済生会勉強会の報告 2003
平成15年12月10日の勉強会の報告(演者 遁所直樹)
安藤@済生会新潟第二病院眼科です
第91回済生会新潟第二病院眼科勉強会(12月10日)の報告です。
演題:「期待せずあきらめず」
演者:遁所直樹(新潟市障害者生活支援センター分室)
「障害の受容」について以前遁所さんにお尋ねした時、「障害者にとって、永遠に続くテーマだと思います。」というお答えでした。当初今回のタイトルを「社会受容」として、障害の受容を、社会受容と自己受容に分けて論理的に語る予定でした。でも出来るだけ自分の言葉で自分の体験を話す中で、これまで如何に自分が障害を受容してきたかを語りたいということで、タイトルを「期待せずあきらめず」に変更して今回のお話になった次第です。
尚、「社会受容」は、遁所さんが施設に入っていた時に教わった、心理カウンセラー南雲直二氏による著書のタイトルです。
http://www1.odn.ne.jp/~cbh92600/shakaijuyo.html
今回の講演を私なりにまとめたものを、以下に紹介致します。
最初に、今回のタイトル「期待せずあきらめず」は大学時代の恩師である菅野 浩先生と、新潟大学医学部付属病院の整形外科主治医であった田島達也助教授(当時)に頂いた言葉という紹介があった。
【1】 現在の社会参加の状況
障害も持ちながら学生生活を送っている人の割合は、日本では0.09%だが、米国では7.00%である。日米でこんなに違いがあることが再認識された。
【2】 障害をもった頃の話
1987年 当時24歳。新潟大学の学生(博士課程)で水泳の選手だった。海にダイビングをした時に、頚椎損傷により四肢麻痺の重度障害者となった。当時は学生生活を続けることなど考えられず、いつも俯いて生活していた。
1990年 新潟大学自然科学研究科博士課程中退。
1993年 13期ダスキン障害者リーダー海外派遣事業に参加【渡米】。
1996年 行政書士資格取得。資格は得たが仕事はなかった。たまたま新聞の広告に国際福祉医療カレッジ社会福祉学科の案内があり、応募した。一度は諦めようかなと思ったが、カレッジの人に出来ることからやってみようと言われた。「出来ること」と言われたのは、障害を持って初めてだった。親・9名の同級生と友人の協力を得て何とか無事
に学業を一年間続けた。以前は(健康な頃は)、講義が休みになるといいなと感じたこともあったが、この1年間の講義は本当にサボりたくないと思った。
1997年 国際福祉医療カレッジ社会福祉学科卒業。社会福祉士資格取得。国際医療カレッジ非常勤講師(現在に至る)。イギリス赤十字・日本赤十字ボランティア障害者交流事業に参加【渡英】。新潟県ふれあいプザラ事業ピアカウンセラー(現在に至る)。
1998年 介護老人保健施設ケアーポートすなやま支援相談員(現在に至る)。
2000年 自立生活支援センター新潟職員(現在に至る)。新潟県社会福祉審議会委員1年間
2003年 特定非営利活動法人自立生活センター新潟理事(現在に至る)。
【3】 自分を好きになることの大切さ
米国での研修中(ダスキン障害者リーダー海外派遣事業)に、「あなたは、自分のことが好きですか?」と問われたことがある。当時は希望のない毎日を送っていただけに、その一言にハッとした。
【4】 アメリカ・イギリスで得たこと(心のバリアフリー)
障害を持っていて一番悲しいことは「無視」されること、逆に一人でも支えてくれる人がいると生きていける。1993年13期ダスキン障害者リーダー海外派遣事業は、わずか2週間の米国滞在であったがショックを受けた。自分よりも重度の障害を持った人たちがどんどん社会参加していた。こんな障害に甘えていられない、負けていられないと思った。
【5】 出会った人々の話
佐藤豊先生(リハビリの主治医)何でも言ってくれる、今でも慕っている先生。受傷当時、殆んどの医者が機能回復は困難と言った時に、「回復出来る」と言ってくれた。一番苦しい時には、医師の一言で絶望もするし、明るくなることも出来る。
和田光弘弁護士(日本アムネスティ協会会長、新潟市在住)。日本アムネスティ協会主催の憲法制定50周年記念で、「耳を済ませて」という劇を行なった。最後、共演の子供に質問された。「障害は悲しいことですか?辛いものですか?」 考えてしまった。障害者自身が「私は幸せだ」というと社会のシステム化は遅れる。障害者は声を出さないと社会は変わらない。
新潟日報論説委員。無年金障害者問題を一緒に考えてくれた。
ALSボランティア 何でも言ってくれた。当局との交渉の仕方など何でも教えてくれた。
青木学氏(新潟市会議員、視覚障害者) 新潟市に低床バスを導入する活動を共にやり、実現させた。
【6】 クリストファー・リ−ブズは本当にスーパーマンだ
クリストファー・リ−ブズは、映画「スーパーマン」の主人公を演じた人。今は事故による脊髄損傷でセントルイスのワシントン大学でリハビリ中。クリストファー・リ−ブズ基金を創設し、脊髄損傷の有益な研究に対して奨学金を提供している。めざましい神経再生研究の発展の一助になっている。
これまで障害受容とは、失われたものをいつまでも嘆くのでなく、残された機能を最大限に活かすことと言われてきた。でも彼が登場したことで、不可能と言われていた神経の再生が、もしかすると可能になるのではないかという夢を与えてくれた。彼は今や頚椎損傷患者の間では、真のスーパーマン的存在である。
【7】夢の話、マーチン・ルーサー・キング牧師の夢 I have a dream.
皮膚の色でなく、人格によって評価される国に住みたいという夢がある。
【8】 平等とは
平等とは同じ価値を持つこと。足が不自由な人が車椅子を使うことは、健常人と同様に行動するために必要なこと。
【9】 環境を整えること
虐げられたものは声を出すことが必要だ。当事者は声を出すこと、そして理想を語ることが必要。障害者は声を出さないと社会は変わらない。今ある障害の責任の80%は社会の責任。でも環境さえ整えられると、障害があっても生活できる。
10枚以上の写真を用い、淡々と1時間にわたりお話してもらった後、参加者との話し合いになりました。
○自分も障害を持っているが、まだまだ上がいることがわかった。
○ここに至るまでの家族や周囲の方の協力も、並々ならぬものと思いました。
○印象的だったのは、一時は顔をあげて写真に写ることもできなかった遁所さんが、アメリカへ行き自分のできることから始め徐々に自信を取り戻していくという場面だった。
○重度の障害を持っているのに、案外表情が明るいのにびっくりした。
○本人の受容も大事だが、家族の受容も考えなければならないテーマでは、、、。
○障害というのは、その人自身にとっても周囲の方々にとっても、決して完全に受け入れることはない。奇麗事では済まされないことだと思うが、その上で今の障害者に厳しい現状を少しでも改善したり、お互いに支えあったりしなければいけないのだと思った、、、、、、。
いつも世話をしてくれているお父さんのことをお聞きすると、「父のことを話さなかったのは、話すといつも涙が出るからです」と言った遁所さんの言葉が印象的でした。
後日、遁所さんから下記のメッセージを頂きました。
重度の障害を持って明るいのにびっくりされたというのはたぶん人前だからでしょう。結構人前では突っ張ているような気がします。このような機会をいただきありがとうございました。受容というのはなかなか大変なものです。今回のお話の機会で改めてまだまだ受容には至るまでには程遠いことを感じました。
冒頭の遁所さんへの質問の答えに、以下の文章が続いていましたので最後に紹介します。
「ただ、ひとつ言えることは、患者の眼線に立つことができる医療従事者に対しては患者は信頼関係を持つということです。あきらめないで付き合ってくれるとき、人々から無視されないでいるときに受け入れるきっかけが生まれると思います。」
遁所さんのこれからのますますの活躍を、期待したいと思います。
平成15年11月26日の勉強会の報告(演者 丸山倫夫)
済生会新潟第二病院眼科の安藤です。
11月26日に行われた第90回済生会新潟第二病院眼科勉強会の報告です。
演題:「煙にまつわる話」=休煙?卒煙?無煙? =
演者:丸山倫夫先生(JA新潟厚生連魚沼病院;内科・禁煙支援医)
よく耳にする「禁煙キャンペーン」は、道徳の教科書から生まれたような方々が、タバコを吸う人は罪人だと言わんばかりの勢いで正論を述べるため、やや辟易としたものを感じることがありますが、今回のお話はとても素直に聞くことが出来ました。
日常の忙しい外来をこなす一方、長い時間と永い年月をかけて、患者さんの言い分を良く聴いて、一緒に悩み、一緒に解決しようとする姿勢は、医師本来の姿ではないかと感じました。
最後に自ら経験した臨床例を紹介して、「禁煙できないときも許してあげよう」、「タバコを憎んで、人を憎まず」、「北風より、太陽で」という言葉に、かなりの経験と包容力を感じました。
今回の講演のダイジェストを私なりにまとめ、丸山先生に内容をチェックして頂いたものを、以下に紹介致します。
***********【煙にまつわる話】***********
タバコ関連の収支は、その税収などによる収益が年間3兆円見込まれる。しかし、タバコによる疾病の医療費や、タバコによる火事の損害など減益は増加の一途で、年間7兆円に上る。
わが国の年齢別人口構成を見ると、世界最速で高齢化が進んでおり、老齢人口(65歳以上)は、現在15%だが、2050年には35%になると推定されている。こうなると生活習慣病など老齢化に伴う疾患医療費の増大は大変な額になり、保険制度の破綻が予想され、今、各自治体は、「如何に健康を維持することが出来るか?」に頭を悩ませている。
厚生労働省が進めている「健康日本21」などでは、生活習慣病の危険因子を割り出しているが、いずれの疾患でも、タバコは危険因子の上位を占めている。即ち、 ■タバコは予防しうる最大の原因であり、禁煙活動は今や国家的な課題でもある。
タバコが身体に悪いことは、世間一般に知られているが、タバコによって起こる病態は、
1)喫煙者の身体に対する影響、
2)喫煙者の心に対する影響(ニコチン依存症)
3)周囲の人に対する影響
の3つに分けると、理解しやすい。
1)喫煙者の身体に対する影響
タバコから連想する疾患の第一は「がん」だが、中でも肺癌による年間死亡者数は年々増加し、1999年には胃癌による死者を上回った。
癌のみならず、血行障害、心筋梗塞、歯周病等の原因になっているタバコは3大死因すべての原因となっており、交通事故死:1万人、自殺者:3万人に対し、タバコ関連死は10万人である。(いずれも1年間あたり)
2)依存症
精神的依存症(習慣)と、身体的なニコチン依存症の2つがある。
> 起床してからどれくらいでタバコを吸うかで習慣性が判る。起床してから30分以内に吸う人はかなり習慣性が強い。
> ニコチン依存症:ヘロイン中毒やアルコール依存症と同様にタバコにはニコチン依存症がある。急に止めようとすると禁断症状が出る。
3)周囲の人に対する影響
受動喫煙による被害は深刻である。夫が一日20本以上の喫煙者の場合、妻が肺癌になる可能性は夫が喫煙者でない場合の1.9倍である。最近は、10代から30代女性の 喫煙者が急増している。妊婦の喫煙は、胎児に影響する。乳幼児突然死・口蓋裂等の先天奇形が知られている。
以上、体、心、周囲の人も巻き込むという点で、「タバコは万病のもと」である。
されど、「タバコは手強い!」
禁煙外来に通ったとしても1年後に禁煙が出来ている人は40%、すなわち60%の人は脱落する。この手強さを十分に承知した上で、禁煙に辿り着けば、そこには健康で豊かな生活が待っている。即ち、「禁煙は、転ばぬ先の杖である。」
【禁煙外来とは?】
禁煙するための特効薬はない。何が禁煙できない理由かをよく訊き出し、気長にカウンセリングを行う。一人当たりの診療時間は長い。新患で、45分から60分、再来でも15分から20分はかかる。
受診動機・家庭状況・職場環境をよく訊く。タバコ依存度テストやスモーカライザー(呼気中の一酸化濃度測定;正常者は5ppm以下、喫煙者は20ppm以上にもなる)をチェックする。禁煙補助剤には、パッチ(病院処方)とガム(ニコレット;一般の薬局で販売)がある。
あたかも特効薬であるかのような、過大な宣伝がされているが、あくまで禁煙開始の補助剤で、上手に使わないと効果は期待できない。
「禁煙のコツ7か条」というものがある。
1)禁煙したい理由の再確認
2)禁煙したことを他人に公表する
3)本数を減らすのではなく完全に断煙すること
4)禁煙はプラス思考で(禁煙開始直後のイライラは、「生みの苦しみだ」という発想転換)
5)上手な気分転換を
6)手持ち無沙汰の解消を
7)禁煙のメリットを見つける(肌が艶々してきた・ご飯が美味しい・咳や痰が減った等々)
最後に、 禁煙は一筋縄ではいかない。何度か道草食うのが当たり前・・・。「禁煙できないときも許してあげよう」「タバコを憎んで、人を憎まず」「北風より、太陽で」「大人は休煙から卒煙へ、子供は無煙環境を」という言葉で、煙にまつわるお話のまとめといたします。
平成15年10月8日の勉強会の報告(演者 今井済夫)
済生会新潟第二病院眼科の安藤です。
10月8日に行われた「済生会 目の愛護デー記念講演会2003」(第89回済生会
新潟第二病院眼科勉強会)の報告です。
演題 「なんでだろう目の病気(あなたの疑問に答えます)」
演者 今井済夫(長野県眼科医会理事、長野県上田市)
講演は先ずは点眼薬のことから始まりました。曰く『点眼にたいする一般の人の気持ちは、かなり適当なことが多いです。「目の調子が悪いので目薬をつけていました」「なにをつけていたのですか」「たんすにあった目薬です」「女房がつけていたのをつけました」、、、、点眼は便利なだけについつい適当に考えがちですが、当然病気によって薬は違います。
すぐに薬を使い切ってしまう人がいるが、、、5mlの点眼薬を1日3回両眼で処方すると5日で使い切ってしまう人、月に何回も薬をとりに来る人がいます。少し使いすぎですよと注意をします。では、どのくらい使えるのでしょうか。5mlの点眼はメーカーによっても違いますが、大体140〜150滴入っています。 1回2滴、両眼に4回で使うと、1日で16滴、大体1週間使えます。1滴点眼だと2週間使用できます。
逆に、1回処方すると何ヶ月も薬があるからと受診しない人は、決められた回数をつけていないことがわかります。
子供に点眼するとき、、、、 嫌がる子供に点眼するとき、どのように指導していますか。よく、親が押さえて点眼しているイラストを見かけますが、とんでもないことです。子供に恐怖感をあたえることは良くないですし、泣くと涙で薬が流れてしまいます。
私の勧めている点眼方法は、寝ているときに下瞼をあかんべして瞼の裏に点眼を落とすようにします。それでもだめなときは、目を閉じていてもいいですから瞼の内側に3滴くらい落としておきます。あまり時間にこだわると押さえつけることになりますので、多少時間はずれてもいいですよと付け加えておきます、、、。』
講演はこのような調子で軽快に進みました。点眼薬、近視(近くでTVを見ると目が悪くなる?本を見る姿勢が悪いと目が悪くなる?素人療法は有効か?)、老眼鏡(老眼鏡をかけると老眼は進む?)、コンタクトレンズ、ものもらい、結膜下出血、ドライアイ、白内障(手術は何時になったらやるべきか?)、飛蚊症、緑内障(痛くない緑内障が日本に多い。これが発見を遅らせ問題)、糖尿病網膜症(視力低下の最大の原因)、ブルーベリー、、、。
講演前に資料として、院内新聞として毎月発行している「やまぼうしQ&A」(全部で12頁)を配布し、普段患者さんが疑問に思っていることを、明快に解説してくれました。この資料を見ただけでも充分参考になるほど、内容のあるものでした。
これだけ多岐にわたる話題を、講演ではわずか50分でスライドを駆使して明快に話してくれました。専門用語を使わず非常に判りやすい説明で、患者さんや一般の方に評判が良かっただけでなく、われわれ眼科医にとっても参考になる説明でした。
実は、今井先生は私の同級生(昭和52年新潟大学医学部卒)ですが、この講演終了後はとても誇らしく思いました。
尚、講演の内容は、今井眼科医院のホームページの中にある「院内新聞」に載っています。ご参照下さい。
【今井眼科医院】長野県上田市下之郷乙346-6
電話 0268(38)1700
http://www5b.biglobe.ne.jp/~i-ganka/
平成15年9月10日の勉強会の報告(演者 櫻井浩治)
済生会新潟第二病院眼科の安藤です。
9月10日(水)に行われた第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会の報告です。
演題 良寛は何故子供達と遊んだか
演者 櫻井浩治(新潟医療福祉大学)
漫画になるほど有名で、しかも新潟にゆかりのある歴史上の人物。知っているよう
であまり知らない人物。
良寛(1758年・宝歴8年生れ、1831年・天保2年没す)の父親は、庄屋の番頭で、良
寛は「乞食の行」に専念していたにも拘わらず、しょっちゅう庄屋などにも出入り
し、かつ書にも秀でていてなかなかの徳を持った「高僧」という評価もある。
一方、
食べていくだけでも大変な世の中にただただ子供と遊んでいたり、その書に脱字など
があり「馬鹿僧」という評価もあるという。
良寛は 良寛の育った土地は幾度となく水害に遭い、貧しい土地柄であった。当
時、農民は生きていくために子供を売って生活していかねばならないほどであった。
(参考 「良寛を歩く」水上勉著 飯売下女季奉公人請状、「良寛と上州飯売下女」
永岡利一著 木崎音頭)
売られていくであろう子供達に良寛が出来ることは、ただ一緒に遊んであげること
だけだった。一緒に遊んだ子供達は、一生この経験を楽しい事として記憶していたに
違いない。この中に良寛の「自分の出来る範囲で、しかも楽しく」という行動原理が
ある。
ただ優しいだけでなく、確固たる信念を持った良寛、、、、、。世の中の動きにと
らわれずに、自分の生きる道を見失わない強い信念を持った良寛。常に世の中に義憤
(世の中の僧達をこれでいいのかと叱る等々)を感じていた良寛。和歌に見られる心
優しい良寛とは対照的に、良寛の著す漢詩には厳しい意見が多く認められる。
講演を終えて、とてもスケールの大きな人物で、正直、未だに捉えられずにいると
いうのが本当のところです。
道元「正法眼蔵」の中の「愛語」の条では以下のように記載されている「愛語と云
うは、衆生を見るに先ず慈愛の心をおこし、顧愛の言語をほどこすな
り、、、、、、。」。では良寛の「愛語」の精神とは?
野積・西生寺に良寛自筆の書で、「世に身体の障害のある者や不幸な人を見た時
に、哀れみの心を持てない人は自らを恥じよ」と書かれているものが残されている。
キリスト教にも仏教にも通じる、こうした普遍的な人間の生き方に関する考えや信念
は、どこからきたものか?
「良寛」に興味が沸いてきました。
平成15年8月20日の勉強会の報告(演者 清水美知子)
済生会新潟第二病院眼科の安藤です。
8月20日(水)に行われた第87回済生会新潟第二病院眼科勉強会の報告です。
演題 「Coming-out Part 2 家族、身近な無理解者」
講師 清水美知子(歩行訓練士)
今回講師の清水さんは、昨年9月のこの会で「Coming-out」という題で話してくれました。
その趣旨は、障害を持った人は、社会に出て自分たちのことを他の人に知らしめなければ、社会を変えることは出来ないというものでした。今回はその続編です。
「家族」には「温かさ」がある。とても強い繋がりがある。困った時にまっ先に支えてくれる第1候補である。まさに外海の荒波から護ってくれる「防波堤」である。
でも、、、、一方では、外に社会に出て行こうとする障害者のプロセスを、阻んでしまうのではないかという話でした。
「家族」は、知らず知らずに「(柔らかな)檻」を作っている。例えば、、、、この子には一人で外出なんかとても無理だ。私が生きている間は、何でも私がやってあげる、、、、、。
「家族」は、同じ価値観を共有するが、障害に対しては、障害を持つ本人の受け入れと、家族の受け入れには「ズレ」がある。
「家族」との縁は、切り捨てられない。他人であれば嫌な思いをさせる人とは付き合わないようにする事も出来るのだが、、、、 「家族」は、時に自尊心を低下させる態度を取ることがある(誰も気付いてはいないが)。
横柄な態度をとる、何かと指図をする、過保護になる、怒る、、、、、、。
例えば、こんなこともある。
姑と上手くいかなかった嫁さんが障害を持つ事になり、何でも姑の言うことを受け入れなければならなくなった。
好き放題なことをやっていたご主人が、障害を持ってからは奥さんの言いなりになる。
大学を卒業し、家をでてアパートに暮らすといっていた息子が、家に暮らすようになった。
母が障害者であることを恋人に打ち明けられない娘、娘が白杖を突いて隣近所を歩くのを許さない母、
被介護者、被扶養者となり、戸惑い、自信を喪失した夫、、、、、、、。
でも実は「家族」も苦しんでいる。今後の家族関係はどうなるのだろうか?収入は、ローンはどうなるのだろうか?先の見通しが立たない。
自分自身の時間が無くなってしまう、障害のせいなのか、怠惰なのかいつまで経っても動こうとしない夫にいらだつ妻、公的サービスを拒否して妻に介護を求める夫、妻をどう介助したらよいかわからず戸惑う夫、、、、、。
「家族」が感じる罪悪感もある。あの人さえいなければ、もっと自由な時間が持てるのにと感じてしまう自分が嫌だ。
障害者を持つ家族が出来ることは、何か特別なことをするのでなく、いつも傍にいて耳を傾けて悩みを聴くこと。
そのためには、時には休む、自分自身の時間を持つ、
自分の事も相手の事も責めない。
障害を持つ人の家族への接し方は、家族も苦しんでいる事を知る、何でもやってもらうのではなく(これは自分でやるという)ケジメを作る、助言を受け積極的に参加する、「こうしないで下さい」ではなく「こうして下さい」という発想を持つ。
講演終了後、参加者の方からも多くの意見や感想がありました。
家族との関わり合いは、建前ではなく本音でないと話せない話題だけに、熱のこもった勉強会になりました。
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