厦門大学campus風景  
          
          


創立80周年を記念して現代建築の本部、校舎ができました。

   


風情のある運動場



サッカー部は強いらしい。


        

        一年生は 美人揃い 






南国ならではの美しい並木道
学生は寮からこの道を歩いて校舎に向かいます。




広場 

アモイ大学概要

創立  1921年
創立者  陳嘉こう
全国重点総合大学
16学院・33系、52本科・27博士課程
職員数3100人・学生数1,5万人
面積146k平方メートル     図書館蔵書235万冊

創立者 陳嘉こう(1874〜1961)
シンガポールなどで莫大な財をなした華僑で
、福建省の教育文化のために
私財を投げ打ち、彼自身は晩年、清貧の暮らしだったとか。
他に集美(大学、高校、中学)学園地区、華僑博物館なども彼
の寄付によって開設されている。

留学ご希望の方はこちらへ・(厦門大学海外教育学院)





魯迅像
魯迅がアモイに来たのは1926年9月4林語堂らに迎えられて、
アモイ大学で「古典文学」の研究講義をしました。
しかし4ヶ月半で広州に旅立ちました。





厦門大学人類博物館
かなりのものが陳列してあります。








バスケットボールを楽しむ学生





   16 厦門大学外文学院及び日本語科
      創立30周年記念行事
2002.12.25

上記のことを記念して様々の行事が20日から開会式に続いて、
21日〜23日『翻訳と文化国際シンポジユウム』が開かれています。
日本及び中国国内の各大学の先生方やアモイ大の卒業生が沢山出席されました。
日本の大学からは15人ほどの参加でした。
講演の内容は

 『日本語教育における待遇表現
 『翻訳と文化』
 『発話行為と配慮行為』
 『中国古典文学の日本語的翻訳法』
 『文章表現能力獲得の過程と文化の相互翻訳』
 『日本語教育の現状・出版社から』

現場で日本語教育に携わっている私にはとても勉強になりました。
聴くだけなのに缶詰状態の2日間はやはり疲れました。
いくら内容がよくとも話す技術がないと相手に伝わらないものだと、改めて感じた
たりもしました。

          

           ねむの花 と 外文学院

 演芸会


夜は来賓歓迎の演芸会が学生達の手で催されました。

3年生が『楊貴妃別伝」という喜劇をやることになり、その中に日本の踊りを
入れたいというのです。
「先生日本の踊りを指導していただけませんか?」と頼まれたのが10日ほど前。
はて、踊りの素養は二人ともないし、困りました。
しかし、そこはKの器用なところ、
「何とかやってみましょう」と返事して
昔、町内会で踊ったことのある経験を頼りに、自分で「振り」を創作してしまいました。
振付師K先生誕生の巻。私の役はゆかたの着付けです。
踊りはにぎやかな「北海盆歌」を選びみました。
3・4回練習しただけで本番は大成功。男子学生も含めて上手に踊りました。
ゆかたも似合いきれいでした。
劇も素晴らしい喜劇になったので拍手喝采でした。3年生もなかなかやるものです。
そのうえKは他のクラスの合唱指導も引き受けてしまい
『かえるの合唱』を輪唱で指揮しました。
お客さんに喜んでいただきよかったと思います。
何よりも学生たちが楽しそうでしたし、クラスの雰囲気もまとまって良くなりました。
私たちにとっても大忙しの「国際シンポジュウム」でした。

やれやれ日本人教師も大変です。
いいか悪いかは別として「頼まれたら、なんでもこなせる日本語教師?」
になりつつあります。







 

合唱指導                    パラパラにわたしも参加(クリスマス祝会)




 15 日本語能力試験 その1    2002・12・1

今日アモイ大学でも日本語能力試験がおこなわれました。
福建省全域から受験生が集まりました。

私たちも結果が気になるところです。
Kは今学期3年生の「聴解」を担当し、もっぱら受験に向けての授業をしました。
アモイ大学の日本語科全体がこの「日本語検定の成績結果」にこだわり、
良い成績をおさめることが、アモイ大学の名があがり、また良い学生が集まる。
というわけで眼のいろがかわっていました。
だからわたしたちもその方針に従い授業をしなければなりません。

去年まで4年生で1級を受けていましたが、
今年から多くの学生が3年で挑戦することになりました。
落ちてももう一度挑戦できますから・・
中国の大学の日本語科の学生なら、ほとんど1級に合格して卒業していきます。
しかし「何点で合格したか」が大学も本人にとっても重要なことらしいです。

日本人のわたしからみると、
日本語一級程度は日本語のスタートラインに着いたばかり、
「大学なのだから、暗記暗記の試験だけが全てではないよ」
といいたい気持ちもあるのですが・・
かれらの健闘を祈りましょう。


 日本語能力試験  その

学内で試験を終えた学生達に会ったので
「どうでしたか?」と何人かにきくと「まあまあー」だったという返事。
「とてもとても・・駄目でした。」という答えはほとんど聞かなかったから
だいたい大丈夫でしょう?
学生は次の学期6月ごろ、また「中国独自の日本語能力試験」を受けねばならず
一番難しい8級には「古典文法」も出るので大変です。
今回の日本語能力試験の内容を書いておきます。

日本語能力試験概要
  実施者 財団法人国際教育協会
      国際交流基金(国外)
  実施地 日本の12都市、国外39カ国のなかの100都市
  認定基準 1・2・3・4級
      1級(高度の文法・漢字2000字程度、語彙10000程度のレベル)
      4級(初歩の文法・漢字100字程度、語彙800程度のレベル)
  試験構成 1級
       文字・語彙45分 聴解45分 読解・文法90分  計180分
          (100点) (100点) (200点)     計400点
  受験料 5200円(中国は100元ぐらい。学生には大金

  カンニング

先日の「日本語能力試験」の2級を受けたある学生の話によると
試験中にカンニング中の学生を見つけた試験教官が
その学生に退場を命じたけれど
「絶対していない、出て行かない」とゴネて
、大変だったとのことです。
おかげで他の学生達はリズムを壊されて試験がうまくできなかったと
嘆いていました。
カンニングしたのはアモイ大学の学生ではないそうですが・・
その方法は携帯電話で答えを教えあっていたようで、
他の教室でも同じことがあったようです。

やれやれ、以前に日本の試験開場でも中国人のカンニングが
多発(鉛筆で机をたたき暗号を出し答えを教える)したことを
中国人留学生から聞いたことがあります。

他の外国のカンニングの様子やその数はわかりませんが、
日本と中国を比べるとやはり中国人のカンニングは多いと思います。
というより中国人はあまり罪悪感がないようです。
どんな方法をとってでも良い点を取りたいというバイタリティーを感じますし
、困っている友を助けて何故悪い?
という感じもあり、みつかってもいなおるのです。

私の授業中の試験の時、いつも
「カンニングをしてはいけません」黒板に大きく書いて試験を始めます。
しかし一寸眼を離すとやっています。
出来る子が出来ない子に教えているのです。
中国人の鷹揚さと逞しさと人情さえ感じますが、
ここは絶対許してはいけないところです。がんとした態度でのぞんでいます。
「法を守る事」の大切さはこれから国際社会でもとても大切なことです。
大学側でもカンニングには厳しく望んではいます。
北京のとき一年の期末試験でカンニングしてバレた子がいました。
その子は卒業しても卒業証書はもらえませんでした。

話変わりますが
アモイ大学の中に「民族資料館」があります。
なかなか良いものが沢山揃っていて先日日曜日も2人で行ってきました。
中に「科挙」の試験の時に使用したというカンニング用の冊子が陳列されています。
それは5センチ四方の小さな紙のノートで、
それに極小の漢字がびっしり書き詰めてあるのです。
昔の受験者はこれを衣類に隠しカンニングしたのです。

改めて中国のカンニングの歴史の古さと、
エリートになるための競争の激しさを感じたことです。



         

          風情ある 男子寮




 14 日本語コーナー

どの大学の語学部も「日本語コーナー」「英語コーナー」なるものがあるようです。
これは授業以外の時間、例えば放課後や夜に、
日本語に興味と意欲のある人が集まり、日本語で交流し、
日本語の上達と日本の理解を深めるというものです。
しかしなかなか長続きしないのが現状です。

本来は学生自身の手で発足するのがベターですが、
たいてい最初は若手の中国人教師が音頭とり、はじめたあと
、「学生で運営していきなさい」ということになります。
または奇特な日本人教師がいて「〇〇先生を囲む会」と言う形で立ち上げ
、その教師がボランテアと熱意で一人で運営していく形もあります。
私が 北京の専門高校でしていた形は
金曜日の午後4時から『日本語コーナー」と言う時間が私の授業数のなかに組み込まれ
、一年から3年まで学生が自由に参加するという形でした。
これは長続きしました。能力試験の質疑応答などもこの時間にやりましたし
、討論会などもやりました。

さて一ぱん的な「日本語コーナー」の場合
運営には強い力でリードしていく学生が必要です。
しかし試験試験に追われているので、その役をかってでるものはいません。
都合のいいときだけフラリと参加したいのです。

この大学も去年「日本語コーナー」が若手教師の音頭とりで発足しました。
毎週金曜日7時から。校舎の前の庭で交流しましょうというわけです。
最初は 日本人留学生も5・6人来てくれて盛況でした。
それに私もなるべく協力するようにしていました。
しかし、日本人留学生は自分の中国語の勉強には役立たないこともあり、
数は減るいっぽうです。
日本人無しで中国人学生だけで会話しても意気があがりません。

そのうち日本人は私だけと言う日もあり、
私一人で30人以上を相手に2時間の会話をする時もありくたくたです。
休もうかと思っても私を待っている学生がいるので
ほとんど毎週でかけることになってしまいました。

しかし今学期から私の授業数が増え疲れが出てきたので、
夜のボランテアのエネルギーがなくなり、しばらく休むことにしました。
学生にその後を聞くと、
「金曜日に行きましたが誰もいませんでした」とか
「ええまだ やっていますか?」の声が返ってきました。

ちなみに「英語コーナー」 のほうは続いているそうです。

なかなかむずかしいものですね。
               

                    大学正門
  13  小学校    (受験勉強)

        1978年に一人っ子政策が実施されて以来、親達はたった一人のわが子の成功を
        強く願うようになった。
        現在の中国で成功するには、まず大学にいくことが必要と信じ込み、
        親たちはその為には
        どんな代価も惜しまないと思いつめてている。
        まずその第一関門は良い小学校に入ることである。

        戸籍のある場所の学校に入学することが原則なのだが、
        親はコネを使い子供の戸籍を移したり
        越境入学費を3万元近くを払ったりして有名校に入れたがるのである。
        ある有名学校では
        60人クラスが12組もできて児童数が激増し問題が多くでてきた。。

        児童は 6年後の中学入試のために勉強勉強の毎日である。
        40分の授業を5・6時間,背を伸ばして おしゃべりもせず、聞き入る。
        帰宅してからは毎日10時ごろまでかかる宿題をやりとげるのである。
        また学期末テストに全区共通統一試験がおこなわれる。

        日本のような学級崩壊の噂は聞いたことがない。 
        日本はなぜ、学級崩壊など多発してきたのだろうか。
        豊かさのせいなのか、家庭教育のせいなのか、
        社会全体のありかたの問題なのか・・・・

        いつぽう、中国では
        都会で小学生が子供同士で夢中に遊んでいる姿を
        ほとんど見たことがない。
        しかし旅先で農村の子供たちが川や野原で伸び伸びと遊んでいる姿を何度もみた。

        学校では知識偏重で、音楽、絵画などの情操教育の時間は少ないようである。
        が、こども達は習い事もこなさねばならない。
        町々には少年宮やピアノやダンス、書、絵やコンピューターを教える塾ができ
        日曜日に特別に習っている子も多く、日本並に大忙しである。

      
  12 中学校    (受験勉強)
       (日本での中学を初中といい、高校を高中といい、6年間校もあります。)

     98年に教育部は中学入試の為の教科内容が過重すぎると判断し
     「受験のための教育」から「素質を伸ばす教育」の方針を打ち出した。

     その1つとして進学する中学校を機械的にコンピューターで配分することにしたので
     こどもたちは一応、試験地獄から開放されたにみえた。
     しかし、戸籍単位で配分される校区内に最低ランクといわれる学校がある場合、
     親たちは コンピューター配分を拒否し、戸籍を移したり、
     助成金を払ったりして有名校に入れるための
     対策を打つことに変わりはない。
     また地方のの優秀な子は親戚などをたよって都会に住み、
     越境在学する例も多くなっている。

     学校ではコンピューター配分のおかげで、
     以前は良い進学率をおさめていた重点有名校は生徒の学力にばらつきが出てしまい、
     教師はどういう生徒を中心に教えれば良いか
     わからなくなってしまた。そして毎年99パーセントの進学率を誇っていたのに
     その達成は不可能となってしまった。
     しかし 区からは以前と同じ、99パーセントの進学率を求められ、
     親からも成績アップを求められめられ教師の悩みは大きいらしい。

      子供の人格は平等であるけれど、性格やIQは違うにだから、
      無理があるのいは当然。


        なんだか東京都の高校受験学区制の話しによく似ていませんか?
        東京都はそのため、都立有名校のランクが落ちてしまい受験生の、私立高校志向が
        強くなました。
        すっかり 都立校への期待や人気が落ちてしまったといわれている。
        もっとも「学校格差」を無くすということがねらいだったのだから・・
        競争原理がある以上、この問題はなかなか難しい。

        いま、中高校で
        教師達は詰め込み教育を強行し、放課後も生徒達をしめつけざるをえない。
        朝7時半登校、夕方5時半下校、宿題は11時までの毎日が6年間続く。
       
        「中国の子供ほど自分の時間を与えられず、つらい勉強をしている国は
         世界中どこにもありません。
         しかし、そうしないと誰も安心できないのです。
         子供たちは自分の意思で知識を学び,自身を成長させ、その結果としての成功を
         喜ぶようになるべきなのです。しかし・・」とある中学校長はため息をもらしたという。


  
    11 暗黒の7月 その3 受験勉強

 毎年だいたい5月から9月ごろまで「暗黒の7月」という病気が中国を襲うという。
 受験生をもつ家庭はもちろん、その予備軍の小学生の家庭まで感染するするそうである。
 家庭では受験生が地獄の苦しみにあえいでいるこの時期、親達は細心の注意を払い
 受験生中心の生活が続く。
 もちろん試験日も親は付き添いわが子の成功を願うのである。

 私ははじめて中国の大学に来た時、地方から入学してくる大学生のほとんどに親がついて
 来ているのを見て、そのその過保護ぶりに驚いたものであるが、まさに大学入学は
 幼いときから何年もかけてきた親と子の共同作業なのでありその成功の晴れ舞台に親も
 参加したいのも無理はない。

 中国にはまだ「受験塾」なるものはなく、受験準備は高校で全ておこなわれる。
 考えれば、それが当然のことであり、受験産業がまかりどうり、塾なしでは
 合格を望めなくった日本はの教育環境はおかしいのではないだろうか。

 中国の小、中高の先生は忙しく大変でその働きぶりには頭が下がる。
 と同時に「勉強さえ教えていればいい」というのは楽だともいえる。

 たくさんの問題をかかえた、荒れた、日本の高校、全然勉強をしたくもない学生相手に
 生活指導でクタクタの日本の先生もまた大変なのである。
 中国の 中高教師は
「何人の学生を重点大学に入学させたか」が評価の対象となるらしい。
  
  高校の勉強ぶりはすさまじいものがある。
  前にも書いたが、山東省のある重点高校には食堂の椅子がないという。
  それは一刻も早く食事を済ませて、勉強をさせる為だというからいかにかれらの
  受験競争が過酷かがわかる。
 
      
      
 

 
  
    10 暗黒の7月 その2 募集者増加の背景

   ◎人口のわりに大学が少ないし、日本のによう有名私立大学がないので
      競争がますます激化し、学生の負担は重く家族をあげての受験競争に
      世の不満、批判が大きくきくなってきたこと。

   ◎激しい選抜の中で試験問題が難解になりすぎ新聞などで、問題視されるようになったこと。
      例 ○ 国語学者が「こんな問題はわたしには出来ません」と訴えた難解な問題。
        ○ 数年前の政治科の問題 「国有企業を活性化するには」でこれは
          専門家でも難しいといわれた。
        ○99年の作文課題「もし記憶が移植できるなら」であった。。

    ◎国内の大学に入学できない受験生は外国留学を目指すようになったこと
       TOEFLを受け米ドルを使って英語圏への留学、日本留学、また教育の基礎。の
       しっかりした旧ソ連の国々への留学者が増えている。
       この数十年で数10億元が外国に流れたことで、政府は学生を国内に留めるべく
       募集者増員の決定を下した。
  
    9 暗黒(黒色的)の7月  
            その1
(中国の大学入試の仕組み)

   中国の受験生やその家族にとって、入試が行われる7月は
   「暗黒の7月」とよばれています。
   この中国の入試制度についてお伝えします。
   人口は日本の10倍以上ということを頭に置いて読んでください。


     ○中国の大学生の割り合いは人口1万人に25人。
      また、1990年の中頃までは同年齢の20歳から25歳の青年人口のなかで
      大学生の占める割合は4パーセントだったといわれる。
      この数字は世界の低収入の国より低いといわれていた。
      最近年々学生数増加の傾向にあるが、なんといっても人口の多いこの国では
      いまも 激しい受験競争がつずいている。

    国立大学   1000余校
       募集総数 1999年以降増え続けている。
                     
          本科生 (学士課程)     
               1998年は108万人
               2002年は275万人に増加

          修士課程
               1998年は5万8000人
               2002年は19万6000人に増加


      選伐方法  国が一括して行い「全国大学統一入学試験」という

      事務室   高等院校「大学・高専)招生弁務室

      試験日   7月7日・8日・9日(10日)
                       来年度より6月7日・8日・9日になる


       科目   文系・理系とも5科目 (配点はそれぞれ150点)
                      午前  ( 国語・数学・外国語)
                      午後  (化学または政治・物理または歴史)

                       アモイ大学の学生の話だと
                       750点満点ではなくて900点満点だというので
                      大学独自の採点科目が1科加わるのか、よくわからない
                                           
            ○ 試験問題作成  弁務室が委嘱した各科数人づつの大学・高校教師


      受験生は、志望大学を複数書いて出願する。
      合格者数は 省・直轄市・自治区 ごとに割り当てられているので、統一試験が同じであっても
      不合格になることがあり、不平等感もある。
      最低合格ラインは450点前後だが北京の学生は合格しても、他省の学生は割り当ての関係で
      不合格になる場合もあり、不平等感はいなめない。

      北京の大学の場合、同じクラスでも地方から来た学生と北京の学生との入試合計の差さが
      50点も開くこともり
      地方の子はそれだけ難関を突破してきているということになる。

      最近専門学校や私立大学も増えてきて受け皿は大きくなってきているが
      名門校の競争率は高く 「黒色的7月」 という言葉がうまれた。




              鳳凰花

   
  
      暗記・暗記
    
    学生たち、特に2年生は試験試験で休む暇も無く見ていてかわいそうな気がする。 
    各授業のテストのほかに全国統一の英語4級、6級テスト、日本語4級テスト
    コンピューターの試験などが次々にあり、義務づけられている。

    12月に行われた日本主催の「日本語能力試験」に続いて6月の「中国の日本語試験」である。
    授業も毎日、月〜金まで6時間もあり彼らは特別のことが無い限り欠席はしない。
    まことに中国の学生はよく勉強するし、けなげである。
    学校側とって今度「中国高校(大学のこと)日語考試」の結果が大問題である。
    日語科の全国なランク付けにもなるとあって学生に発破をかけている。
    今、 学生たちは試験用のテキスト問題ばかりをすることになり暗記暗記の毎日である。
    もちろん試験には「会話力」のテストは無いし、総合的な本当の日本語力が測れるともいえない。

    あまりにゆとりのない学生達をみていると、果たしてこれでいいのかと考えてしまう。
    大学で 「外国の言葉を勉強する」ということはもっと深みや幅があっていいと思うのだが
    気分てきにも時間てきにも学生にそのゆとりはない。
    だからその国に対しての興味やテーマや面白みを味会う気持ちが育たない。
    与えられたものを消化していくだけで精一なのである。

    日本語らしい日本語・日本の気候や文化・歴史・・文学ときりはなせない日本語・
    日本の人々の日々の生活や情感のなかで育まれてきた日本語の言い回しやリズムや美しさを
    もっと知ってもらいたいと思うし、自分からも興味をもってもらいたいと思う。
    日本語を中国語に直訳することはできても、、中国語を日本語らしい日本語に訳すことは
    なかなかできない。
    せっかく日本人教師がはるばる来ているのだから、うんと活用して
    文法や言語学だけでは割り切れない 語感や微妙なニュアンスやその背景にあるものを
    感じ取ってもらいたいと思うのだけれど・・・
    
    「先生 高校の時は大学に入るという目的がありましたから、猛勉強にも耐えられました。
    いま、ただ次から次にくる試験を、暗記して消化していくだけです・・
    日本語はひとつも楽しくありません。」と一人の学生はつぶやいていた。

                       

                            
   
                       
             大学の裏は海  すばらしいデザインの横断橋




 7 学生気質 ・ その2(迷子)

会話の時間に「迷子」と言う単語が出てきた。
学生に「迷子になったことがありますか?」
と聞くと誰も迷子になどなったことなど無いという。

私は改めてかれらの幼年時代に思いをはせた。
大事に育てられたかれらは、どこに行くにも大人に手を引かれて歩くわけで兄弟は
いても一人なので大人の手は空いている。
また小学校時代、父母や祖父母の学校の送り迎えが4年生ぐらいまで続く。
帰宅すれば宿題が待っているので外で遊んで迷子になる時間もない。

そういえば大都会では子供たちがたむろしてしたり走りまわっている姿をほとんど
見たことはない。

私たちの幼年時代、迷子になって母を探し回ったあの日、夕焼けを背に心細い気持ちで
一人家路を急いだあの頃は今になって見るとかけがえの無い素晴らしい時に思えてくるのだが・・






 6 学生気質 ・ その1(どこか変)

学生の作文にあった話である。
2年生のクラス14・5人でで海岸にサイクリングすることになった。
出発して間もなく、二人乗りしていた男子学生の自転車がパンクしてしまった。
彼らは前を走るクラスメートに大声で知らせたのだが気が付かずに皆行ってしまった。

あいにく近くに修理屋も見当たらず二人は取り残されてしまった。
修理屋を探しやっと修理して目的地にいる皆に合流したのは2時間半も経ってからであった。
ところがその間、クラスメートたちは誰ひとりとして、二人が居ないことに気づかず、楽しく団欒して
汗だくで到着した2人を見てやっと気が付いたという。

作文の中で学生も反省して書いているのだが
「このことはなにを意味しているのでしょうか」と

今の中国の大学生は過酷な勉強一筋で来ているので、自分以外への関心が非常に薄いようである。
悪気はないのいだが、自然や周りのものへの興味が少なく他者への心配りができない。
勉強以外に日常の社会的な経験を積んでいないので精神的に純で幼い。
人からしてもらうことには慣れているが、人になにかをしてやることが思いつかない。
中国の親たちは「勉強以外はなにもしなくていいから」という生活を長年子供にさせているらしい。

もちろん全ての学生がというわけではないし
なかには非常に気がきく学生もいる。
その子の家はどんな家庭なのかちょっとのぞいてみたい気もする。

勉強はするが、何かが足りないという学生達を見ていると中国の未来も少し心配になってくる。





  5 一人っ子の話 ・2


北京の学生は一人っ子が多かったが、ここアモイ大学のわたしのクラスでは三分の一が
一人っ子で、あとは兄弟がいる。
政策実効前、つまり上に兄や姉がいるのなら話はわかるが、弟妹のいる子も多い。

彼らの話によると、「親は罰金を払いました」というが、外国人の私から見ると
それではなんだか不公平な感じがしなくもない。

こちらは農村地帯ということ、中央の政策がそれほど徹底しないこと、
南国のおおらかさが影響していることなどいろいろ原因はあるかもしれないいが、
本当のことはよくわからない。

ともあれ 「中国の一人っ子政策」 はこの国の人口の多さを見るに付け、
やむおえないことだと思う。中国に来てみて初めて理解できることである。

しかしその影響が子どもたちいろいろと出てきている。
親や周囲の期待が大きすぎて、勉強!勉強!と小さい時から強いられた結果、
日本と同じようにノイローゼや、家庭内暴力なども出始めいる。

また祖父母を含める家族全員での甘やかしののため、
自己中心的で、人の気持ちのわからない
甘えた人間が育っていることも事実である。
最近、大人たちもそれに気付き、親をはなれて、
日本のボーイスカートのような環境に入れたり
街の美化運動で掃除をさせたり、いろいろ努力はしているようである。

中国も経済の豊かさとも相まって、そのうち日本のように、
「崩壊学級」 「成人式での幼稚なバカ騒ぎ」
「ねぶた祭りのからす軍団」 などなど
甘えきった若者たちが増えていくだろうという予感がする。


                       




   4 一人っ子の話 ・1


これは、大学のある先生から聞いた話です。

その先生が北の方の大学に勤めていたとき、
一人のものすごく優秀なの学生がいました。
彼は大学院も出て、研究員として勉強し、将来を嘱望されていたそうです。

彼は一人っ子でした。
大学内の宿舎に一人住む彼を
、お母さんは頻繁にたずねて世話をしていたそうです。
彼は研究以外は何もできず、
母親のしてくれるままに日常の生活をまかせていたそうです。
その日、父親の用事で母親は家に帰ることになり
暖かい食事を用意して、練炭火鉢で部屋をあたたかくして
彼の部屋を出ました。

次の朝母親が来た時、彼は、練炭ガス中毒で死んでいたそうです。
一人っ子を亡くした、両親の悲しみは、はたで見ておれなかたそうです。

練炭はガスが出ること、部屋で使うなら
 換気が必要なことの常識もなかったことになります。

勉強はできても、それ以外のことは何もできない子、生活日常のことに感心を示さない子、
他の人に興味や関心のない子
が増えていくのは悲しいことですね。







1年聴解の授業




             
 

    3 授業風景 



2年生の会話の時間は一クラスは30名、本科生と自費生の混成クラスです。
日本語能力試験の2級3級、の受験が12月2日に終ったばかりで、
教室に和やかさが戻ったところです。

彼らは、日本語を習い始めて1年と4ヶ月、今カタコトの日本語をどうにか話し
、私のゆっくり話す日本語だけの
授業をなんとか理解できます。 
作文となるとまだ日本語になっていない部分も多いですが・・・

しかし、外国語を専攻している日本人学生に比べて、中国の学生の方が、
外国語を「聞く・話す」ということの習得が
早く、即実践に役立っている気がするのですが、どうでしょうか。



今日の会話練習は

  父  おい、ちょっとタバコかってきてくれないか。
  娘  あら、 お父さん、タバコやめたんじゃなかったの?
  父  いいから、さっさと買ってきなさい。
  娘  お母さんに叱られるわよ。やっぱりやめたほうがいいんじゃない?
  父  いいから、つべこべ言わずに、早く買って来い。
  娘  じゃあ、おつりちょうだい!    以下省略



というところをやりました。
使用している教科書は「くだけた会話」「です・ます会話」「丁寧な敬語のある会話」となんでも
入っています。
学生たちも日本語のむつかしさがじわじわとわかってき始めたところです。
いつも 2人づつ組ませて劇風にやらせるのですが 
今日は途中から、この会話をかれらの「お国ことば」でやらせてみました。

彼らは、全国から来ているので、大喜び、出るは出るは
標準語(北京語) ・みん南語 ・上海語 ・広東語(香港語) ・韓語 ・あと四川・吉林・山東などの
なまり言葉でイキイキとした表情で演じてくれました。
おなじ福建省でも,川を渡るともう言葉が違って、聞き取れないそうです。

彼らは小さい頃から、言語の多様さに触れながら、そして少なくとも二つ以上の言葉を
使いこなしながら成長して来ているわけです。
こんなことも、中国人の語学習得の巧みさの原因の一つではないかと思ったりしました。


                        







  
 2 日本語教育



中国は暗記教育が徹底していて,学生は小学生の時からそれに慣らされています。
学生達に「ここから〜ここまで範囲でをテストする」と示してやると安心して暗記してきます

しかし、授業中に話したことを含めた全体から出題するというと
範囲が漠然としているのでとても不安な顔をします。

暗記は得意だが、考えかたに、幅や遊びがなく、
みな同じ正しい模範解答が返ってくる傾向にあります。

最近、暗記教育を反省する動きも出て来て、
「考えさせる」授業を試みる先生もいます。
しかし、政治体制の問題もあり、
あまり自由奔放に物事を考える人材を創るのも考えものでしょう。

外国語を習う場合、やはり初級の時はまず「暗記」が大切だと思います。
その点、中国の学生は暗記が得意ですから、
初級の段階では、進歩が早いといえます。

            


             

      1 教科書



中国の教科書は学生が自習と暗記をしやすいように創ってあります。


  ○新しい単語は自分で辞書で調べなくともその課ごとに、
   日本語が対になって載っています。(
         (予習に単語の意味を辞書で引く作業がいりません)


  ○文章の訳も後のページに全部ついています。(アンチョコ付)
    (長文を訳することが重要ではなく、まず単語と文法を覚えさせる。)、
    ( そして「話す,聴」くを重視。
       「会話文」からなる教科書も多く出版されてきいます)


  ○日本語の録音テープが付いています。
    (自分で何度も聞いて日本語のイントネーションなども自習できます)
 

 というわけで、中国の教科書は学生の手間がいらないだけに,
そのぶん暗記に専念できます。
だから教科書の進み具合が日本より早いわけです。

2000語近くの単語をイッキに覚えてしまうと
、簡単な聴き取りも、会話もだいたいできるようになります。
中国の教科書は分厚く、上・下2冊になっていて、
文法・単語・文例・問題・回答・日本語訳が
ぜんぶ入っています。

このやり方は効率的でいい方法だとおもいます。
そしてある程度の言葉を覚えてから、
作文などで辞書を引く作業が始まるわけです。
文法の伴うこの「基礎日本語」の授業は中国人の先生の担当です。

「ヒヤリング」と「会話・発音」は 主に日本人が受け持ちます。
また、3・4年の古文文法、文学、上級作文、日本事情、新聞、
なども日本人が教えています。 
なかなか効率てきな授業のやりかただと思いますがどうでしょうか。

後は、学生の勉強の意欲にかかっているわけですが、
ここの学生は南国ということもあってか、北京の学生にくらべ
やや呑気な気がします。

それに、日本語以外の授業時間も多く,週に3日は夜9時半まで授業があり、いつもいそがしそうです.





             

キャンパス内はあまりに美しいロケーションなので結婚写真撮影で賑わいます。


学生も職員も退職職員も大学内に住んでいます。
学生数2万人ですから全部で全部で4万人ぐらいになるかもしれません。
広さはコロンス島よりも広いとききます。
だから赤ん坊も子供も老人もいて和やかです。
物売り乞食さえキャンパスを歩いています。
この開放的な雰囲気が大好きです。


             

            服務員コミニティセンター、図書館、休憩場、卓球場などあります。


                


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