楽童子
      楽童子

高貴な家柄の子弟を王宮内
の学問所にて幼少よりエリート
として奏楽舞踊 詩歌等教養を
身につけさせ十五、六才になる
と使節団に随行し彼の地にて女
装で歌舞や演奏等行う男子、
外交使節団の中で大きな役割
を果たしていた
このほか 雑踊り 民族舞踊 創作舞踊 等あります
是非いちどゆっくり観賞したいですね。
昭和廿五年頃戦禍の痕も生〃しい沖縄え工事関係
者として渡り或る日田舎町に呼ばれあふれんばかり
の観客に混じって見た、戻り駕籠と云う歌舞は印象に
残りました、もー一度観たいですね・・・!!
踊りの起源は古の神事の際の手のふりから発展して
今日の舞台芸能にまでつながったと言われています
古典舞踊には次の四つに大別されるそうです、

老人踊り 祝宴の座開きに踊られる  
若衆踊り 元服前の男子が踊る予祝的踊り
女踊り   起こりは祝女(はふりめ)ノロといわれ、琉
       球舞踊の華といわれる  
二才踊り 薩州の在番奉行の歓待時に踊られた 
 
 王府は全て踊り手を上級士族の中から選ばれた
エリート男子とし外交使節の重要な柱としていた
 因みに小波津家の子弟も歴代楽童子を勤め又こ
れらを纏める正楽使として使節団に加わる 
冊封使......王冠,勅書,を携え王位継承の
認証式に中国皇帝より派遣される正一
品の行人(外交官)
(古典舞踊) 宮廷舞踊として継承発展した
 主に冊封使の接迎の席にて舞われる
琉 球 舞 踊
最新更新日
05/04/08

王府の職制

衣蜂の計
職掌一覧
楽童子
琉舞
琉球小史
家譜原本

王府の職制図表

高所

用物座

船手座

勘定座

御物座
進貢品または外国より
の贈答品を管理保管

系図座
家譜の受理保管監理

那覇里主
(那覇市長とでも)

久米村総役
(優れた知識と技能を
持って多数来琉し王府
に貢献した中国福建の
人々の居留地の長)

貝摺奉行
詳細不詳

小細工奉行
詳細不詳

納殿
ナデン
詳細不詳

書院
王の執務処の係り

下庫理
(シタゴリ)
推測警備

惣与方
(そうよほう

惣横目
治安取締りを掌管
(警察)

瓦奉行

鍛冶奉行

普請奉行

寺社方

大与座
(おおくみざ)

泊地頭

裁判・警察の監理

泊村の行政
黄硫鳥島の管理
(進貢品に欠かせ
ない黄硫が産出す
る重要な島)
住民の戸籍、寺社
の管理

主に王府内の業務
を担当

外交及び那覇、久米村
の行政担当

祭祀点描
伝承民話
琉球於ける
信仰の流れ
琉球事情
バナー
最適表示環境1280×1024
蝶
ハイビスカス
ページ末
守礼の邦(扁額)待賢門
ANNEXえ
職掌一覧
注一覧
小史の注釈
琉舞
目次
家譜原本
次1
次2
巻頭 世系図
次3
次4
原本
原本
原本
原本
原本
原本
原本
原本
表装) 
初代 朝昆
二代 朝虎
三代 朝用
四代 朝睦
五代 朝主
廃藩置県により王府消滅
1879 明治12年 朝公八歳
朝昆北京貢使に耳目官(正三位政務官)にて加わる
進貢船那覇港一斉に出港
原本
原本
(ポイントのみ掲載しております)
注  華后の衣蜂の計(三世尚真王の第二夫人)
  
   華后はわが子尚清を世継ぎにしようと、王妃居仁の生んだ維衡が私の胸に手を触れたと王に訴え、
  王の怒りをかい、それで世子を廃されたと伝わる。
    それは中国の春秋左氏伝にある驪姫(リキ)の悪巧みに類似した説話です。
  華后は維衡を庭に呼び出し胸に止まった蜂を払うよう懇願した、維衡は云われるままに蜂を払って
  やったが、華后は遠くから人に見られるように仕組んでいた、遠目では維衡が華后に戯れている
  かのように見せた、これで維衡は廃嫡にと伝わっています、 閨閥の争いを中国の説話に拠せて伝
  えたものでしょうか。
注  万国津梁の鐘の銘文

  第一尚氏六世尚泰久王の五年(1458)王命によって鋳造され、首里城正殿に掛けられた。
 これに中山国王(琉球王)の銘文が鋳込まれている。以後この銘文を国是とし国家の指針となし
 国を持してきた。  以下銘文

琉球国は南海の勝地にして           琉球は南海の勝れたところにあり
三韓の秀を鐘(あつめ)              三韓の秀でたるを取り入れ
大明を以て輔車と為し               中国は助け支えてくれる
日域を以て唇歯と為す               日本は以て唇歯の間柄であり
この二つの中間にありて湧出する        この二つの中間に在りて湧き出でたる伝説の島、
ところの蓬莱島なり、                蓬莱島の如き楽土長生の邦である
舟楫を以て万国の津梁と為し          舟と舵を以て万国の架け橋とならん
異産至宝は十方刹に充満せり          物産財宝は四方に満ちたり
地は霊れ人物ち遠く和夏の仁風を扇ぐ     地は勝れ人は満つ、又日本や中国の思いやりある情を享ける
故に吾が王大世主庚寅に慶生せる       故に庚寅の年に生を承けたる吾が王大世主(神号)
尚泰久茲に宝位を高天に承け          尚泰久王位を天より授かり
蒼生を厚地に育む                 人民を育み、産業を興す
三宝を興隆し、四恩に報酬せんが為に     茲に四恩に報いんが為 
新たに巨鐘を鋳て以て本州中山国王殿      新たに巨鐘を鋳て中山国王殿の前に
の前に就きてこれを掛着す、           掛ける
憲章を三代の後に定め              憲章を三代の後に定めて
文武を百王の前に集め              文武を百王の前に集め
下は三界の群生を済い              下は全ての人民を救い
上は万歳の宝位を祝す、             上はとこしえに宝位の続かんことを祝す
 (以下略)  
家譜原本
 A 官職名  B 職掌    C 拝命時の状況         D 推測
聞得大君 神女組織の頂点 王より辞令を戴く、王の姉妹が多く任命されている
御禰引人乃職 お仲人さん 尚温王御婚礼の際朝虎の妻が
(オネシキニン) 接迎使の夫と共に拝命
耳目官(漢名) 謁者(取次役) 正三品政務官、北京え進貢の際の朝昆の職名(王府の職名「申口方」)
大親職 家老・侍従長 国母馬氏佐敷按司加那志大親職、拝謝
任世子尚哲殿下大親職、等々
高奉行 全国田畑の管理 農政の管理を行い、春秋二回全国を巡り民状を査察、知行の領賜
(たかぶぎょう) 進貢船の管理 貢船の積荷を司る
冠船御用意主取 用意主任・代表 冠船=冊封使の乗船
惣大親 使節団の大元締 尚氏読谷山王子朝憲が薩州え謝恩使として赴くさい仰せつかる                                         
御物奉行職 財務管理の長
惣與奉行職 民事や戸籍を司る長                                        
御鎖側職 外交・内政の長官 王府中央官僚の内(表十五人衆)の中の長官名の一つ、理」   「泊地頭」「平等之側」の四長官 (総称 申口方「正三品の位階名」)                             
座敷 評定所 評議員       一般官吏(武士)は此処までが最高位とされていた                                          
与力 従者           世子尚哲公の与力を為す
許願三平等    許願、「願をかける・約束をする」 三平等、(みひら)首里王府内の三殿を巡り外交使節と
して出立前に必ず行っていた行事として記載されていることから、無事職務を全とうするこ
とをここで誓った
惣横目職 取締りの長 (警備総監とでも)
御双紙庫理職 王府内の業務を司る
御書院当職 国王が政務をとるところの係員「訳出不適当かとも」
久高島
朝日の昇る久高島
久高島HPより借用
琉球於ける信仰の流れ
Topページえ
創世神話
小史の注釈

職掌一覧


ページ末

聞得大君

蝶
ハイビスカス

王府の職制

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物奉行(ものぶぎょう財政を管轄

申口(もうしぐち外交・内政を管轄



平等所(ヒラジョ))    泊地頭      双紙庫理     鎖之側(サシヌスバ)

地方役職    所帯方物奉行   用意方物奉行  給地方物奉行

国王
 
摂政

三司官

王子 按司から任じられた(上位の貴族)

親方位の中から王子按司親方及び表十五人等によって
選出される、 (注)表十五人、諸長官によって構成される 

摂政・三司官を(上の御座)、諸長官で構成
される表十五人を(下の御座)とで行う王府
の最高審議機関
  印が評定所構成員

家臣の知行
役地の管理

黒糖ウコンなど
の収入を扱う特
別会計担当

山奉行

砂糖座

王府の財政と
薩摩えの上納
を担当

取納座

田地方
(でんちほう)

米蔵

銭蔵

仕上世座
(しのぼせざ)

宮古蔵

島尻・中頭
国頭・離島

下知役
検者
地頭代

久米島

在番
検見役
地頭代

両先島

在番
検使

諸長官以下の表記も横並びに記載するべきですが編集上止む
を得ず縦並びにしましたが序列を表したものではありません

(東恩納寛惇全集を参照致しました)

着用する冠     紫冠
階級     重役
身分     親方
官職、身分 三司官  親方
三司官座敷
呼称     親方
            黄冠
部長級 課長級 課長補佐 係長級
  親雲上    里之子親雲上
申口 吟味役 当座敷 里之子親雲上
申口座 座敷 勢頭座敷 筑登之親雲上
   親雲上        筑登之親雲上

[

]

     赤冠
吏員級
里之子
里之子、若里之子
筑登之、筑登之座敷
筑登之

重役                   管理職               一般吏員
              冠の色によって位階がわかる仕組みになっていた

譜代
新参
仁屋

百姓より取り立てら
れた士

(近世の琉球)を参考に作りました。

身分制度について
  
  三世尚真王の頃ほぼ形ずくられ七世尚寧王の時代には、大名、士(サムレー)、百姓にわけられていた。
  
  大名とは、王子、按司、親方、を言い貴族階級であり金の簪を用いた、それぞれ領地を拝領し所領地名を
  その姓とした。
  
  士は按司、親方系(里之子筋目)で要職に就いた、首里、那覇、久米、泊に籍を置いた。
  
  一般身分の士で主として下級官吏の職を与えられた筑登之筋目は銀の簪を用いていた。

  町人、百姓は黄銅の簪を挿した

チクドォン

サトヌシスジメ

家譜=系図
 
1689年系図座が設置され系持(士)と無系(百姓)があきらかになり身分制度が確立された。

家譜、始祖から代々生没、業績記録を二部作成して系図座へ提出して一部は国王の押印
をいただき各家で保管、身分証明書とした。 

系図座が置かれた
後資格を得た士


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大親職
行政府から分離
した
聞得大君・国母・王妃
世子等の侍従または
居城の家老を務める

琉球王府の職制


コラム        北のこんぶミナミの人々を潤す

 私はかねてから沖縄で各家庭で日常的によく使われる昆布について不思議な感じを持っ
ていた沖縄では昆布は産出しない、遠い北国蝦夷地の海産物を南国沖縄の人々はいろい
ろな料理によ
く使う、煮物炒め物等、お祝いに又日常でも、これだけ沖縄で昆布が使われる
ようになった経緯は何んなんだろう、本土から沖縄を訪れた人の中にはこう感じた人も多くい
たのではと思うのですが、
 たまたま王朝時代の北京えの進貢品目又は貿易品の中に大量に積込まれた重要な輸出
品であったことが記されていた、北前船によって運ばれてきた昆布は大阪商人が薩摩え持ち
込み中国えの輸出用として琉球え送られ王朝末期には輸出品の70%を超え国内総生産量
の10%が中国えの唯一の正式交易ルートとして琉球から輸出されていたことを考えれば、
 そのお裾分けとでも言いますか、民衆の食生活にも大いに影響を与えたとは考えられます。
 
 沖縄の代表的昆布料理 クーブ(昆布)イリチー(炒め煮
  
昆布に豚肉、コンニャクを加えて炒め煮をして最後に蒲鉾を刻んで入れて仕上げる簡単そうで
 すがもう少し詳しく書けばなかなか手の込んだ料理でお祝いには欠かせない一品だ そうです
 
その他色々
 
ここまでは珍味を得た民衆の微笑ましい姿ですが
蝦夷から琉球に昆布が届くまでのルートを切り開く人間の営みに惹かれるのです、
 新しいマーケットを切り開くパイオニア達これ等に絡む政治的な利権屋、逞しい商魂これに
目を付ける国家てき政策それぞれの思惑とは関係なく生まれる庶民文化この場合食文化で
すがこの中に入り込んでみると何かありそうですね、何れまた。

コラム

コラム琉球と昆布

後に
昆布座
なども設
けられた


位階 第二尚氏三世尚豊王の世代にほぼ骨子が確立された

     (ウエカタ)       (ペイチン)    (チクドォンペイチン)   (チクドォン)       (ニヤ)

新参 =

仁屋 =

(琉球小史)と併せて
ご覧下さい