Last modified: Thu May 17 21:18:54 JST 2001

2001年5月

5/17 マルコ・ポーロ
 5/115/13と二日にわたって新興宗教ネタを繰り広げたわけだが,その時ちょっと参考にした雑誌が『マルコポーロ』1995年2月号である.「新興宗教,有名人信者150人全リスト」なる記事が載っているのである.br>  しかしこの号はもうひとつ特筆すべきことがあって,それは(結果として)最終号なのである.そう,「ナチ『ガス室』はソ連の捏造だった」を掲載して,ユダヤ人団体などから圧力をかけられてしまった号である.
 その記事自体はよくあるリビジョニストの与太話でいまさら言及すべきものではない.
 ただ今になって雑誌全部を読み直してみると...アメリカの化学兵器研究所の副所長が,松本サリン事件を現地で振り返る企画が目を引く.曰く,「これをやった人間は『次はもっと大きな舞台でやってみせる』とほくそえんでいる」「もしもこれが,新宿の地下街で起こったら」.ご存じの通りその後地下鉄サリン事件が起こるのである.そういう意味では非常に読むべき記事だったわけだが,いかんせんリビジョニストの与太話と同レベルの信頼性と思われてしまって損をしてしまった.さらには霊の圧力云々でマスメディアでこの号に触れること自体が難しく,その後の地下鉄サリン事件の報道でもこの記事には触れられることがなかった(と記憶している).あれがなかったら「予言した記事」と銘打って大々的に報道されていただろう.悲運の号である.

5/13 立正佼成会
 さて,創価学会の次は当然(?)立正佼成会である(どちらも日蓮系.他に「いんなあとりっぷ」霊友会もそうである).
 私が今住んでいる部屋の近所には立正佼成会の本部があって,周辺にも立正佼成会の施設が点在しており,城下町的な部分がある(特に住民が皆信者というわけではないようだけど.基本的には普通の町).この本部というのが,様々な建築様式が混在したポリシーの一貫しない趣味の悪い建物なのだがそれはともかく.ちなみに環七を高円寺交差点から1kmほど南下したところで,左手に見える建物である.
 で,たまにその本部や周辺施設で行事があるわけだが,大規模なやつで人が沢山集まるような場合などは,近所の家一軒一軒に,「今回かくかくという行事をやるので大勢人が集まって,ご迷惑をおかけするかもしれませんがよろしくお願いします」という手紙とともに2,3千円程度の粗品を郵便受けに入れていくのである.私は昼間不在なので知らないが,おそらく在宅していた場合は実際に面to面で挨拶されるのであろう.そんなに気を使われたとは言え,騒がしいと思ったことは一度もないのではあるが.
 そうやって近所に気を配って粗品を郵便受けに配る教団もあれば,別にほしくもない新聞を郵便受けに突っ込む教団もあるのだなあ.とは言え言い換えれば後者はそれだけ布教活動がさかんとも言えるのだが.
 しかし日本においては,布教活動が盛んというのは,その宗教自身にとって,果たしてよいことなのだろうか? 布教活動が盛んなところほど胡散臭く見られるような気がするのだが.

 ちなみに最初にちこっと触れた霊友会だが,確か私の親戚が信者で,パンフレットなどを一度実家に送ってきたことがある.それについて私の母親は,「こんな宗教して悦に入る前に,ちゃんと実家の義母に仕送りしたり盆には顔見せたりしなさいよ」みたいなことを言っていたのだった(私の父は長男だったため,その嫁である母は当然そういったことをこまめにしていたのである.(母からみて)義母とは別居していたのにも関わらず.で,盆に顔を見せた母に向かって義母は嫌味を言い続けたりと,ありがちな風景が展開されていた).往々にして,宗教していて布教なんかに熱心なおばさんは家庭を顧みないものである.やはり家にこもっていたりすると,そういう形で社会との接点を求めようとするのだろうか? 宗教に走られるくらいなら,共働きとか許す方がよっぽどいいよな.
 ちなみにそのパンフレットは直ちにゴミ箱行きとなったが,私は後でこっそり拾い出して,今と同じような姿勢で面白く読んだのであった.確か小学校高学年〜中学生くらいの頃だ.その頃から成長がないのである.

5/11 聖教新聞
 私が今住んでいるアパートの,一階の集合郵便受けのところには,いつも紙袋が置いてある.1日1枚は必ず入っているまきビラを,そこに捨てられるようにである(実は誰が手当てしているのかしらないのだけれども).
 最近毎日,その中には聖教新聞が捨てられている.つまり本人は別にほしくないのに,配達されているわけである.これは,創価学会の信者が布教の一環として,聖教新聞を拡大させるために自腹を切ってまでして,別にとりたいとも思っていない相手に新聞をとらせるということのようだ.ノルマがあるとか言う話も仄聞するが実態は知らない.が,いずれにせよ自腹を切って取ってあげるという形の販拡はそれなりにありがちな話らしい.かくして届けられるだけでけして読まれることのない新聞が一部生まれるのである.
 ちなみに,以前fj.life.religionに出現していた学会員(or学会シンパ)は,現在このような販促方法が行われていることを否定していた.曰く,昔はその中にそのような方法もとられていたが,現在は学会の方で再三注意しているので,ないはずだ,と.あ,いや,再三注意しているということは,現在でも行われているってことでしょう.行われていないんだったら注意する必要ないもんな.他にも色々突っ込まれて,その学会員はいつのまにかfj.life.religionから消え去っていった.

 俺的にはそんな学会員などはどうでもよいのだが,時々そのゴミ袋の中からその聖教新聞を拾って読んでいたりするのである.この新聞は,以前創価学会が日蓮正宗を盛んに攻撃していた頃は,良い具合に品性下劣な罵詈雑言(いや勿論本人たちは品性下劣とは思っていない,事実をそのまま描写した表現だと思っているのだけれども)にあふれていた.その日蓮正宗への攻撃が一段落ついている今,それがどうなっているかに興味があったのである.とはいえわざわざ金を出すほどの興味ではなかったので,ただで手に入るこの機会は千載一遇のチャンス(笑)である.
 で,結論からいえば,俺お気に入りの罵詈雑言は影を潜めていた.残念.そのかわり田舎の和菓子ばりの甘ったるい池田大作礼賛記事に満ち満ちている.池田会長がどこそこの名誉博士号をもらったとかどこそこで講演したとか歓迎されたとか.一般的なニュースと呼べるような記事は二面程度である(とは言えそもそも全12面しかないなのだが).こんなの読んでいれば,会長の名誉博士号やら一挙一投足には詳しいが,巷の趨勢にはまったく疎い学会員ができ上がるのもよく分かる.4コママンガもユーモアのかけらもない訓話説法臭いものだし,特にエスプリもひらめきも感じない型どおりの箴言が載っていたりして,ユーモア(=思考の柔軟性)のない人間を養成するための新聞ではないかと思わせる.まったくもって学会員以外にはまったく魅力のない新聞である.
 機関紙だからそれはそれでいいのだが,問題は,学会員自身が,外部の人間にとってそのように魅力がないということをまったく分かっていないことだろうな.こんなくだらんモノすすめんなよ,としか思われていないんだよなあ.これは勧める方にも勧められる方にも不幸なことだよなあ.別に解決したいとも思わないけどさ.


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