Last modified: Mon Apr 16 21:47:16 JST 2001
ピーター・フランクル曰く,「優秀な学生は理系に行くという日本の良き伝統」があるらしい(情報源).理系帝国主義.
さらにそのページには,あの大槻義彦教授の「念力でスプーンが曲がるのなら、反作用で、=超能力者=の脳みそはグシャリとつぶれてしまうはず」という発言も記録されている.この発言は,脳がスプーンを曲げる際のなんらかの力点になるという隠れた前提がありますね.大槻義彦教授らしい非科学的発言.超能力の発生メカニズムも分かっていないのに,脳が力点になるなんて検証不能な前提を無批判においていいの?
例えば腕力でスプーンを曲げることもできる.その時の力点は指のどこかで脳みそではないというのは言うまでもない.しかしそもそもの「スプーンを曲げよう」という意思は脳みそから発生している.意思が発生するところとと力点は別でも特に問題はない.同様に,スプーンを意思だけで曲げる場面で,意思が発生する脳みそが力点である必要は全くない.
そもそも,発生した意思がどのように実際の行動として実現化されるかも分かっていない(この辺は心身二元論が前提).つまり,心(=意思)が物質と別なものならば,物質でない心で思った(例えば)「手を動かせ」という意思は,どのようにして物質である身体を動かすのであろうか.どこかで非物質→物質の翻訳メカニズムがあるのである(心が100%物質によって実現されているのであれば,このメカニズムは必要ない).このメカニズムの存在を認めるならば,意思の力だけで物理的な対象に物理的な影響を与える(例えばスプーンを曲げるとか)可能性は否定できないのである.
「物質とは別の存在である心が物質である人の体を動かす」と「物質とは別の存在である心が物質であるスプーンを動かす」のどこが違うのか? これが同型であるならば,別にスプーンを曲げるときの力点が脳みそである必要は全くない.
(しかし私はそのような結論は直感で受け入れない.よって心身一元論を支持する.また,この結論を受け入れないという点においては,私は大槻教授と同じ立場なのだが,だからといって,このような非科学的な論理に賛成するわけには行かないのだ.賛成・反対の二元論しか理解できない人には理解の埒外の態度であろうけども)