)への参拝の道として栄えたそうです。  事実、この道を歩いて行くと、池上本門寺に向かう街道(池上通り) にぶつかります。  目黒不動尊を起点とし、武蔵小山のアーケード街(東急目蒲線武蔵小 山駅)の側を通り、池上本門寺の開祖である日蓮上人に心酔した戸越氏 (鎌倉時代の豪族)が建てた法蓮寺の前を通り、池上通りに続いていま す。(子どもの頃、やはり家の2階から池上本門寺の七堂伽藍がよく見 えた物でしたが、今では高いマンションやビルが立ち並び、かろうじて 五重塔が見える程度です)  そのため、近所には江戸時代に建てられた道しるべ等があります。  また、この道沿いには八幡神社を初めとする神社仏閣があり、その中 で、有名なのは、万福寺と法蓮寺及び鶴岡八幡です。  この内、法蓮寺と鶴岡八幡は隣の品川区にあります。(東急大井町線 荏原町駅)  万福寺(東急大井町線荏原町よりバス)は、有名な鎌倉時代の武将 (時代劇では悪役によくされる)梶原景時一族の菩提寺で、行った事は ありませんが境内には源平合戦時の折り、木曽義討伐戦で有名な宇治川 の先陣争いの時に、梶原景季(景時の子)が乗っていたという、源頼朝 から賜った名馬磨墨(するすみ)の墓があるそうです。  鶴岡八幡は鎌倉の鶴ヶ岡八幡を勧請したものだそうです。この辺では 結構大きな社です。  祭はもう終わりましたが、毎年隣町の旗の台,中延を巻き込んでの大 きなお祭が催されます。  法蓮寺は先ほど言いました通り、鎌倉時代の地頭が建てた日蓮宗のお 寺で、奇妙な事に上の鶴岡八幡と同じ土地にあります。  以前偶然知り合った元出版者の記者の方の話しでは、もとは法蓮寺が メインで鶴岡八幡が境内内にある小さな祠だったそうです。  それが、江戸時代に少しづつ栄えてきて、明治時代の神仏分離によっ て鶴岡八幡が独立したとの事。  しかし、私が見る限りでは、今では鶴岡八幡の方が偉そうに見えます が…  法蓮寺では、10月の中頃に「お会式」と呼ばれる万燈行列が催され ます。(池上本門寺では、10月12日に「お会式」が行われます。こ の日は日蓮上人の命日に当たるそうです。「お会式」は日蓮宗の有名な お寺で順番に11月頃まで行われるみたいです)  さらに、近所には国道1号線(第2京浜国道),中原街道,環状7号 線などの道路網が発達しており、車の便がいいです。  面白い話しに環状7号線と国道1号線の立体交差は日本で1番初めに 作られた物だそうです。  国道1号線は戦時中、戦闘機の臨時滑走路として使用する予定で整備 された物だそうです。  その反面、騒音(ついでに新幹線も通っている)と廃棄ガスがすごい です。私が通っていた小学校は、環状7号線沿いにあります。丁度光化 学スモッグ等の公害が騒がれていた頃(私がこの小学校に通っていた頃) 私が通っていた小学校は「公害と戦う小学校」とか言ってTVに紹介さ れた事がありました。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−  まあ、今回はこんなとこで…(^^;) 以上、藤次郎でした。