読者からのお便り
本を読んで明るい気持ちに
 ・・7月からコスタリカに留学予定で、今色々と準備に追われています。貧困、人権、環境と色々自分の興味が変化していく中で、最終的に私がやりたいこと思ったことが平和でした。
 これはまずコスタリカに魅かれたことに一理あります。なぜならコは非武装中立国だからです。合衆国の目が光っている中米の国がなぜこのような宣言をすることができたのか?
 次に「大地と自由」という映画を見たことです。これはスペイン内戦の話しでした。 ・・ この映画を見た時「どうして関係のない村人が死ななければいけないの?」「何もしないのに殺される。何も残せないで何も言えないで」と何だかものすごいショックとうまくいえないのですが、何かやるせない気持ちでいっぱいでした。
 その時、やっぱり銃で殺されたらいけない。関係のない人々を巻き込んではいけないと強く感じ、平和について紛争や武器のない世の中がつくれないだろうかと考えるようになりました。そしてそんな時「平和の条件」という本に出会ったのです。はっきり言って私は本を読むことがあまり好きではありません。一冊読破することはまれなことです。でもこの本は2日で読みました。それだけ魅力的で色々考えさせられたからです。
 実は世界連邦という言葉知りませんでした。でも私が理想に思っていたことをすでに多くの著名人たちが考えていたことを知り、とても明るい気持ちになりました。しかしこの本すべてに同意したわけではありません・・
 1、世界を法で治めるということですが、法さえあれば万事うまく片付くのでしょうか。今回のペルー日本大使公邸人質事件の解決の中にもフジモリ大統領の国際法条の違反が見られます。外交関係に関するウィーン条約第22条「公館不可侵」において1、使節団の長が同意した場合を除くほか、公館に立ち入ることができない、となっています。つまり大統領は武力突入する前に橋本総理の同意が必要となっています。(確かにこの4ヶ月間あの大使館は大使館としての役目をはたしてなかったので、日本の大使館ではないという解釈であれば、この22条は関係なくなるのですが)しかし、それはなされなかった。けれども日本側はこのことに裁判を起こすようなことはしないでしょう。
 このように法というのは、そのときの状況、人間の心理、感情により、どうでも変形されると思います。また「法律で決まっていることだから」といって何でも事を済ませてしまうのは人間の情というものが失われていく要因にもなると思います。最近注目されているもう一つの話題、脳死においても法が大きく関係しています。「脳死は人の死」ともし参院でも可決され、法律になってしまったら、脳死になった人を法律をもって取り扱うことになるのです。もちろん移植を待っている多くの病気を抱えた人もいます。人間の生と死を法で片付けようとすることに私は納得いかないのです・・
 2、世界連邦は本当に実現するのでしょうか?国際法の授業で「平和の条件」に書かれているような講義を聴きました。
 「国際社会においては国家というものが国内社会を一つに治めているけれども、国際社会に於いては国内社会における国家にあたるものはない」・・「確かに国際社会にも国内社会と同じような機能を設けるという話しもありますが(世界連邦のことだと思います)すぐには実現できないでしょう・・」
 世界連邦という案は戦後すぐに出されたようですし、朝日新聞の社説も「平和の条件」の中で読みましたが、かなり昔の記事で驚きました。もう50年以上も経過しているのに、今世紀中でさえ無理だと言われた世界連邦。・・大学に入ってから1度も世界連邦の存在について友人や先生が言及したことはありません。つまりみな世界連邦の存在についてあまり知らないんだと思います。だから、この世界連邦が本当に実現可能なのか不安、不信を抱いたのです。
 3、・・私も紛争のない武力のなんて存在しない世の中が来て欲しいと願っています。だから・・フジモリ大統領の決断は少し残念・・17名が命を落としたことはやはりショックでした・・
 ・・今までラジオやTVにさえ投稿やリクエストなどしたことがない私ですが、「平和の条件」に出会ったことにお礼が言いたかったのです・・

奥田の返事
 1、法は万能ではないと思います・・法さえあればうまく片付くとは思えません。また人間を法で拘束できるのかは、物理的にできても、精神にまで及ぼすことは困難でしょう。
 日本は法治国家でありながら、殺人始め犯罪が絶えない訳ですから、世界を法で治めても、それですべてが解決できるとは思えません。世界連邦が実現しても、その先の平和については、宗教とか道徳の領域になろうかと思います。
 次にペルーの日本大使公邸の問題です。おっしゃる通りウィーン条約22条において、使節団の長が同意しなければ、ペルー官吏は公館内に立ち入ることはできません。しかし緊急の場合には、同意なしに立ち入ることはできると解釈されています。また22条2項において、ペルーは公館を保護する特別の義務を負っています。したがって今回のケースは22条違反でないというのが私の見解です。
 国際司法裁判所の判決では、17年ほど前にイランにあるアメリカ大使館員の人質事件で、今回のケースに少し関連したところがあり、参考になるかもしれません。
 「法律で決まっていることだから、といって何でも事を済ませてしまう」のは、やはり問題だと思います。法はそもそも正義、公正が基礎になっているもので、正義に反するものであれば、何でも事を済ませてはいけないと思います。
 脳死の問題に移ります。「脳死は人の死」を法律で取り扱うことに疑問を投げかけていますが、こういう姿勢は大切だと思います。
 現在法律上の死は心臓停止です。この場合の法は法律の条項で明文化されたものではなく、裁判上の判決の積み重ね、判例としてそうなっている訳です。
 人の死をどう定義するかは、人それぞれの個人の死生観、価値観に基づくものであり、どれが正しく、どれが間違っているという問題ではないと思います。しかし科学的、合理的に死というものを定義し、脳死が死であるならば、明文化しないと、今問題になっている臓器移植は殺人罪になる危険性もあるわけです。
 また現代医療の水準では、脳死状態で心臓を動かし続けることが可能です。この場合、その装置を外せば、心臓が停止する訳ですから、これも殺人罪になる恐れがあります。同時に、そうした状態で心臓を動かし続けることが果たして生きているといえるものか、よく考えてみる必要があろうかと思います。
 ちなみに日本人は死んだら魂が別の生き物に移る輪廻転生観の持ち主が多いようですが、私は死んだら終わり、その先は無だと思っています。ですから一日一日を、この瞬間、瞬間を生ある限り大事にしたいと思っております。
 2、国際社会の現状からは、世界連邦は具体化されたものにはなっておりません。しかし21世紀の課題だろうと思っております。
 国際社会が西欧に誕生して約300年・・当時、神聖ローマ帝国時代、ヨーロッパはキリスト教による封建的な一つのヨーロッパでした。30年戦争を経て、この秩序を破って、国家が誕生し、国際社会が成立しました。そのヨーロッパに戦後、統合問題が浮上し、EUが現実の存在となった訳です。
 一方、アジア・アフリカでは西欧米植民地から独立して、わずか40年ぐらいです。国家としての歴史が浅く、この地域での統合は、まだまだ時間がかかると思います。
 しかし歴史をつぶさに観察すれば、世界連邦へ一歩後退、二歩前進で、ゆっくり進んでいます・・まもなくできる国際刑事裁判所ICCもそうです・・
 日本の幕末時代も多くの示唆を与えています。長州、土佐、会津など藩は、いわば独立国のような存在でした。会津、薩摩と長州は戦争を行っておりましたし、伏見の戦いは日本の世界大戦でした。薩長同盟はまさしく軍事同盟でした。なお憲政の神様、尾崎行雄は世界連邦を世界の廃藩置県と呼びました・・
 ・・英語圏で世界連邦といえば、多くの人が知っています・・本も欧米ではたくさんありますが、日本では唯一、拙著「平和の条件」のみです。これが日本と世界の知的、文化的ギャップとなっているのでしょうか・・後50年か100年たてば人口問題等によって、食料、環境などで地球は危機に陥るでしょう。バイオ、エネルギーなど先端技術で、これが克服できれば別ですが、その頃になれば400年も続いた主権国家体制は消失していることでしょう。その時に世界連邦は実現していると思います。
 3、フジモリ大統領の決断は、結局はペルー国民の支持があってできることです。つまりペルー国民は70%がMRTAの要求を拒否していたし、テロ撲滅を公約に掲げていたフジモリさんを大統領に選んだのです。
 私も17名の命が失われたことを残念に思います。しかし民主主義を守るためにテロに妥協しないことは国際公約ですし、テロの要求に屈し、刑務所の囚人を解放することは法を無視することですから、武力解決を非難することは私にはできません。(後世歴史家の評価を待ちます)
 いずれにしてもペルーに貧困と矛盾が克服され、社会正義が確立されなければ、17名の貴い命が浮かばれません。
 「平和の条件」で一人でも感動が与えられ、共感が得られたならば、出版の意味があると思っていました。こうした手紙がいただけたことに、こちらこそお礼申し上げます・・
 
平和のための組織は
 ・・国際政治学者の舛添要一氏が「平和を得るには戦争の準備が必要だ」「平和を望む者は戦争の準備をするーこれが歴史の教訓であり国際常識である・・」(97.5.11週刊読売)
 氏の意見からすると、アジアの平和を保つために、日本に米軍基地は必要であり、核保有することにより、世界平和を維持するということも賛成になると思います。武器がなければ、軍がいなければ、平和になることができないのでしょうか。氏が言う通り私のような考えが平和ボケした日本人の典型なのでしょうか。
 でも武力による反乱があったから平和回復のために武力で抑える。これではその時は確かに平和になるかもしれないが、結局何の進歩もなく、同じ事の繰り返しのような気がします・・
 コスタリカは80年代のニカラグア・エルサルバドルにおける中米紛争をエスキプラスUという提案で平和解決を実現しました。しかし合衆国は左翼的な芽が出ると摘み取ってくれる軍事政権に巨額な軍事援助をし、その援助を受けた国ほど民主化への移行が遅れています。それに中米・カリブの紛争を新兵器あるいは戦闘部隊の実験場として利用していたのです。このことを見ても平和を得るには戦争の準備が必要と一言で片付けて良いのでしょうか・・平和を維持するのにはどのような組織が必要でしょうか・・

奥田の返事
 ・・氏の言う「平和」の定義は私や・・さんが考えている(恒久)「平和」とは違います。氏の言う「平和」は力による平和です。
 平和のために戦争の準備をすることが歴史の教訓というのは、恐らくヒトラーに対するチャーチルの苦い経験を指していると思います。もし英仏が戦争の準備をしていれば、第2次世界大戦は勃発していなかったということでしょう。
 また米ソが戦争の準備をしていたため、世界大戦が起きなかったことを言いたいのかもしれません。核があったからこそ米ソは全面戦争をしなかった、と。
 でも戦争の準備をすることが平和を得るとか、核があるから平和だというのは、一般の市民感覚、これを平和ボケといわれるものかもしれませんが、かなり変ですね。やはり核をなくし、戦争をなくすよう努力をしなければ、人類の進歩はないと思います。
 現在の国際社会の常識は確かに国家は軍備をもちます・・常識は必ずしも正しいものでもなければ、未来には非常識になるものかもしれません。現に150年前の日本では、各藩が武器を持つのは常識でした。(常識は現状の秩序を保ちたい勢力が用いる言葉では?)
 次に「アジアの平和を保つために、日本に米軍基地が必要」という見解は、日本の自衛隊を米軍が抑えるためにあるというのであれば、アジア近隣諸国は支持するでしょうが、米軍基地を中国が脅威に感じているならば、やはり考えものです。北朝鮮が何をするか分からないという不安要因が米軍基地必要論の根拠になっていますが、睨まれているのは北朝鮮のほうでしょう。
 冷戦後のヨーロッパ地域では軍縮が進みましたが、東アジアではむしろ軍拡が進行しています。日本の軍事力増強が中国を刺激しているとしたら、不幸なことです。今、中国はかなりの勢いで近代兵器に転換してます。これが日米安保の必要性を唱える世論になることに私は警戒しています・・
 ・・世界議会を作ることは可能だと思います。国連憲章22条は補助機関について規定してます。つまり憲章を改正することなしに、補助機関として議会を設置することが可能・・後は「平和の条件」に書いてある内容に向かって行くことでしょう・・
国連憲章51条
 ・・87年にノーベル平和賞を受賞した・・オスカル・アリアス・サンチェス氏についての本を読みました。
 コスタリカはずっと親米政策の国にもかかわらず、彼は大統領選の時、モンヘ前大統領が宣言した非武装中立を維持し、中米問題(この頃エルサルバドル、ニカラグアは国内紛争が絶えなかった)の対話による平和解決を主張しました。対するカルデロン候補は親米路線を推進し、米国の傘に入ることによって自国の安全と発展を実現させるべきだと主張・・この小さな国(コ)が生きる道は、それ以外にしかないというのが彼の国民に対する訴えでした。
 しかしアリアスが勝った・・その後コは平和解決を全面に押し出してきます。時の米・レーガン大統領はア大統領とは違う考えをもって、この中米問題を解決しようとしていましたが、アは同意しません・・なんて強い意志なんだろう!・・アはヨーロッパ諸国を回り、自分の平和解決案に同意をしてもらい、経済援助を頼んで回っていました。だから米と対立したことで、世界から孤立することはなかったのです。日本はもし米と対立しても他の国が日本を応援してくれるのでしょうか。
 アが訴えるのは「対話」でした。ゲリラとの対話、国民との対話、すべての人々、そして国々との対話でした。ここで問題があります。フジモリ大統領は決してゲリラと直接対話をしようとしませんでした。(1度NHKスペシャル・・大統領がコメントしていましたが忘れました)どうしてでしょうか。
 現にアリアスは直接ニカラグアのゲリラ・コントラと対話しています。やはりアの政策に不信や不安を抱いた国民もいたようです。彼らはコスタリカ国境に中米の暴威が入ってくる前にそれを防ぐため軍隊を作らねば・・という恐怖を抱いたようです。それについてアは「何という意味のない弱さでしょうか」と言っています。彼らというのは日本人も同様であるように思います。
 ・・「今までなされなかったからといってそれを実行しないであきらめてしまっいたら、恐らくアメリカ大陸が発見されることもなかったでしょうし、人類が月に着陸することもなかったでしょう。実行しないで諦めてしまったら、永遠にこの病気は治療が不可能だからといって諦めたり、戦争が続くのを諦めて受け入れたり、中米のこれから続くであろう残酷な歴史を受け入れたりしなければならなくなります」
 世界連邦も確かに今ではまだ理想とか思われるかもしれないけれど、だからといって諦めたら何もならないということですネ。
 私はこの87年の朝日新聞を読み返し、記事を探してみました・・しかしただ事実が書いてあったり、視点が米よりなんです。とても残念でした・・コスタリカの新聞「La Nacion」が「日本は平和、平和といっていながら、他の国が平和建設のために一生懸命やっていることにどうして関心を持ってくれないのか」と嘆いた記事があった・・
 ・・国連憲章51条の意味・・&ラ米諸国がこの規定を盛り込むことを求めたことも気になります・・

奥田の返事
 私もアリアスのような政治家を尊敬してます。と同時にアを選んだコスタリカの国民も尊敬しております。国の政策は、いくらアの政策が立派でも、国民の選択と支持によるものだからです。
 フジモリ大統領がゲリラと直接対話をしなかったのは、私の推測ですが、やはり民主主義の基本原理である選挙によって、国民の厳粛な信託を受けて大統領の地位にあるわけですから、それを民主主義のルールに則っていない犯罪者と対等な立場で話しあうことができなかったのでは・・ 「予備的対話」の「予備的」は、まさにそのことを表していると思います。
 次にルーズベルトの構想についてですが、ルは第2次世界大戦の戦況がどうなるかわからない時点で、早くもチャーチルと大西洋上で大戦が終わったら、どういう戦後世界にするか、について話し合っているんですね。日本は成り行き任せで戦争をして、先を見通していない時にです。その戦後世界は、ルの構想を原型に国連が誕生して、米英ソ中仏で運営することになるのです・・
 集団安全保障体制と集団的自衛権の違いは少しややこしいかもしれません。簡単に言えば集団安保は国連の体制・・集団自衛はNATO、ワルシャワ条約機構などの軍事同盟・・
 ・・国連憲章51条は集団的自衛権を認めていますが、国連の目的(憲章1条)に照らすと、問題があります。国連の目的は平和の維持でありながら、一方で51条は国連の外で軍事同盟を認めているからです。
 ではどうしてこうなったかというと、国連についての会議は45年4月サンフランシスコで始まるのですが、その前の3月にアメリカ大陸諸国は、チャプルテペック協定(規約)に署名して、戦後の相互援助条約を締結することを、既に約束していたからです。
 この協定では、アメリカ諸国はこのうち1国に対する攻撃は、全ア諸国に対する攻撃である、というような内容のものを宣言しています。
 4月から始まったサ会議で、このチャ協定の問題について随分議論に時間がかかったようです。米英ソ中でまとめた案と相容れないため、チャ協定を国連の機構の中で、どうやって調整していくのか手間取ったのでしょう。結局チャ協定を国連体制の例外として、51条の内容になったのです。(ラ米諸国を国連に加入させるための妥協の産物?スペイン語まで国連公用語に?)
 なおチャ協定の名前の由来は、私の記憶に間違いがなければ、メキシコ市のチャプルテペック城で協定が締結されているところからきています。
 ・・51条が戦後、同盟条約の法的根拠となって、冷戦下でNATO、ワルシャワetcに拡大していったことは不幸なことでした。結局戦後世界を5大国で運営していく国連体制は、機能麻痺を犯してしまいました。5大国一致でなければ国連は機能しないのです・・
読者第1号は湯川スミさん
 処女作、拙著「平和の条件ー世界連邦の目標と構想」は、ノーベル物理学者、湯川秀樹博士、夫人スミさんが、原稿の段階で読まれた。
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