報告:明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009


安藤@新潟です。
 昨年11月に行った「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」の報告です。
 人工眼・再生医療という最先端の眼科医療の講演と、患者さんの生の声を交えたシンポジウムを通して、「明日の眼科の、夢と現実を考える」という、チョッと欲張りな企画でした。 
 眼科医・医療関係者と患者さんと家族、および教育・福祉関係者を対象に、遠くは島根県・和歌山県・兵庫県・京都府、近くは福島県・山形県など全国から98名+盲導犬4頭(新潟県外23名、新潟県内23名、新潟市内52名;事前登録)。関係者、当日参加を加えると110名を超える人数になりました。

「明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009」
  日時;平成21年11月21日(土)
  開場:14時   開始14時30分〜終了18時30分
  場所;済生会新潟第二病院 10階会議室
  新潟市西区寺地280-7


 特別講演
  「人工の眼は可能か?」 
   座長: 鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
   講師: 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 
  「網膜色素変性とiPS細胞」
   座長: 安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)
   講師: 高橋 政代 (神戸理研)
 シンポジウム 「明日の眼科を考える」
   司会: 西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院) 
      安藤 伸朗 (済生会新潟第二病院)    シンポジスト
   田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
   木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
   清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
   川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
   コメンテーター
   高橋 政代 (神戸理研)
   仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター眼科) 

   主催 「明日の眼科を考える 新潟フォーラム」
   世話人 
   安藤 伸朗 (世話人代表;済生会新潟第二病院)
   川瀬 和秀 (岐阜大学)
   白木 邦彦 (大阪市立大学)
   鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
   仲泊 聡  (国立障害者リハビリセンター病院)
   西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院)

以下、印象に残ったことを記します。

特別講演
 演題:「人工の眼は可能か?」 
 講師: 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院)
 人工眼研究の歴史から現在の最新の情報まで、広範なお話を判り易くお話ししてくれました。 バイオハイブリッド型人工眼、光を受け取る緑藻類(りょくそうるい)の遺伝子等、わが国の研究も進んでいることが判りました。
http://www.io.mei.titech.ac.jp/research/retina/index-j.html
http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=235403&lindID=4

 演題:「網膜色素変性とiPS細胞」 
 講師:高橋政代(神戸理研)
 網膜色素変性の理解から、最先端の研究まで判り易くお話ししてくれました。  細胞を移植することによって、疾患で失われた網膜機能を再生させるプロジェクト。 再生医療を成功させるためには、基礎側からのアプローチだけではなく、臨床側からのアプローチ、すなわち対象となる疾患の深い理解も重要。 「医療側が与えたい情報と、患者側が欲しい情報とでは相違がある」「見えないことを母親が可哀想と思うこと」の問題の指摘も印象に残りました。 iPS細胞を利用した網膜色素変性の治療が、近い将来確立できることを期待します。 
http://www.cdb.riken.jp/jp/01_about/0105_annual02.html

 シンポジウム「明日の眼科を考える」
 シンポジスト
  田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
  木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
  清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
  川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)
 田中正四さんのお話
  「希望」「不安」「なにくそ」アドバルーン、とてもインパクトがありました。心に響きました。
 木原暁子さんのお話
 糖尿病網膜症で失明してから再就職に至るまで、出会った方々に感謝と語りました。感動。
 清水美知子さんのお話
 ケアとリハビリは違うことを指摘してくれました。「当事者主権」「エンパワメント」「インフォームド・デシジョン」「リハビリはマインドリセット」多くのことを、考えさせられる講演でした。
 川瀬和秀先生のお話
 患者の訴えを聞くことが重要(患者さんがどう見えているのか、医者は知らない、聞いていない)。緑内障の治療は、眼圧や視野だけではない。視野から不自由さを推測することが大事。 最新の緑内障診療の情報を交えたお話でした。

 田中さん・木原さんのお話から、医者が患者に説明することの大事さ、改めて感じました。打ち合わせはしていませんでしたが、講演やシンポジストに共通していたことは、「諦めない」ということだったようです。患者も、家族も、医者も諦めない。諦めないことは実は苦しいことですが、進歩はこうした中から生まれてくると信じます。
 同じテーマを、全国各地から集まった、いろいろな職種の方々と、同じ会場で一緒に、語り合うことが出来たことが最大の収穫でした。


 特別講演
 「人工の眼は可能か?」 
   講師: 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 
 「網膜色素変性とiPS細胞」
   講師: 高橋 政代 (神戸理研)

 特別講演
  演題 「人工の眼は可能か?」 
   講師 仲泊 聡 (国立障害者リハビリセンター病院) 
 私たちの脳の中には眼の網膜の各部位と対応関係のある領野が複数あり、これがいわゆる視覚野になっていることがわかってきました。その中に後頭葉の最後端のところに網膜の中心窩からの情報が届くところがあって、これを中心窩投射皮質といいます。この部分を電気で刺激すると視覚を感じることが知られていて、70年代にはドーベルがこれを利用した人工視覚装置を開発しました。しかし、ドーベルが2004年に亡くなり、その後はそのような研究は残念ながら立ち消えになっています。
 その一方で、アメリカとドイツを中心に網膜を刺激するタイプの研究が発展し、日本でも阪大や東北大でこの網膜刺激型の特殊なタイプが開発されてきています。南カリフォルニア大学のヒュマイアンは、すでに60電極の網膜刺激装置を網膜色素変性症で全盲の患者の眼にいれ、その患者はコントラストの高い大きな形なら判別できるようになっています。また、チュービンゲン大学のツレンナーは16+1500電極のものを入れ、視力が0.018になったと語っています。
 このように人工視覚もここへきてかなりの進歩がみられ実用可能な範囲に突入しはじているのがわかります。しかし、手術の安全性、電極の耐久性、交換可能性、解像力、広い安定した視野というユーザーサイドから見た理想的な人工視覚にはまだまだのようです。
 さらに、疾患限定ではないものとなると結局はドーベルの最初の発想に帰り、脳内への直接入力が必要となります。現在、私はこれをより安全性が高く解像力がよくなるものとして脳内光刺激型の人工視覚に賛同しています。本講演の最後にそのコンセプトについて簡単に説明しました。
 究極のロービジョンケアは失明の治療であると考え、これからも「あきらめない」をキーワードに仕事を続けていきたいと思います。
 略歴
 平成元年5月 東京慈恵会医科大学付属病院長 眼科研修医
 平成3年4月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手
 平成7年7月 神奈川リハビリテーション病院派遣 眼科診療医員
 平成9年7月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療医長
 平成15年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成15年10月 東京慈恵会医科大学眼科学講座助手 眼科診療医員
 平成15年12月 東京慈恵会医科大学眼科学講座講師 眼科診療医長
 平成16年1月 Stanford大学留学(visiting scholar)
 平成17年4月 神奈川リハビリテーション病院 眼科診療副部長
 平成19年1月 東京慈恵会医科大学眼科学講座准教授
 平成20年2月 国立身体障害者リハビリテーションセンター病院
       第三機能回復訓練部部長

 特別講演
  演題 「網膜色素変性とiPS細胞」
   講師 高橋 政代 (神戸理研)
              理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター 
             網膜再生医療研究チーム チームリーダー
             神戸市立医療センター中央市民病院眼科 非常勤医師
             先端医療センター病院眼科 客員副部長
 我々はES細胞あるいはiPS細胞由来の視細胞や網膜色素上皮細胞を用いた網膜再生治療開発を目指している。すでにヒトiPS細胞から視細胞および網膜色素上皮細胞の分化誘導法を開発した。臨床応用のためには今後それぞれの細胞特有の様々な問題を解決する必要がある。
 iPS細胞由来網膜色素上皮細胞の移植は、すでに純化という問題をクリアし、しかも拒絶反応がないと考えられるため、現在は実際の細胞の品質管理やプロトコール作りなどの手続きに焦点が移行する。一方、視細胞移植に関しても最近ES細胞由来細胞の移植で網膜変性モデルマウスを治療できることが報告された。視細胞については、移植細胞純化のための検討や、さらに視細胞変性には移植される側の網膜の炎症反応などの環境を制御することが移植細胞の生存率を高め神経回路網を再構築するために重要である。
以上のように、網膜細胞移植は効果が確認され、現在は具体的に移植細胞の質の確保やどのような症例に応用するかという議論を始める時期にあると考える。
 研究は着実に進んでいるが、それでも視細胞移植では7年後に光を見せるのが目標という状況で、一般的な治療となるまではまだ年月が必要である。再生医療の報道が与える印象と実際とのギャップが患者を苦しめることにもなっている 実際の診療では、網膜色素変性で受診した人の10%弱のみが医療を必要としていたが、ほとんどは医療ではなく情報やケアが必要な状態であった。現在実際に向き合う網膜色素変性患者にとって、何が必要かを考えると再生医療研究などによる希望もよいが、疾患の正しい知識と疾患の受容、そして道具だけでない適切なケアが最も重要であることがわかる。
 略歴
 昭和61年       京都大学医学部卒業、京都大学眼科研修医
 昭和63年〜平成4年 京都大学医学部大学院
 平成4年〜平成13年 京都大学医学部眼科助手
 平成7年〜平成8年 アメリカソーク研究所留学
 平成13年〜平成18年 京都大学病院探索医療センター助教授
 平成18年〜      理化学研究所 発生・再生科学総合研究センター
      神戸市立医療センター中央市民病院眼科非常勤医師
 平成20年〜 先端医療センター病院眼科客員副部長

シンポジウム「明日の眼科を考える」
   田中 正四 (新潟県胎内市;当事者)
   木原 暁子 (マイクロソフト社;当事者)
   清水 美知子 (埼玉県;歩行訓練士)
   川瀬 和秀 (岐阜大学;眼科医)

シンポジスト  :田中 正四(新潟県胎内市;当事者) 
 私達患者が眼科を受診する時大きなアドバルーンを持って受診します。そのアドバルーンは(不安)と(希望)と言う二つのバルーンです。経験のない目の異常に、患者の心はバクバク状態で医師の前に立ちます。まさに(不安)バルーンは、パンパン状態です。一方、現代医学医療の進歩は目覚しくその情報は新聞・テレビ・ネット等により患者の耳に届きます。患者はそれらの情報に期待をふくらませるのです。しだいに見えなくなる現実に患者のあせりが加わり、なにげない医師の言葉や、治療法が示されない現実に失望を感じ、私のバルーンは大きく揺れ動き縮小拡大を繰り返すのです。
 患者の最大の望みは、もう一度ものを見る事につきます。妻や成長した娘達そして、さずかった孫達の姿や顔が見たいのです。病気の将来を承知し理解しながらも(希望)バルーンの中の夢を持続したいのです。この様な眼科受診の経験から今後の医療に次の事柄を望みます。
 一つには、病気の原因と現象、その対策と将来についてより明確で判りやすい説明が必要ではないでしょうか。さらには、失明につながる診断となった時には、早期の生活訓練の提案を望みます。病院・訓練機関・行政まで一環した訓練施設・内容の提案ができれば視覚障害者の自立に大きく貢献できるものと信じています。
 私はこの7年間、NPO法人や、ボランティアに参加し心に残る体験をしました。すなおになる事、出来るようになった事に喜びを見い出す事。これらを体験し、同じ障害者と接する中から(なにくそ)バルーンをかかげることができました。今後は、同じ障害を持つ仲間と共に社会貢献ができればと考えています。
 略歴   
 1952年 新潟県越路町(現長岡市)生まれ
 1968年 日立製作所入所
 1974年 移転により中条町(現胎内市)に転居
 2002年 右目緑内障発症
 2003年 慢性腎臓疾患により人工透析開始
 2004年 左目多発性後極部網膜色素上皮症・網膜中心静脈閉塞症発症
 2006年 樺条エンジニアリング退職
       現在視覚障害一級・腎機能障害一級

シンポジスト:木原 暁子(マイクロソフト社;当事者)
 私は2003年まで見えていた中途視覚障碍者です。体調不良と手術がきっかけとなり全盲となりました。
 目の手術は左右合わせて4回受けてきましたが、どの手術も不安と緊張が大きくありました。左目の手術直後は麻酔と緊張の影響で、飲み物を飲んでも嘔吐してしまったほどです。視力を保持したいという希望の気持ちと、失明してしまうかもしれないという不安から直前まで悩んだ右目手術は、網膜剥離予防と白内障改善のためと聞いていましたが、改善には及ばずその後の私に大きな影響を与えました。
 眼科治療は多かれ少なかれ人生を変動させるものだと思います。その眼科治療が人生に大きく影響するならば、その後人生をenjoyできるものが技術の進歩で開発されることを願っています。また患者の失明と同時に離れてしまいがちな医師にこそ、その後も人生を歩む私たち患者には情報(訓練施設や最新治療など)というtriggerを与えてほしいと思います。
 略歴
 1980年11月 若年性(1型)糖尿病発症
 1999年 9月 派遣会社入社
 2003年 2月 右目手術にて全盲となる
       5月 退院後障害手帳取得,生活訓練受講
 2003 12月 左足裏大やけどにより入院(8か月間)
 2005年 8月 退院後再度生活訓練受講
 2006年 7月 マイクロソフト株式会社入社〜現在に至る

シンポジスト:清水 美知子(埼玉県;歩行訓練士)
今回のシンポジウムでは、さまざまな事柄に触れましたが、最も伝えたかったのは、「ケア」と「リハビリテーション」は違うということです.
 昨今の「ロービジョン」ヘの関心の拡大とともに、「ロービジョンケア」を実施する眼科医療機関が増えています。そのような医療機関の中には、屈折異常、視力、視野などの視覚機能の評価とそれに基づいた眼鏡類の処方に加えて、書字読字、生活動作、安全な歩行などの訓練やカウンセリングなどを行うところもあります.
 いうまでもなく「訓練」や「カウンセリング」は「ケア」ではありません。そこで行われているのは「ロービジョンリハビリテーション」です。ケアの主体はケアの提供者です.リハビリテーションの主体は障害のある人自身です.
 「ロービジョンケア」を「ロービジョンリハビリテーション」と同義に使用することで、患者あるいは障害の残った人の主体性、その方々の生活、心理的な問題などリハビリテーションの重要な中味がなおざりにされるのではないかという危惧を持ちます.
 「ロービジョンリハビリテーション」は「ロービジョンケア」を内包しますが、その逆ではないと考えます.
 略歴
 歩行訓練士として、
 1979年〜2002年 視覚障害者更生訓練施設に勤務、
 その後在宅の視覚障害者の訪問訓練事業に関わっている。
 1988年〜新潟市社会事業協会「信楽園病院」にて
 視覚障害リハビリテーション外来担当。
 2003年〜「耳原老松診療所」視覚障害外来担当。
http://www.ne.jp/asahi/michiko/visionrehab/profile.htm

シンポジスト:川瀬 和秀(岐阜大学眼科)
 演者は眼科医となり20年が経過した。この20年間で白内障の手術の進歩は目覚ましいものがある。技術的な進歩により生活可能な視機能維持や視機能の獲得が可能となる治療が増えたことは嬉しい限りである。しかし、これらの技術をもってしても生活に不自由を感じている患者の数はむしろ増えている。最近のロービジョンケアのシンポジウムやセミナーの開催は、眼科医が、視機能障害の進行が止まった医学的な治癒だけで治療が終わらないことの大切さにやっと気付き始めた証拠である。この件に関して、今後のロービジョンケア教育やロービジョン学会の在り方が問われているのは確かである。
 さらに次の20年で、眼科医療がどのように進歩するのか楽しみである。高橋先生や仲泊先生のお話のように網膜移植や人工眼の開発も急ピッチで進められている。講演では、明後日の眼科診療として、私の専門の緑内障における、将来的に導入が期待される診断や治療法、基礎研究について紹介し、今日の眼科診療として、現在の眼科診療を見直し、明日の眼科診療として現在の治療では及ばない部分のロービジョンケアを中心としたお話をした。
 最後に現在の技術で作成可能な、光学的な技術を使用した補助眼鏡による歩行支援システムの開発を紹介した。
 略歴
 1988年 順天堂大学医学部卒業
 1988年 岐阜大学医学部眼科学入局
 1993年 ミシガン大学研究員
 1997年 文部省内地研究員(山口大学眼科)
 1999年 アイオワ大学眼科研究員
 2001年 岐阜大学医学部眼科講師
 2002年 岐阜大学医学部眼科助教授
 2005年 大垣市民病院眼科医長
 2007年 岐阜大学医学部眼科准教授 現在に至る


     主催 「明日の眼科を考える 新潟フォーラム」
       世話人:安藤 伸朗 (世話人代表;済生会新潟第二病院)
           川瀬 和秀 (岐阜大学)
           白木 邦彦 (大阪市立大学)
           鶴岡 三恵子 (西葛西・井上眼科)
           仲泊 聡  (国立障害者リハビリセンター病院)
           西田 朋美 (国立障害者リハビリセンター病院)


参加者の感想
《新潟市 女性 当事者》
 フォーラムに参加し、大きな感動を覚えました。網膜色素変性症の治療法確立を日々神に祈る身としては、先生方のたゆまぬご努力によって、その日が刻一刻と近づいていることを知り、研究者の方々、関係者の皆様、そして神に感謝したことでした。これからも治療法確立と、先生方の健康をお祈りしていきます。今日ご一緒した同級生と「今日はいい話を聞いた、将来に希望が持てた」と喜んだことでした。
《埼玉県 男性 眼科医》
 清水さんのお話で、リハビリはマインドリセットだというのが一番印象に残りました。マインドリセットと障害の受容とは共通するところがありますが、全く異なるように思います。障害の受容が不可欠と言っている方の核心部分は、もしかしたらこのマインドリセットなのかなと思っています。
《盲学校教諭》
 高橋先生の講演を拝聴致しました。最先端医療の情報に驚き、このような機会だからこそ眼疾患について学べる喜びを感じました。高橋先生の講演の中で「医療側が与えたい情報と、患者側がほしい情報とでは相違がある」というお話がありました。これを私の立場に置き換えると「学校側が…、保護者・児童生徒側が…」となります。学校現場も全く同じ状況だな、と感じました。それと同時に保護者や児童生徒が求めているニーズとは何だろうと考えさせられました。保護者もこれからの教育や子どもの今後について大きな不安を抱いています。その不安を和らげるとともに、今後について保護者とともに考えていこうとする姿勢を私たち教師は持たなければならないな、と思います。そのために、視覚障害に関する情報(医療、福祉、労働など)に敏感になることが必要です。
《島根県 男性 盲導犬協会》
 まず、新潟で100名以上の人がこのフォーラムに集まったことに驚かされました。参加者には多くの「患者」「当事者」が含まれていたことにも。考えてみれば当然のことなのかも知れませんが、眼科医療の発展を望んでいるのは”医療従事者”だけではなく、むしろ当事者である視覚障害者の方が切実なんだという思いを再認識させられました。私は視覚リハに携わっていますが、対象となる方はほとんどの方が「もう治らない」と考えており「治りたい」という気持ちを心の奥底の方にしまい込んでいます。この仕事を始めた当初は「障害受容ができている」とか「できていない」などの心ない言葉を当事者に投げかけたことが何度かあります。反応は様々でしたが、その時に私が感じたことは「受容なんて一生できないんだ」ということです。同時に彼らの一番の望みは「もう一度見えるようになることなんだ」とある日思い当りました。以来私はそう思うようにしていますし、後輩たちにもそのことを忘れないように、と伝えています。今回のフォーラムの主要なテーマが「あきらめない」ということのようでした。医師も患者も家族も「あきらめない」ということだと思います。「あきらめない」は非常に大切なことだと思います。ただ、「現状でどうするか?」もまた大切なんだろうと思います。今の医学ではまだ「治す」ことができないならば、当面LVケアや視覚リハが必要ということだと感じます。その一つの結果が、木原さんであり、田中さんなんだと思います。当事者の方が立ち止まらないで、心の底で「治る」という希望を持ちつつも、現実の生活をより良いものにしてもらえるように働きかけ続けたいとあらためて思いました。最後に、個人的には清水さんのおっしゃった「ケア」という言葉と「リハビリテーション」という言葉の使い方に対する思いに同感するところが大です。また、安藤先生がおっしゃった「ようするに心のケアなんだよなあ」というところも同感です。使い分けが難しいところです。この点については、さらに勉強したいと思います。
《東京都 女性 眼科医》
 以前所属した大学病院で、うさぎの網膜色素上皮移植の実験助手をしていた経験があり、特別講演の高橋先生、仲泊先生のお話は大変興味深かったです。ここ3〜4年で目覚しく研究がすすんだことに驚きを感しました。シンポジウムでは田中さん、木原さんから患者さんの本音を、清水先生からはリハの根本と本音を、川瀬先生からは最新の緑内障治療の情報をうかがうことで、異なった立場からロービジョンをどうみているか、たいへん勉強になりました。ロービジョンに対する考え方が、普段の仕事環境では偏りがちになるので改めて考えさせられました。
《新潟市 男性 当事者》
 私は、現在、62歳の網膜色素変性患者です。40歳の頃、眼科医から不治の病であることを宣告されました。その後は、生活のほとんどが、この病気との闘いだったように思います。病気の進行が進み、56歳で仕事をやめました。わらにも、縋りたい気持でいます。真剣に自殺を考えた時期も。今は、複数の視覚障害者の団体などに入会し、多くの患者と知り合い活動しています。今回の、人工眼やIPS細胞による網膜の再生治療の研究の話は、過去に、何度か聞いた話よりも、より分かりやすく、より具体的でした。それに、何よりも、我々、患者の将来に、明るい光を、与えてくれるものでした。詳しいことは分かりませんが、今後の先生方の研究が、より一層、進歩することを、願っています。
《新潟市 男性 眼科医》
 大変興味深い講演・シンポジウムで有意義な時間を過ごさせて頂きました。仲泊先生の講演では、人工眼の歴史を短時間で勉強することが出来ました。高橋先生の講演では、iPS細胞の臨床応用の最先端を勉強することが出来ました。両先生の講演を聴いてこれからは更に(人工眼にしてもiPS細胞による治療にしても)治療後の視機能の評価が大切になってくると感じました。また、シンポジウムと合わせて、日常診療でどれだけ自分は網膜色素変性の患者さんに情報を提供出来ているだろうかと自らの不勉強を恥じました。たくさん勉強させて頂き有難うございました。
《新潟市 男性 視覚関連企業関係者》
 前回のロービジョン研究会に続き大変に勉強させて頂くことが出来ましたこと誠に有難うございます。結びの言葉で言われておりましたように医師、患者、リハビリ・ケアスタッフ、関係者の皆さんが一同に会してのフォーラムや研究会は、他にないものであることを実感いたしております。そこで緊張の中にも活発にご発言される患者様、真摯にご回答される先生、関係者の皆様のお姿を見ておりますと我々医薬情報担当者としても、反省し今後の糧とすべき事柄が大変多くございました。
《愛知県 男性 視覚関連開発担当者》
 会の後、新潟から仙台に移動し数名の先生方と「明日の眼科を考える会」でのお話をさせていただきましたが、皆様から「らうらやましい」といったお言葉をいただきました。また、私自身も今回の会に参加し感じたことは、患者さんの気持ち、先生方の悩みといった一方だけでないお話をオブラートに包むことなく聞けたことが貴重な経験になりました。
《兵庫県 女性 眼科医》
 いくつもの気付きがありました。 いろんな方の話を聞くことで少しずつ深く考えることができるようになります。明日の診療に役立つ情報や観点がいろいろありました。ありがとうございます。おりしも、アメリカでES細胞由来RPE細胞を用いたスターガルト病の治療が申請されたというニュースが飛び込みました。日本ではまだ臨床に使えるESが作られていないのですが、いずれは我々も同様に治療したいと思います。次の機会には、実際の治療の話をしたいものです。
《兵庫県 男性 視覚関連開発担当者》
 年にそう何度もない楽しくて、有意義な時間でした。講演、シンポジウムともに内容が良質でした。勉強させていただきました。輪にいれていただくと、こういう至福の時間を持つことができることを知ってしまいました。
《京都府 女性 眼科医》
 特別講演2題をお聞きして、人工視覚や視覚再生については、いろいろ取りざたされるようになっていますが、本音のところはどうなのだろうという疑問がずっとありました。先生方に最先端のところをざっくばらんに教えていただけて、自分なりに整理できた気がします。後半のシンポジウムをお聞きして、個人的には日頃の思いと共感するところがあり、支援の在り方に関する清水さんのお話が最も印象に残りました。頑張るのか頑張らないのか、諦めるのか諦めないのか、考えさせられるシンポジウムでした。
《新潟市 女性 視能訓練士》
 今回のフォーラムでは、"眼"を題材にした様々な世界が提示され、各々の立場から、深く率直な思いが語られました。いろいろな思いが行き交ったことで、場を共有した人達の中に、また新たな思いや視点が生まれたのではないかと思います。
《埼玉県 女性 眼科医》
 とても実り多い会で、多くの方々のお話をうかがうことができ、楽しく見聞を広めることができました。特に患者さん(木原さん・田中さん)のお話で、視覚を失うことがいかに喪失感を人に及ぼすのかを改めて認識したような気がしました。お二人の状況に至るには、かなりの時間を必要とするのだと思いますが、患者さんと最初に会うことになる眼科医としては、少しでも喪失感を薄めてあげられたらいいなと感じました。仲泊先生・高橋先生お二人の先生方のお話にあった人工眼や網膜色素変性症の最先端の研究は、患者さんの喪失感を薄めてあげられる強力なツールのひとつだと思います。田中さんの「なにくそバルーン」というフレーズが私には残りました。患者さんだけでなく、だれでもこの言葉は励みになるような気がします。
《福島県 男性 当事者》
 二題のご講演を通して、現在の最先端の研究の現状をお聞きできました。併せて日本網膜色素変性症協会(JRPS)の会報に掲載されてる医療情報がその最先端の情報であることも再確認できました。このJRPSの設立にご尽力下さった竹熊有可様には深謝するばかりでもあります。「臨床眼科(2009年7月号)」に中澤 満教授(弘前大学眼科)の「網膜色素変性をめぐる三つのギャップ」、日本眼科学会雑誌112巻第2号に安達千葉大学元教授による談話室「網膜色素変性症 その告知に対する現状の課題」等の眼科関係の雑誌においても話題とされているとおり、眼科医と患者の理解・認識の差には大なるものがあるのかと思われます。日ごろの視覚障がい者が理解を図るべく積み重ねることで、それらのいくつかは埋められるのではと思われます。講演中に音声時計を鳴らすことはその一つかと思います。高橋政代先生のご講演で今回も「目の構造」についてのお話がありましたが、当事者が基本的な理解をしていれば、更なる高橋先生のご講演を拝聴できたであろうと。「情報の提供」についてはいつも多くのところで話題となる点ですが、当事者はどれだけ情報を発信しているのであろうかと。今回のご講演で知りえた情報を同病者や視覚障がい者等にお話しすることで当事者自身の整理へとつながるであろうこと。補装具・日常生活用具等についても単に言葉でお知らせするだけでなく、点字・デイジー等の媒体を通して提供すれば有益な情報となり、不備な点の改善にもつながるであろうかと思います。これらは当事者でなければ気づけない点、当事者だからこそできることでもあります。これらを通して、サポートいただくうえでの適切な受け方へと結びつけることとなるのかと思います。
《新潟市 男性 大学工学部教員》
 再生医療や人工視覚に関しては素人でしたので,理解できるかどうか心配でしたが,先生方のご講演は分かりやすく,それでいて学術レベルが低い訳でもなく,見事に眠気が吹っ飛び,私のような人間にとっては,楽しんで最後まで聞くことができました.学生時代は,生体信号処理のメカニズムや電気信号への符号化様式の理論的研究をしていましたが,その正体は計算機における情報処理のようには明らかにはなっていないと思われます.にも関わらず,適当な刺激であったとしても,ある程度の視覚を再建できることには,いつも話を聞いていてビックリしてばかりです.計算機だとそうはいきませんが,生物はやっぱり柔軟なんですね.生物工学関係から福祉工学関係に移って10年が経ちますが,懐かしいやら,あれから随分進んだことにビックリやらで充実した土曜日を過ごすことができました.
《福島県 女性 当事者》
 大変良いお話をお聞きして、私の頭ではよく理解できない事もありますが、色んな先生方が日夜研究を重ねておられる事にとても感謝申し上げます。私たち、視覚障害者にとって、医学の進歩は、明るい希望です。先生方の研究と努力に改めて敬意を表します。視覚障害を 持ちながらも仕事や日々の生活を明るく・たくましく過ごしておいでの方のお話もとても感動しました。障害の受容の話がありましたが中々難しい事です。私は網膜剥離・白内障などで5回手術を受けました。片方の視力は0、もう片方は0.3 視野欠損率は95パーセント以上です。そんな時、同じ障害を持っている方と知り合い、互いに励ましあい、情報交換してきました。点字をマスターし、自分でも出来る事があるとわかり、自信を持つきっかけになりました。でも、完全に障害の受容が出来たわけではなく、今でもとても不安になります。こんな私ですが、出来る事を増やし色々チャレンジしております。今後も色んな方の手助けを頂きながら、感謝と謙虚の心を忘れないで生きて行こうと思っております。
《新潟県 男性 眼科医》
 今回は、最新の医療を勉強できる機会を、また患者さんの心からの想いを聞くことが出来る機会を作って頂き、本当にありがとうございました。仲泊先生のご講演は、先生ご自身が人工眼おたくと自認されるだけあって人工眼に関して幅広くお話されており、知識の整理になりました。少なくとも私が携わっていた網膜上型の人工網膜に関しては、正直大まかな方法論は完成されており、あとはテクノロジーの発展しだいなのかなという印象です。フロアからのご質問に関しては、現場にいたものとしてお答えするべきだったと反省しております。高橋先生の網膜色素変性とiPS細胞のご講演は、患者さん向けということもあってかとてもわかりやすく、個人的にもとても勉強になりました。これまでより、数歩も進んだ再生医療が本当に始まったんだなということを実感いたしました。後半は、普段はついつい医療を提供するものの立場でしか考えていなかった自分にとって、改めて患者さんたちの真のニーズ、思いを聞くことが出来て、正直反省するところが大きかったです。今後の患者さんへの対応について、また様々な方向から考え直したいと思いました。
《岐阜県 男性 眼科医》
 様々な立場の方が討論する場はめったにありません。貴重な経験をさせていただきありがとうございました。今後ともよろしくおねがいいたします。
《長野県 女性 当事者》
 高橋先生や仲泊先生のお話を聞いて、今や眼科界は飛躍的進歩の時代に入ったのだと感じ、期待が大きくなりました。高橋先生から再生医療の現況を直接伺うことができたことが何よりも嬉しかったです。現在の問題点が早期に解決され、ご努力が報われる日が来ることを祈っています。木原さんと田中さんのお話からは、現在のお二人の姿が大変な苦労と努力の結果であることが伝わってきました。失明を防ぐことができる時代が来て欲しいと思います。障害進行中の私にとって、実際に障害者の方たちとお会いしてお話を聞くことはこれからの生き方を考えるとてもよい機会になっています。木原さんのポジティブな生き方には感服しました。医師と患者が同じ人間という立場でという言葉、嬉しく思いました。
《盲学校教諭》
 「明日の眼科を考える 新潟フォーラム」ではたくさんの驚きを得ることができました。家庭の事情で前半だけの参加でしたが、医療技術の進歩はまさに日進月歩だということを知りました。仲泊先生、高橋先生の軽快かつわかりやすいお話であっという間の時間でした。医療技術の進歩は「あきらめない」というキーワードがそれを支えているということ、患者さんの「あきらめない」気持ち、患者さんの気持ちに応えようという医療関係諸先生方の「あきらめない」気持ちが医療技術の進歩の源であることにたいへん感銘を受けるとともに、ロービジョンケアの視点からもたいへん勉強になるお話をたくさん聞くことができました。
《兵庫県 女性 産業カウンセラー》
 いつも思うのですが、やはり当事者のお話は、迫力以外の何物でもありません。ただ、あそこまでになられるには、相当の何かがあったはず。何の手当もされず、なすすべも知らず、扉を閉めて生活をしている人を思うとき、この方達に届くといいものは何か、と考えます。こころのケアは、我々のような心理臨床家にしかできないものではありません。ただ、ドクターでしか、ナースでしか、リハビリ専門家でしかできないことがあるように、心理臨床家にしかできないこともあっていいはずと信じて精進しています。
《新潟市 女性 視能訓練士》
 iPS細胞については、希望の光が見えたと多くの患者さんが期待を寄せていました。治療法の確立が待ちどうしいです。田中さん、木原さんのように出会った人々に感謝の気持ちをもてるようになりたいと思います。高齢の患者さんに対してのケアは限界があることは感じておりますが、どのようにリハにつなぐことができるか等、清水先生のお話をもっと聞きたいと思いました。お誘いした患者さんも最新の情報が得られたことを大変喜んでおられました。
《新潟市 女性 ボランティア》
 印象に残ったこと〜 「究極のロービジョンケアーは失明の治療である」 「障害の受容は一生かかる、生活をするためにリハビリに向かっていくことも受容」  「不安を抱えた人は僅かなことも夢に変わる」 「Hospital shopping」 「視力検査は医療行為」 「iPS細胞」 「人工眼」。[木原さんのお話]マイクが遠くてよく聞こえなかったのですが、賢く、とても素敵な方だと思いました。何事も見方を変えれば良い方向に進めると、お話を聞きながら思いました。[田中さんの話 フォーラムの中で一番印象に残った話]田中さんの手術を、直前であるにも関わらずキャンセルしたお話。予定されている手術は、普通かなりの理由がなければキャンセルできないと思います。普通の医師であれば、手術をしていたのではないでしょうか。医師・患者共、心(信頼・安心感)も身体もベストの状態で臨まなければ、決して良い結果は得られないと思います。瞬時にその決断をされた先生は凄い!!医師と患者の信頼関係の素晴らしさを、あらためて実感したフォーラムでした。
《新潟県 男性 当事者》
 多くの参加者に私の意見がうまく伝わったか心配しております。多数の医師の皆さん、同じ障害者の方々、さらには、関係する皆さんの前でお話が出来、感謝しております。私の思いはもとより、これからの医療に望む事柄は、訴えと共に、私自身の心がまえとしても大切にしたいと考えています。又、多くの先端技術を公聴する機会ができ、大変勉強になりました。先端研究の早期実現を願っております。
《新潟市 女性 当事者》
 典型的な網膜色素変性(色変)といわれているわたしのタイプは、どこに属するのかな?と考えながら高橋先生のご講演を拝聴していました。眼圧を下げる目的で、処方されているレスキュラ点眼薬が、色変の進行を抑制する効果があることを最近知り、今回の高橋先生のご講演で不思議な感じさえしていました。現在の視力は手動弁ですが、指数弁まで見えることが実現したなら、すごく大きな変化なんだろうな?と、思います。晴眼者から見れば、全然見えないでしょう?と言われてしまうことでしょうが、当事者から言わせて貰えば、やはり大きな変化なのです。希望を抱くことが出来た今回のフォーラムは、わたしに諦めない気持ち・心・勇気を持つことが出来ました。近い将来、実現することを強く願って、今回の感想とさせていただきます。ありがとうございました。
《新潟市 男性 当事者》
 大変良いフォーラムに参加させていただきありがとうございました。<特別講演>普段あまり聞くことのできない最先端の話を聞くことができて、大変良かったです。私のように網膜に病気を持っている者にとっては、できるだけ早く実現してほしい技術だと思いました。特に再生医療に関しては、「希望と夢」を持つことができました。とにかく、できるだけ早い臨床治療が実現することを切に望みます。<シンポジウム>各々の方からは大変良い話を聞かせていただきました。特に木原さんの話は、いろいろな面で勇気づけられました。ただ、「明日の眼科を考える」というテーマは少し大きすぎたような気がします。ディスカッションがかみ合っていなかった感じがしました。もう少しテーマを小さく絞るとディスカッションがもっとかみ合ったのではないでしょうか。全体を通して「夢と希望」をもらったフォーラムでした。「望んで信じてあきらめない」みんながこのスタンスでいれば、いつかいろいろなことが実現する・・・そんな風に思いました。
《盲学校教諭》
 仲泊先生、高橋先生どちらの講演も、わからない者にとてもわかりやすく、お話いただいた ことに感謝いたします。網膜を電気で刺激する人工視覚やips細胞の移植など最先端の話を聞けるチャンスはそんなにあることではないので、とても良かったです。また「あきらめない」というキーワード、今後自分自身にも言い聞かせたいと思います。
《東京 女性 当事者》
 今回、このような私にお声がけ頂けたことに感謝しております。眼科医の立場や支援者の立場とさまざまな角度からの話が聞けたことは、とても貴重で、とても勉強になりました。
《東京 男性 視覚関連企業関係者》
 仲泊先生が講演の最後に「究極のロービジョンケアは失明の治療である」と仰っておられました。私はこの言葉は非常に重いと感じております。当日は先生を含め、シンポジスト、コメンテーター、座長を務められた眼科医が6名(フォーラムに参加した眼科医は合計で16名)いらっしゃったので、この一点についてだけでも各先生方が議論を交わすことで十分に「明日の眼科を考える」ことになったのではないかと思います。例えば、「失明の治療」とはどのようなことをいうのでしょうか。何を持って「失明の治療」と言えるのかなど、非常に重いテーマを投げかけておられますので、各先生方の思いを伺えればなおよかったと思っております。例としてあまり穏当ではないかも分かりませんが、北朝鮮の拉致問題解決というテーマがあります。拉致問題の解決とは、何を持って拉致問題の解決とするか、ということと同じぐらい政治上の大きな議論となっています。次回このテーマを掘り下げてのフォーラムを開催していただくと嬉しいのですが・・・。ただ、瑣末なことを申しあげて恐縮ですが、「・・・ケアは・・・治療である」という表現にやや違和感を感じました。ケアはケアであって治療ではなく、治療で結ぶとすれば「究極のロービジョンキュアは失明の治療である」ではないのでしょうか。間違っていればご指摘ください。清水さんの講演では、ロービジョンケアとロービジョンリハビリは違う、現在議論の中心にあるのはケアではなく、ロービジョンリハビリというべきであるとの発言がありました。国リハに3訓ができた当時から開設に関わっていらっしゃった生活訓練専門職の方も、眼科が関わるロービジョンはケアではなく、リハビリであると言い続けていらっしゃいます。しかし、一般的にリハビリというと機能回復訓練をしつつ社会復帰を図る、ということで整形外科や脳疾患の治療後に行うそれを想像すると思います。感覚器障害に対する機能回復訓練、いわゆるリハビリというものがなかなかイメージしにくいのではないでしょうか。リハビリを受けている、あるいはしているということですぐ思い至る方に下肢麻痺の方がいます。そのような方に対する補助具に車いすがありますが、車いすの操作訓練をリハビリとは言わず、そのような方が少しでも下肢を動かせるようにすることをリハビリと言うように思います。片やロービジョン者の場合、音声パソコン、拡大読書器を使いこなし職場復帰をしたり日常生活ができるようにすることがケアを包含したリハビリとなるわけで、偏心視などの訓練もありますが、一般の人がイメージするリハビリとは大きく異なります。機能回復とは異なる、感覚器障害に対する「リハビリ」という概念が別にあるということが確立されないといけないように思います。別の課題として仰った、高齢者や障害者手帳に該当しない方で、自身の視機能に不満を感じていらっしゃる方に対するロービジョンサービスは、これこそケアであると思います。特に高齢者の場合には、リハビリの一般的概念の一つである社会復帰を求めることとも違ってきます。したがってまさにケアそのものです。
《和歌山県 男性 当事者》
 すばらしい著名な方々の講演等拝聴できて、感謝しております。高橋先生の言われる患者さんの患者評価レベルで評価されるとしたら、私は、中級程度でしょうか。網膜色素変性症の同病の患者さんで、悩んでおられる方がおられたら、ただ単に治療法の確立を待って頂くのでなく、当事者が、今、何をすべきかを伝えていければと思います。様々な情報を提供していく中で、よりよい生活が過ごせるよう、伝えていきたく思いました。眼科医の先生は、治療法の確立を「あきらめない」。患者である私は、保有している視覚・視力を使うことを「あきらめない」。命ある限り、その気持ちを持ち続けていきたく思いました。進行性の眼病であることで、将来、視覚・視力を失う可能性があるやも知れませんが、先のことをあまり、深く考えずに過ごしたく思いました。この10数年間は、七転び八起きだったのかも知れません。又転ぶかも知れませんが、立ち向かっていきたく思います。一患者として微力ではありますが、社会に貢献していきたく思います。

これで明日の眼科を考える 新潟フォーラム2009の報告のページを終わります。


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