天津
天津は北京、上海、重慶とともに、中国の四つの直轄都市のひとつです。。 人口1000万人の異国情緒ある都市で、また近代的港を持つ大工業都市でもあります 最近はめざましい経済成長をとげ、今も変貌し続けています。 一方古き良き物がなくなることを悲しむ声もあがっています。
よく晴れた一日、天津から来ている学生の帰省に便乗して 私たちも日帰りで天津に行ってきました。 彼の実家にお邪魔して、ご両親に案内して頂き おひるご飯は天津で有名な「拘不里包子舗」(犬も食わぬ饅頭) という老舗のレストランでご馳走になりました。美味しかったです。 骨董屋がずらりと並ぶ古文化街は 工事中でなにも見ることができませんでした。 街の中も古い民家の取り壊しでごったがえしていました。 落ち着いたらもう一度行って見たい町です。
*残念ながら天津の画像保存をうっかり削除してしまい、 天津の写真はここにあるだけです。*
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駅前の大時計、デザインに迫力があります。
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街灯、これもすごいデザインなのでシャッターを押しました。 こんなに電球が必要なのかな?と思ってしまう。
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海河にかかる「解放橋」 租界時代は「万国橋」と呼ばれた開放橋だった。 再び開放橋として大きな船を通す計画がある。 近くに大きな船形のレストランがあった。 前、大きな船を作ったのに橋が閉鎖されて通れなくなったので 仕方なくレストランにしたのだそうである。
天后宮
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船の安全を守る神娘娘を守る廟 「三大媽祖廟」のひとつ。 他の二つは福建省の「ほ田」の「祖廟」と台湾運林県の「朝天宮」である。 日本にも長崎など多くの「媽祖廟」がある。 昔このまわりには市や芸人がたち、お祭りも催され賑わった。
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祭りの様子を伝える陶製壁画
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媽祖信仰
天津港・天津
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最盛期の様子を伝える見事な陶製の壁画,
天津は隋の時代開かれた北と南の大運河が交わった地点で、 中国の南北から物資が集り、港町としておおいに栄えました。 明代には皇帝がここから船に乗ったので「天津」と呼ばれました。 またここに軍営もつくられました。 北京に近い地なのに天津人の言葉に独特の「天津なまり」が 今も残るのは、軍営の兵たちが安貴省あたりの出だったからだという説があります。
清朝1860年の英仏連合軍の北京占領による 「北京条約」によって天津は海港地となりました。 その後1900年の「8カ国連合」の占領で列強は天津に 祖界地をつくりました。 その頃の洋風建築が今も残り、最近は修復保存に努力しているようです。 1900年代後半から「洋務運動」が起こり 天津はその拠点となりました。 軍事、鉄道、電話、金融、工業として発展しましたが 近年その発展がにぶり 北京、上海に比べて大きく差をつけられていました。
しかし、1992年の改革開放の号令以後 目覚しい発展っを続け、最近は脚光をあびている天津です。
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天津泥人形
有名な民芸品に「天津泥人形」と「楊柳青の年画」 がありますが、今回はゆっくり見学できませんでした。 日本で有名な「天津甘栗」や「天津麺」は天津の 名産品ではありません。
北京の風
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