しなの鉄道視察旅行リポート
2003年7月26日 公共交通をよくする富山の会・事務局
初めての「視察団」
2013年にむけて富山までの北陸新幹線の建設工事がすすんいる。一方で、北陸新幹線の開業に合わせて北陸本線をJR経営から分離とすることが政府・与党間で取り決められている。これは、北陸本線の将来に様々な問題を投げかけている。
私たちは、一昨年「JR北陸線・ローカル線の存続と公共交通を考えるシンポジウム」を開催した。これが契機となって「公共交通をよくする富山の会」を発足させた。昨年11月の第2回総会では、北陸新幹線開業後も展望した公共交通のあり方と、北陸本線の今後の課題などを取り上げた「提言−孫 ひ孫の時代にも暮らしに便利な北陸本線のために」を発表した。
かねてより会員のみなさんからは、北陸新幹線の長野までの開業に伴って、JR経営から切りはなされ第三セクター鉄道となった「しなの鉄道」の現地調査を望む声が寄せられていた。 7月4・5日の二日間の日程で「しなの鉄道視察旅行」を企画。「会」初めての「視察団」を結成することになった。「視察団」には、県内参加の15名に加え、国労北陸地本2名、それに在来線を守る長野県連絡会から私たちの話しを聞きつけた国会議員秘書が「ぜひ勉強させてほしい」と急きょ現地参加し、総勢18名となった。
私たちは、しなの鉄道について調査する内容について世話人会で討議し、全会員にも意見を求め、まとめたものを長野県へ事前に送った。初日は、この質問にそって県の説明を受け、夕刻からJR東日本・しなの鉄道・長野電鉄の労働者、在来線を守る長野県連絡会との交流会を予定した。二日目は、しなの鉄道に乗車し、旅行気分も味わいながら「視察」という計画である。
今回の「しなの鉄道視察旅行」は、長野県としなの鉄道渇社の両方から話しを聞きたいと願っていたが、しなの鉄道会社からは「弊社はまだまだ再建をはじめたばかりであり・・・全国から視察の要望がございますが、弊社へのご視察はお断りしております」の返事だ。しかし、しなの鉄道渇社からは、経営方針や改革メニュー、若干の経営指標などが送られてきていた。
信越本線・二本木駅のスイッチバック
長野にお昼頃到着するには、直江津でおよそ一時間の時間待ちだ。接続の悪さにみんなブツブツ。この待ち時間をつかって、事前に「視察団」が集まることもでなかったので「結団式」?をおこなった。団長に奥田淳爾代表世話人を、そして事務局メンバーを選び、日程などを確認した。
車窓から眺める信越本線沿線の山々、木々はとても深い緑である。一面に稲の緑が生える北陸本線とは違って、変化に富む山々の風景に吸い込まれる。と、突然に列車が反対方向に動きだした。一瞬、何が起きたのかと驚き伸び上がって窓の外を見る。25‰の勾配区間に設置された二本木駅のスイッチバックだ。私たちがキョロキョロと窓の外を見ているので、「昔からこうなんですよ」と地元のおばあさんが声をかけてきた。
二本木駅は1911年(明治44年)5月1日の開設である。優等列車は二本木駅に停車しないで、スイッチバックせずに直通で走る。「視察団」の一人、辻さんはこの春まで車掌としてJRに勤務していた方で、この線も勤務したことがあると懐かしそうに目を細める。途中の駅で乗車した小学生の一団が手に手に虫かごをもって「昆虫採集」だといって妙高高原駅で降りていった。生活と結びついている路線である。
「県民ホール」とガラス一枚隔てた知事室
長野県庁の一階「県民ホール」(富山県庁の「県民サロン」のようなもの)で交通政策課の方と落ち合うことになっている。「県民ホール」に入ったとたん、「えぇ〜ここに知事室」の声があがる。「県民ホール」とガラス一枚隔てて知事室である。あいにく知事は不在。知事室に向かってカメラを向ける人、名刺をもらいに受付へ行く人、「富山では考えられないことだ」とポツリつぶやく人、みなさん興味深く眺めている。
係の方が迎えにこられて、私たちは議会棟の最上階の会議室へ案内された。長野県企画局交通政策課・しなの鉄道対策主幹兼新幹線在来線対策係長の秋山優一氏と二人の職員の方がすでに着席しておられる。奥田惇爾団長の挨拶もそこそこに、自己紹介は省略して早々に説明を受けることになった。秋山氏の説明は、柔らかい口調で、要領よくまとまっていてムダがない。
以下、今回の「しなの鉄道視察旅行」で学んだもの、考えさせられたものを重点的に列記する。
田中知事は、しなの鉄道の「上下分離方式に否定的」
01年(平成13年)12月しなの鉄道経営改革検討委員会は、「しなの鉄道経営改革に向けての提言」を発表した。この「提言」は、「上下分離方式」や並行在来線にたいする国の公的負担を求めるなど、私たちの会でも当然、注目するところとなった。
「提言」は、「県としなの鉄道との役割分担をあきからにすること、県等の負担に一定の限度を設けること」が重要だとしたうえで、「線路、電路等の下部インフラの3分の2程度を県等が所有する上下分離方式が適当である」とした。
これに関して、今回の視察で明らかになったことは、「田中知事は上下分離方式には否定的」
であるということだ。それは、「イギリスの上下分離方式は、インフラの保守がおろそかになり、事故が多発」した。「鉄道は本来上下が一体となって運営されるべきもの」という理由から、“知事は否定的”であるという説明だ。
イギリスの列車事故とは、2000年10月のレールトラック社の事故を指している。ロンドン発リース行きの列車がハットフィールド近くを通過したとき、レールが300の破片となって砕け脱線した事故だ。イギリス国有鉄道が100近い民間企業に分割され、鉄道に必須の技術などが失われてきた為に起きたという見方がある。イギリス国有鉄道の「民営化」そのものについて検証されなくてならないと考える。
そこで、質問をすると、この事故は知事にかなりの衝撃を与えたらしい。「上下を分けると責任の所在が不明確になりモラルハザードをおこす」として、一つは、鉄道はシステムとして成り立っており上下分離すべきではない。もう一つは、後からも取り上げるが、県が103億円の実質的な債権放棄をすることで、一日8000人ほどの乗客をかかえるしなの鉄道は、県が下部インフラ部分をもたなくても、運営できると、知事は考えているというのである。
私たちは、北陸本線が第三セクターとして運営することになった場合、「上下分離方式」も重要な検討課題の一つと考えている。 「上下分離方式」については、青い森鉄道が「公設民営」として開業している。近鉄が廃止した北勢線は、沿線自治体が買い取り、整備・維持を含めて管理に責任を持ち、三岐鉄道が運行のみを請け負うという上下分離方式をおこなっている。EUでは、上下分離方式となっている。改めて研究をすることが突きつけれたといえる。
しなの鉄道経営改革委員会の国への「提言」と、国への要望
私たちが「視察旅行」をおこなった理由の一つに、「しなの鉄道経営改革検討委員会」の「国への提言」がどのように扱われているのか、その実際を聞きたかったこともある。
この「国への提言」は、地方交通機関の役割を明らかにし、「均衡ある国土の発展という見地」から「総合交通体系における地方鉄道交通のあり方に関してのビジョンを示すこと」とし、財源問題については、道路特定財源の活用を含めた検討を求めている。また、「並行在来線の下部インフラについて、3分2程度を必要最小限とする公的負担制度を確立し、国がその2分1を負担するとともに、地方負担分について地方交付税算入等の財政措置を講じることを」などを求めたものである。
長野県は、「国の負担については、国への要望書として提出する」ことにしているという。
現地の労働者との交流会で、在来線を守る長野県連絡会の松澤氏は、この「提言」が@国にたいして公的支援を打ち出していることA鉄道経営にたいして一定の「使命」感をもっていることを「評価できる点」として上げた。
また、「提言」の問題点としては、国、県に対しての要求はあるが、JR東日本に対してどう要求をしていくかが明確でないとした。さらに、「提言」の最大の弱点として、@軽井沢・横川間の復活を提起していないことAモーダルシフトを含めた交通体系を提起していないと指摘した。
これらは、共感できる指摘である。私たちが昨年まとめた「提言」では、人と環境にやさしい公共交通網の確立と、国策としての北陸新幹線建設であることなどを明確にして問題点を指摘した。
しなの鉄道の資産の軽減対策
JR資産の購入のために県が、しなの鉄道に貸し付けた無利子の103億円は、2007年(平成19年)から毎年約5億円の返済がはじまる。しかし、「この返済は不可能」であると、昨年11月知事は債権放棄を表明している。しかし、債権放棄をしたらといって経営が好転するのは難しい。
しなの鉄道から送られてきた手紙には、「弊社は平成13年度決算において債務超過に陥り」「平成16年度の3年以内に減価償却前利益を黒字に転換するという経営目標」を掲げていると書かれている。このことは県も強調した。さらに、手紙は「昨年は人件費の削減や、その他各種経費の削減、駅の売店や車内広告などの契約を大幅に見直し」「平成14年度決算の見込みでは減価償却前損益が6,200万円ほど黒字となり、目標設定1年目で達成できそうな状況」となったと書かれている。
優等列車を運行していた複線・電化の鉄道施設を引き継ぎ、第三セクターとなったしなの鉄道にとっては、保守費など当然過大な負担になる。鉄道事業固定資産は帳簿価格で135億円。減価償却は今年3月末の損益決算書によると4億8,429万円となっている。また、JRから引き継いだことで固定資産税は、10年間は2分の1に減額されるが、10年後から満額を支払わなくてはならい。
そこで資産の見直しをおこない黒字を少しでも出すために、「資産の一部を県が引き取ることや、資産の再評価を検討する」ことで、資産の軽減対策をすすめている。
大変な苦労を政府・与党合意は長野県民に押しつけたものだ。「視察団」には、税の専門家も銀行員もいる。帰りの列車のなかでは経営状況をめぐって話題満載である。今の制度のままでは、次は富山でも同じことがおきる。
JR資産の有償譲渡に、知事は疑問をもっている
なぜ、JR資産は有償譲渡でなければならなかったのか。この「視察団」の質問に、一つは、JRは民間企業であり、無償では株主の合意は得られない。次に、当時の県企画局が交渉したが、長野オリンピックに合わせることになったために時間切れとなった。最後に、知事は、こうしたことに疑問をもっており「今後検証していく」と議会で答弁している。予期されたものだったが、「今後検証」という知事の姿勢に期待したい。
九州新幹線建設促進期成会では、第三セクターによる経営が成り立つよう事業用資産の無償譲渡、税制上の優遇措置などを要望していることを、交流会で知った。私たちが昨年発表した「提言」でも明らかにしたように、国の責任による整備新幹線建設であることをはっきりさせ、加えてJRの責任ある役割を求めていくことの大切さを改めて感じさせられた。
有償譲渡となったJR資産の範囲についての質問には、「遊休地を含めて、ほぼ全部」だという。ところが、北陸経済連合会の調査では、「有償譲渡の際の資産の範囲は、しなの鉄道では鉄道事業用最小限とされ、駅前駐車場などは今でもJRの所有である」と報告されている。
JR貨物としなの鉄道
北陸本線は、日本海側の貨物の動脈である。しなの鉄道には、西上田に貨物・オイルターミナルがあるだけで、比較にはならない。東北本線沿線の運動があって、国鉄の分割・民営化時に低く抑えられていた貨物の線路使用料(アボイダルコスト)が引き上げられたことは、第三セクターとなった並行在来線の経営にとっても重要なことであった。
JRが長野・篠ノ井間を手放さない訳は−旅客流動調査から−
JR東日本は、長野・篠ノ井間の乗客数などはわからないとしていたらしいが、昨年12月長野県とJR東日本が共同で調査した「長野・篠ノ井間の旅客流動調査」がまとまり、「視察団」に資料が渡された。この旅客流動調査結果によれば、長野・篠ノ井間の輸送密度は26,800人/日・キロ、運賃収入は14億800万円という試算である。しなの鉄道全線で8,200人/日・キロであるから3倍以上の輸送密度である。区間別では、篠ノ井・上田間13,600人/日・キロ、上田・小諸間7,100人/日・キロ、小諸・軽井沢間2,800人/日・キロとなる。
運賃収入では、しなの鉄道が22億1,000万円である。1キロ当たりの計算をすれば、しなの鉄道3,400万円、JRの長野・篠ノ井間は1億5000万円と、約4.5倍にもなる。長野・篠ノ井間の利用者がどの方向から流出入しているのかという分析では、1日当たりの総利用者30,754人のうち、松本方面から6,169人と約20%、しなの鉄道からの流動が13,930人と約45%を占めている。
「JR商法」とはよく言ったもので、儲からないところはさっさと手放すが、儲かることころはしっかりと握っている。「美味しいところだけ残す、JRの都合のいいやり方だ」の声が県からも聞かれた。 長野・篠ノ井間のしなの鉄道への移管が実現すれば、北陸にとっても新しい流れが開かれる。
鉄道資産の譲渡に当たって施設・設備の補修は
北陸本線の電化完了は、1965年(昭和40年)9月30日で、複線化は1969年6月1日片貝・黒部間を最後に完成した。北陸本線は電化完了から40年近い年月が流れ、電柱のヒビ割れ補うために鉄板を巻いて補強をするなどかなり古い設備である。だから、譲渡にあたってJRがどれだけ補修をしたのかも聞きたいところであった。
どうもJRは、しなの鉄道の大物の変電所やレールの補修は若干おこなったようだ。現在、JRは施設・設備のアフターについては「終わったものとして交渉のテーブルにはついていない」。今、しなの鉄道では、ペンキの塗りかえなどでかなり手がかかっているという。
安全問題と鉄道技術の継承
「視察団」の3分1は現職のJR職員とOBである。当然だが、安全問題や労働条件については鋭い。県の説明では、修繕などの難しいものはJR長野総合車両所へ持って行き、定期検査や検修は、長野電鉄系でしなの鉄道も出資している長電テクニカルサービスでおこなっている。
県は、 「事故を起こすと一発で終わってしまう」、だから「安全のレベルを下げることはしないで、JRの保守基準はそのままやっている」と、安全対策に手を抜くことはないと力説した。
保守費を節約するために「小諸・軽井沢間は最高スピード100qを85qにダウンして保守費を節減」した。また、材料は会社で一括購入することや、緊急性のないものは先送りしたり、入札制にしたり保守費の削減対策がすすめられているとの説明があった。
交流会で、しなの鉄道へのJR出向社員は、技術の低下が心配になっていると語る。技術の継承は、経験者が(実際には嘱託で残っている職員が主であるらしい)新しい社員を指名して教えているという。これにたいしてJR出向社員は、「外からの技術研修が入ってこない」のは安全にとって心配だと訴えた。
JRからの出向者は、最初100人を超えていたが、しなの鉄道「会社概要」では14人となっている。県は、JR出向社員を大幅に減らしたのは「人件費がふくらむため」と説明した。
しなの鉄道労働者のベースアップは、この2年間わずかであり、プロパーの賃金は低く、新卒者であれば出向者の賃金の半分ぐらいだという。また、交流会では、「YES,I,CAN:NOといわない対応」など「しなの鉄道行動基準」についても批判的な意見が出された。
ワンマン化についても検討されている。「3両編成でも大丈夫か」の質問には、「長野電鉄では3両編成でおこなっており、それをみてワンマンへ踏み切る」という。また、機械的にもカバーできる方向も検討していて、さしあたりは、上田・軽井沢間でラッシュ時を除いて実施するということである。安全問題は、経費削減との狭間で、多くの課題が存在している。
しなの鉄道の運賃は高いか?
しなの鉄道の初乗り運賃は160円である。第三セクター鉄道運賃の比較(平成12年度)でみると、しなの鉄道以外の第三セクター初乗り運賃の平均は172円となっている。また、1人キロ当たり平均旅客収入は、しなの鉄道で10.5円、しなの鉄道以外の第三セクターの平均は20.7円である。しかし、「視察団」の一行は「高い」という感覚で受け取った。第三セクター鉄道のなかでは確かに低い方の料金であるが、私たちが比較の対象となるのは、日常的に利用しているJR運賃との比較であるからに違いない。
しなの鉄道の運賃は、開業時にJR東日本の運賃水準を基本とすることで出発した。「しなの鉄道は3年ごとにしか値上げしないと約束していたのに、昨年11月、1年6ヶ月で値上げした。今年の秋にもまた値上げするかもしれない」との発言が交流会であった。
しなの鉄道と新幹線の乗降客の競合を心配している「視察団」に県は、新幹線を利用する通勤者などは「新幹線に動く人は動いてしまっているのではないか」と述べつつ、対抗手段として「着席保証のあるライナー」を走らせているとした。
開業以来、旅客数は毎年2%程度減少する傾向にある。県は、計画では97年(平成9年)38,126人、01年(平成13年)41,069人、06年(平成18年)41,572人である。しかし、実際には97年(平成9年)35,552人、01年(平成13年)31,879人であり、「新幹線が開業することでよくなると計画していたが、逆に計画との乖離は大きくなる」と説明する。
トレインアテンダントとサポーター制度
しなの鉄道会社からは、「視察」の丁重なお断りがあったが、県庁を訪ねた翌日、渡辺と酒井は上田駅で降りて、せめてしなの鉄道本社の社屋だけでもカメラに収めておくことにした。
上田駅に降りると車内にいたトレインアテンダント嬢もホームに降りた。私たちと一緒にホームに降りた老夫婦の質問ににこやかに応えている。トレインアテンダントは、昨年9月から配置された鉄道関係では全国ではじめての試みであるという。「駅ホームと電車の段差が大きく利用しずらい」との意見に応えて、乗降の介助、荷物の持ち運び、案内サービスもおこなう。制服は、民間企業からの無償提供だという。私たちは声をかけたくなって、昨日は県庁を訪ね今日はしなの鉄道に乗車して20人ほどで視察している富山の民間視察団だと目的を告げると、「えぇ〜すごい。北陸でもこちらのようになるんですか」と驚いた様子だ。トレインアテンダントは4人いるそうだが、この時の出面は1人だ。写真を撮らせてもらった。
しなの鉄道は、地域の応援を得ながら経営改革をすすめるため駅ホームの枕木や、車両内に協力者の氏名を刻んだプレートを掲示するレールサポート、トレインサポート制度を発足させた。現物にはお目にかかれなかったが、鉄道への関心を呼び起こしていく試みとして歓迎したい。
バイオトイレは、見学できなかったが1,000万円ぐらいかかるという。
上田駅温泉口で降りて、しなの鉄道本社の写真をとり、ぐるっと回って反対側の上田駅お城口へ回ることにした。しなの鉄道本社側から踏切の中程に立ち、上田駅を望む線路を眺めていると、上田交通の線路もあるが、ローカルの第三セクター鉄道の様相とはとてもいえない規模である。東京と長野、さらには直江津を介して富山、そして新潟を結ぶ線、まさに東京と北陸地方を結ぶ幹線として建設された信越本線である。
しなの鉄道本社と上田駅周辺
上田駅お城口に向かって歩くと、まず目に入ったのがイトウヨーカドーの立体駐車場である。すぐ横にもう一つ立体駐車場が建設中だ。「駅の正面に大きな駐車場をつくって市の交通政策はどうなんだろう」と思いながら、街の中にはいると、「コミュニティー」と書いた地図の看板が目につく。その看板に絵がかれた道路を歩き始めると、居酒屋の亭主が「ご旅行ですか」と声をかけてくる。「コミュニティーと言っても車は何にも制限はしていない。なんか一つ工夫があってもいいのにねぇ」といいながら、「上田城や武家屋敷へ行かれたらどうです」と道筋を教えてくれる。
県では、鉄道と車との共存を考えて駅の近くに有料駐車場を設置し、増設する方向だという。「月極駐車場利用大募集」のチラシを見つけた。「しなの鉄道駐車場一覧」と書いてあって、上田
駅駐車場A(温泉口)1ヶ月11,214円、小諸駅駐車場1ヶ月8,000円、滋野駅駐車場1ヶ月3,600円などと7ヶ所が書かれている。しかし、上田駅前の立体駐車場はそれとは違う。
コミュニティーとしなの鉄道の関係について聞きたかったが、県の説明にはあまりこのことはなかった。
居酒屋の亭主に、せっかく観光名所教えてもらいながら、私たちは信濃国分寺駅へ向かう。
新設駅・信濃国分寺駅とテクノさかき駅
信濃国分寺駅は、昨年3月29日に開業した新設駅で一番新しい駅だ。列車を降りて改札口へ向かおうとすると、列車の最後尾から車掌が飛び降りて、私たちの前に立ちはだかるように切符を受け取った。おばあさんが一人、切符を車掌に渡すと「途中下車無効ですよ」と注意している。テクノさかき駅では車掌が降りてきてこなかったので、多分抜き打ち的にやっているのだろう。
信濃国分寺駅もテクノさかき駅も、私たちが降り立ったときは「無人駅」である。窓口のそばには、「この駅は、しなの鉄道鰍ゥら上田市が業務の委託を受けて行っております」と書いたプレートが貼ってあり、営業時間は7:00−10:00と18:05−20:15と書かれている。テクノさかき駅は朝の営業時間は同じ時間だが夕方は15:10−20:00と書かれている。県の説明だと滋野駅ではタクシー会社が委託を受けて切符をあつかっている。
交流会では、「中間駅は自治体負担のうえに委託、その委託がさらに孫請けになっている」と報告された。
欧米の多くでは、料金の収受を車内で行わない「信用乗車」、つまり乗客の良識を信じる方式が取られていると聞いている。県庁での懇談の時、ワンマン化にともなって「信用乗車」をも視野に入れている話しはあった。
テクノさかき駅とコミュニティバス、身障者スロープとエレベーター
テクノさかき駅に降りると、まず目に入ったのがテクノさかき工業団地の案内看板だ。坂城町は、内発的地域産業振興の取り組みとして全国に紹介されてきた町で、上田盆地と長野盆地の間に挟まれた千曲川沿いにある。駅を降りると、ゆったりと時間が流れている感じがした。
その看板の側には、コミュニティバスのバス停がある。北回り・南回りの二系統があって一週1時間30分程だという。料金は200円(中学生100円、70歳以上無料)で福祉施設などを経由
し、坂城駅とも結んでいる。コミュニティバスの車体には「信州観光バス」と書かれていた。
信濃国分寺駅には、車イス用のスロープとエレベーターがある。道路からスロープに入ればホームまで行ける。向かい側のホームにもエレベーターで行ける造りになっている。テクノさかき駅にはスロープがある。
テクノさかき駅にみる−車としなの鉄道−
テクノさかき駅の観光用パンフの棚のなかに、「しなの鉄道利用促進坂城町協議会」のリーフレットを見つけた。このリーフによると「長年の運動と5,690万円の寄付により実現したテクノさかき駅」と紹介されている。さらに、昨年4月から前年比で1%の利用者減となり、「開業して3年ほどは有料・無料の駐車場があり、国道18号からのアクセスの良さなどから利用者増となりましたが、ここへきて新しい課題が見えてきました」と書かれている。
前日のヒアリングでは、県は企業回りをやってはいるが、「坂城の企業は大きな駐車場をつくっている。車がやはり便利なようだ」と語っていたことが思い出された。
私たちは、富山港線の路面電車化を考えたとき沿線や終着駅などにパークアンドライドの設置や、公共交通不便地域をコミュニティーバスでつなぐことを提案したいと考えているだけに、こうした現状に関心を寄せざるを得ない。市民の鉄道への意識をいかに高めるかがとても大切であると考えさせられる。
信越本線の長野以北はどうなる
今回の視察で、北陸新幹線の長野・直江津間の開業に伴って、長野以北の並行在来線・信越本線の扱いを長野県がどのように考えているかを直接聞いてみたいという思いがあった。県は、「長野以北は白紙の状態」といい、長野以北がJRから切りはなされ「会社をもう一つ興すとなると、総務部などダブルとなる」。コスト面から考えて別会社をつくることには否定的だという。しなの鉄道側では、長野以北もいっしょに運行することもありえるとの考えがあることを紹介した。
地元の労働者との交流会で在来線を守る長野県連絡会の松澤氏は、「長野以北の新幹線は必要ないのでは」と述べ、反対運動を起こそうかという声もあることを紹介した。これは衝撃的である。富山では、2013年開業が規定の事実となって動いている。
長野県の「新幹線ニュースレター32号」によれば、「県内で新幹線用地として買収が必要な面積(区分地上権の設定を含む)は約171,600uですが、今年の3月末までに中野市と飯山市の9地区で用地買収単価の合意をいただき、必要面積の58%に当たる約99,500uの契約を締結することができました」と報告している。また、このニュースレターは橋梁などの工事が進行していることを報道している。
「視察団」のみなさんからは、長野・直江津間が第三セクター会社として「経営が成り立つことはとても困難ではないか」としきりとささやかれていた。
松井田町からの情報、碓氷峠の「鉄道復活」へ
交流会で松澤氏は、松井田町からの情報として「碓氷峠の線路は残っており、無償で鉄道施設を町がもらうことになった。碓氷峠を越える鉄道の復活に望みが出てきた」と報告した。これが本当なら大変な朗報である。松澤氏も述べたが「復活させることができれば、しなの鉄道も再生する」ことに大きく展望を開くことになると思われる。
横川・軽井沢間が切断されてから代替バスが運行されている。県の説明では、99年(平成11年)までは乗客が伸びていたが、その後は減少している。交流会の夜、地元労働者との懇親会が開かれたが、その席で代替バス利用者数の年度別一覧表を頂くことができた。それによると、00年(平成12年)度は前年比で11%も減少している。県の説明では02年(平成14年)で一日平均30人、夏で99人、冬9人という数字が出された。渡辺が4年前、松井田町を訪ねたとき新島襄が創設した群馬県安中市の新島学園に長野県側から通学する学生は大変困っているという話しを聞いたが、今回の長野県の説明ではバスをチャーターしスクールバス化されているとの説明である。また、横川の鉄道文化村の入場者も減少しているという。
大糸線は並行在来線ではない
昨年、わが会の総会に、糸魚川から「大糸線にSLを走らせる会」の方が参加され「新幹線が10年後に走るというなかで北陸線は第三セクターに、大糸線は廃線と言う方向」がでている。新潟県知事は、「北陸線は第三セクターで考えるけれども、大糸線は第三セクターも考えない」と発言したと紹介している。長野県が、大糸線をどのように考えているのか。
大糸線は、95年(平成7年)7月の集中豪雨で線路が寸断、不通になり2年4ヶ月かけて全線復旧させた。ところが、00年(平成12年)2月JR西日本は、北陸新幹線のフル規格による整備に伴い、北陸本線(並行在来線)と7支線を一括経営分離する方向で関係自治体と協議する方針を明らかにしたのである。
長野県の回答は明快であった。大糸線の長野県側には2駅あると説明し、「大糸線は並行在来線でない。経営分離は遺憾であり、継続して経営をするよう近いうちに新潟県へ働きかけることなどを実現したい」とした。また、「大糸線の復旧に650億円(長野・新潟両県合わせて)を投入した」と付け加えた。
長野電鉄・木島線の廃線
交流会には長野電鉄の労働者も参加している。野沢温泉へ向かっていた長野電鉄の木島線(河東線の信州中野・木島間)が廃線になった。「存続させることができなかったのか」という私たちの質問に、年間2億円の赤字が発生し、沿線自治体で5,000万円の補助を行っていた。沿線から存続させようという運動がおきなかったという。さらには、廃線の他の要因として「ゴルフ場建設やホテル建設で赤字をつくりだした」長野電鉄の経営体質が問題だという告発があった。
並行在来線・北陸本線の存続を求めて
帰途の列車は、長野発189系「妙高号」、普通列車である。長野・直江津間に4往復している。特急型で指定席も用意されている。なにか懐かしく「妙高号」に乗っていた。鉄道ファンの方は何を言っているかと思われるだろうが、帰宅してから調べて「あぁ〜特急“あさま”ではないか」。いまは「あさま」といえば新幹線だが、長野までの新幹線が開業する前は、1966年(昭和41年)に運転を開始した「特急あさま」である。北陸本線が第三セクターとなって、「北越号」復活などのイベントなどには取り組みたくはない。
終わりに
しなの鉄道改革メニューは、様々なイベント、アイディアなどで集客の奮闘が行われている。これ自体学ぶべきことも多い。しかし、「しなの鉄道経営改革に向けての提言」で示された「極限までの自助努力」は、結局、地方自治体とそこで働く労働者に過大なしわ寄せを押し広げている。
並行在来線は、その地方にとって暮らしの幹線である。JR経営から第三セクターに変えたからといって、一地方の努力に、多くを背負わせるのはあまりにも荷が大きすぎる。「国の公共交通政策のビジョン」こそが切実に求められる。
「しなの鉄道視察旅行」は、上下分離方式、第三セクター会社の経営、安全対策など数多くの問題を私たちの前に提起した。また、私たちの日々の暮らしと地域を支え、環境にやさしい公共交通の確立を、鉄道を軸にして確立していく大切さを改めてつかみ直した「視察旅行」でもあった。
<参考文献>
・「鉄道ファン」 2003年8月号
・「折れたレール」 クリスチャン・ウルマー著 ウェッジ
・「しなの鉄道経営改革に向けての提言」 平成13年12月4日 しなの鉄道経営改革委員会
・「北勢線の廃止・存続にみる地域交通政策の課題」 森田優己 桜花学園大学研究紀要第5号平成15年3月15日
・「高速交通体系完成後の北陸における公共交通のあり方に関する調査」 平成14年8月 北陸経済連合会
・「日本鉄道史」 原田勝正 刀水書房
・「路面電車」 今尾恵介 ちくま新書
<この報告は、渡辺眞一世話人が執筆し、岡本勝規・稲葉敏・酒井久雄世話人が加筆・補正した>