7回目 7月20日(金)
   8月2日(木)
山陰・北陸
アユ釣り&キャンプの旅
第1日 7月20日(金) 曇り一時雨 東名・名神を移動
第2日 7月21日(土) 曇り 姫路城見学
揖保川、川見
第3日 7月22日(日) 曇り一時晴れ 江の川支流、出羽川へ移動
第4日 7月23日(月) 晴れ 出羽川・中流部
釣果:19
第5日 7月24日(火) 晴れ 高津川へ移動
第6日 7月25日(水) 晴れ 高津川・日原
釣果:28
第7日 7月26日(木) 晴れ 出雲大社参拝
日野川へ移動
第8日 7月27日(金) 快晴 日野川・岸本地区/鳥取県
釣果:3
第9日 7月28日(土) 晴れ 千代川、川見
第10日 7月29日(日) 晴れ 円山川、宇川の川見
第11日 7月30日(月) 晴れ 九頭竜川支流足羽川へ移動
第12日 7月31日(火) 晴れ 足羽川
釣果:24
第13日 8月1日(水) 晴れ 足羽川
午前中、釣果:10

午後九頭竜へ移動
第14日 8月2日(木) 晴れ/曇り/雨 九頭竜川、吉田川/岐阜の川見
台風5号の風に追い払われ帰宅


7回目 2007年鮎釣り旅行


第1〜2日 7月20日(金)〜21日(土)

 今年は梅雨明けと同時に鮎釣り旅行に行こうという事に決まり、当初は九州を予定していた。だが新聞テレビでの報道されたように、九州の各県では梅雨末期の大雨とその後の台風による風雨の被害が重なって大変な被害が出てしまった。災害にあわれた方々にはお見舞いを申し上げることしか出来ず、鮎釣り旅行に行くなどという状況ではなくなってしまった。
 そのような訳で、数年後に予定していた島根〜福井の日本海側へ行くことにした。
 一気に島根県まで行くのは大変なので、途中の中国自動車道・山崎ICで下りて揖保川で鮎釣りをして民宿に一泊の後、島根・江の川へ向かう予定でいた。
 が、予約していた山崎の民宿から出発の2日前に電話があった。「高水が続いていて誰も竿を出していません。土曜日になっても鮎釣りは無理でしょう。遠くからお出でになるのですから、今回はお止めになったほうがよろしいと思います。」というのだ。せっかく親切に知らせてくれたので、鮎釣りは中止すると返事をした。
 が、キャンプ道具を積み込み、予定通りに20日(金)夜にKY、SH両氏とともに東名・名神から中国自動車道を西へ向かった。途中雨が降り出し、小牧JCTあたりでは50Km/hの速度制限表示が出るほどの強雨だった。
 揖保川は高水でダメということなので、今日21日は姫路城の観光と揖保川の川見をすることにした。

姫路城正面入り口 天守閣より西の丸を望む 化粧櫓の説明額 千姫の休憩所・化粧櫓

 午前中は、世界文化遺産に指定された姫路城を見学した。昭和に解体・大改修が行われたそうだが、創建時に誰が設計し?どのようにして材木、石などを集めたのか?そして誰が建築の指揮を執ったのか? 昔の棟梁、石工の技に感心してしまった。
 姫路城の観光は、《世界文化遺産 国宝姫路城 バーチャル探索》でどうぞ。実際の見学では約3時間かかりました。

 午後はせっかく来たのだから、揖保川を見ることにした。
揖保川、鮎竿釣り専用区
 中国自動車道、山崎ICから上流側一つ目の橋の脇に「ここは中広瀬(なかびろせ)です。山崎町」の立て札と「これより上流 竿釣り漁場(網漁禁止)」と書かれた杭が立っていた。
 橋上から上流を眺めたが、一人も釣り人は見えなかった。




橋を左岸に渡り、少し上流にいった所で河原へ出られそうな道があったので入ってみると、下の写真のような所へ出た。
平水に戻れば、すばらしい釣り場になるように見えた。

山崎ICから二つ目の橋を望む 下流側、山崎ICから一つ目の橋を望む

 対岸(右岸)にオトリ屋の旗と小屋が見えた。が、釣り人は一人も見えない。濁りは無いが水嵩は平水より1mほどは高いのではないかと思われ、垢は飛んでしまってまだ付いていないようだ。
 上流の青い橋を右岸に渡り、道の駅(山崎)裏の左岸から見えたオトリ屋に行ってみたが、小屋はカギが掛かっていて不在、開店休業。

友釣発祥の看板 オトリ屋へ行く手前に広場と東屋があった。その広場の脇に(地元の人には申訳ないが)珍しい看板があったので紹介する。
 写真の「アユの友釣り 発祥の地」の看板の内容は。

 これより約3.5km上流、山崎町五十波(いかば)の地にある「エンの岩」と呼ばれている揖保川に突き出た岩は、古文書にも記されている、伝説のアユの友釣り発祥の地である。
 昔五十波に「下駄屋甚平」という天下一品の腕前を持つ下駄職人が住んでいた。
 甚平さんは、ある夏の日、揖保川の清流を覗き見ると、二匹のアユが激しい縄張り争いをしていた。
 このアユの闘争行動に興味を持った甚平さんは、
「アユそっくりな形をした物を作り、小石を錘にして流れの中に入れたら釣れるかも・・・」と考えた。
 下駄作りに使っている木を材料に、日頃の腕を振るって、見事な擬似アユを作り上げた。
 さっそく自宅近くの「エンの岩」へ行き、流れの中に入れた。しばらくすると、アユが縄張りを守ろうと擬似アユめがけて猛烈な攻撃。思い通り尻の方に付けた針にかかり、見事に釣り上げることが出来、甚平さんは大喜び。しかし、終日がかりで、たった三匹しか釣れなかった。
 そこで、擬似アユでなく、元気な生きアユを“おとり”にすればどうだろう・・・」と思いつき、これを実行したところ面白くてたまらんほどアユが釣れた。
 それからは、下駄作りの仕事をほったらかしで、アユ掛けに明け暮れたそうな。

 これがアユの縄張り習性から考え出された、今で云う「アユの友釣り」の始まりである。
 この友釣りのことが、山崎にやってきた商人によって全国各地に伝えられたという。

                    清流を大切に!
                      山崎町観光協会
                      揖保川漁業共同組合


「友釣の起源と技法」にあれこれ書いたが、山崎五十波の地が友釣り発祥の地の一つだというのは、この看板を見るまで知らなかった。
下駄屋甚平さんがアユ・ルアーで創めたというのは、他の説にはない独特のものだ。

 泊まった宿の若主人が友釣に行ってきたそうだが、支流で何本か掛けたが揖保川本流はダメという情報でした。
 あれから半月が経つので、良くなっているかもしれません。
 現在のアユルアーで「エンの岩」で挑戦してみてはいかがでしょうか。


第3日 7月22日(日) 島根・江の川(ごうのかわ)支流、出羽川(いずはがわ)へ移動
 中国自動車道を山崎ICから三次(みよし)ICまで行き、R375→R54→R375のルートで江の川沿いに走るJR三江線を見ながら下る。
途中の香淀駅と作木口駅の間にキャンプ場が併設された「カヌー公園さくぎ」があり、テントを張ってカヌーを楽しんでいるのが二組見えた。
 JR口羽駅まで下ってくると、本流に両国橋が架かっていて、ここから下流が島根県・江川漁協の管轄となる。両国橋のすぐ下で合流しているのが、三大支流の一つ出羽川だ。(他の二つは濁川と八幡川)
 両国橋を渡って、出羽川へ向かうとすぐにオトリ屋がある。ここは浅原千代美さんというおばあさんがやっていて、鳥取・広島にもおばあさんのオトリ屋として知られている。それもそのはず、いまも大鮎釣りをしているのだ。寄って様子を聞いたのだが、玄関脇に尺オバーのアユの写真が2枚額に入れて掛けてあった。尋ねると、H14年の9月と10月にそのおばあさんが本流で釣った写真だというのだ。小学生の孫がいる年だが、まだまだ元気でたいしたものだ。
出羽川下流部での鮎釣り 出羽川はどのあたりが良いのか聞いてみた。
答えは簡単明瞭。「前の日に人が入っていない所を釣れ。」だ。
 
 少し上流のキャンプ場へ向かう途中で何人もの釣り人を見かけた。
出羽川は過去に大水害があったのか、かなり上流から本流への合流点まで、写真のように両岸はかなり急傾斜のコンクリート・ブロックで護岸されていた。どこから川へ登り下り出来るか、その場所をあらかじめ確認しておく必要がある。
 眺めている間に釣れた人がいたので、この川は釣れると一安心。
 川幅はどこもこの程度。

軍原キャンプ場へ荷運び 今日のキャンプ地は少し上流の邑南(おうなん)町阿須那にある軍原キャンプ場だ。軍原(いくさばら)という地名は、毛利元就の時代に、元就の諜略によって地元の豪族同士がこの地で戦をしたことに由来するという。
 この軍原キャンプ場は川に面しており、静かで虫もあまりおらず、トイレ、シャワー、洗面所、炊事場と設備も良く申し分ないのだが、車でキャンプ・サイトまで行けないのが残念である。
 キャンプサイト手前の駐車場に車を置き、キャンプ用具は運搬車で川沿いの崖に架けられた幅1.5mほどの鉄製の橋を通って100mほど運ばなければならない。
 キャタピラーの付いた運搬車と三輪車を借り、テントサイトまで荷物を運んだ。

 上手の駐車場からキャンプ場の下までを釣っていた人に夕方釣果を聞いたら、20位という返事だった。

軍原キャンプ場2
 こんな感じのキャンプ場です。右手にバンガローが5棟あります。
 すぐ目の前に出羽川が流れています。上が上流側で、左下が下流側です。
 鮎釣りには最高のキャンプ場の一つだと思います。
 右手奥が炊事場で、バーベキューもできる炉もあります。真ん中奥が管理棟。
 田圃や川の上に、まだ黄色いアキアカネがワンサカ飛んでいた。今晩の食事はカレーライス。
 ヒグラシとカジカガエルと流れの音を聞きながら、テントで宿泊。
 ヒグラシはこんなに早くから鳴くんだったかなー?
 


第4日 7月23日(月) 出羽川、軍原キャンプ場前

出羽川、軍原キャンプ場前
  出羽川、中流部
   天気;晴
   水温;19〜23℃  水色;澄み
    釣果 19
    Max. 20cm
    Min. 16cm


 キャンプ場前より上流を望む。
 赤錆がついたような色合いをしている石が多いので、水自体は澄んでいるのに、水が赤っぽく見えてしまいます。
 水辺の草の生え具合からすると、3,40cmほど水が高いようでした。



出羽川、軍原キャンプ場前2 キャンプ場前より下流を望む。
 川中の草が生えた岩のあたりから下流は、岩盤,大石底の深瀬になっていて、とても魅力的に見えましたがその先の様子が良く判らないので、立ち込んで行くのは止めました。
 盛期には大物が釣れそうな雰囲気の場所です。

出羽川のアユ
黄色味の強い、綺麗なアユでした。



 今朝は7時頃にのんびり起きて、ハム、チーズ&レタスのサンドイッチにスープの朝食を摂る。食後にドリップ・コーヒー。
 もやが懸っていたが8時頃には晴れた。が、風が強い。しばらく様子見。
 キャンプ場も川も我々3人だけの貸切状態だから、なにも急ぐ事はない。
江川、入漁証 昨日の夕方、浅原のおばあさんの所で入漁証とオトリとを買い、オトリはキャンプ場前の川に浸けておいた。
島根県・江川は70歳以上は千円と半額になる、良いシステムだ。70歳以下は2千円。日釣券にも購入者の住所氏名を書くようになっているので、日釣券を発行するのにも時間がかかる。
 昨日の話では、”人の釣っていない所に行って釣れ”ということだったが、何所がやった所で何所がやらなかた所なのか分からないし、今朝はだーれも見えないから、キャンプ場前で釣ることにした。
 9時頃に風も治まってきたので、釣り支度をして、オトリ缶のオトリを各自に分配した。
 今年はソリッド穂先の竿とメタルラインとを試してみることにして、複合メタル0.07号の仕掛けを作って持ってきた。今までは細いといっても0.2号が最低だったから、ゼロゼロセブンは、老眼の目には、細すぎて目印以外は良く見えない。極細仕掛けは若い人向けかな〜などと思う。
 午前中は上手の急瀬の辺りをやってみた。
 ソリッド穂先の竿(Gin-Ei Auto Cruise)を使ってみた感じは、今まで使っていたチューブラーに比べて特に違和感は感じなかった。昔中硬調の竿を長く使っていたり、硬中硬も古いのを長く使っていたりしているからかもしれない。今時の先太のチューブラーよりはソリッド穂先のほうが使いやすいようにも感じた。
 が、どの程度までテンションを掛けても良いのかはさっぱり分からず、無理やり引いてみたり、弛めすぎたりで、イマイチ。
 しかしゼロゼロセブンの威力はすごい。何の努力も操作もせずに、早瀬や急瀬にオトリがスイスイ入っていく。なにか、急に操作が上手になったような気になってしまう。
 伊藤正弘プロが雑誌か何かで「最低1日、できれば1週間ソリッド穂先を使い続けてほしい。」と書いてあったような記憶がある。
 今回の旅行中はソリッド穂先を使い続けようと思う。そうすれば、大体の感じは掴めるのではないかと思う。
 お昼は、テント横の木陰のテーブル&ベンチで昼食をとり、のんびりと休憩。
とにかく、見える範囲に我々以外の人影は無い。これは別天地と云うほかない。
 午後は下手の深瀬の方へ行ってみたが、腰以上の深さのようで流れも早そうだったので下がって行くのは断念。手前のトロをやってみたが二つ掛かっただけ。午後は竿とゼロゼロセブンの練習の感じになってしまった。
 今日は4時過ぎに終了。
 近所に一軒だけある食料品店兼雑貨屋に買出しにいった。夕食はスパゲテイとサラダ。
 今夜もここでキャンプ。


第5日 7月24日(火) 出羽川より高津川へ移動

 今朝もゆっくり起床。蝉と小鳥の鳴き声以外は聞こえてこない。今日もいい天気。
 スープとサンドイッチの後にコーヒーで一服。
 キャンプ道具と釣り道具を運搬車と三輪車で駐車場まで運び、車に積み込んだ。
 出羽川と江の川の合流点あたりに来て本流を眺めると、水嵩が少し引いたからだろうか、ニ、三人が腰くらいまで立ちこんで竿を出していた。
 三次ICまでもどり、中国自動車道を六日市ICまで西行。三次ICへ着く前から車は少なかったが、三次ICから先の下りの交通量はさら少なくなり、浜田自動車道と分岐する千代田JCTから先は前にも後にも車影は見えず、自分だけが走っているような感じだ。”これではトンネル照明の電気代もでないんじゃないかね”などと話しながら六日市ICへ向かった。途中のPAを横目で見ても、駐車している車は1,2台という状況だった。
 午後に六日市ICでおり、R187を高津川沿いに、津和野川との合流点の日原まで下った。日原まで行く間に何人も竿を出していた。大きなテーブル状になった岩盤が道路から川へ張り出している所で釣り支度をしている人がいたので、この近くのオトリ屋はどこかと尋ねた。この辺りでは、漁協・日原支所でしかオトリはあつかっていないらしい。

25日の写真です

 高津川右岸の日原の街中に津和野町役場があり、そこで漁協の場所を教えてもらった。旭橋手前の道を右折し、郵便局の少し先の漁協と書かれた看板のある細い道を左折し堤防上の道に出てすぐ右手にアユの銅像がついた石碑がありそのさきに漁協があった。
 漁協には女性職員が一人いた。どの辺りで釣りをすれば良いのか等を尋ねたが、どうも要領が得られない。建物の中には大きな水槽が三つと、ニ百リットルほどの氷水の入った蓋付きの角バットとがあった。大きな水槽には活きアユが入っていて氷水の方には氷シメされたものが数匹入っていた。
 漁協商品のウルカとか釣り針などを見させてもらているところに、鮎釣りのセミプロ(半職漁師?)のような感じの熟年が釣った活きアユを持ってきた。
 女性職員が、水を張りエアレーションした桶を用意し、そこに釣ってきたアユを移させた。
 そして手際よく、秤に桶を載せ水を15リットルほど入れて、秤のメモリが丁度を指すように水で重さを調整した。
そこへ先ほど桶に移した活けアユを見て弱ったものや色の変わったものを取り出し別の秤で重さを測り、氷水の角バットにほおり込んだ。残った元気のよいアユをタモですくい、秤の上の桶に移した。先ほど丁度に合わせたメモリから増えた分が釣ってきたアユの重量だ。およそ20匹で1.2Kgだった。測ったアユはすぐに大型水槽に移された。
 測り終えると、伝票に重量等を記入して釣り人に手渡した。活けアユならば1Kg五千円で誰からでも買い取るそうだ。 これは良いシステムだ。長良川でも同じ事が行われている。
 計量が終わったところで、アユを持ち込んだ釣り人に鮎釣りの様子を尋ねたのだが、返事を聞いてガク〜だ。
 「あなた達どこから来たの? 横浜! 先週来れば良かったのになー。先週土曜日までは良く釣れて半日で30〜50は釣れたんだが、そのあとばったり釣れなくなってしまった。最悪の時に来たねー。」「今日あたり釣れるかとやってみたがあまり良くない。ヒザくらいの浅い所でしか釣れなかった。」
 「どの辺りでやったらいいですかね?」と尋ねると、答えは江の川のおばあさんと同じ。「前の日に人が入っていなかった所を釣るんだな。」「下流のXXとか、上流の△△もいいんだが、初めて来たんだから、釣り専用区でやるのが無難かもしれないなー。」
という返事だった。
 外に出て、彼の車を見ると4WDで車幅一杯の大型の水槽を積んであり、大型エアレーションが二つ付いていた。この装備をみるとほとんど商売だな、と思った。
 KYさんSHさんとどうしようかと話してみたが、なにせ初めての場所なのでどこが良いのか見当が付かない。とにかく云われたXXとか△△を見てみよう、ということで車で行っては見たが、云われた場所だったのかどうか分からない。良さそうな所はたくさんあり、釣り人が何人も見えたが休んでいる人が多かった。あまり釣れていないようだ。
 考えていても仕方がない。明日は漁協前の友釣り専用区でやることにして、枕瀬山キャンプ場へと向かった。
枕瀬山キャンプ場 キャンプ場は日原天文台の少し下にあるというので、国道の案内板のある道に入っていったが、途中は対向車が来たらすれちがい出来ないほど狭い道になり、ほんとうにこの先がキャンプ場なのか心配になった。細い道の行き止まりがキャンプ場になっていた。管理棟とバンガロー3棟のある広場と炊事場、シャワー室、坂を下った所にバーベキュー炉とトイレというところだ。
 鮎釣りでバンガローを借りる人が多いということだ。テントは広場のどこでも好きな所に張って良いというので、なるべく日陰になる場所を選んだ。
 シャワーで汗を流してから、夕食。夕食は、パックのご飯を15分ほど熱湯加熱したご飯に、途中で買ったナガナスとコーンビーフでのマーボーナス。無農薬のナガナスはなかなかの美味。食後にSHさんとコーヒーを飲んだが、KYさんは夕食以降はお茶、コーヒーなどカフェインのある飲み物はダメという。お茶やコーヒーを飲んだら寝られなくなるというのだ。
 天気が良いと午後8時ころまで明るい。日が落ちるとここでもヒグラシの鳴き声が喧しい。
明るいうちは良い所だと思っていたが、夜になるとここのロケーションはあまり良くないことに気が付いた。というのは山のすぐ下に支流の津和野川が流れていて、川沿いにJR山口線と国道9号線が走っているのだ。キャンプ場の真下あたりに日原駅があり列車の音と車の音とが山肌に沿って上がってきて、かなり喧しく響く。
 


第6日 7月25日(水) 高津川・日原

高津川1 高津川、漁協日原支所前(友釣専用区)

  天気;晴れ
   水温;21〜24℃  水色;澄み
    釣果:28
    Max. 21cm
    Min. 16cm


 漁協・日原支所の前
 トロから三本の荒瀬になって国道9号線側に落ち込み、一本の流れになります。
 右が下流になります。
 向かいの山際を国道9号線が通っています。
 (下流部へ行かなかったので写真はありません。)


高津川2
 漁協前から旭橋を望む
 日原の街から9号線へ抜ける道に架かるのが旭橋です。
 橋の上下は水深のあるトロ場です。
 底には石が詰まっています。




高津川3
 旭橋より津和野川合流点とその上の橋を望む
 橋の手前、右側から津和野川が流れ込みます。
 津和野川はきれいでないといって地元の人はアユ釣りはあまりやらないようです。合流点上手付近の津和野川にはハミ跡がしっかりありました。
 橋の上下には良い早瀬、荒瀬があります。その上下はトロ場です。

 正面の手前側の山の右尾根に白く見えるのが日原天文台です。



高津川4
 上の橋を上手から見たところです。
 ここから早瀬、荒瀬になって橋の手前まで下ります。

 高津川もコンクリートブロックで護岸されていますが、要所要所に階段やスロープが設けられており、川への上り下りは問題ありません。

高津川のアユきれいなアユでした。
今年は小さいそうです。


 キャンプ場でパン、スープの朝食をすませ、漁協へ向かった。漁協は朝は6時から夕方は5時すぎまで開いている。
 今朝は男性職員二人と女性職員一人がいて、忙しそうにしていた。
 入漁証とオトリを頼んだ。オトリは天然が600円、養殖が500円。天然を2匹もらった。
高津川入漁証 高津川の日釣り入漁証は、券に日付の他に種類、金額に住所、氏名も記入してビニールケースに入れてくれる。ビニールケースにはゴムバンドが付いていて、腕に腕章のように着けるようになっている。一人一人の分を書き込むので手間がかかる。もう少し簡便化するほうが良いように思う。この方式のせいか、川にいても監視員が回ってくることはなかった。
 さて、どこでやろうか・・・だ。SHさんは漁協前の瀬頭でやるというので、昼食と飲み物の入ったクーラーボックスはSHさんの近くに置く事にした。
 KYさんは津和野川合流点付近でやってみると、上手へむかった。
 自分もとりあえず上手へ向った。津和野川合流点近くのチャラ瀬にKYさんがいたので、その2,30メートル先を左岸に渡り橋の上手(4枚目の写真)までいってみた。
 右岸のトロから瀬頭の上あたりを一人の人がやっていた。しばらく見ていたが掛からない。なぜか分からないが、瀬頭から瀬にかけてには竿を出さない。
 今日もソリッド穂先と複合メタルの練習だ。
 オトリを付けて、瀬頭のヨレに入れてやる。しばらくは音沙汰なし。対岸の人も掛けた様子はない。昨日聞いたように最悪の時にきてしまったのかなー。でも、ウイークデーなのに、釣り人が何人もいるとうことは、全く釣れないとうことでもなうようだ。
 しばらくしてから、ゆっくりと引いてみることにした。するとオトリよりは少し小さめのがきた。この大きさならソリッド穂先でも抜くのに何の問題も感じない。立て続けとか、入れ掛かりとかはなかったが適当なペースで掛かってくれた。
 見渡す限りでの話だが、ここの人たちはほとんどがトロ、チャラで釣っていて、早瀬・荒瀬は全くのガラ空き状態だ。
 そんな訳で、午前中は橋上の瀬を貸切状態で楽しむことが出来た。
 それにしても極細糸とソリッド穂先の威力はたいしたものだ。ノーマル仕掛けで背針も錘も使わずに、大抵のところにはオトリが入っていってくれる。なんとまー、楽な事。こんなことなら、もっと早くから使うのだった。こりゃー体力の落ちた老人向けの道具として、なかなか良いものだ。20cmくらいまでしか掛からなかったが、瀬から抜くのにも何の問題も無い。
 腹が減ってきて、お昼になった。橋の下まで下ると、午前中は2,3人いた橋下の瀬もガラ空き状態。橋したの日陰に竿を引き舟を置いて、漁協前のクーラーボックスのところへ戻った。SHさんもKYさんも昼は済ませたそうで、KYさんは下手をやってみると下へ行ったそうだ。
 カンカン照りの河原で昼食。冷えたお茶が咽に沁み、生気が戻ってきたように感じた。
 昨日聞いた”最悪の時に来た”というのはどうゆうことだろう。普通の時は、首都近郊で云えば”ムチャ掛かり”とか”狂喜の入れ掛かり”とかいう状態になるのだろうか。そういえば、先週土曜までは半日で30〜50位とか云っていたから、一日やれば束釣りも可能ということなのかなー。など、など考えながら昼休み。
 午後は橋の下の瀬をやってみたがあまり数は出なかった。釣ったアユをKYさん宅へ送ってもらう関係もあるので4時を少し回ったところで終了。
高津川漁協、日原支所 SH,KY両氏を呼んで、左写真の漁協へ向った。
釣ったアユを送ってくれるよう頼んだら、今日の出荷は終わったので発送は明朝になるという。明朝でも仕方がない。送ってもらうよう頼み、氷ジメにしてもらうよう頼んだ。漁協の男性職員は明日まで生かしておいて送ったらとすすめてくれたが、3人が釣ったアユの何割かはバテバテで明日まで持ちそうにもなかったから、氷ジメでいいと云った。本当にいいんですね、と念をおしてアユを氷水に入れてシメた。そして漁協職員に、はじめて来て28匹釣れば上出来ですよ、と云われた。
 そこへ、地元の釣り人が二人きた。中年男性は40近く釣ってきて、2Kgあった。赤シャツの青年は1Kgだった。
 この地は、友釣好きの者には趣味と実益が適う最高の場所だ。
 表に出ると、ここから1時間位の所に住んでいるという人がいてほとんど毎日来ているそうだ。自分もこの辺に住んでいたらそうするだろうなと思った。
 空気も水もアユも、人の心もみーんな綺麗な土地だ。いーなー。


第7日 7月26日(木) 出雲大社参拝、 日野川へ移動

 キャンプ場でパン、スープ、コーヒーの朝食を済ませ、キャンプ道具を車に積み込む。何度かの繰り返しでキャンプ道具の片付け方が手際よくなってきた。
 支流の匹見川にも寄ってみたいという気持はあったが、先の予定があるのでR9を益田市まで下り、浜田、江津、大田を通りR9号を出雲大社に向け走る。(鳥取県が不調というのが分かっていれば、匹見川はパスしなかったんだが。)
 ほとんど山間に少し入ったあたりを走るので、ところどころで海辺に出るときれいな海に感激してしまった。
 午前中に出雲大社・拝殿、神楽殿、祖霊社を参拝し、道中安全、大漁祈願、家内安全などいろいろとお願いした。
 出雲大社のヴァーチャル参拝は「出雲大社 (いずもおおやしろ)」でどうぞ。ハイビジョンでの映像で案内してくれます。
 「大社造り」については古代出雲大社でご覧ください。
 参拝をすませると、ちょうど昼時になったので、駐車場近くのそば処で名物の割子そばを食べてみた。 そばの実を殻ごと挽く出雲そばは、色が黒く、香りが高く、コシが強いのが特長という。
 「わりごそば」は出雲大社を中心として発展した出雲地方の郷土そばです。「わりご」とは木皿を重ねて、それを順に食べていくことから、いくつにも割れているという意味と言われている。また、その木皿の形が戦国時代の武士が使った盒(ごう)に似ているところからの名称であるともいわれている。「わりご」は、かつては杉又は檜で作った正方形のものだったそうだが、現在はイチョウ木地の丸型で、輪島塗のものが多く用いられている。
 そばの上に薬味をのせ、汁(タレ)をかけて食べる食べ方は出 雲そば独特のものだそうで、タレの味が濃い目なので少しづつかけて食べると良いようだ。
 そば団子の入ったゼンザイと割子そばとをセットにした縁結びセットというのがあったので、珍しい組み合わせと思い食べてみた。割子そばは3枚で1人前だそうだが、昼食としては6枚は必要な量だ。
 ここの出雲そばは、能書き通りなのは色が黒い所だけで、あとは能書きほどのことはなかった。名物にうまいものはなかなか見つからないものだ。
 その後、宍道湖と中海の湖畔を通るR431を境港まで行き、そこから伯耆(ほうき)町岸本地区へと日野川に沿って上流へ向かった。宍道湖に注ぐ斐伊川でもアユが釣れるそうだが、ここはパス。境港ではゲゲゲの鬼太郎などの妖怪がいる通りを通ってみようかと思ったが、川の方が気になりこれもパス。
オトリ屋モリナガ R181が日野川を渡る伯耆橋の上下が友釣専用区になっている。伯耆橋を右岸に渡り直ぐ下流に向かうと「つり人7月号」に載っていた”とも鮎モリナガ”があった。立ち寄って様子を聞いたのだが、高津川で言われたのよりももっと悪い話だった。
 高水などいろいろ条件が悪いのがずっと続いていて、今年は最悪だという。電話してくれたら来ないようにお知らせしたのに、という。またもやガックリ。
この近くで良いのは江の川くらいだという。オトリ屋の主人は江の川・出羽川の浅原のおばあさんを知っていた。
 天神川や千代川はどうかと聞くと、全くダメ、止めなさいという。ということは、鳥取県の鮎河川は全滅状態という事ではないか。
しばらく主人と話をしていたら、常連の人が一人川から戻ってきてボーズだー、とぼやく。
日野川ミョウケン前 「つり人7月号」を見せ、ここに載っている岩場の場所はどこか?と尋ねると、これはミョウケンという所で、伯耆橋脇の右岸堤防道路を上手に行き、突き当たりの広くなった所の向かいがその場所だと教えてくれた。ミョウケンに行くには、水路から放水されている流れを渡って中洲に行く必要がある。
 「つり人7月号」の前のページのトロ場は伯耆橋の上手で伯耆町役場の裏手になる場所だと教えてくれた。
 去年は本当に良く釣れたのだそうだが、今年はまったくダメだという。今回は川を見るだけにして帰られてはいかがですかと云われた。ともかくミョウケンを見に行ってくることにした。
 中洲へ渡る手前の流れは水嵩も高くて水勢も強く、とても初めての者が渡るような状況でないことは確認できた。右岸側の堤防道路から眺めてみると、左岸側に河原もあるので向こう側から竿を出すのが良さそうにみえた。
 もう一度オトリ屋にもどると、常連の人が何人かいて、他に二人ほど川から上がってきた。釣果は数匹のようだった。

 どこか安い宿はないかというと、常連の一人(75歳)が案内してくださることになった。ジムニーで先導して下さったが、川の傍を走る時は半分以上川を見ていた。近道を通ったので、街中は少ししか走らずに宿に着いた。
 宿の前でお礼を言って別れたが、元気な年寄りだ。
 自分も彼の歳まで元気に鮎釣りを続けられれば、全国の有名アユ河川を訪れるのは余裕を持って出来そうだ。しかし、まだ北陸、四国、九州へは全く行っていないので、それほど余裕があるわけでもない。
 外で夕食を摂りながら、明日はどうするか相談した。せっかく来たのだから、地元の人が数匹釣ってきていたし、ダメモトでいいから左岸でやってみようといことに決まった。宿に戻り、風呂に入って蒲団に入ったらバタンキュー。


第8日 7月27日(金) 日野川・岸本地区

日野川1
  日野川、岸本地区
   天気;快晴
   水温;19〜22℃  水色;澄み
    釣果 3
    Max. 19cm
    Min. 17cm


 深トロよりミョウケンの荒瀬、早瀬を望む
 右岸から中洲へ渡れなかったので、左岸のミョウケン下手からの写真です。
左岸は列柱のような大岩の壁になっていて、早瀬・荒瀬が深場に落ち込んでいます。


日野川2
 ミョウケン下の深場から下流の瀬を望む
 ミョウケン下の深とろの尻に右岸水門からの流れが合流し、早瀬、荒瀬となってトロ場に落ち込んで行きます。
 この瀬で3人ほど竿を出していましたが、成果は芳しくないようでした。


日野川3
 役場裏左岸より伯耆橋を望む
 ミョウケン下の瀬が落ち込んでから橋までの数百メートルの間平らなトロ場が続きます。
 底には石がびっしり敷き詰められています。
 ここは静かに泳がせて釣るんでしょうかね。
 平水時には、一番深い所で、モモ位の深さだと思います。



日野川4
 伯耆橋下のトロから下流の瀬を望む
 橋上からのトロが橋下百メートルほどまで続き、中洲で二分され、左岸側の流れは荒瀬になって落ち込んでいます。
 右岸側へは行っていないので良くかりませんが、トロ場が続いているような感じでした。
 地元の人は、腰位まで立ち込んで移動しながらの拾い釣りという感じで釣っていました。




 昨日の話ではまるで、釣れていないような話だったので、今朝はゆっくり出発。
 コンビニで昼食を買い、昨日のオトリ屋へ出向いた。ダメモトで様子を見てみるから、といって入漁証とオトリを買った。
日野川、入漁証 オトリ屋は釣れていないのに高い入漁料で申し訳ないと何度も言って、入漁証を用意した。高津川と同じ方式で、券に日付、住所、氏名を記入し、ビニールケースに二つ折りにして入れて腕にはめる形式だ。
 常連客が来て話しているのを聞くと大変な感じだ。彼は昨日十ほど掛けたが、岡山から来たという二人連れは二人ともボーズだった、というのだ。
 今日は形を見れば良しとしなければならないようだ。
 伯耆橋左岸脇の道を上流側へ入り、堤防上の道に駐車した。堤防の上からは、川の向こうに大山が大きく見えた。河原へ下りられる道があったが河原の一部が砂地になっていたので、砂にスタックしたらどうしようもないので車は堤防の道に置き、歩いて河原まで下りた。
 KYさんとSHさんは役場裏のトロから橋の下あたりをやってみると下手に行った。
 自分は昨日見たミョウケンの岩場が気になり、すぐ下まで行ってみることにした。一枚目の写真を撮って、瀬の辺りまで行けないかと思ったが、急深の岩場で無理。2枚目の写真の所に地元の人が来ていて、昨日まあまあの形を3本掛けたので、今日も来たといっていた。
 その人の下手で竿を出してみたが、水嵩が高くて流心まではオトリを出せない。荒瀬になる手前の深い瀬肩で11時近くまでねばってようやく2匹。そのあと二人のいる橋近くまで釣り下っていったが、オトリを弱らせただけ。
 橋の下の日陰で、昼食、休憩。二人も午前中一つとか二つとかだ。
 どーも、我々三人組は良くない時を選んで鮎釣り旅行に出かけているような感じがしてきた。しかし、それは巡り合わせだからどうにかなるものでもない。なりゆきに任せて、のーんびり自然を楽しむことだ。
 KYさんが、4枚目の写真に写っている若い人が、腰以上の深さまで立ち込んで移動しながらの拾い釣りで十近く掛けているようだ、と話していた。川底の様子が判っていない我々には、その釣り方は無理。
 しばらく休んでから、役場裏のトロをやってみたが、一つ追加できただけで、本日は終了。三人とも見事に撃沈でした。
 日野川には岸本地区の他にも友釣専用区が数箇所あるので、お盆過ぎには面白くなるのではないでしょうか。


第9日 7月28日(土) 千代川(せんだいがわ)/鳥取へ移動、鳥取砂丘観光と川見

 日野川のオトリ屋で、”この近辺で釣れるのは江の川だけ”というのは本当のようなので、今日は移動と川見だけすることにしてR9を鳥取市へ向かった。
 午前中は鳥取砂丘を観光に行ったのだが、今日のカンカン照りの中で砂丘を歩いて見る元気はなく、砂丘会館から眺望を楽しみ砂丘の観光は終了。砂丘の農産物でラッキョウが特産物というのを知った。
浦富海岸、城原展望駐車場 砂丘の5,6キロ東にある、「山陰の松島」とも呼ばれる浦富(うらどめ)海岸の観光に行った。浦富海岸は、日本海の荒波によって形づくられた壮大な海食地形と透明度の高い海がとてもきれいだった。
 崖上の道路からはるか下の浜辺まで下りる階段があるようで、若者達が砂浜や岩場まで下りて、澄明な海で海水浴やシュノーケルを付けての潜りなどを楽しんでいるのが見えた。
 道路脇の展望台から見ても、10m位の深さまで透けて見えるような海だった。

 午後は、鳥取市からR53号を千代川を上流に向かい、川見。
 鳥取〜津山を結ぶJR因美線も千代川沿いに通っている。川を眺めながら上がって行ったが、河原より下流でコロガシらしい人を数人みただけで、河原あたりから用瀬(もちがせ)まで、友釣をしている人の姿は全くない。

千代川、用瀬駅より下流の様子


 用瀬のあたりは岩盤、大岩、大石のすばらしい川相が見られたが、釣り人は見えずだった。
 今日のキャンプ地、用瀬キャンプ場へ向かう道へ入ってすぐの所で、オトリ缶、引き舟を積んだ軽トラを停めて釣り談義らしき立ち話をしている二人がいた。
千代川の鮎釣りはどうかと様子を尋ねてみた。鮎友釣・・・とプリントされたTシャツを着た白混じりのベテランが云うのはこうだ。
「あなたがた、川を見てきたかい?」
「ここの下手の岩盤と大岩の瀬やその下の大石ごろごろの瀬は、良さそうに見えたけど、どうなんですかね?」
「川を見ても、釣り人は一人もいないでしょう。一人も居ないということは、釣れない、鮎がいないということだよ。ハハハ。」 力なく笑う。
「去年は良かったが、今年は冷水病が発生したようで、鮎がいない。」と云う。
 なんとまー、間の悪い年に来てしまったものだ。
念のためと思い、オトリ屋はどの辺りにあるのか尋ねてみた。
このあたりでは、10キロほど上流、智頭(ちず)のあたりに1軒あると教えてくれた。

今夜のキャンプ場所を確認した後、二人に聞いた智頭のあたりまで川沿いに見て歩いたが、釣り人は一人も見えずだ。アユ壊滅状態というのは間違いないようだ。

 キャンプ場での夕食は、氷でキュっとしめたソーメンにオニオンスライスと○○鯛の味醂乾し。川辺で夕涼みをしながらの冷たいソーメンは、その雰囲気だけで絶品の美味になる。
 今夜は、早々と瀬音を聞きながら就寝。


第10日 7月29日(日) 円山川/兵庫、宇川/丹後半島の川見と天橋立観光

 円山川を見て良さそうなら釣りをしようということで、R178号を通り豊岡市へ向かった。
 豊岡から養父(やぶ)まで見て歩いたが、釣り人の姿もほとんど無く、オトリ屋も1軒見かけただけだった。所々で止まって、川を眺めるが、どーも釣れそうな感じがしない。ここはパスすることにした。

という訳で、日本で初めてアユの研究が行われた宇川/丹後半島の川見に行くことにした。
 1951年/昭和26年に京都大学理学部動物学教室の宮路伝三郎博士達が、日本で初めてアユの研究・調査を行ったのがここ宇川である。
 {参照:「アユの話」1960 宮地伝三郎 (岩波新書)}
 宇川は、現在は市町村合併で京丹後市となっているが、弥栄町の高尾山麓に源を発し、丹後町鞍内を通り丹後町平で日本海に注ぐ小河川である。

下流部に立てられていた看板。山村の川でも荒廃が進んでいることを推察させる。
下流部で、二人組での網打ちを数組見うけました 宇川橋袂のお地蔵様
鞍内橋から川を覗く。ここから釣り専用区域
群れアユが何組も動き回っていました。
鞍内橋上に「釣専用区域/網入れ禁止」の立て札
なかなか良い感じの瀬、トロ、淵がありますが、流れの緩い所は瀬もトロも淵も砂と小砂利で埋まっていました。
堰下の瀬 鮎釣りの行き止まり?3m位の堰。魚道は見当たりません。 
宇川、釣専用区域の立て札
ここから堰の方へ入る道があり、車が駐めてあったので、そこを入ると
上の2枚の写真の場所に出ました。

堰堤下のプールはヒザ位の水深でしたが、群れ鮎が何組かいました。

鞍内橋から堰堤までは1〜2kmの距離だと思います。
この立て札の先、上流へは行きませんでした。

宮路伝三郎先生や川那部浩哉先生達がアユの研究をしていた昭和20年代当時は、
ありのままの自然や流れがあり純朴な人達が住んでいたのだろうなと、感慨に耽りました。 

 宮地伝三郎先生の「アユの話」に出てくる、宇川を一度見たいと思っていた。今回(鳥取、兵庫のアユが不調だったので)ようやく念願が叶い、現地を見ることができた。我侭に付き合ってくれたKY,SH両氏に感謝。
 丹後町中野から川沿いに上流へ向かった。
 下流部では二人組みで網打ちをする人達が何組か見られた。ここの網は自分が知っている網漁とは異なったものだった。
遠目で見ただけだが、細長い網を浅い流れに投げ、網が着水すると直ぐにその周りを円く走り二人で網を押さえつけてアユを獲る、というやりかただ。投網とも小鷹網とも刺し網とも違う、独特のやり方だった。
 さらに上流へ向かうと鞍内橋に釣専用区域の看板が付けてあり、土手の上には立て札が立っていた。
橋の上から川を覗くと、縄張りアユや群れアユが良く見えた。20匹位の群れが幾つかあり、あちらへこちらえと動き回っていた。群れの1匹が縄張りアユに追い立てられて、それにつられて群れ全体が蜂の巣をつついたように右往左往騒ぎまわる様子も見えた。
 釣専用区域では、釣人が3人いた。お互い同士は見えない距離で、山間の川を一人で釣っているという感じだ。
 アユも沢山見えたし、釣り人も少なかったけれど、日券が¥5000と看板に出ていたのと、漁協が何所なのか分からないのとで、川を見るだけにした。
 ここ宇川もそうだが、西日本の川は全般に年券の値段に比べて日券の値段が高すぎる。
 宇川の例では、年券¥8000、で日券が¥5000だ。日券の値段は、せめて年券の1/4か1/5にしてほしいものだ。
 日券を高くしているのは、”他所者は来るな”と云われているようで、ひがんでしまう。

 宇川見学のあとは、天橋立を観光し、天橋立オートキャンプ場でキャンプ。
 キャンプ場は夜は列車と車の音が煩く、早朝から海の水路を船が走りエンジン音が喧しい。立地条件は良いのにガラガラのはずだ。


第11日 7月30日(月) 九頭竜川支流足羽川(あすわ)へ移動
 
 由良川/京都府は、出かけてくる頃に福知山で洪水になりそうな大雨が降ったとテレビで報道されていたので、パス。
 天橋立よりR27号を敦賀まで海岸線を移動。敦賀からR8号を北上し福井手前でR158号に入り足羽川に沿って旧美山町へ向かった。ここも例の市町村合併で福井市になっていた。
 旧美山町にさしかかると、いたる所で河川工事と橋の架け替え工事が行われていた。
 3年前2004年7月の福井豪雨(足羽川水害)の復旧工事が続いているものだった。
 足羽川水害は、特定箇所への異常集中豪雨が最大の原因であったといわれる。福井市に入ると蛇行が多くなる上に急に川幅が狭まること、市街地で橋梁が多く橋桁で水がせき止められ、仮設道路や矢板の影響も多少あって堤防からの越流に至った。福井市上流の池田町でも濁流が堤防から溢れ、下流部では大きな被害がでたそうだ。
 旧美山町の橋はその大半が架け替え工事中で、仮設道路や仮設橋を通る所が何箇所もあり、場所によっては交通止めになっている。
 鮎釣りは大丈夫なのか?と心配になり、漁協に寄って話を聞いてみる事にした。カーナビで漁協の場所(市波駅近く、R158から福島橋へ向かう角)へ行ったが、建物に漁協の看板が出ていない。KYさんがそれらしい角の建物に入ってみたが、看板は無いと出てきた。すると、建物のカーテンが開いて白髪頭の男性が声を掛けてくれた。
 「漁協を探している」、というと、「ここがそうだから、中へ入りなさい」と云ってくれた。
 事務所には理事長と窓から声を掛けてくれた職員の二人がいた。鮎釣りのようすを聞くと、この辺りでは足羽川が一番良いという返事だった。 今年の放流量は7200Kgで、この近辺では最高の放流量だ、アユはいっぱい居る、と自慢していた。九頭竜の人たちもここ足羽川へ来ている、という。これで良い釣ができそうだ、と一安心。
 初めて来たので、どの辺りが良いのか教えてほしいというと、ここでも答えは、「前の日に人のいなかった所に入れ」だ。
と云われても、どこがどこやら分からないので、全般的に良いのはどの辺りか聞くと、漁協裏の福島橋あたりから小宇坂小学校あたりが放流量も一番多いので無難かな〜、といい、最近の様子はオトリ屋で確かめてくれという。
 オトリ屋の場所を聞くと、美山地区では4,5キロ下流と7,8キロ上流にあるという。
 キャンプ場は近くにあるか尋ねると、お金を取られるからテントを張るのなら河川敷のどこに張っても良いといってくれた。
 というわけで、オトリ屋の場所確認とテントの張れる河原探しを兼ねて美山地区から池田地区にかけて見て回った。
 この近所にコンビニはないので、福井市近くまで戻り買い物をし、美山地区へ戻る途中で「一乗谷朝倉氏遺跡」の案内板を見て一乗谷、朝倉氏遺跡、唐門、SHさんが見に行きたいと言った。信長が勢力を伸ばす際にかかわり深い所だとSHさんがいう。夕方になったが、「一乗谷朝倉氏遺跡」を見学した。
左の、義景館跡の正面、濠に面して建つ唐門は、何らかの理由で江戸時代中頃に建て替えられたものだそうだ。
戦国歴史には疎いので、詳しくは「戦国大名朝倉氏」でどうぞ。

 美山町でみかけた食堂で夕食にしようと行ってみてガックリ。夕方5時で終了なのだ。東北地方に鮎釣りに行った時と、同じだ。
 どこか開いていないかと思ったが、もう1軒の店も5時終了だった。仕方がないので、またもや、福井市近くまで戻り、ファミリーレストランを見付けて夕食にありついた。20キロ近くを2往復してしまった。自炊をしない時は、食道の営業時間を先に確かめておくことが、地方釣行の際には必要だ。
 今夜は足羽川河畔でキャンプ。


第12日 7月31日(火) 足羽川・美山町地区

足羽川、北陸電力変電所
 足羽川・美山地区、変電所上手

  天気;晴れ
   水温;18〜22℃  水色;澄み
    釣果:24
    Max. 22cm
    Min. 16cm


 北陸電力の発電所/変電所
 河原のオトリ屋(田中豆腐店)から2kmほど下流にある。
 ここのコンクリート橋は水害の被害を受けなかったようだ。
 橋の手前脇と橋を渡り変電所脇を左に入った所に駐車場所がある。



足羽川1
 上の橋より上流を望む
 水害の前は深い淵だったと推定される。
 右手大岩の前はかなり深いが他は砂礫で埋まって、ところどころに転がる大きい石にアユが付いている。
 人が近づくといなくなる。
 大岩から上はチャラ瀬、早瀬になりカーブでみえなくなった辺りから上はトロ、瀬と変化している。
 その上に大岩、大石が見えるがその間はほとんどが砂礫で埋まってしまっている。所々に往時を思わせる瀬ができかけていた。


足羽川2
 橋の下流を望む
 橋下はまあまあのザラ瀬になっていたが、写真の中洲のあたりは砂礫のチャラチャラ。
 堤防上に車が停まっているが、数人が川が見えなくなる辺りの瀬で竿を出していた。
 3年前の大水害の土砂で埋まったのが、泥は流れたが砂礫が埋まったままが続いているという感じだ。



 山間の河畔は気温がうんと下がる。朝起きたときは、半袖では寒く、鳥肌が立ちそうなほど冷えた。
 例によって、パンとスープの朝食の後、ドリップコーヒーで一服。
 この冷え方では、朝日が射して気温と水温とが少し上がるまでは追い気がでないだろうと、ゆっくりコーヒーをたのしむ。
日が昇り、少し暖かくなってきたので、昨日確認しておいたオトリ屋(田中豆腐店)へ向かった。足羽川、入漁証
 オトリ屋(田中豆腐店)の奥さんは横浜育ちというので、横浜からここへここへ嫁いできたのかと云うと、ご主人が神奈川県で仕事をしているときに結婚しその後ここへ来たのだそうだ。
 三年前の水害の時は、前の道路まで川の水が溢れ、流されてきた杉の木が店の中に飛び込んできたという話だった。少し上手の河原橋のところから道路へ溢れだしたのだろうが、今の川床の高さから考えると十メートル以上も水嵩が高くなったようだ。
 昨日川を見た限りでは、岩屋橋の上下と写真の変電所のあたりが良さそうに見えた。岩屋橋は橋と道路の工事中で大型ダンプが始終行き来しており、近くに車を停める場所が見付からなかった。
 それで、橋の上から眺めたところでは、けっこうアユが見えた変電所の橋のあたりをやってみることにしたわけだ。
 オトリ缶を持って2枚目の写真の所へ下りてみると、橋の上で見たのよりは全体が砂礫で埋まっているような感じがした。
 とりあえずは、上手へ行って、よさそうな所で釣ることにした。
 所々、よい瀬に回復してきているのだが、いたる所の大きめの石に化学繊維を挟み込んだシートとか、紐とか、ブルーシートとかプラスチック製のシートや紐の切れ端が、ガッチリと挟まれている。短いものは10〜20cm、長いものは2,3mある。はじめの内は、そんなにシートや紐が石の間に挟まっていると思わないから、3人ともずいぶんと根掛りした。幸い深さはそれほどなかったので、外しに流れに入って行くのはたいした事ではなかった。
 そのへんの事が分かってからは、あらかじめシートや紐が無いことを見てからオトリを送り出すようにした。
 ほとんどの石にはハミ跡が付いていたが、一部を除けば、石の側面だけを食んでいた。全面を食んでいたのはチャラ瀬になった一ヶ所だけだった。
足羽川のアユ 流れが早く、深くなっているような所で20cmオーバーの引きの良い良形が掛かった。石がきれいになったチャラ瀬で何本か連続して掛かったが、釣り返しはほとんど効かなかった。
 昼食後、橋下のザラ瀬をやってみたが、数匹掛かっただけで、思わしくないので、また上手の瀬に行ってみた。が、水深が無く流れが平になっているせいか、歩き回った所ではあまり掛からなかった。
 とはいえ、今日は四日振りの鮎釣りで、しかも3人での貸切状態だったので、山間での鮎釣りを存分に楽しんだ。
 今夜も河原でのキャンプなので、早めに終了し、アユはオトリ缶に移して、流れに石で囲って浸けた。明日も午前中やるつもりだ。
 今日の夕食も、福井近くまで出かけて外食だ。山間の河畔は、夜には寒くなるほど冷え込む。風邪を引かないように、寝袋にしっかり入って寝た。


第13日 8月1日(水) 足羽川・美山町地区

 今日の写真はありません。
  天気;晴れ
   水温;18〜21℃  水色;澄み
    釣果:10
    Max. 20cm
    Min. 17cm

 今日の午前中は、場所を変えてみようかとも思ったが、昨日はまあま楽しめたので、同じ場所でやることにした。
 オトリ缶を川から引き上げて蓋を開けてみると、どれも皆元気で缶から飛び出しそうなのもいた。各自適当にオトリを引き舟に移し、橋の上手へ向かった。
 昨日KYさんとSHさんがやっていた早瀬〜トロ瀬の所に先客が一人竿を出していた。平日にこんな所に来る人もいるんだー、と思った。というのは、橋下手の堤防上に車を停めて下の瀬に入る人しか見ていなかったからだ。
 KYさんとSHさんは、昨日自分がやっていた辺りでやってみる、といので、さらにその上まで見に行った。
大岩や大石がゴロゴロする遠めにすばらしそうな所があったが、近くまで歩いていってがっかりさせられた。昨日にも書いたが、大石の間は砂礫、小砂利で埋まっている。部分的に回復している所が出来つつある感じだ。
 小砂利が流れる程度の水が出て、あと何年かしたら水害前の瀬や淵が回復するのかもしれないが、そうなるにはあと何年かかるのだろう。それとプラスチック製のシートや紐の切れ端を取り除くにはどうするかだ。大石が転がるほどの出水が数回あれば流されていくかもしれないが、そうすると下流部がひどいことになる。何か良い方法がないものだろうか。
 部分的に良さそうな所にオトリを入れるというような拾い釣りスタイルでやった。砂礫で埋まったような流れのわりには、楽しめた。
 今日は昼で終了。昨日と今日釣ったアユは氷でシメて、発砲スチロールの箱に氷詰めにし宅急便で送った。

 その後、永平寺を参拝してから、九頭竜川の川見に北陸自動車道の上手に架かる五松橋から河川敷の道に出て、およその感じを掴むつもりで、見て歩いた。北陸自動車道の近く〜五松橋〜鳴鹿橋の間はそれほど深い様子でなく、川の中ほどまで立ちこんでも腰まではないようだった。しかし、瀬の中に立ちこんで、掛かりアユを引き抜きで取り込み、その場でオトリを換えるというのは慣れて居なければ、そう簡単には行かない。
 立ち込んでいて、ツルリと滑って転んだ時に、どう対処するかも出来なければ事故につながる。地元の人たちが簡単そうに流れに立ち込んで釣っているのを見て、KYさんがここでやりたいと言うが、過去に天竜とか富士川とかの早瀬に立ち込んだことはあるのか聞いてみたら、無いという。転んだ時に、竿を担いで泳ぐ自身があれば良いが、そうでなければ止めるのが無難だと話した。
 何ヶ所か見た後、五松橋左岸の袂に釣具屋があったので、寄ってみた。釣り人相手の民宿もやっているという。
 女将さんの話では、今年はあまり良くないという。どの辺りが良くつれるのか、と尋ねると、ここでも答えは同じ。「昨日人の入っていなかった所を釣れ。」だ。
 「都会の人はおかしいねー。前の日に良くつれた所はどこかと聞く人が多い。前の日によく釣れた場所に行ったって、(同じ様に)釣れる筈がないのにね。人が釣っていない所に行かなければダメだよ。」と、のたまう。
 そう、その通りなんだけれども、自分でよい場所を探す術を知らないものだから、”どこが良いのか”と聞いてしまうのだ。おばちゃん、わかってよ!
 そんな話を聞いてから、福井の街で宿を探したのだが、間の悪いことに、明日全国の教頭先生の大会だか講習会だかがあって、今夜は駅の近くの旅館、ホテルは全部満員だというのだ。
 こんな時に、意外と役に立ったのがカーナビだ。カーナビで付近の施設を検索して、昔の商人宿・今のビジネス旅館風の名前で探した所、1軒目は駅前開発で無くなっていたが、2軒目は空きがあり、泊まる事ができた。
 近所の福井名物というソースカツ丼を食べてみた。薄っぺらいカツに特製のソースをかけた丼だ。ここが元祖の店だそうだが、東国人には厚めのカツとタマネギをにて卵とじにしたのが飯に乗ったやつのほうが、カツ丼という気がする。
 宿に帰って天気予報を見ると、台風5号が九州、四国に向かって北上中で明日にも九州に上陸し、その後日本海に抜けて日本海を東北地方に向かうという進路予想が出ていた。
 どうりで、朝から時々突風のような風が吹いていたはずだ。
 明日の台風の予報と風の吹きかげんをみて、ダメそうなら岐阜に行き、台風予報を確認して風がなんとかなりそうなら吉田川で釣ろう、ということにして就寝。


第14日 8月2日(目) 九頭竜川、吉田川/岐阜県の川見。台風に吹き払われて帰ってきました。

九頭竜川は、台風5号の影響による突風が時々吹くので、見るだけになりました。

鳴鹿橋下の堰堤
鳴鹿橋すぐ下手の堰堤
魚道はあるようですが、よく見ませんでした。

堤防上から眺めていましたが、突然の突風でよろけるほどでした。

 写真は上流から下流の順で並べました。

九頭竜川2
上の堰堤の下に浅い瀬が中洲の間を流れます。
ここなら、初めて来た人でも、心配せずに竿を出せそうです。
強い風にも負けず、二人竿を出していました。


九頭竜川河川敷
 九頭竜川河川敷内の釣り人が作った道。
ここは決まった通路を走っているようで、枝道はあまりありません。
 昔若かりし頃、天竜川とか大井川の河原を走ったのを思い出しました。
上の堰堤から下流の北陸自動車道の近くまで走れます。



九頭竜川3
 五松橋から下流を望む
左から流れ込む瀬はそれど水深はないようでしたが、上から覗くと石が全体にきれいになっていました。 が、誰も竿を出していません。?
 写真で分かるように、皆下手の水深のある場所で竿を出していました。



九頭竜川4
 右の河原の向こうに見える白い橋は北陸自動車道です。
 この辺りまでは乗用車でも簡単に来れます。
 河原のゴロゴロした石が水中にも続いています。石の大きさは4、50cm位の物が多いようでした。小さいもので10〜15cm位だったようです。
川底がこんな様子ですから、慣れていない人が瀬に立ち込むのは危険があります。
 左手は水深のあるトロで下手は早瀬となって流れ落ちていました。




 堤防に立つと、時折強い風が吹いてきました。台風5号の外側の風です。風にも負けず竿を出している人が何人もいました。
 我々は、”風には勝てない”と眺めるだけでした。
 九頭竜から岐阜へ山越えし、長良川と支流の吉田川を見ましたが、その水量の少なさに驚きました。何年かまえに来た時の半分ほども水量が無いのです。これでは良いアユは育つ事が出来ないでしょう。なぜ、こんなに水が少なくなったのか不思議です。
 台風5号の影響が出始めていましたが、風の当たらない所で大勢の人が竿を出していました。本流の相生の橋の上からも眺めたのですが、昔は無かった中洲が出来ていて、左岸側から中洲へ歩いていける位に水が少なくなっていました。
 また、相生の漁協のアユ集荷所は閉鎖になっていました。
 長良川は河口堰で死んだと思っていたのですが、水枯れが追い討ちをかけているようでした。

 2週間出かけていて、友釣が出来たのは、わずか四日半でした。鳥取〜京都府があれほど良くないなどとは思いもせずに、移動してしまったせいです。こんなことになるのなら、島根でもう何日か釣をするのだったなー、と台風5号に追い払われて、帰ってきてから嘆いています。
 今回の走行距離は約2,960Kmでした。車載器の燃費情報は14.5Km/Lを表示していました。

 来年は梅雨明け1週間後に出かけるようにしようかな、と考えたりしています。
まだ、四国も九州も北陸も未訪問の川が沢山残っています。が、旅行中に80歳でほとんど毎日鮎釣りに川に出ている人がいる、という話をきいて、まだ時間の余裕があるな、と思ったりした次第です。
 キャンプ&鮎釣りは楽しいですよ。皆さんも、お仲間と”キャンプ&鮎釣り”を楽しんでみてください。