浜松工場にて
 (撮影日1990年 秋  JR東海 浜松工場)
 浜松工場、事務所寄りの留置線に留め置かれた、これから試運転を待つばかりの100系G編成新製編成です。
 検電アンテナには、ビニールがかけられている状態です。写真では見えませんが、何故か方向幕は「修学旅行」が掲出されていました。

 写真の編成には、新製時からFRP製のパンタグラフカバーが取り付けられました。JR東海の100系も、当初は車体色と同じ、白色に塗られていました。(その後、グレーに変更)
 当時は、特高圧引き通し線は準備工事にとどまり、パンタグラフからの導線は床下の変圧器へ通じる碍子にしか接続されておらず、これと引き通し用の碍子の間には、導線がありませんでした。

 他の車体間でも、特高圧引き通し線用の碍子は既に設置されているものの、車体間渡り線は接続されていません。
 この碍子間が接続されたのは地上設備のAT饋電化工事が完了する1991年(この写真が撮影された1年後)のことです。
 100系用台車(写真は、付随車用TR7000)の写真です。
 在来線用台車と比較して、新幹線用台車はスカートなどに隠れてしまう部分が多いため、全貌がつかみにくい存在です。
 全体がグレーで塗装されていますが、軸受けダンパーのカバーや軸受端部は黒い素材そのままの色をしています。
 ちなみに、軸受端部の黒い部分には透明な窓が設けられ、潤滑油の状態が見えるようになっています。

 こちらは全般検査を受ける100系中間車(126形)です。
 形式・所属表記は、在来線とほぼ同じ車端部に表記されています。連結時には、転落防止カバーによって、外部からはほとんど見えなくなります。
 
 模型の参考にはなりませんが、ここからは「おまけの写真」です。
 浜松工場検修庫の内部。100系全盛期を感じさせる風景です。
 左の編成はちょうど全般検査後の儀装を行っており、行先表示器の取り付けを行っていました。
 余談ですが、このころの方向幕はまだ国鉄時代からの「紺地に白文字」のものでした。
 こちらは軸箱の検査・修理を行うセクション。
 軸箱への異物の混入を防ぐため、防塵(クリーン)ブースでの作業で、外とはガラス窓で完全に仕切られています。
 
 これは車輪の保管棚です。この「車輪」に「車軸」を取り付けたものを、通常「輪軸」と呼びます。なので、この写真に写っているものは、まさしく「車輪」。
 新幹線の車輪と車軸は分離することができ、ともに製造についての情報や走行距離、使用された車輌などの経歴を管理され、常に最適な組み合わせで使用されます。この棚はコンピュータによる在庫管理を行っており、膨大な車輪が保管されていました。
 浜松工場の広い検修庫内の風景です。
 浜松工場は新幹線と静岡地区の在来線を主に担当する検修工場で、写真のように同じ庫内に新幹線車輌(0系)と在来線車輌(165系)が同居することも珍しくありません。 
 0系も165系も、今となっては既に過去の形式となり、時代の流れを感じさせます。

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