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著者略歴:
水野貴司
1971年 高槻市に生まれる
大阪学院大学法学部卒
(株)審調社 業務員をへて
外資系損保嘱託調査員
(有)DMB取締役法務調査人
損保・法律事務所依頼事案調査にあたる

取材協力:
2005年9月:TBS「平成の保険の達人」番組製作協力
2006年7月:月刊THEMIS(テーミス)7月号p84にコメント掲載





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保険調査員 小事件簿





第十話
「“真実”,それは登りつめることのできない頂上からの眺望」


 「保険調査員小事件簿」の連載をはじめて,はや10回となりました。取り上げた案件はすべて筆者が実際にかかわった事案ですが,それにしても,つたない文章にもかかわらず,多くの方にお読みいただき,率直なご感想やご意見をいただけたことに感謝しております。

 第十回をどんな案件で締めるか,これは難問でしたが,書くに当たり,実際の保険調査業務がドラマのようにうまくいくものではないこと,また,それぞれの事故には当事者それぞれの人間模様,人生観があり,調査技術だけではとうてい,当事者の心情や感情といった真の意味での「真実」は見えてこないんだ,ということを改めて考えました。そうすると,一件の,物悲しい,当事者の慟哭(どうこく)が聞こえてきそうな事件に自然にたどりつきました。最後にそのお話をしてみたいと思います。

 中部地方のある湖に注ぎ込む,静かな名もなき川。そこで30代の女性が水死したという一報が入った時,まだ春まで遠い季節でした。この事案には不可解な面が多かったため,二人の保険調査員が担当しました。

 初動を担当した調査員は,事故の概要をまとめました。それによると,「女性は川面より高くなっている堤防上から車で川をめがけて直進したが,車自体はコンクリート製の川岸で後輪を岸に残す形で停止していた。運転席のドアが開いており,女性はそこから川に転落したと見られる。女性は早朝,頭部を水面に浮かす直立姿勢で溺死体として発見された」,というものでした。そして,参考情報として,この女性の亡き夫が,ちょうど一年前に同じ現場で自殺しており,夫もやはり,堤防上から自動車で突っ込む形で転落,水死したということでした。

 引き継ぎを受けた保険調査員は,早速,監察医を訪ねました。監察医は,死因についてははっきり水死であり,目立った外傷がないことから事件性はないとのことでしたが,それが事故によるものか,自殺によるものかはわからないということでした。監察医は,「きれいなご遺体だったよ。服装に乱れはないし,軽装でズボンをはいていたね」と教えてくれました。保険調査員はこの事案になにか物悲しい一面を感じながらも,事故か自殺か,徹底的に調べる必要がありました。それが任務だからです。

 所轄警察はこの件について,事件性がないということで捜査を終了しており,詳細の教示は得られませんでした。警察にとっては,犯罪性がなければ,事故であろうが自殺であろうが業務にあまり関係ないのです。しかし保険会社にとっては,事故か自殺かは大きな違いです。自動車保険は自殺に対しては支払われないからです。

 保険調査員は事故当時の車両の様子をもう一度調べました。現場にブレーキ痕はなく,むしろFF動輪の加速痕と思われるタイヤの痕が堤防上に残っていました。車内には本人のものと思われる靴が残っていました。川岸に乗り上げた衝撃で位置はずれていましたが,靴はもともとは,助手席の足元のシューズケースにきちんと入っていたと思われました。遺体は靴をはいていませんでした。車はオートマチック車で,ギアはDになっていました。エンジンはかかったままだったようです。車は4ドアですから,わざわざ運転席から降りなくても,後部座席から脱出するのは容易だったと考えられます。

 車の後部座席からは,線香が入った缶と,明らかに供養をするためのものと思われる菊の花がありました。また,女性の携帯電話も置かれていました。

 保険調査員は遺族を訪ねました。女性の母親は女性の妹とともに,現場近くに住んでいました。保険調査員は丁重にお悔やみを申し上げ,任務について説明し,遺族に協力を求めました。お母さまは重い口を開け,事故前の女性の様子を話してくれました。女性はこの事故の当日,勤務先を早退していました。勤務先には,「体調が悪いから」と説明していたようです。また,女性は亡くなる数日前に母親に,「お母さんが私のマンションに来たことなかったわね。私の部屋の合鍵をあげるから」と,わざわざ鍵を渡しに訪れたことがあったということでした。

 保険調査員は携帯電話のことを思い出し,遺族の了解を得て,遺品に含まれていた携帯電話を確認しました。遺族と共に,事故前後の通信状況をみました。留守電が残されていました。若い男性の声で,「おいおい,電話ちょうだいよー。なんで電話くれないのー」とだけ入っていましたが,その男性の名前や連絡先は分かりませんでした。電話番号として登録されている人物のほとんどを,母親も妹も知っていましたが,スケジュール機能に残されていた,「やっちゃん」という男性と思われる人物については母親も妹も知りませんでした。スケジュールには,一週間に一度の割合で,「やっちゃんと♥」という記録が残されていました。母親は言いました。「あの子は夫と死別してから,『もう二度と結婚しない』と言っていたので,男友達がいるとは思えませんがね」。

 「もうひとつお尋ねしますが,娘さんはひごろから,よくジーンズをお召しになっていましたか。」保険調査員は聞きました。母親は,「いや,ふだんは,いつも,スカートでしたね。あまりズボンをはいているのを見たことはありません。」と。また,運転する時にはいつも靴を脱いでいたということでした。

 保険調査員は当分の間,この事案と向き合うことになりました。さまざまな可能性を想像してみました。

 それ以後,保険調査員は女性の友人,勤務先など関係者を当たりましたが,女性が極端に悩んだ様子だったかどうか,はっきりしたことは分かりませんでした。ただ,女性の女友達によれば,彼女は毎月のように,亡き夫のために,現場に花を供えに行っていた,ということだけが耳に残りました。保険調査員は,役目とはいえ,これ以上女性の身辺をさぐるのは気がとがめてきました。もちろん,保険会社と綿密な打ち合わせを重ね,可能な限りの調査を行ないましたが,結局,遺書もなく,何か明確な悩みがあったと客観的に疑うに足るだけの情報もなかったことから,「ただちに自殺だったとは言えない」との報告をして調査終了となりました。

 保険調査員はこの事案を通じて,“事故”のあらゆる側面に,当事者の心情,渦巻く感情が深くかかわっていることを改めて感じました。確かに不可解な面もありましたが,保険調査員自身としては,この女性が,いつものように,夫に花をたむけようとして,運転を誤り,たまたま転落してしまったと考えたい,そう思いました。女性がかつて描いたかもしれない幸せな毎日,それを思う時,私もまた,祈るような気持ちになりました。

後日談: この件とは直接の関係はありませんが,JAF mateに興味深い記事がありました。販売されていない記事ですのでスクラップ記事を紹介します。(画像をクリックすると原寸大に拡大します。)

JAFの記事



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「保険調査員になる方法」(400円)