Last modified: Mon Feb 26 22:16:53 JST 2001

2001年2月

2/25 『誰も教えてくれない聖書の読み方』
 最近改装してかなり広くなった池袋ジュンク堂に行く.よりスペースに余裕ができて,図書館感がより高まる.新品の本棚の木の香りが漂いちょっとお得な気分.
 そこで『誰も教えてくれない聖書の読み方』を購入.山形浩生なれなれしい翻訳.これを読むと聖書を読みたくなるという本.といっても読者を信心深くする本ではない.それはあたかも夏目房之助の紹介を読んで『アパッチ野球軍』を読みたくなるがごとく,『トンデモ本の世界』を読んで黒豹シリーズを読みたくなるがごとく.聖書の中のちょっとナニな部分を懇切丁寧に抜き出してコメントした本なのである.私はデニケン(ってみんな呼ぶけどあの名字はフォン・デニケンだよね)の本に引用されていたエゼキエル書のせいで,聖書がかなり(と)であるというのは前から薄々は知っていたが,これほどとは.取り澄ました布教野郎の顔面にぶつけてやりたい本.
 ただアパッチ野球軍も黒豹シリーズもそうであるように,紹介されたのが面白かったとしても,実際に読んでみると,紹介された面白い部分の分量以上に退屈な部分の多さに辟易してしまい,思ったより楽しめないものだ.史上最大のベストセラー聖書は果たしてそのジンクスを打ち破れるか?

2/20 アメリカンプロレス/ジョン・ベルーシ
 先日書いたWWFだが,それについての本が出ていた.

『新世紀アメリカンプロレス読本』洋泉社MOOK007

これからWWFを見る人は必携.ウェイン町山の,WWFがウけるアメリカの社会的背景を説明した原稿が面白い.私も注目しているRTCについての言及もある.やはりWWFは保守的な団体PTC (Parents Television Counsile) から抗議を受けて,番組スポンサーが降りたりなんてことがあったらしい.その抗議を一見受けるようでありながら,実は皮肉っているというこの戦略が,WWFという団体の奥深さである.RTCの原稿を書いている黒須田氏も,同じような見解を示しつつ「考えすぎか」と留保しているが,考えすぎではないだろう.こういうことのできる団体は強い.WWFの隆盛はしばらく続くだろう.
 町山の原稿には他に,昔からアメリカのプロレスの敵役には国際的に嫌われ者の国出身のレスラー(ロシアとかイランとか日本人とか:-)だったわけだが,最近は暴君的企業家や偽善者だという分析やら,昔はアメリカのプロレスファンのほとんどは低学歴階級だったのが,現在はかなり高学歴層になっているとか言う分析も.

 Saturday Night Liveを見る.そこでは「(出演者のなかで一番早死にしそうといわれる)ジョン・ベルーシが,実は一番長生きで,共演者達の墓参りをして彼(女)らの(でっちあげの)生涯を語るというスケッチをやっていた.言うまでもなく,巷間の見立て通りジョンは若くして亡くなってしまう.そういう未来を知っている我々は笑いながらもなんとなくしんみりしてしまうスケッチであった.

2/18 最近気に入っている番組など
 そういえば最近はケーブルテレビ番組の話が少ないような気がするので,最近お気に入りの番組などを.
Jackass
 MTVで放映中.あまりに馬鹿なあまりエンタテイメントになっている.「ドッキリカメラ」と「ビックリ日本新記録」とエスパー伊藤を足して2で割ったような(←3で割らないくらい濃い)番組.これの後に'N Syncなどが出てくるとそれが無意味に思えるくらいに盛りだくさん.え?そもそも'N Syncより内容がないモノがこの世にあるかって? GI Orangeかな?(笑)
重戦機エルガイム
 前も見ていたのだが,また別のチャンネルで再放送しているので見ている.再鑑賞に耐えるだけのクオリティがあるからね.
 ちなみにアニメで思い出したが,朝早くエヴァンゲリオンもやっている.たまに早く目が覚めてテレビをつけると,アスカが精神汚染を受けていたりするのである.さわやかな朝が来た.希望の朝だ.
 そういえばさらにそれで思い出したが,中学生の女の子をやっちゃうようなPCのHゲームを小説化したモノ(当然エロ小説だ)があるのだが,それの帯の文句が「よろこびに胸を開け」だった.異コンテキストを存分に生かした帯文句である.多分「よろこび」は漢字が違うのだろう.
WWF
 アメリカのプロレス団体.プロレスでよくある因縁とかといったストーリーを極限まで進めた結果,プロレス界を背景にしたソープドラマとも呼べるようなモノに仕上がっていて,最近注目の的である.暴力,セクシーなねーちゃんとPTAが目くじら立てそうな俗悪的な面白さが売りである.人気レスラーThe RockやCactus/MankindことMick Forleyは大人気で,自伝を出しているくらいである.今のところJSKYSportsFOXで放映中である.ちなみに活字媒体では電通の『広告』くらいでしか紹介されていない.引退した横綱曙がプロレス転向とか言われていたときに名前の出た団体である.なんせ以前はそのものずばり「ヨコヅナ」とか「リキシ」とか言うレスラーがいたからね.ちなみにどちらもポリネシアン.
 で,色々なグループが色々な因縁を背景に覇権闘争をしているのだが,そのグループ一つに,RTC (Right To Censor,検閲賛成) というグループがある.その名の通り,検閲賛成派である.先にも述べたとおり,WWFの番組内容はかなり俗悪.それで風当たりもそれなりに強いわけだが,それに抗弁するためか茶化すためか知らないが,団体内にも俗悪な表現を検閲するのに賛成する一派というのを立たせているのだ.
 で,こいつら,セクシーなねーちゃんが出ると「なんと破廉恥な衣装!」とか逆上して実力行使(=つまり暴力的に)をして追っ払ってしまうのである.暴力描写反対のくせに実力行使しちゃうという矛盾は,やはり巷の検閲派のカリカチュアだろうか.で,それに文句をつけるやつがいると,「じゃあリング上で決着をつけよう」とか言ってプロレスを始めてしまう.「すべての決着はリング上で」というパラダイムはやはり不変である(笑).
 でリング上ではそれなりに勝つが負ける方が多い.何分試合相手が敵対しているのはもちろんとして,客から実況やら解説やらレフリーにまで敵対されているのである.解説(元レスラー)が乱入してラリアットかけられたりとか,それをレフリーは制止しないとか.
 検閲派に対して,単に「表現の自由」とか決まり文句を唱えるやり方とはまた一段違ったやり方だなあと感心することしきり.検閲派だろうと同じリング(これは比喩表現)の上で戦えという,民主主義の基本を見る思いである(嘘).

2/10 『オリンピア』
 1938年のドイツ映画『民族の祭典』『美の祭典』を見る.この映画は言わずと知れた1936年のベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』の第一部と第二部である.その当時ナチ御用達の映像作家,レニ・リーフェンシュタールの代表的作品の一つ.
 この時代はすでにヒトラーが政権をがっちりに握っていたため,映画の内容は必然的にアーリア民族的美を強調するモノになっている.よって,それぞれオープニングでは運動選手のアーリア民族的美,要は肉体美を強調する映像で主に構成されている.
 しかし現在の退廃文化(笑)に漬かりきってしまった私には,「新宿二丁目系のズリネタ?」としか見えない(笑).特に『美の祭典』のほうのオープニングは,アーリア民族的美を前面に押し出した一糸まとわぬ青年男子たちが連れだってサウナに入るという,もうその系統の人々にはお勧めの逸品である.関係ないがマチズモがホモセクシュアル嫌いなのは,審美眼が同じである近親憎悪だというがよく分かる.ちなみにマチズモと親和性の高いファシズムもホモセクシュアルが嫌いである.ナチスも共産党も粛正の対象にしている.

 映画のなかでは,51カ国が参加しアスリート達が平和に技を競っているが,映像からは,このころヒトラーはベルサイユ条約やロカルノ条約を破棄し再軍備・ラインラント進駐を遂行しているというきな臭い状況にあったことは,当然のように感じられない.さらに映画が発表された1938年には,ドイツ軍はスペイン爆撃・オーストリア併合を行っていたのである.この映画は,そんな世相を背景にしても平和の祭典を描けてしまう映像のマジックを感じさせる.ちなみにその翌年にはポーランドに侵攻.2年後にはパリも占領下においてしまう.
 ただの記録映画のはずなのに,画面のテンションがみじんもたるまないのはたいしたものだ.さすがうわさに名高いリーフェンシュタールである.現代の邦画に見習ってほしいところだ.構図一つまともに作れないやつが映画監督なんて名乗らないでほしいね.
 また,日本の選手も競技において活躍している.アジアではこのオリンピックの翌年に廬溝橋事件が起こり,支那事変(内閣総理大臣推奨用語)へと突入していくのである.そして泥沼の太平洋戦争で,この選手たちの大部分は命を落とすのである(それは日本の選手に限らないけど).そういう未来が待っているとは露知らず,彼らは映像のなかで永遠にベストを尽くし続けている.競技が終わると互いの健闘を讃え合っているのだ.私はそういう「讃え合う」なんてことは偽善だとは思っているが(偽善だからスポーツは駄目とは言っていない,念のため),この後は偽善すらも通らぬ世の中になっていくのである.

2/5 Mail virus
 知り合いからなんとLove letter virusが届いてしまった.昔のlove letterはVBscriptでできていたはずだが,今回届いたのはpifであった.まあいずれにせよこれらの拡張子は表示されないようになっているので,txtファイルに見せかけるという用は足りる.ちなみに拡張子はpifながら,中身を見てみると普通のwin32 applicationのようである.デバッガとかではなくバイナリエディタで見ただけなので(そもそもデバッガなんて持ってない)断言はできないが,kernel32とwsock32をどうにかして,(おそらくwindows標準のアドレス帳を見て)自分自身を他のユーザに転送するという動作のようだ.あとで調べてみよう.
 しかしこれが届いたということは,その知り合いは私のことを(Windows標準の)アドレス帳に登録していたわけだ.私はあまりメイラーのアドレス帳を使わない人で,今アドレス帳を見てみたら登録されている人は10人もいない.メイルを出すときは過去メイルを探してそのままヘッダからコピー&ペーストするのであった.そんなにしょっちゅう自分からメイル出さないしな.
 もちろんvirusが届いた知り合いには警告のメイルを出す.

2/2 勇気?
 そのままにしておけば死者は一人で済んだものを,余計なお節介をかけたために三人にしてしまったという行為は尊いものだろうか? というのは先日のJR山手線新大久保駅での話.もちろんなくなった方の家族親戚知人の方々はお気の毒ではあるが.
 彼らの行為は勇気があると評価されているようだが,そんな死人を増やすだけの行為は勇気というより蛮勇であろう(まあ第二次世界大戦なんかを見ると,日本人はこの二つの区別をつけないようではあるのだけれども).「自分にはとても出来ない」程度の理由で褒めるなよ.出来ないのは,数分も開けずに電車が来る山手線では,電車を止めずに救助は不可能であるというリスク判断がきっちり出来ているからで,別に恥ずかしいことでもなんでもない(ただ一時間に一本しか来ないような路線ならば話は別だが).
 ついでに,亡くなった方の一人が韓国人,つまり戦争被害者が多くいる国の人であるという権力を持っている人だったというのも,なかなかこの件に関して批判的(≠ネガティブ)なことを言いにくい状況を生んでいる.(関係ないけどこの段落はいかにも新自由史観(だっけ)の人が言いそうな内容ではあるが,も一つ前の段落は逆にいかにも左翼の人が言いそうな文句があるけど).

 確かに目の前の困っている人を助けるというのは大切なことだ.しかし目の前の困っている人を見殺しにすることによって,全体的には惨事を減らせたりより多数の人の利益になるのであれば,その選択肢を選ぶということも必要ではないだろうか.そしてそういう選択肢を選ぶ能力を持っている者が,エリートと呼ばれる地位にいるべきではないか.とは言え,このような考え方は独善を生む可能性も高いのではあるが.独善にならないための幅広い教養(≠知識)教育(≠現状の大学教養教育)がエリートに必要な所以である.その辺に転がっている物語では,必ず主人公は目の前の人を助ける選択肢を選ぶんだよな.それで力任せに大きい敵を倒してハッピーエンドのように見せかける.

 まあそれはおいといて,いずれにせよ,最初にホームから落ちたのは酔っ払いということで,そんなホームから落ちるほど酔っ払ってしまうような自制心のないやつのために死ぬのはもったいない人々ではある,今回亡くなった方々は.


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