care(治療)と cure(配慮)


  原稿提供:視能訓練士 小笹さん 2003年 6月
 眼科にも様々な主訴と、様々な症状をもって患者さんがこられます。
近年の医学的進歩はめざましく、以前は失明に至るしかなかった多くの疾患も治療可能となりました。
しかし視覚に障害を残さずに治療できる限界もあり、失明に至らないまでもロービジョン(低視力、低視覚)へと移行していきます。
 症状も治まり、失明せずに済んだので良かったといった医療サイドの考え方と見えない、見にくい、歩けないと毎回同じ症状を訴える患者さんとの間には平行線しか存在しないようで、納得のできない患者さんは、医療に不満を持ち病院をグルグルとショッピングし始めるようです。
この平行線の原因の一つとして考えられることは、医療サイドはcure(治療)を、患者サイドはcureとcare(配慮、適訳なし)を求めているからではないでしょうか。
 では、どのようにしたら平行線を、1本の線とすることができるのでしょうか?
私がいつも心に留めている国立身体リハビリテーションセンターの簗島先生の言葉「眼は何のためにあるのか?」に答えがありそうです。
眼は他の感覚器官と比べると格段に情報量が多いので(情報の90%は眼から入るといわれております)障害が残れば当然眼に入ってくる情報量が減るわけですから、見えない、見にくい、不自由だといった情報盲に陥ってしまいます。
すなわち見えない、見にくいという訴えには、眼だけの症状ではなく、そのために生じる生活上の問題点も含まれています。

(cureの限界)
 しかし、残っている視機能を利用することで眼を使ってまだまだ沢山の情報を得ることもできます。
(careの始まり)
まず、患者さんが来院した目的は何か、何で困っているのか、悩みはないのかを十分に聞き、治療の可能性を見つけることと、残されている視機能の検索と説明、何か工夫して使えるものはないか、少しでも見やすくなる、生活しやすくなる補装具はないか、うまく行かないときにはその道のプロ(!?)の視覚障害者の方にも意見を聞き、また各種情報の提供などをすることが医療サイドにおける情報盲の軽減であると考えられます。
また、患者さんも何で困っているのか、あんなことができない、こんなことをしたいと自分のことを、情報として病院へ提供することで、自ら情報盲の改善に努めることで両者間の平行線は近づき「これなら使えるよ」となるかもしれません。
 たった一言の「見にくい」にはcureとcareの両者が含まれていることに医療サイドも認識するような時代がやってきました。
今後は個々のニーズに合わせたオーダーメイドのcureとcareの同時進行がますます求められてくることと思われます。
そして近づいてきた医療サイドと患者サイドの橋渡しをすることが私たちの大切な仕事の一つといえそうです。

これで、cureとcareのページを終わります。


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