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中川八洋『歴史を偽造する韓国』217頁

第十章 「従軍慰安婦強制連行」という嘘 -「戦場公娼」制か、無制限「強姦」か

 戦後の日本では、“歴史の偽造”を職業とするものが繁殖している。良心を欠如したマルクス主義の学者や弁護士らが、同じくマルクス主義を信条とするマスメディアと連結して、日本の学校教科書や教育機関そして報道を排他的に独占してきた結果である。日本国中に嘘が横行し、この嘘によって次代の日本人が「人格喪失者の群れ」になる危険に日本は直面している。

 偽情報宣伝(プロパガンダ)は、“嘘”、“半分嘘”、“事実の歪曲”、“一部事実のつまみ喰い”、の四タイプが基本だが、ここで扱う「歴史の偽造」のケースは、“嘘”だけで創られ宣伝され流布された第一のタイプである。その目的には二つある。第一は、「軍隊=悪」のイメージ作戦で、「反軍」キャンペーンである。日本(国民)から国防意識を消滅させ国防力を弱体化しようとしている。

 第二は、「日本の過去=悪」とする「反日」キャンペーンである。これによって次代の日本国民は、自国の歴史から切断され、また祖先への誇りをもたなくなるから、日本へのアイデンティティをもてなくなる。日本の国家そのものは、この結果、“日本国民”を欠き、日本は遠からず、自然に崩壊する。

 日本のマスメディアが血道をあげる「反日」に、「反日」の隣国は喜び、つまり北京とソウルは、この「反日」を増幅して日本に逆送する。日本のマスメディアがこの「増幅反日」をさらに報道するから、“捏造された歴史”が日本列島をうず巻く。日本は、隣国と国内の双方から「反日」の挟撃を受けて、政治家ですら思考は麻痺してうろたえ、一般国民に至っては謝罪すれば台風一過の青空(=隣国との友好平和)がくるとばかりに、ただ叩頭する。

 また、国家の尊厳が傷つき、国家の名誉が毀損されるのもかまわずに、この謝罪・叩頭を窮余の妙案と思い込むのは、戦後日本が、敗戦のトラウマと国家否定教育によって国家の尊厳や名誉を守ることが国民としての最小限の義務であることを亡失したからである。それは、日本全体から国家意識や国民の義務意識がすでに溶解しているということにほかならない。

 ここでとり扱うケースは、偶然とはいい難い、ソ連の崩壊と時を同じくして1991年末に始まった、日本を発生源とし韓国で増幅された“歴史の偽造”としての「従軍慰安婦強制連行」という、嘘宣伝(プロパガンダ・キャンペーン)についてである。日本が国をあげて毅然としてこの嘘を否定しないとすれば、またこの「歴史の偽造」をなした隣国に対して“謝罪”を逆要求しないとすれば、日本は「人格」ならぬ「国格」を自己否定して国家喪失状況に陥らざるをえない。「従軍慰安婦強制連行」問題に対する姿勢は、日本が今後とも国家でありつづけられるのか、という重大な岐路と命運を決定していくものとなろう。

 真実を追求し真実を語りつぐことにおいて、韓非子のいう「説難」の迷路にたとえ身が危くなろうとも、それこそが真正の国民が果すべき責務である。説難の言挙げには高貴な自由の精神が存在する。国家の歴史から真実を排除しては、国家を担う国民の精神の土台が腐蝕する。国家の堕落と腐敗が生じる。だから、「従軍慰安婦強制連行」不在の真実は、どうしても、守らねばならない。

一、戦場における性-無制限の強姦か、「戦場公娼」制か

 「昭和20年8月20日頃であったろうと思う。鞍山から新京守備のために北上したので新京の街は北も南もよく解らないが、たしか終戦の日から数えて4,5日たっていたと思われる頃の出来事だった。・・・・・・。

そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりながら玄関に出て見て驚いた。12,3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ばれていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血がいっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが聞きとれない。次の女性はモンペだけをはぎとられて下の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳首を切られて、片眼を開けたままであったから死んでいるのかもしれない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。・・・・・・。1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに敗戦のみじめさを知った」

『されど、わが満州』に収録されている、手記のなかの一節である。ロシア(ソ連)では侵略したその地での強姦(レイプ)は一種の「給与」として無制限に許可されていた。実際に、ロシア兵の残忍なレイプの惨状に憤慨して止めに入ったその上官のロシア将校の方が銃殺されている。ロシア軍には実態として、「給与」支給妨害罪があるのだろう。

「ドイツ人の女性は老女から4歳の女児に至るまで、エルベ川の東方(=ソ連占領地区)で暴行されずに残ったものはあまりいなかった。あるロシア人将校は、1週間のうち少なくとも250人に暴行された少女に出会った・・・・・・」と、英国の歴史家ニコライ・トルストイ(あのトルストイの子孫)は、その著『スターリン』で述べている。

ロシアは、ジンギスカーンのモンゴル帝国の正統な継承国である。ビザンツ帝国ではない。文化的にも西洋的であるより、基幹においてはモンゴル的である。このため、ロシアの兵法も軍制も、700年以上経た現在も、あのモンゴルの騎馬軍団のそれらを、そのままとどめている。支配地における強姦は13世紀のモンゴル軍将兵の「職務」でもあったが、現在に至るもそれはロシア軍の不変の文化となっている。

なお、「ベラ・ルーシー(白ロシア)」という名は、オゴタイ汗(皇帝)のもと、この騎馬軍団のモンゴルがモスクワからポーランドへと侵攻していくとき湖沼が多くてそこを避けたため、たまたま「レイプがなかったルーシー(ロシア)」、という意味で「ベラ(白、純潔)」のルーシーとなったのである。モンゴル軍のなした、無制限の強姦の歴史をパラドキシカルにとどめている国名である。「モスクワ・ルーシー」の子孫である現在のロシア人の顔には、モンゴル人に似たのが散見される。レーニンもその一人である。

近代に入り各国は、戦場における強姦と性病の罹患を防止するため、軍隊は売春婦を伴なうのが一般的になったが、ロシアだけは野蛮のままに、その侵攻するところ、ところかまわず「敵」側の女性を強姦・凌辱し殺害する。だから、冒頭にかかげたような「満州の日本婦女子の地獄」が生じたのである。軍を除く一般邦人155万人のいた満州でロシア兵に強姦されたが帰国できた日本の婦女子の数字については「約30万人」、強姦後に殺害されたもの、自殺したもの、行方不明になったもの、残留したものは「約5万人」と大雑把な推定をしておく。今後の精密な被害者推計の研究をまちたい。が、「従軍慰安婦」をレイプだ、人権侵害だと主張する日本のフェミニスト全員がこれに黙しているのは、「従軍慰安婦」問題の本質と背後のうごめきを明らかにしている。

さて、戦時における軍隊の将兵の性の処理は、大きく四つある。

Ⅰ、モンゴル/ロシア型の敗戦側女性に対する無制限の強姦。

Ⅱ、前線の近くの都市に売春婦の街をつくり(既存のがあればそれを管理し)、前線から定期的に兵士を後送して利用させる制度。戦争終了後の占領であれば占領地に(それを職業とする)現地女性をもってその売春管理施設を設置する。

Ⅲ、出征する軍が、売春婦を雇用する民間の置屋を一種の軍属的に同行させ、前線よりやや後方の、兵站部隊のあたりに設置する。「従軍置屋」である。

Ⅳ、売春婦が勝手に軍部隊の駐屯(野営)地に群がる。

軍の将兵は、聖人でもないし修行僧でもない。とりわけ戦場では明日の生命は保障されておらず死と直面し、また質の悪い兵隊はいくらでもおり、平時以上に性の処理の問題が生じる。かくして、戦争に際して上記の四つの形態以外は存在しえないし、かつて存在したことはなかった。ヨーロッパからアラブに侵入した十字軍は、将兵の数とそのあとに群れてついていった売春婦の数がほぼ同数であったという。第Ⅳ型である。

Ⅰ型は許されざることである。Ⅱ型とⅢ型はⅠ型を防止する機能をもつから、「必要悪」とすべきであろう。レイプは防止しなくてはならない。20世紀においても、ロシア(ソ連)は13世紀のままにⅠ型を踏襲し、ドイツ/フランスはⅢ型を主とし、米国はⅡ型を基本とした。ヒットラー下のドイツは、「第三の敵」ユダヤ人女性その他の特定民族の婦女子を、強制的に置屋に配属させた。Ⅰ型に近いⅢ型であった。

第二次世界大戦における戦場でのレイプ発生率については、日本軍は他国に比して際立って少ない。まさしく称讃されるべき世界第一級の模範軍であった。Ⅲ型の「従軍置屋」制度を運用し、戦場の「敵国」女性を保護する政策を立派に遂行した、その成果であった。また、慰安婦がすべて民間の純粋な「市場」において集められた点でも世界の範であった。このⅢ型は第一次世界大戦でドイツ軍とフランス軍が制度化したともいえるから、1930年代以降の日本はそれを模倣したのである。「従軍置屋」をもって、「日本のみがなした野蛮な制度」とするのは歴史事実に反する。日本を中傷するための悪意ある嘘である。

第一次世界大戦時の軍隊と性を研究したM・ヒルシュフェルト著の『戦争と性』は、この「従軍置屋」を「兵站娼家」としている。

「西部の戦争舞台では、アミアン、アベヴィーユ、アーヴル、ルーアンその他、前線の背後のすべてのフランス都市には連合国軍部隊のための特に設備がよくて繁昌した兵站娼家があった。将校用娼家の目印は青い軒燈で、兵隊用娼家のそれは赤い軒燈であった。娼婦はたいていフランス女で、前からその町に住んでいるものか、ドイツ軍に占領された地方から逃げてきたものであった。・・・・・・このフランスの兵站娼家は、予防法のことをほとんど知らぬイギリスの兵隊たちにとっては特に、まさに性病の孵化場であった。

ドイツの側にも、兵站地域の大きな町には必ず兵隊用娼家と将校用娼家とがあった。シュトラスブルグ、メッツ、セダン、シャルヴィーユ、ムジーレス、サン・クァンタン、ペロンヌ、サンブレイ、リル、オステンド、ブルージュ、ゲント、アントワープおよびブリュッセルにそうした娼家がある。・・・・・・

兵隊用娼家はどこでも、門前に長蛇の列をつくっている兵隊たちによって、あまり見栄えのしない光景を呈していた」

米国がⅡ型であることは、日本はそれを見聞したから充分に知っている。1950年に朝鮮戦争が始まると米軍は日本の横浜/大阪(のち奈良)/小倉の三ヶ所に日本人女性の売春婦(慰安婦)を集めた米軍管理の「センター」を設置した。朝鮮の戦場から一定期間毎に交代で米軍の兵隊が送られてきた。軍隊の展開するその戦場に同行する「従軍置屋」より、軍の兵隊の方が慰安婦の方に戻る米軍型の方が、慰安婦にとっては戦場の危険性がない安全面において、利点がある。が、本質的にはⅡとⅢは、何ら変るところがない。

なお、1945年8月15日の停戦と9月2日の敗戦の日以降、米軍約40万人が日本に上陸したが、「従軍置屋」も売春婦も伴なっていなかった。このため、GHQも命令したし、また日本政府側も日本の一般婦女子の貞操を強姦から守るべく、占領軍用の売春施設を全国規模で設置した。1945年8月26日に発足した株式会社RAA協会(特殊慰安施設協会)はその一つである。RAAの最初の公告の文面は、「戦後処理の国家的緊急施設、新日本女性求む」であった。応募者が殺到し、1360人の売春業の女性が採用された。

マーク・ゲインは、このRAAについて次のように述べている。

「・・・・・・RAAは厖大な企業に成長していた。その本部には450名の事務員がおり、所属のダンサー(その全部ではないが大部分は売淫を副業とする)は2000名、いささかのたじろぎも見せぬという練達の職業婦人が350名に達するという状態だった。協会は東京だけで33ヶ所の営業所をもっているが、その中には銀座通りの有名なダンスホール<オアシス>も入っていた・・・・・・」

置屋が従軍して移動するⅢ型の制度は、「移動赤線」と呼ぶのが適切かも知れない。Ⅱ型の安全地帯に固定して開業する「固定赤線」とともに、国際的には普遍的である。何ら非難されるべきものではない。むしろ戦場や占領地における強姦を防止し性病をより減少せしめる成果においてそれ相応に評価されねばならない。売春の是非という問題だけに論点を視野狭窄させて、「従軍置屋」制度を非難するとすれば、その方が非人間性に基づいた非難である。非難されるべきは、満州や東欧やドイツでなしたロシア(ソ連)軍のような残虐極まる強姦の問題である。あるいは1990年代のセルビア兵(ギリシャ正教徒)のなしたボスニアのイスラム教徒の若い女性への、改宗の強制を目的とした、組織的・計画的強姦の問題である。

だが、日本軍の「従軍置屋」制度について真赤な嘘をもって難詰しながら、この満州や東ヨーロッパやドイツでのロシア(ソ連)軍によって生じた20世紀最悪のレイプ被害に対しては一切の言及もしない、日本の「従軍慰安婦」キャンペーンを専門とする弁護士たちは、果して人間なのだろうか。人格喪失のデマゴーグたちであるのは、いうまでもなかろう。

二、某左翼団体→吉田清治→左翼メディア→宮沢・河野の迎合

 「従軍慰安婦」「強制連行」問題は、幽霊である。幽霊を吹聴したのは「反日」運動家たちであり、非人間的なデマゴーグたちである。幽霊がさも生きている人間かのごとく動作するように機械装置と電源を取り付けたのは、自民党の宮沢喜一総理と河野洋平内閣官房長官であった。しかも、宮沢内閣総辞職の前日であった。内閣官房外政審議室の筆による『いわゆる従軍慰安婦問題について』(最終調査報告書)がそれであり、河野洋平は、この報告書についてわざわざ「内閣官房長官談話」まで発表し、その記述内容の嘘を正当化したのである。1993年8月4日であった。これらのすべてが宮沢喜一という首相の命令の下になされたのは、「反日」政治家の宮沢らしい行動だが、日本という国家が受けた傷は未来永劫に治癒されない。

 この『調査報告書』でも「談話」でも、「慰安婦の募集について、(置屋が依頼する斡旋業者だけでなく)・・・・・・官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた」と述べている。だが、その根拠となる証拠も事例も、何一つ提示していない。だが、この瞬間、吉田清治(共産党員?)が100パーセント捏造した「強制連行」の「証言」なるものが、あたかも嘘ではないとみられるようになった。宮沢喜一・河野洋平の自民党リベラル派コンビが、虚言男・吉田清治と一緒になって、ヒットラー/ゲッペルス並みの偽情報を大宣伝したのである。

「世紀の嘘」にすぎない「慰安婦狩り(=強制連行)」を捏造した吉田清治とは、重度の虚言症であろうか。吉田清治が事実を捏造していることは、その二冊の著『朝鮮人慰安婦と日本人』(1977年3月刊、以下A)『私の戦争犯罪-朝鮮人強制連行』(1983年7月刊、以下B)とを比較しても明らかである。まず、自らが語る、吉田清治の履歴は嘘だらけで、すべてが虚構である。

 2年間刑務所にいた前科者が直ちに内務省系の準・官吏的な「動員部長」に任用されることは万が一にもない。県労務報国会の会長はエリート内務官僚の県知事であり、下関支部長は内務省の下部機関である下関警察署長である。前科者が警察署長の直属する部下になるなどとは、マンガでもありえない。

 しかも、この2年の懲役刑は、吉田自身によれば、裁判は軍法会議でなされ、社会主義者の朝鮮人テロリストである金九を、そうとは知らず飛行機に搭乗させた、その「罪」によるという。また治安維持法で裁かれたという。だが、「中華航空株式会社」の「社員」である民間人が、軍人のみを裁判する軍法会議(軍隊法廷)の対象には万が一にもなりえない。また、共産主義などの思想犯をとりしまる治安維持法の法律違反者は、地方裁判所で裁かれる。また、金九は殺人・殺人未遂罪などの容疑者として、一般刑法犯の対象であった。仮に金九をかくまい犯人隠避の罪に問われたのであれば、これまた一般刑法犯である。軍法会議でなく地方裁判所で裁かれたはずである。吉田清治の履歴は、このように、100パーセントの虚偽である。

 この吉田清治(本名は吉田雄兎)の履歴について板倉由明氏が詳細な調査をしている。日本官憲が追補しようとしていた朝鮮人テロリストの金九は、1938年10月に上海から重慶に潜入した。吉田のいうごとく、金九が昭和15年(1940年)に朝鮮から重慶にいくべく「上海に入った」とするのは嘘である。吉田清治の実刑2年は、詐欺罪とか窃盗罪とか、その類のものだろう。なお、上海の虹口公園で金九が主犯となって尹奉吉に実行させた爆弾テロで、片眼を失ったのは野村吉三郎(のち海軍大将、ハル・ノートを受け取った大使)、片足を失ったのは重光葵(のちの外務大臣)、である。白川義則(陸軍大将)は死亡した。が、それは1932年4月で、1940年ではない。

 昭和18年5月の済州島での「慰安婦狩りの命令」について「家内の日記の中にそれがありました」と、吉田清治は述べている(B、156頁)。ところが吉田清治は、結婚は「昭和19年の2月上旬にした」と書いている(A、156頁)。とすれば、前者の「家内」は幽霊か妄想である。つまり、「日記」はつくり話である。吉田の二つの著作はすべて口から出まかせの小説だから、このような虚構上の矛盾が数多く発生するのである。吉田清治は戦後、下関市の市会議員に共産党から立候補している。共産党の「従軍慰安婦強制連行」キャンペーンと符合する。『赤旗(日曜版)』1992年1月26日付けに吉田清治は登場しているから、今も党と密接な関係があるのだろう。

 板倉論文と上杉論文で指摘されていない、重要な問題がある。それは吉田清治が「済州島で205名の慰安婦狩りをした」昭和18年5月頃の済州島では、「決戦下のこのごろは・・・・・・事実上の軍政を敷いていた」(B、103頁)と述べている点である。

 日本とは、日本に併合されていた朝鮮に対しても、日本本土においても、敗戦に至るまで「軍政」を敷いたことは全くない。昭和20年4~6月の沖縄での激戦中すら、軍政への移行は検討すらなされなかった。著者(中川)は、沖縄防衛戦を「軍政」下でしていれば、あれほどの民間人犠牲は生じなかったと考えている。話を済州島に戻せば、朝鮮は、昭和18年も昭和20年になっても、朝鮮総督府による平時そのままの行政機構であった。そもそも昭和18年の済州島では、空襲もなく、「決戦下」でもなかった。

 また、昭和18年の済州島には若干の日本陸軍部隊(「朝鮮軍」所属)が駐屯していたが、日本本土の内務省系の団体しかも下関市レベルの一団体に協力することなど万が一にもありえない。なぜなら、彼らは「朝鮮軍」(司令部は京城)の指揮下にあり、そこからの命令なしには一兵も動かない。とくに、陸軍と内務省は、仲が悪く、協力すべきことも協力しないのが常であった。「朝鮮軍」が改組され「第十七方面軍」となったのは、昭和20年2月である。

 さて、昭和18年5月に吉田清治らに慰安婦狩りの命令をなしたのは「西部軍司令部付きの中尉」(B、100頁)だと吉田はいう。嘘である。内務省の管轄下にある末端組織の下関市に、軍が直接に依頼することなどありえない。吉田の嘘は杜撰をきわめている。

 板倉/上杉論文のほか、秦郁彦論文「従軍慰安婦たちの春秋」も、吉田清治の「証言」のその悪質な虚偽をみごとに抉っている。秦/板倉/上杉の優れた調査と労作で、「従軍慰安婦」「強制連行」という嘘は1992年の夏の段階で完全に証明されていた。この問題は吉田清治への糾弾をもって幕を閉じていた。ところが、この嘘がその逆に転倒されて事実のごとくに独り歩きするに至った原因は、前述の通り、1993年に、「反日」政治家の宮沢首相と河野洋平官房長官が、左翼マスコミの嘘宣伝に共鳴し、それを増幅し、公的な権威づけをしたからであった。

 なお、この吉田清治の偽証言を満載した、その著『私の戦争犯罪』を真実だとした、朝日新聞の記事の嘘宣伝の罪は大きい。論説委員である北畠清泰のコラム「窓」でのエッセーが、それである(1992年1月23日付け夕刊)。それからすでに10年、北畠はいまだに訂正も謝罪もしていない。北畠論説委員は、吉田清治と同種の人格で、同じ政党に属しているのだろうか。それはともかく、「済州島で205名の慰安婦狩りをした」吉田清治は、それを「私の戦争犯罪」と認めながら、済州島の関係者に謝罪にいくこともない。お詫びの「自殺」(=自らの死刑執行)をするのでもない。どうやら天性の虚言症である。

三、「従軍慰安婦」宣伝とユダヤ人大量虐殺

 ヒットラーのナチスは、ユダヤ人に対する大量虐殺を正当化し煽動すべく、ユダヤ人が世界制覇を目論んでいる「証拠」として、かつてロシアが捏造した「シオンの議定書」を徹底的に活用し宣伝した。「従軍慰安婦強制連行」の嘘は、プロパガンダ(嘘宣伝)の技法と目的において、ナチスと全く同一である。

 ナチスはそのナチズム体制維持のための永久運動の一つとしてのユダヤ人に対するガス室等による直接的な大量虐殺(=ホロコースト)を実行し、その正当化のため「シオンの議定書」の嘘をドイツ国民に信じさせた。日本の共産主義者もまた、その信奉するコミュニズム運動の本性において、日本の過去を中傷し日本を断罪する手を緩めることはできない。過去から切断され自国へのアイデンティティを喪失した人間が「共産主義的人間」だからである。このため嘘宣伝の材料を次から次に考案していかざるをえない。「従軍慰安婦強制連行」の嘘宣伝の理由は、これである。

 ナチズム(=レーニンのコミュニズムから派生した、ドイツ民族至上の全体主義イデオロギー。スターリンをレーニンの嫡男とすればヒットラーはレーニンの庶子)やコミュニズムとは、創造されるべき「未来社会」のために、現在の人々が嘘を信じて人格が破壊されることを狙う、非人間の「邪教」である。「従軍慰安婦強制連行」という嘘に対する、真実の闘いは、正しき日本国民の名誉ある闘い、高貴な精神のための闘いである。

「従軍慰安婦強制連行」という嘘には、二つの狡猾なレトリックがある。

 第一のレトリックは、「従軍慰安婦」に「軍が関与」したという、当り前のことを強調し、「軍が女性を凌辱」という嘘イメージに連鎖させていく、それである。「従軍置屋」の慰安婦に対して、軍が性病検査その他の関与をするのは至極当然である。軍部隊の駐屯地の近辺に集まる私娼の売春婦(慰安婦)には軍が関与できないから、兵士は性病に罹患しやすい。ところが、何か重大な新発見でもしたごとく「軍関与示す資料」「政府見解揺らぐ」と一面見出しではしゃいだ新聞がある。1992年1月11日付けの朝日新聞である。「従軍慰安婦に軍が関与した」との朝日新聞の報道は、「丸いテーブルは四角でない」類いの同語反復にすぎない。

 しかも、この朝日新聞が騒いだ、陸支密第七四五号の「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(1938年3月4日)は、むしろ逆に、日本軍が実に立派な軍隊であることを証するものであった。なぜなら、公娼を募集する“民間人”の業者(置屋や女衒)には犯罪者がいるから「注意を要する」として、“民間人”業者の選定のとき、各地方の「憲兵および警察当局」から彼らの素行についての情報をもらうなどの協力を得るようにとの通達である。すなわち、個々の公娼の募集は“民間人”がしているが、万が一にも誘拐などの犯罪の被害者が慰安婦にされないよう、この“民間人”の置屋に対して細心の注意を払え、との通達であった。

 「支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当り、故らに軍部諒解等の名儀を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を惹起する虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起する虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し警察当局に検挙取調を受くるものある等、注意を要するもの少からざるに就ては、将来是等の募集に当りては、派遣軍に於て統制し、之に任ずる人物の選定を周到適切にし、其実施に当りては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す」

 大東亜戦争中の、当時の日本には公娼制度(赤線)があった。公娼制度の廃止は、終戦から10年も経った1956年5月24日の売春防止法の公布によってであった。公娼(赤線)は、内務省の管轄下にあった。風紀(良俗)と性病対策の衛生という二つの職責において公娼とその経営者(いずれも民間人)を監督したのである。だが、戦場に出征する軍に同行する「移動赤線」に対しては、内務省は担当できないので、軍の憲兵(=軍服を着た一般官吏、軍服を着た警察官)しか、内務省の職責の代行はできない。内務省に代って、性病対策の職務を軍の憲兵部隊が所轄したのである。

 スターリン下のロシア(ソ連)軍は、占領地のポーランドなどで、一般の婦女子を文字通り強制連行すべく大規模な「女狩り」をやった。このソ連の蛮行にヒントを得て、日本軍は占領地で一般の婦女子を強制的に「従軍慰安婦」にしたとの嘘が捏造されたのである。日本の共産主義者はスターリンが育成した子供たちであるが、この捏造と無関係でないかも知れない。しかし、日本軍において数年にわたって数百万人の部隊を海外に派兵しながら、ソ連のような事例はゼロであった。世界史に前例のないこの輝ける歴史事実において、我々は日本軍を「立派な祖先」として誇れるのである。現地人を「慰安婦」に強制しただけで銃殺刑に処すほどにほんの軍規は世界第一級に厳格であった。例えば、1944年にジャワ島セラマンで、一人の陸軍少佐が、部下がこの強制をやったことに対して、この部下の行為を黙認した罪で死刑になった。このとき、他に軍・民あわせて7名が7~20年の禁固刑となった。

 第二のレトリックとは、売春そのものを批判・非難する立場(見解)をもって、「従軍慰安婦」の問題と混同したり、すりかえをしていることである。例を挙げる。『従軍慰安婦』の著者である吉見義明は「慰安婦制度とは、特定の女性を犠牲にするという性暴力公認のシステムであり、女性の人権をふみにじるものである」と、威勢よく非難している。ということは、吉見義明において、「従軍」の「移動赤線」の「公娼」になったこれらの女性は、「従軍置屋」制度がなかったら決して公娼や私娼を含めて売春婦にならなかったはずだと主張していることになる。なんと出鱈目な詭弁であろうか。「従軍慰安婦」の多くは、内地や韓国においてすでに公娼であったり私娼であった。収入が必ず3倍以上になるので、その「職場」を変更しただけである。

 また、吉見義明は、「公娼」をもって「特定の女性を犠牲にするという性暴力公然のシステム」と定義して「女性の人権をふみにじる」と結論づけている。この定義の可否は脇におくとすれば、吉見とは、公娼の売春婦は女性の人権をふみにじられているが私娼の売春婦は女性の人権が守られていると考えていることになる。だが、私娼の多くは暴力団その他に管理されており、当時でも私娼のほとんどは公娼よりはるかに悲惨な状態にあった。公娼制度がなくなった現在でも私娼の何割かは極度に不幸である。公娼にだけ目鯨をたて、私娼には沈黙する、吉見の差別の論理と意図は何であろうか。

 吉見が売春のすべてを「女性の人権」問題であると仮に考えていると主張するならば、平成日本の豊かな女子中・高校生が、高価なブランド製品欲しさにあの醜悪で悖徳の売春(「援助交際」)をしている問題を、「女性の人権」問題だと一言も発しないのはなぜだろうか。ここで、吉見義明(中央大学教授)個人を批判しているのではない。「従軍慰安婦強制連行」という嘘を大キャンペーンする関係者すべてに共通する虚言と嘘宣伝という特性を、吉見という人物の言説を通じて明らかにしただけである。

四、「第二の吉田清治」-千田夏光

 従軍慰安婦をめぐる「歴史の偽造」で吉田清治に勝るとも劣らぬもう一人の人物がいる。千田夏光である。その著『従軍慰安婦』の精緻な虚構は吉田に勝る。

 歴史を捏造していく手並みのほんの一例として、その「第四章 痛哭! “挺身隊”」の一部をとりあげる。千田夏光はこの創作(フィクション)を次のような書き出しから始めている。つまり、1972年頃?にインタビューしたと言うのだ。

 「“関特演”・・・・・・の動員の中に“慰安婦”の動員も含まれていた。関東軍の後方担当参謀原善四郎少佐(のち中佐)という人物がいたが、作戦部隊の兵隊の欲求度や所持金に女性の肉体的能力を計算したすえ、“必要慰安婦の数は2万人”とはじき出し、飛行機で朝鮮へ調達に出かけている」

 「原善四郎氏は大阪市の南に隠栖されていた。・・・・・・私はそこからお尋ねすることにした」

そして、原善四郎は、次のように「回答」したのだという。

 「朝鮮総督府総務局に行き依頼した」

 「実際に集まったのは8千人ぐらいだった」

 「(最初は断った師団長も)2ヶ月とたたぬうち、やはり“配属してくれ”と泣きついて来た」

 このように、千田夏光のつくり話も、吉田清治のそれと似て、数字を駆使している。日本人は嘘数字に弱い。が、千田はその数字で自らつまずいている。1941年6月22日のドイツの対ソ侵攻に呼応して、ソ連のシベリアに東側から侵攻する動員準備としての「関東軍特別演習」は、7月28日にはサイゴンに入城して「南進」に戦略が定まったため、8月2日頃には、シベリア侵攻断念(陸軍統帥部の正式断念は8月9日)が陸軍中枢の意志となっていた。「関特演」はあっという間に“単なる演習”に格下げされた。

「関特演」の動員下命は、第一次が7月7日、第二次が7月16日であった。内地から動員された宇都宮の第五十一師団と弘前の第五十七師団は、この7月16日での下命であった。ところが、8月9日には正式の中止決定である。つまり、実質的には(7月16日~8月2日の)2週間の「幻の動員」にすぎなかった。この“奇襲”開戦の当初の予定日は8月29日であったことを思えば出産予定の一ヶ月前に自ら掻爬してしまった「机上の大動員」であったといえる。要するに、「関特演」は、実際には、上記の二個師団を除き、満鮮軍の平時編制を戦時編制に切り換えただけであった。ほぼすべての部隊は、満州と朝鮮の既存の部隊に限定された。「国あげての戦争準備」とは程遠く、そんなものは影も形もなかった。

 そうとはいえ、この「演習」はあくまでも開戦準備であったから、パールハーバー奇襲と同じく、機密のなかの機密であった。当然、“企図秘匿”は至上命令であった。だから、実際には「動員」の二文字すらなく、「臨時編制」の四文字に置きかえられていた。出征兵士の壮行会や歓送会は禁止された。以上が初歩的な「関特演」の史実である。これだけでも、もう十分に、千田夏光の荒唐無稽な創作の実態が明白になっただろう。

<千田の創作1>

 朝鮮からの慰安婦(売春婦)の朝鮮総督府への依頼、総督府による募集、「8千人」という慰安婦の集合、満州北部への輸送は、仮に7月7日に開始されたとしても、なんとたった1ヶ月未満の8月2日までに完了した、というのである。軍隊の動員より早く、かつ動員された軍隊よりその輸送も迅速だった、というのである。

<千田の創作2>

 朝鮮全土で公然と朝鮮人の面長(村長)と村の巡査とを叱咤しての、「8千人」という巨大募集は、完全に秘密裡に実行された。一個師団にほぼ近い、売春婦「8千人」と恐らくその置屋の関係者約1千人以上が、朝鮮から満州北部に完全に秘密裡に輸送された。

<千田の創作3>

 新規動員(補充)された将兵兵舎や馬の厩舎すらなく、テントその他でその場をしのぎ、それらの建設を応急的にやっているときに、この「8千人」と置屋関係者の建物だけは絶対優先で直ちにつくられ完備されていた。

<千田の創作4>

 従軍慰安婦「8千人」が仮に8月上旬に満州北部に到達したとすれば、その「2ヶ月後」は10月上旬である。「関特演」は8月9日に中止になっていた。それでも、ある師団長はシベリア用慰安婦が欲しいとこの10月頃に関東軍参謀部の兵站班に泣きついた。

<千田の創作5>

 「従軍置屋」の担当は憲兵部隊であるのに、関東軍では実戦部隊の兵站班が所轄した。

<千田の創作6>

 「従軍慰安婦」と共産主義者が名付けた「移動赤線」の公娼は、支那や現在の東南アジア地域への軍隊のあとについていき、つまり「従軍」して商売をする売春婦のことをいう。千田の場合は、日本軍がシベリアに侵攻したあとについていき、シベリアで「商売」したものをいう。だが、対ソ戦は開始されていない。それなのに、千田は、「8千人」の慰安婦がシベリアに「幻の日本軍」のあとについていった、朝鮮に帰って来なかった、シベリアで「幻の日ソ両軍の戦闘」に巻き込まれ全員が死んだ、という。

<千田の創作7>

 (杓子定規の縦割り行政機構の日本で)関東軍の一参謀の依頼で、朝鮮総督府総務局の官僚たちがすぐに応じて引き受けてくれた。また、総務局は「従軍慰安婦」の「募集」を所管する部局であった。

<千田の創作8>

 動員を開始した直後には、食糧や弾薬の輸送を担当する兵站部門は眠る間もない超多忙と激務になる。が、その中心的なエリート参謀が、のこのこと朝鮮に売春婦募集にいく時間的余裕がたっぷりとあった。

<千田の創作9>

 千田は次のように述べる。

 「父親(面長)がある日のこと頭をかかえていたのです。駐在所の警官がたずねて来た直後です。・・・・・・若い女性を集めろと言われたのですね」

 すなわち千田は、駐在所の警官が面長(村長)に対する命令権がある、巡査という末端の警官は村長の上司である、と主張する。しかし、面長の上司は郡守である。郡守の上司は道長官(道知事)である。一方、村の巡査は警察署長の部下である。警察署長は県(道)の警務部長の部下である。警務部長は、総督府の警務局長の命令に服する。

 千田夏光が明らかにしなければならない事項が、このほか三つある。第一は、本当に原善四郎にインタビューしたのか。インタビューの録音テープは存在するのか。第二は、「父(面長)」を語った韓国人(正編の111頁)は本当に実在するのか。第三は、これだけの虚偽創作は、個人で発案したのか、それとも背後の組織の命令によるのか。

 さて、韓国の国定教科書に次のような記述がある。

 「女性までも挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした」

「女子挺身隊」とは、女学生の勤労動員のことであり、男性工員などが戦場にいき極端な人手不足となった軍需工場などで、この男性工員の代りをしたのである。これは第二次世界大戦中、英国その他すべてのヨーロッパの交戦国およびスイスなどでも共通する制度であった。当時の朝鮮人は「日本国民」であったため、「内地」の日本人女学生と同等に勤労動員令の対象となった。慰安婦(売春婦)とは全く違う。似てもいない。つまり、上記の教科書の虚偽記述は、この千田夏光の『従軍慰安婦』第四章「痛哭! “挺身隊”」の虚構を知りつつ、それを盗用したのだろうか。もしそうならば、韓国の歴史教科書を嘘宣伝書にした、千田の罪は計り知れない。

五、歴史を捏造した、悪の「アジア女性基金」

 「アジア女性基金」(初代理事長は元参院議長であり元警視総監の原文兵衛、初代副理事長は元亜細亜大学学長の衛藤瀋吉)とは、「女性のためのアジア平和国民基金」の略称で、戦後50年記念事業として、社会党党首の村山首相が音頭をとって1995年6月に募金を呼びかけ同年12月に財団法人として発足した。元「従軍慰安婦」と自称する元売春婦に対して無制限かつ杜撰な調査をもって「お詫び」という名のつかみ金200万円をバラまいた機関である。彼らが本当に「従軍置屋」の公娼であったかはほとんど怪しい。「強制連行」された元売春婦など1名もいないだろう。

 要するに、アジア女性基金とは、嘘で塗り固められた虚構の上にできた組織であり、「従軍慰安婦強制連行」という「世紀の嘘」を「事実」に偽装する組織であった。しかも、現在では「強制連行」の四文字がいつのまにか消えた。とすれば、元「従軍慰安婦」と自称する老いた売春婦は誰でも一人200万円を手にすることができる(200万円はフィリピンの田舎では日本の1億円ぐらいに相当)。

 元売春婦とは売春を職業とした女性であって、それ相当の収入を得たのである。とりわけ日本軍の「従軍置屋」の売春婦(移動公娼)の収入は法外に高く、日本陸軍の大尉の月給ですら110円の時に月に300円から1500円ほど稼いだ。置屋(雇主)が月150円を取るので、手取りは月収150円から1350円であった。当時の女工の月給は50円にもならないから、その数倍から数十倍の収入であった。何故にわざわざ200万円を渡す必要があるのだろうか。しかし、アジア女性基金は、その理由をいっさい不問にしたままである。

 首相の橋本龍太郎がこれらの売春婦に渡した手紙は言う、「(売春婦が海外出兵の日本軍の将兵から破格の金をもらってセックスしたのは)女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」「わが国としては、道義的な責任を痛感」(1996年8月14日)、と。

 現在の日本全土にはソープなど風俗営業はふんだんにあり売春婦(私娼)は数十万人に及ぶ。日本の女子中・高校生の間ですら売春は大流行している。橋本龍太郎は、その相手をした男性すべてを「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」と非難するならば、新宿や六本木のネオンの下で客引きしている売春婦の傍に立って近付く男たちに毎晩「女性の名誉と尊厳・・・・・・」と説教すべきである。

 そればかりか、この「行為」に対し「政府と国民あげて日本国が道義的責任を負っている」というのだから、アジア女性基金は売春(援助交際)をする女子中・高校生に対しても、責任を負っており、「200万円」を払うべきである。売春婦に対して政府と国民が「道義的責任を負っている」と、馬鹿げた発想をした国家がかつて人類の歴史にあっただろうか。

 いやそれ以上に、この組織は倫理にもとっている。日本の道義を腐敗させる元凶ともなっている。なぜなら、満州でロシア兵に強姦されながら逃避行をつづけた日本の婦女子「30万人」のその尊厳については一顧だにしない。強姦されたあげくに殺害されたり自殺したり行方不明となった「5万人」ほどの日本の婦女子の無念さに一顧だにしない。アジア女性基金という団体とは、人間のもつべき最低限の倫理すら一切欠いている。人間としての良心が全くない。情すらない。人格の欠陥性がいちじるしい。アジア女性基金こそ、人間の尊厳性を冒涜する、史上最悪の非人間からなる組織である。

 日本という国家は、1996年8月14日、世界に発信した橋本龍太郎の「狂気の手紙」で、法的正義も人間のもつべき倫理性もすべてを放棄した。また、国家とは「法の前の平等」の番人であるから、特定の売春婦のみにバラマキをすることは、公正と、「法の前の平等」という自由社会の原則とに反し、それを蹂躙する。「宮沢・河野→村山→アジア女性基金→橋本」の、嘘と反倫理の連鎖は、日本国民から正常な人間の良心を奪っている。

 「従軍慰安婦」といい「強制連行」といい、歴史の捏造に生じた日韓両国にとっての新たな確執の火種は、何者かによって、1992年1月16/17日の宮沢総理訪韓時に合わせて、周到なシナリオのもと計画的につくられた。すなわち、日本の極左団体と極左マスコミが、朝鮮人女性がかつて「売春婦に強制連行された」という「世紀の嘘」を作為して、韓国の盧大統領と日本の宮沢首相の会談にぶつけたのである。この時、盧も宮沢も乗せられて、前者は国内向けの「日本批判のための日本批判」として条件反射的にこの嘘を事実とした。後者は無思考型の「謝罪症」だからすぐさま謝罪をなしてこの嘘を事実とした。

 しかも、このシナリオで上演された第一幕は、1991年12月6日、3人の「元従軍慰安婦」と称する韓国女性の東京地方裁判所への提訴ではなかっただろうか。第二幕が、前述した朝日新聞の「軍の関与」という嘘報道で、92年1月11日であった。第三幕目が、前述の盧・宮沢会談である。そして、同月17日、宮沢がソウルで「衷心よりおわびし反省したい」と盧大統領に表明して、この上演は大反響の下で幕を閉じ、村山首相や橋本首相の一大イベントへと引継がれていった。

 日韓両国政府は1965年、「財産および請求権に関する問題の解決ならびに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」を締結した。その第二条第三項において、次のように個人の請求権についてもすべて相互に放棄している。このことを日韓両国の政府と国民すべてに喚起して確認しておきたい。

 「一方の締約国およびその国民の、他方の締約国およびその国民に対するすべての請求権であって同日(=この協定の署名の日)以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする」

 すなわち、韓国政府も韓国民も、国家賠償であれ個人賠償であれ、日本国に対する請求権を放棄すると、このように条文で、明確に約束した。韓国政府はむろんのこと、一韓国民であっても、日本に対する賠償請求の権利はない。しかも、「強制連行」の事実も皆無である。行政サイドにおいてはアジア女性基金そのものを直ちに廃止するとともに、司法のサイドにおいても「強制連行された元従軍慰安婦」と自称する韓国女性の訴えは、直ちに棄却しなければならない。

 2002年5月1日で「アジア女性基金」は、200万円のバラマキのみは凍結する。が、それで「従軍慰安婦」にかかわる歴史の偽造をした罪が消えることにはならない。「アジア女性基金」にかかわった村山富市/橋本龍太郎/原文兵衛/衛藤瀋吉の四人の、アジア女性基金の反道徳性について、日本国と日本国民への謝罪が不可欠である。それなしに、日本国民の心の傷となった歴史偽造のトラウマは治癒されることはない。

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