昨年暮れも近づく頃に還暦を迎え、こんなアホな事を云って呆けていても仕方が無いので、ホームページでも作ってみようかと思った次第です。

 鮎に憑かれてかれこれ三十年になるが、どうも最近の風潮は、“XX釣法”などの技術論とか“数釣り”ばかりに偏っているようで、肝心の「ゆとりを持って釣りを楽しむ」ための川の自然環境を大切にすることやアユの生態などを知る事などは軽視されてきているような気がするこのごろです。
 これから友釣愛好家となる人が、鮎の友釣をしたり話をしたりする際のバックグランド(基本知識)になるような事を、これまで先輩から教わったこと見聞きしたこと経験したことなどを基に、「友釣の話」、「アユの話」、「石垢の話」にまとめてみました。
 アホな戯唄などを口ずさむような者が書いたので、内容が不正確であったり、古かったり、引用が抜けていたりしているかもしれませんが、友釣を楽しむ一助になれば幸いです。
 そのうちに、酔狂な事なども書いてみたいと思っております。(Jan. 2003)

 鮎釣りとの出合
 三十と何年か前のことです。転勤で静岡県磐田市に転居した時に、「静岡県は鮎釣りの本場」であると聞き、静岡にいる間に「鮎釣りを覚えよう」としたのが始まりです。
 当時、静岡県のほとんどの河川は、放流など必要がないくらい天然遡上がとても多かったので、エサ・毛鈎での流し釣りとドブ釣り、友釣、ゴロビキ(コロガシ)、と全ての鮎釣りが可能でした。どの釣り方もそれぞれに面白さと難しさがあり奥が深いものがあります。
 友釣では大きい鮎が釣れると聞き、釣り本で読んだ事を頼りに街の釣り具屋で説明を受けながら仕掛けや鈎をそろえて、天竜川本流では大変そうなので、支流の気田川のそのまた支流の杉川へ出かけ、自己流で友釣を始めたが鼻管を通し逆針を打つだけでも往生したことを覚えています。毎週杉川へ出かけていたが、あまりのヘボさを見かねて何時も来ていた地元の老人が手取り足とりで教えてくれることになりました。それからは、その老人が釣りの手を休める時に近くに来て教えてくれるのが数年続きました。
 友釣がすこし分かったころ職場に友釣をする人が数人居るのを知り、その友釣先輩たちについて天竜川と支流、太田川と支流、大井川、浜名湖へ注ぐ都田川などへ足繁く出かけたものです。当時は、友釣人口が急増したといわれたのですが、まだ一人一瀬の釣があたり前の時代で、釣り方や釣り場の選び方も先輩がやるのを見よう見まねで覚えていったことが懐かしく思い出されます。梅雨明け頃になると、先輩達について愛知県、岐阜県の多くの河川にも出かけました。おかげで、トロから荒瀬までほとんどの場所で友釣を楽しめるようになった次第です。
 昭和の終わりに横浜市へ転居し、現在にいたるも、毎年五月になるともうアユ解禁日が待ち遠しくソワソワし、秋になるとアー今年も・・・、の繰り返しです。

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