3月30日(金)
『ミニチュア家具』
今年は、団塊の世代の方たちが大量に定年退職を迎える最初の年です。読売新聞の調査によれば、自分や配偶者が退職・引退した後の暮らしに何らかの不安を感じている方は、66% 「収入」「健康」「生きがい」さまざまな不安を抱えていらっしゃる。こうした団塊の世代の方が、第二の人生を切り開くお手伝いにと、各自治体や社会福祉協議会などでは、ボランティア養成といった市民講座やセミナーを開催しています。ところが! これがまた、すこぶる集まりが悪い。どこも人集めに四苦八苦しているのが現状だそうです。どうやら団塊の世代とは「みんなでこうしましょう!」「ハ〜イ!」 というような、簡単な人たちではないらしい。 「団塊は、価値観が一人ずつ違うことを認識した最初の世代。『なあに、オレはオレのやり方でやっていける』というプライドがある」 と、こんなふうに分析している方もいらっしゃいます。
今日は、この「オレのやり方」を貫いて、見事に成功をおさめた方のお話をご紹介しましょう。京都市西京区(にしきょうく)に、自宅と作業場を兼ねた小さな工房があります。掲げた看板は「てのひら工房」・・・。 畑中義明さんが、6畳の書斎を作業場、玄関をギャラリーにして、この「てのひら工房」を開いたのは、6年前。53歳のときでした。会社の経営悪化による配置転換、50歳を越えてからの単身赴任。すっかり体調をくずしてしまった畑中さんが選んだのは、「イチかバチか、好きなことをやってみよう!」という決断でした。
畑中義明さんは、ある繊維機械メーカーの設計技師でした。 ところが、90年代の後半から、会社の業績が悪化。 人員整理の一端で、畑中さんは全く畑違いの管理部門に異動。おまけに京都から愛知県の犬山市に単身赴任を命じられます。会社への不満と慣れない仕事によるストレスよって、 身体には様々な症状が表れました。唇がただれ、マブタが落ちる。必要がないのに、早朝に目が覚めてしまう。軽い(うつ)の状態。こんな畑中さんの唯一の慰めは、週末に帰る自宅で楽しむ日曜大工。畑中さんは若い頃から、タンス、お子さんのイス、おもちゃ、物干し台、そして、トイレのフタに至るまで、何でも手作りするのが趣味でした。材料をそろえる、切る、削る、磨く、組み立てる、色を塗る・・・。 何もかも忘れて、そんな作業に没頭しているときの満たされた気分が、弱っている心と身体の支えでした。ある時、畑中さんは小さな小さな家具を作ってみました。 階段タンス・・・昔、商売をしている家などでよく見られた 階段の横に沢山の引き出しが付いた家具です。それを見た奥さんの信子さんが、声をあげて喜びました。「わぁ〜、これ、ええわ〜、なつかしい〜!」(こんなに人が喜ぶんなら、これが仕事にならないか・・・?) 畑中さんの胸に、第二の人生の構想がよぎったのは、この時でした。(生活はできんやろうが、イチかバチか、やってみよう!) 定年まで2年を残して、会社を辞めた畑中さんは、ホームページを立ち上げました。昔懐かしいミニチュア家具の「てのひら工房」!しかし、半年、一年、二年・・・案の定、注文など来ませんでした。ところが、兵庫県のあるご夫婦が、畑中さんを訪ねてきます。「自分たちが住んだ社宅が近く取り壊される。これをミニチュアにして、定年を迎えるご主人への奥様からのプレゼントにしたい」という注文。 畑中さんは、実際にその社宅にお邪魔して、寸法を測り、建具や家具の特徴を写真に収め、2ヶ月間仕事に没頭しました。出来上がった社宅のミニチュアを見て、夫婦は涙ぐんで喜びました。二人が使っていた布団の生地、縁側の木などをそのまま使い、ふすまの汚れや庭のブロックなどを、見事に再現したミニチュア。一組のご夫婦の生活の記録が、形として残ったのです。縫い物などの部分は奥様が受け持つ二人三脚の「てのひら工房」!注文は今、一年半先まで埋まっていますが、畑中さんは仕事のペースを変えません。人生は、楽しむためにあるのですから・・・。
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