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セミナー
ユージェニオ・バルバ、
フランコ・ルフィーニ(演劇研究者)、
フェルディナンド・タヴィアーニ(演劇研究者)の話
その場の状況・・・・
▼セミナーは長時間にわたり、しかも全てイタリア語!!!で行われた。
私を除いて五十名近い参加者の殆どがイタリア人(アメリカ人、ブラジル人、ギリシア
人の三名を除いて)。イタリア語は「ボンジョルノ、エヘヘ」レベルの私は、いやはやと
んでもないところに飛びこんだ、と観念した。こう言うとき、好きではないが英語はあり
がたい。どこでも英語のわかる人間が必ずいる。そう、英語の価値とはこの一点!英
語が「国際語」と誤解している日本人にはわかりずらいが、ヨーロッパでは英語はイギ
リス、というヨーロッパの国の一言語でしかない、という認識なのだ。南米でインターナ
ショナル言語は、断然スペイン語であるし、北アフリカではフランス語、中国と全世界
の華僑ネットワークでは中国語だし。。。。
で、ともかく主催者(本企画の地元オルガナイザー)で英語を話せるマリアとさっそく
「仲良し」になる。律儀で理知的、しっかりした感じの女性である。大学で演劇を学び、
そして古里のこの地で、演劇活動を地道に行っている。日本で言うと、鹿児島の指宿
あたりで演劇をやっている、という感じ?しかも知性に溢れた女性が。さすがにこの寒
村から見て、気の遠くなるほど遠い「地の果て」日本から私がたった一人で駆け付け
た、というのはインパクトがあった。それゆえ、彼女は熱心に通訳をしてくれた。いつ
も私の横に座ってくれて、その都度、他の参加者の邪魔にならないように、時には中
断し、時には仕事でどこかに急に消えながらも、疲れも見せずにイタリア語を英語に
してくれた。感謝。しかし、簡訳も多く、結果的に断片的メモ、に近いものになったこと
を承知いただきたい。
またセミナーの最中に小声で同時通訳の状態だったため、その上記録は取れない。
バルバは録画などの記録は一切認めない。その場に来て聞くべし、ということだろう。
グロトフスキーの直接的な流れの上に彼の活動はあるのだからうなづける。そのた
め、かなり曖昧な記録であり、五、六時間続いた話しを断片的に思い出しながらの記
録でもある。
更に、元の発言が全てイタリア語であるものを、その場で専門の通訳でもないマリア
が親切で英語に換えながらのものだから、彼女の翻訳能力の問題や、イタリア語を
英語に換えた段階で元の意味、ニュアンスが失われているところも多々あるだろう。
それを更に日本語にどう翻訳すべきか迷う部分も多く、演劇関連の翻訳経験のない
私には、キャパシティーオーバー状態。だけど、今回は日本人にとっては貴重な(稀
少な)経験、南イタリアのうらぶれた小さな寒村で行われたイタリア人だけの秘儀に飛
びこんでしまった、そこで行われたことの「面白さ」、交わされた演劇に対する概念、
認識の重要さ、を残したいと思い、断片的ではあるが記述する。
バルバからの報告
◎シーラと自分は深い関係にある。
◎6つのポイント
◎贅沢のコンデション
◎知識の伝達、知っていることを忘れる
◎ここでの滞在の時間を通してエントロピーが発見されるだろう。
◎20世紀のマスターたちを知る、過去との関係の考察。
「何が演劇的か」を定義する。
◎シーラはISTAとは違う。ISTAはもっと濃密。
◎ドラマツルギーは強制できない。隠された手続き。だが具体的。空虚の、経験。
◎「知られている、ではなく我々が知っている、ことの根源」頭脳の嵐、知の嵐。
◎我々の経験と他者の経験。
◎シーラはオーディンと全く違う。
◎なぜシーラか。我々がシーラに来る理由。
◎技芸、実技を通した演技の構造の解明。
◎ドラマツルギー、俳優の知性の発見。
◎セミナーのようなことはしたくない。一緒に発見したい。
◎過去の仕事は重要ではない。
◎身体を理解する。
◎何を知っていたかは関係ない。
◎6月10日にこの企画は十七名でスタートした。南イタリアの人があまりいなくなった
寒村をまわる旅をした。ペンティ、ダーティロ、カウローニア、ポリツィ、そしてシーラに
辿りついた。
●要点
ドラマツルギーについて。
俳優のドラマツルギー、そのメカニズム、しかし、結局何も言ってない。「構成」作業の
重要性について語られている。
バルバの演劇実践、研究の出発点ノルウェイでの出来事をあそこまで延々とこだわ
る、そのこだわり方に強烈な印象を受けた。物事の出発点、それは原点であり、その
人間の人生の起点でもある。人にとって重要なことはどこを出発点にしたか、である。
自分がアジア劇場でやったことをもう一度整理しようという気にもなった。つまりバル
バとの出会いは、私的歴史をふりかえる契機となった点で意味があった、とも言え
る。
オーディン劇団の活動の始まりを延々と語る姿勢。そこから全く成長していないかの
ように。ポーランド留学から戻った後、彼の演劇活動の出発にあたって、演劇学校を
落ちた不器用な俳優志望者とバルバは組むことにした。「それしか」道は彼にはなか
ったのだ。彼らは下手だから、バルバのところにしか彼らの道がない。だから良かっ
たのかもしない。一緒に長く何かをやるつもりなら不器用な人間に限る。うまい人間
はすぐ離れる。上手さとは立ち居振る舞いの上手さでもあり、世渡りの上手さでもあ
る。離れたら、何の意味もない。関係が維持されているから、関係は豊かになり、あ
る時、そこから何か新しいことができるのだとも言える。
ジュリア・ヴァーレイのワークショップ・リポート
ワーク作業の流れを最初にジュリアが説明する。
◎ワークショップの指導者はジュリア・ヴァーレイ。バルバといつも一緒にいる彼の右
腕だ。
参加人数は四十名くらい。主にイタリア全土から集まった演劇系の大学生、教師と地
元の劇団の俳優たち。「バルバ・コネクション」の教授たちに声をかけられた人々が多
い。
バルバはワークショップに一切タッチしない。ジュリアが全面的に「指導」。バルバは
見学に来ない。少し意外だった。で、最終日の発表、デモンストレーションだけを彼は
見る。
テーマ
「ドラマツルギーのテクニック、出会いと衝突」
◎第一日目(6月22日)
ジュリアはコメントを一切せずに始める。まず全員にそれぞれの好きな歌を歌わせ
る。それを聞いて、ジュリアは数名を指名し、歌のフレーズの一部を切り取り、つなげ
てリレーさせる。私もジュリアのわーショップに実技参加する。
◎道具ーーー椅子、みかん、アルミホイル(みかんとアルミホイルは昨日、各人に探
して持ってくるよう伝えられていた)
林とシチリアから中年男性のトーレの二人が指名される。明日までにストーリーを何
か書いてくるよう指示される。翌日朝ジュリアに提出する。私はアムステルダムの路
上で、中国人マフィアと間違われ、私服Gメンに拘束された実体験を書くことにする。
◎第二日目(6月23日)
前日の続き、更に歌を追加。全員で短いフレーズを歌ってつなげる。林とトーレにジュ
リアつき、他のものは3、4人のグループに分かれて、グループ作業。どうやら私とこ
のシチリア男を、これから組みたてられるパフォーマンスの「柱」にするようだ。
◎第三日目(6月24日)
朝、すぐに外に出て、三ヶ所で通してみる。スタジオに戻って、修正を加える。幾つか
のグループワークを追加。
◎第四日目(6月25日)
はじめにジュリアから、車座になって話がある。
「他者に対する誤解」が機能する。我々は真に他人のストーリーなど理解しうるか。一
人一人のテキストを使い、その「誤解」から組み立ててみる。特に「つなぎ」に関して、
繰り返す(タイミング面を重点的に)。ー例、バトルとそのあとのピエロのシーンのつな
ぎ、など。
テクストを各人に書かせパーツを作っておき、あとで合間に入れてゆく。つながりを作
る(コンポジション)こととタイミングの練習を繰り返す。シーンの組立作業。上演テク
スト(文字テクスト、に限定されるのではなく、テクストの本来の意味、織り成す、織物)
の作成過程を提示している、と思われる。
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