Last modified: Tue Oct 30 20:47:13 JST 2001
敦賀という街だが,予想以上に原発に依存した街であった.原発関係の(専門知識が特に必要ないような)職場には,地元の人を優先的に採用(これは身近な人が働いているということで,地元に安心感を与えるということもあるのだけれども).住民一人一人に電気料金の還元もあるとか.また,ローカル線の電化も原発を背景に勧められているとか.
あとは,原子炉の建設が始まるとものすごく賑わうらしい.その期間だけビジネスホテルを建てて,終わったらつぶしても採算とれるほどに賑わうのだという.なるほど,寂れた町々が原発を誘致したがるわけである.
しかし,原発を引き受けるという事態は,果たしてせいぜい数十年の繁栄と引き換えにするべきモノなのだろうか? 根上がりの松という名所が結局誰にも見られない状態になっているのと見合うのだろうか? 何か事故が起きたときに真っ先に被害を受ける可能性と引き換えにすべきものだったのだろうか?
とは言え,あの閑散とした街中の風景を思うと,正面切っては言いにくいのも確かではある.環境を守るとか何とか言っても,こんな高度成長から取り残された(とか言うと2chの煽りみたいだけど(笑).あの「1の生まれ故郷にいってみたら高度成長から取り残されたような村で,1の母親が出てきて云々」ってやつ(笑))町に生まれ育ち一歩も出ずに死んでいく人々に通じる理屈なのだろうか?
まあそれでも私は原発には反対なのではあるけども.それは小さな街の思惑を超えたレベルの判断であり,彼らの判断に反対するものではないだろう.要は小さな自治体の足元を見て原発を押しつけるような国の政策が問題なのだ.
原発以外何もなかったゆえに,その空白ゆえに色々考えるところがある敦賀行であったことよ.
帰京は京都経由.一応ウワサの京都駅も見てみる.まあ景観にそぐわないと言えばそぐわないが,金閣寺あたりも建った当時はそうだったんじゃなかろうか.と言うことで私的にはオッケーな建築物であった.