ロシア・マガダン 嘆きの仮面
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私と夫は2005年9月から1年間 マガダンの北方国際大学ですごしました。
スターリンは終戦後、国内政治犯はもちろん、日本人を始め57万人もの兵士と
民間人を満州などから連行し抑留し、最長10年もシベリア開拓のために強制労働をさせました。
その中でもロシアの奥地マガダンは 抑留者を震え上がらせた地獄の地と言われたました。
ロシア全土に400か所の収容所をつくり、森林の伐採、石切り,鉱山の採掘が主の仕事だった
ょうです。最近の調べで 女性も数百人いたそうです。
シベリヤ抑留での死亡者は5万5000人 そのほとんどが餓死だったそうです。
実は私の母は 父戦死の報が来ても遺骨が来ても 戦死を認めず
シベリア抑留に望みをかけ5年以上あきらめず夫の帰りを待ちました。
歌「岸壁の母」の気持ちだったことでしょう。
マガダンにも その犠牲者たちの鎮魂の記念碑が 街を見渡す丘の上にに建てられていました。
マガダンの街なかにある県庁舎やアパート群は 日本人が作ったものとか。
その建築レベルは今もマガダンの人々に賞賛されていました。
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マガダンの街を見下ろす丘の上に巨大な石の碑が建っています。
「嘆きの仮面」とよばれています。
スターリン時代の犠牲者を弔い、平和を願う碑です。
マガダン近くにあったいくつもの収容所の名も表示してあります。
ロシア人だけではなくいろいろの民族の石碑が建っています。
アジアの人々も石碑もあります。
日本人捕虜がその中に含まれているかどうかは定かではありません。
シベリアに連れてこられた日本人捕虜は50万人以、マガダンには3000人
来ていたといいます。
ロシア人の反体制の考えの人や罪もない多くの人々が流されてきています。
学生にきくと後に宇宙ロケットを設計した科学者や、ソ連時代の高名な演劇の
役者もマガダンに来ていたそうです。
ロシアの「流刑の習わし」はスターリン時代以前からあり、トルストイの「復活」
などにも詳しくその流刑の様子が書かれています。
とても悲惨なことでもありましたがが、流刑者たちがこの地に残していった、
中央の高い文化の香りはこの地方をある意味で知的で豊かなものにしています。
流刑者の中にはこの地にとどまって結婚し人生を終えた人も大勢いたとききます。
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ユダヤ系の人々の碑 アジア系の人々の碑などありました。
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ゲルトネラ湾
マガダンノ海岸線は中央に飛び出しているので左右両側に二つの湾があります。
私達の宿舎の近くはナガエボ湾です。
今日はじめてもう一つの 「ゲルトネラ湾」に行ってきました。
こちらの眺めは島や遠くの山脈が見え変化がありすばらしい眺めでした。
海の水質もこちらの方がきれいで、夏には海水浴ができるそうです。
雪どけの水が海に入り込む時の真っ青な川面色はそれは美しいそうです。
今日は川面はまだ凍っていました。
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この凍結した海に車をくりだして車のスケートを楽しむ若者たちがいます。
何度も事故を起こしていて、テレビでも注意をうながしていますが、
若者にはこのスリル満点の遊びがたまらないのでしょう。
勿論、廃車寸前の車を滑らすのでしょうが
この湾には数え切れない車が沈んでいるはずです。
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マガダン一帯には金が出ます。
昔はこのあたりで子どもでも金を拾うことができたとか。
今もマガダンの奥地で金の採掘が続けられており、コマツなど日本製の採掘機械が
多く輸入されています。
金鉱は国のもので、マガダンに来たからといって金が安く買えるわけではありません。
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